第十話 何もしない人 (二)
二 相談のない面談
佐伯はベンチの前に立ったまま、少し考えた。
「体調や生活については、先ほど回答していただいた内容で確認できています。今日は、活動への参加についてお話しする予定でした」
「それなら、この子に聞かれて困ることはありません」
本の人が答えた。
佐伯は航を見る。
「航くんは、ここで待ちますか」
「ハルが動かないから」
航が答えると、ハルはベンチの下へ鼻を入れた。
水野が、少し離れたところにある椅子を二つ運んできた。
佐伯と水野が座ると、本の人は膝の上の本を布の袋へ入れた。
「改めまして、平井さん。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
その人は平井というらしい。
航は、頭の中で一度だけ名前を繰り返した。
けれど、すぐに本の人へ戻った。
佐伯は端末を開いた。
生活にも健康にも問題はなく、誰かに行動を妨げられていることもない。活動へ参加したいという希望も、紹介してほしい分野もなかった。
どの回答も、前回と変わっていなかった。
「以前参加されていた読書記録の整理活動は、三年前に離脱されていますね」
「はい」
「その後、別の活動への参加を希望された記録はありません」
「希望していませんから」
「今後についても、同じですか」
「同じです」
平井は迷わず答えた。
佐伯の端末へ、回答に合わせて印がついていく。
航には、悪いところがないか確かめているように見えた。
何もないなら、すぐ終わるはずだった。
「活動ではなくても、新しい場所を見学したり、誰かと一緒に何かをしたりすることには――」
「必要ありません」
平井の声は、さっきまでと変わらなかった。
怒っているようには聞こえない。
佐伯は端末へ目を落とした。
「長期間活動へ参加していない方には、定期的に状況を確認しています」
「知っています」
「前回の確認から、一年がたっています」
「その前にも、同じ話をしました」
「記録は確認しています」
「では、私が困っていないことも残っていたでしょう」
佐伯の指が止まった。
「その時点で問題がなくても、その後に状況が変わることがあります」
「それも、前に聞きました」
平井はベンチの端に置いた飲み物へ手を伸ばした。
蓋を開け、一口飲む。
「最初に来ていただいたときは、意味があったと思います」
水野が平井を見る。
「何か困っていたんですか」
「いいえ」
平井は蓋を閉めた。
「困っていないことを、自分でも確かめられましたから」
「では、確認そのものが嫌なわけではないんですね」
佐伯が言った。
「一度なら」
平井は答えた。
佐伯の端末には、これまでの記録が並んでいるらしかった。
「活動へ参加していないと、何か理由があると思われます」
平井は続けた。
「体調が悪いのか。何をしたいのか分からないのか」
「実際に、そういう方もいます」
「いるでしょうね」
平井は否定しなかった。
「だから最初は答えました。その次も答えました」
「確認しなければ、支援が必要な方を見落とすことがあります」
「それも分かっています」
平井は庭園の木々へ目を向けた。
「でも、答えが変わらないと、今度は聞き方が変わります」
「聞き方が?」
「活動でなくてもいい。見学だけでもいい。話を聞くだけでもいい。外へ出るだけでもいい」
平井は指を折ることもなく、淡々と並べた。
「広げなくていいと言っても、選択肢を広げてくれます」
佐伯は返事をしなかった。
「私は本を読みます。散歩もします。食べたいものがあれば選びます。ここで会った人と話すこともあります」
航は、自分のことを言われたのかと思った。
平井は航を見なかった。
「それで、今のところ足りています」
「今の暮らしを、活動として登録する必要はありません」
佐伯が言った。
「必要がないことは知っています」
平井は答えた。
「でも、何も登録しないでいると、また確認に来ます」
水野が身体を少し前へ寄せた。
「確認を受けないこともできます」
「そのたびに断るんですか」
水野の口が止まった。
「今回は受けない。次も受けない。その次も必要ない。そう答え続ければいいということですか」
佐伯が端末を操作した。
「継続的な確認を希望しないという記録は残せます」
「前回も、そうしていただきました」
佐伯の指が止まる。
画面を確かめ、眉を寄せた。
「停止希望は残っています」
「それでも、今回の連絡が来ました」
「生活上の問題がないことを確認してからでなければ、停止を継続できない仕組みになっています」
平井は、しばらく佐伯を見ていた。
「停止を続けるために、確認を受けるんですね」
佐伯はすぐには答えなかった。
航はハルの背中を撫でた。
ハルは前足へ顎を乗せ、目を細めている。
「今回の確認を最後にするよう、改めて申請します」
佐伯が言った。
「通りますか」
「本人の希望が、前回より明確に残ります」
「通るかは分からないんですね」
「今の規定では、必ずとは言えません」
平井はうなずいた。
答えを知っていたようだった。
佐伯は新しい欄を開いた。
「活動への参加、紹介、体験の案内を希望しない。本人から連絡があった場合を除き、定期確認の停止を希望する」
入力した内容を、平井へ向ける。
「これでよろしいですか」
「はい」
佐伯が確認へ触れると、小さな音が鳴った。
航は、それで終わったのだと思った。
けれど、佐伯はまだ端末を閉じなかった。
「今後、関心のあることが見つかった場合は、いつでも――」
平井が佐伯を見る。
佐伯の言葉が止まった。
「見つからなかった場合も、このままでよいんですよね」
「もちろんです」
佐伯はすぐに答えた。
平井は、まだ開かれている端末へ目を向けた。
画面の下には、次の確認について入力する欄が残っていた。
「皆さんは、私が困っていないと困るみたいですね」
佐伯の指が、画面の上で止まった。




