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途中  作者: 古江 門
第一部

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3/23

第一話 新しい街 (三)

三 話したい日


 車が走り出した。


 窓の外を、搬送機と自動運転車が行き交っている。


 航は最初こそ窓へ顔を寄せていたが、すぐにハルの敷物を踏まないよう、足の置き場を変えることに夢中になった。


 道路も車も、以前の国と大きくは変わらない。


 店の前では荷物が自動で積み下ろされ、歩道の清掃機が人を避けながら進んでいた。


 やがて航が、通りの一角を指した。


「人がいる」


 器を並べた店に、女性が一人立っていた。


 客が器を手に取り、女性へ何か尋ねている。奥では包装機が動いていたが、二人はしばらく話を続けていた。


 直人もそちらを見た。


「対面で売っているんですか」


「毎日ではありません。あの人は、器を作った人でもあります。店に出たい日だけ、あそこに立っています」


「出ない日は?」


「注文されたものを送っています」


 航は少し考えた。


「じゃあ、今日は話したい日なんだ」


「そうかもしれませんね」


 客が器を一つ持ち上げると、作り手の女性も同じ器へ手を添えた。


 車はそのまま店の前を通り過ぎた。


 店を過ぎると、車は少し速度を落とした。


 道沿いの長い壁を、数人が刷毛で塗っている。


 脇には塗装機が置かれていた。故障している様子はなく、材料の容器だけを運んでいる。


 年配の男が、若い人の手元を見て刷毛の角度を直した。少し離れたところでは、別の女性が色見本を壁へ当てている。


 直人はそちらへ身体を向けた。


「機械は使わないんですか」


「下地は機械で済ませています。仕上げは、自分たちで塗りたいそうです」


「仕事として?」


「活動として参加している人も、近所から手伝いに来た人もいます」


「どこからが参加者で、どこからが手伝いなんです?」


「材料や安全を任されている人は、記録されています。今日だけ塗りに来た人は、名前を残さないこともあります」


 若い人が塗った部分を、年配の男が指で示した。


 すると、色見本を持っていた女性が何かを言った。男は刷毛を下ろし、二人で壁から離れた。


「責任者は、あの男性ですか」


「塗り方を教えているのは、あの方ですね」


「全体の責任者は?」


「安全を確認する人と、材料を管理する人は別にいます。色を決めた人も、また別です」


 もう一度、壁の前を見る。


 誰か一人が全員へ指示を出しているようには見えなかった。


 航はすでに別のものを見つけていた。


「あの人、寝てる」


 大きな木の下で、男が靴を脱いで横になっていた。


 片腕を枕にし、顔には薄い布をかけている。足元には飲み物の容器が一つ置かれていた。


 直人は少し身を乗り出した。


「具合が悪いんでしょうか」


「支援を求める通知は出ていません」


「反応がなかったら?」


「危険があれば、近くの支援AIが声をかけます」


「では、ただ寝ている?」


「そうみたいですね」


 男を見たまま、直人は言った。


「夜の活動をしている人かもしれませんね」


「そうかもしれません」


 女性はそれ以上付け加えなかった。


「気持ちよさそう」


 航が言った。


 男は寝返りを打ち、顔にかけていた布を少し直した。


 美紀が窓の外を見たまま尋ねた。


「誰かに、そろそろ起きたほうがいいと言われないんですか」


「起こしてほしい時刻を決めていれば、声がかかります」


「決めていなければ?」


「起きたくなったときに起きます」


 美紀は少し黙った。


「何をしている人か、聞かれたりは?」


「本人が話したければ」


「話したくなければ?」


「眠っている人を起こしてまで、聞くことではありませんから」


 車は木の横を通り過ぎた。


 直人は振り返った。


 男はもう、枝の陰に隠れて見えなくなっていた。


 美紀は前を向いたまま、自分の膝へ両手を重ねていた。


 車は住宅区画の入口で止まった。


 直人が先に降り、美紀へ手を差し出す。


 美紀はその手を借りて立ち上がったが、車を離れると自分で歩き始めた。


 航とハルが続く。


「この車、待ってるの?」


 航が振り返った。


「待ちません。必要になったら、別の車が来ます」


 扉が閉まり、車はそのまま走り去った。


 住宅区画には、形の違う家が並んでいた。


 庭に花を植えた家もあれば、土のままの庭もある。開け放した作業場で木を削っている人の横を、清掃機がゆっくり避けて通った。


 美紀が一度足を止めると、直人も黙って歩調を落とした。


「大丈夫?」


「うん。家を見てただけ」


 再び歩き始めた美紀が、家々を見渡す。


「私たちの家は、ここから近いんですか」


「もう少し先です。移住前に選ばれた三軒のうち、庭と一階の寝室がある家ですね」


 美紀が隣を見た。


「これ、あなたが選んでくれた家よね」


「一階で寝られるほうがいいと思って」


「うん。ありがとう」


 返事の代わりに、直人は少し先の家並みへ目を向けた。


「この家は、売ることはできないんですよね」


「はい」


「空いている部屋を、ほかの人に貸すことは?」


「できません。住居を使う権利を、ほかの人へ貸して通貨を受け取ることは認められていません」


「誰かを泊めるのは構わない?」


「もちろんです。一緒に暮らすことになれば、同居する方として登録します」


「どれくらい住み続けられますか」


「皆さんが暮らしている間は、皆さんの家です。こちらの都合で、急に別の人へ渡すことはありません」


「住まなくなれば返す」


「はい」


 家々の玄関先には椅子が置かれ、窓辺には飾りが並んでいた。庭の木には、子ども用の遊具が結びつけられている。


 そのとき、ハルが道の脇へ入り込んだ。


 航がリードを引いたが、犬は一本の大きな木の根元から動こうとしない。


 幹のそばに、小さな札が立っていた。


 名前と、生まれた年、亡くなった年。それ以外には何もない。


 女性が足を止めた。


「お知り合いですか」


 美紀が尋ねた。


「私を育ててくれた人です。母ではなく、近所に住んでいた人ですが」


 直人は木を見上げた。


「何をされた方なんですか」


「特別な役目があったわけではありません。子どもを預かったり、具合の悪い人に食事を届けたりしていました」


「活動として?」


「いいえ。本人は、登録するほどのことではないと言っていました」


「記録を残そうとはしなかったんですか」


「周りの人が何度か勧めました。でも、自分の名前を付けて残すようなことではない、と」


 女性は札へ目を落とした。


「そういうところは、最後まで変わりませんでした」


 直人も根元を見た。


 土は整えられ、幹の周りには水を通すための浅い溝が掘られている。


「それでも、これだけの木が残っている。ずいぶん慕われていたんですね」


「亡くなったあと、近所の人たちで植えました」


 航が幹を見上げた。


「この人が植えたんじゃないの?」


「ええ」


「じゃあ、みんなが植えたかったから?」


「ええ。私も植えました」


 女性は幹へ手を触れた。


「近くを通ったときは、ときどき水をやります。ほかの人も勝手にやっているので、重なることもありますけど」


 航は根元の土を見た。


「水、多すぎない?」


「今のところは大丈夫みたいです」


 ハルが木の周りを半分だけ回り、ようやく道へ戻った。


 女性も幹から手を離した。


 直人は、名前だけが刻まれた札から、枝の広がった木へ目を移した。


 航はもう一度札を見てから、ハルと一緒に家族の先へ走っていった。


 木を離れてすぐ、白い壁の家が見えた。


 二階建てだったが、隣の家より少し低い。玄関の横に細長い窓があり、道路から奥まったところに小さな庭がある。


「ここです」


 航が駆け出した。


「待て。まだ入れるか分からないだろう」


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