第九話 名前のない壁画 (二)
二 直された絵
数日後、義一は共同作業所へ向かう途中で壁画の前を通った。
手押し車に使う留め具が届いたという連絡を受けていた。公園を通る道もあったが、こちらのほうが少し近い。
それだけだった。
壁画の前には、通りかかった二人が立ち止まっているだけだった。
義一は歩きながら中央の作業者へ目を向け、そのまま数歩進んだ。
違和感があり、足を止める。
振り返って、壁の前へ戻った。
作業者の姿勢が変わっている。
右足を引き、身体を設備の正面から外していた。左手は機械の縁へ添えられ、取っ手を握る手も反対になっている。
義一は壁へ近づいた。
手の位置は、自分が示した場所より少し低かった。
それでよかった。
肩を上げずに触れられる。異常があっても、すぐに身体を引ける。
設備の下には、薄い靴跡も加えられていた。油汚れではなく、清掃しても完全には消えない台車や靴の跡だった。
描き直した境目は、近くで見てもほとんど分からない。最初からそう描かれていたように見える。
「あれなら動かせる」
口に出してから、義一は周囲を見た。
近くにいた二人はこちらを見ていなかった。
工場の外へ伸びていた道も修正されている。搬入口の前を横切らず、建物の裏へ回っていた。壁際には細い搬送路も加えられている。
義一が働いた場所と同じ形ではない。
それでも、車両と作業者が同じ場所を通らずに済む。
前よりはましだった。
嬉しいというのとは、少し違った。
ただ、間違ったままではなくなったことには、胸の奥が少しだけ軽くなった。
一つ直ると、ほかの不自然さも目についた。
だが、義一はそれ以上確かめるのをやめ、壁画の横にある制作記録を開いた。
《制作担当 接続情報なし》
さらに押すと、説明が表示された。
《制作担当者は、氏名および現在の活動記録との接続を希望していません》
義一は先日会った人物を思い出した。
袖についていた青い塗料。壁画の細部を尋ねる、妙に具体的な質問。
あれが作者だったのだろう。
自分の話を絵へ入れておきながら、誰が描いたのかは残さないらしい。
礼を言われたくないのか。
間違いを指摘されたことを知られたくないのか。
それとも、描いた者として扱われるのが嫌なのか。
考えても分からなかった。
義一は表示を閉じ、共同作業所へ向かった。
数歩進んでから、もう一度振り返った。
作業者の左手は、機械へ正しく添えられていた。




