第十一話 交代する夫婦 (一)
一 交代する鞄
美紀が、補修の相談に使われている地域の共同活動室へ着くと、作業台の前に、見慣れない鞄が置かれていた。
茶色い布でできた肩掛け鞄だった。何度も洗ったのか、底のあたりだけ色が薄くなっている。蓋の端には細かな擦れがあり、持ち手の付け根には、違う色の糸で直した跡があった。
依頼を持ってきた夫婦は、作業台の向こう側に並んで座っていた。
「持ち手を、少し短くしていただきたいんです」
女性が鞄を肩へ掛けた。
鞄は腰より下まで垂れている。
美紀は持ち手をつまみ、鞄を持ち上げた。
「このくらいでしょうか」
女性が鏡を見る。
「もう少し上がいいです」
「前に使っていたときは、それくらいだったよ」
隣の男性が言った。
女性は鏡の中で夫を見た。
「前と今では、違うの」
「そうなの?」
「少しね」
男性は妻の肩に掛かった鞄を見直した。
美紀がもう少し持ち手を引くと、女性はうなずいた。
「では、こちらで直しますね」
鞄を受け取り、持ち手の折り返しを確かめる。
すでに二度、縫い直されていた。最初の縫い目は長く、その次は短い。金具を外した跡も残っている。
「何度か、長さを変えていますか」
「私たちで使っているんです」
女性が答えた。
「外へ出るほうが持つことにしていて」
男性が付け足した。
女性が鞄の持ち手へ触れる。
「今まではこの人が使っていました。その前は私です」
「同じ活動を交代されているんですか」
「いえ、別です」
男性は地域間の移動計画に参加し、女性は植物記録の整理をしているという。
一方が外の活動へ集中しているあいだ、もう一方は自分の予定を減らし、家や近所のことを引き受ける。数年たつと、その役割を交代する。
今度は、女性が外へ出る番だった。
美紀は鞄の蓋を開いた。
中には、大小の仕切りがいくつもついていた。薄い板を差し込む細長い場所や、小さな容器を固定する紐もある。
縫い糸の色も、仕切りごとに違っていた。折り畳まれているものもあれば、古い布の上へ新しい布を重ねてあるところもある。
「中も、お二人に合わせて直してきたんですね」
「使うものが違うので」
女性が細長い仕切りを持ち上げた。
「これは、もう外してもいいと思います」
男性が仕切りへ手を伸ばした。
「記録板を入れていたところだね」
「今は持っていかないの」
「現地で受け取ることもあるだろう」
「送ってもらえるから、大丈夫」
男性の指が、仕切りの縫い目に触れた。
女性はその手を見ていたが、急かさなかった。
「完全に外さず、底へ寝かせておきましょうか」
美紀が言った。
「使わなくても邪魔にはなりません。必要になれば、また戻せます」
「そうしてもらおうか」
男性が答えた。
女性は笑った。
「あなたがまた使うときにはね」
「また使うことがあれば」
「次も交代するでしょう」
「そうだね」
男性は仕切りから手を離した。
美紀は寸法を測り、端末へ記録した。
「仕上がりは、明日の午後になります」
「私が受け取りに来ます」
女性が言った。
「明後日から、向こうへ行くので」
男性が顔を上げた。
「明後日だった?」
「予定は送ったよ」
「来週からだと思っていた」
「最初は見学だけ。夕方には戻ります」
「最初の日なら、迎えに行こうか」
「大丈夫。それより、夕方に近所の方が来るでしょう」
「覚えてるよ」
「今度は、そっちをお願い」
男性は間を置いて、うなずいた。
「分かった」
夫婦が立ち上がる。
女性が鞄を作業台へ残し、出口へ向かった。
男性はすぐには続かなかった。
作業台の鞄へ手を置き、持ち手の古い縫い跡を指でなぞる。
「お願いします」
美紀へそう言ってから、妻のあとを追った。
二人が活動室を出ると、室内は静かになった。
美紀は鞄の内側を開いた。
長くした跡と、短くした跡。
使われなくなった仕切りと、その上へ足された新しい布。
使う人が交代するたび、鞄は形を変えている。
それでも、前に使った人の形は、どこにも完全には消えていなかった。




