↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
途中  作者: 古江 門
第一部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/86

第十一話 交代する夫婦 (二)

二 役割が終わること


 翌日の午後、女性は一人で活動室へ来た。


 美紀は、仕上げた鞄を作業台へ置いた。


 持ち手を短くし、使わなくなった仕切りは底へ寝かせてある。


「一度、掛けてみてください」


 鞄を肩へ掛け、鏡の前に立つ。


 昨日より位置が高くなり、身体の横へ収まっていた。


 持ち手を握り、何度か肩を動かす。


「ちょうどいいです」


「重いものを入れると、少し下がるかもしれません」


「それくらいなら大丈夫だと思います」


 蓋を開き、底へ留められた仕切りを確かめる。


「きれいに残してくださったんですね」


「また必要になるかもしれないので」


 美紀は答えた。


「次にご主人が使うときも、この形なら戻せます」


 女性は仕切りへ触れた。


「あの人が、また使うとは限らないんですけどね」


「次も交代されるのではないんですか」


「役割は交代します。でも、そのときに同じ活動へ戻るかは分かりません」


 鞄を肩から下ろした。


「あの人が外の側へ回ったのは、五年くらい前です。今の活動は続いていますけど、やり方も人も変わっています」


「次に外へ出るとき、同じ活動へ戻りたいとは言っていないんですか」


「まだ、何も決めていません」


 底へ留められた仕切りを指で起こす。


 縫い目に引かれ、途中で止まった。


「でも、残しておきたかったみたいですね」


 昨日、仕切りに触れていた男性の手を、美紀も覚えていた。


「長く使っていたものですから」


「そうですね」


 仕切りを元へ戻す。


「私も、同じことをしました」


「同じこと?」


「自分が家にいる側だった頃のやり方を、なかなか手放せなかったんです」


 女性は椅子へ腰を下ろした。


 活動室には、ほかに誰もいなかった。隣の作業台では、道具の点検が行われている。金属の部品が音を立て、順番に箱へ収まっていった。


 美紀も、作業台の向こうへ座った。


「最初に交代したときは、何日分もの予定を整理して渡しました」


 近所の人が訪ねてくる曜日。


 親族と食事をする日。


 二人で育てていた植物の手入れ。


 夫が困らないように、細かなことまで端末へ残したという。


「でも、ほとんど必要ありませんでした」


「ご主人が覚えていたんですか」


「覚えていないものもありました。でも、分からなければ聞けば済みますから」


 夫は、自分なりに近所の人と付き合い始めた。


 女性が話したことのない人とも話し、以前とは違う日に食事をし、植物も別の方法で育てた。


「最初は、間違っているように見えました」


 女性は笑った。


「私がやっていたときとは違う、と何度も言いました」


 美紀は、昨日の二人の会話を思い出した。


 前と今では、違うの。


 女性は鏡の中で夫へそう言っていた。


「ご主人は、どうされたんですか」


「聞いてくれました。最初のうちは」


「最初のうちは?」


「そのうち、聞かなくなりました」


 声に、責める響きはなかった。


「聞かなくても、できるようになったんです」


 近所の人も、夫へ直接連絡するようになった。親族との予定も、夫が決めることが増えた。


 女性が外から戻ったときには、自分の知らない話がいくつも続いていた。


「楽になりました」


 女性は言った。


「外の活動へ集中できましたから」


 美紀はうなずいた。


「でも、寂しかったんですか」


 女性は驚いたように、美紀を見た。


 それから笑った。


「そうだったと思います」


 鞄を持ち上げ、膝の上へ置いた。


「私がいないと困ってほしかったわけではありません」


「はい」


「困らないでほしいから、交代したんです。どちらか一人しか分からないことを、家に残したくなかったので」


 持ち手の新しい縫い目を指でなぞる。


「役割を渡すのは、思っていたより簡単でした」


 美紀は、その言葉の続きを待った。


「でも、相手の中で自分の役割が終わるのは、少し怖いんです」


 道具を収めた箱が閉じた。


 活動室はまた静かになった。


「終わってしまうんでしょうか」


 美紀が尋ねた。


「分かりません。戻っても、前と同じではないでしょうね」


「それでも、交代するんですね」


「はい。交代しなければ、相手がいないと続かないものが増えていきますから」


 美紀は、自分の家のことを考えた。


 移住する前も、生活AIが家のことを支えてくれていた。


 けれど、利用できる支援の範囲を変えるときや、急に予定を変更するときには、そのたびに申請や確認が必要だった。


 美紀一人では手続きを進められず、直人に連絡することも多かった。


 この国では、自分の体調に合わせ、自分で予定を変えられる。直人へ理由を説明し、代わりに連絡してもらわなくてもよい。


 それを直人が喜んでいることも、美紀は知っていた。


「交代して、よかったと思いますか」


 美紀が尋ねた。


「思います」


 女性は迷わず答えた。


 そのあとで考える。


「でも、よかったことと、怖くないことは、同じではないんでしょうね」


 立ち上がり、鞄を肩へ掛けた。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


 美紀も立ち上がった。


 女性は出口へ向かいかけて、足を止めた。


「次に夫が使うことになったら、また長くできますか」


「できます」


「では、このままにしておいてください」


 底へ留められた仕切りを、鞄の外から軽く押さえた。


「使わないままかもしれませんけど」


「はい」


「短くした分の布は、どうしますか。次に長くするときのために、こちらで保管することもできます」


 女性は少し考えた。


「では、鞄の記録と一緒に残しておいてください」


 女性が活動室を出たあと、美紀は作業台に残った糸を片づけた。


 短くするために切り取った持ち手の布が、端に置かれていた。


 捨ててもよい部分だった。


 美紀はそれを手に取り、しばらく見てから、依頼ごとの布を保管する箱へ入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。