第十話 何もしない人 (三)
三 何もしない自由を守る人
水野が、膝の上の端末を持ち直した。
「今回で止めるべきだと思います」
佐伯が隣を見る。
「本人が支援を望んでいないことは、もう確認できています。これ以上続ければ、支援ではなく負担になります」
「私も、停止が妥当だと思っています」
「今回だけではなく、仕組みを変える必要があります」
水野は平井へ向き直った。
「活動しない自由は保障されているのに、活動していない人だけが、何度も理由を聞かれる。平井さんのような人は、ほかにもいるはずです」
「いるでしょうね」
「その人たちが、同じ確認を受け続けなくていいようにしたいんです」
水野の声には、さっきまでより力が入っていた。
航には、水野が平井の味方をしているように見えた。
「今お話しいただいたことを、制度を見直すための資料に使わせてもらえませんか」
佐伯が、水野へ顔を向けた。
水野は気づかずに続ける。
「名前は出さなくても構いません。何度確認を受けたか、どんなことが負担だったかだけでも」
平井は返事をしなかった。
水野は端末を開き、入力の準備をしている。
「同じような人の声があれば、個別の問題ではないと示せます」
「私の話が、役に立つんですか」
平井が尋ねた。
「はい。同じ状況にいる人のためになります」
水野は迷わず答えた。
「もちろん、断っても構いません」
平井は膝の上の本へ手を置いた。
「何もしない自由を守る活動のために、何かをしろということですか」
水野の指が止まった。
入力を待つ空欄が、端末に開いたまま残っている。
水野は平井を見た。
口を開きかけたが、言葉は出なかった。
やがて端末を伏せる。
「……いえ。そういう意味ではありません」
「分かっています」
平井は水野を見た。
「困らせたいわけではないことも」
「すみません」
水野はそれ以上、続けなかった。
「謝ってほしいわけではありません」
平井の声は変わらなかった。
「ただ、よく似ていますね」
「何とですか」
「活動へ参加しないなら、その経験を話してほしい。話したくなければ、断ってもいい」
平井は少し間を置いた。
「でも、断れば、同じ状況の人の役に立たないことになる」
水野は何も言えなかった。
「そこまで背負わせるつもりはありませんでした」
しばらくして、そう答えた。
「でも、役に立つと言いました」
平井は本の表紙を指でなぞった。
「必要な仕組みだとは思います。活動しない人が、何度も理由を聞かれないようにすることも」
水野が顔を上げる。
「では――」
「でも、その仕組みを作る人に、私はなりたくありません」
水野は再び黙った。
平井は本を持ち上げた。
「必要だと思うことと、自分がすることは、同じではないでしょう」
佐伯が端末を開く。
「平井さんの面談記録を、制度改善の事例としては使わない。それでよろしいですか」
「はい」
「分かりました」
佐伯はすぐに答えた。
水野も、小さく頭を下げた。
「分かりました」
平井は本を開いた。
何枚かページをめくり、さっき読んでいた場所を探す。
水野は端末を閉じたが、膝の上へ置いたままだった。
「でも、困っていないと言える人ばかりではありません」
水野が言った。
平井の手が止まる。
「そうでしょうね」
「そういう人にも、何も聞かなくていいんでしょうか」
平井は水野を見た。
「分かりません」
水野が何か言おうとする。
「ほかの人のことまで、私に答えさせないでください」
水野は口を閉じた。
佐伯が静かに言う。
「今は、平井さんの確認です」
「はい」
水野はうなずいた。
佐伯は、最後の記録を読み上げた。
「本人から申し出がない限り、活動状況を理由とした定期確認の停止を申請する」
平井がうなずく。
佐伯は内容を確定し、端末を閉じた。
「結果は後日お知らせします」
「お願いします」
平井は本の続きを読み始めた。
面談が終わったのか、航にはよく分からなかった。
佐伯と水野は、まだ椅子に座っている。
けれど、平井はもう二人を見ていなかった。
航はハルの背中を撫でた。
「もう終わった?」
佐伯が答える。
「はい。待たせてしまいましたね」
「ぼく、待ってないよ」
航は言った。
実際には、少し飽きていた。
ハルも前足へ顎を乗せ、眠りかけている。
佐伯は小さく笑い、椅子から立ち上がった。




