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途中  作者: 古江 門
第一部

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第七話 老人の家 (四)

四 よく来る人


 玄関の扉が開き、中年の男が入ってきた。


 片手に小さな箱を持ち、もう片方には野菜の入った袋を下げている。


 男は居間にいる美紀と航、その足元のハルを見て、入口で立ち止まった。


「すみません。お客さんがいるとは思わなくて」


 美紀が立ち上がる。


「こちらこそ、急にお邪魔しています」


 男は義一を見た。


「どうしたんだ」


「公園から送ってきてもらった」


「送って?」


 男の目が、義一の顔と机の上の水へ動いた。


 美紀が説明する。


「立ち上がったときに、少しふらつかれて」


「少しだ」


 義一が言う。


 男は義一の前まで来ると、顔をのぞき込んだ。


「また無理したのか」


「してない」


「顔が白いぞ」


「元からだ」


 男は航へ目を向けた。


「君が見つけたのか?」


「うん。立ったら、まっすぐじゃなかった」


「よく連絡してくれたな」


「お母さんを呼んだだけだよ」


「それで十分だ」


 男がしゃがむと、ハルが鼻を近づけた。


「この犬も一緒だったのか」


「ハルだよ」


「そうか。ハルも見てたんだな」


 ハルは男より、手に持っている袋のほうへ鼻を向けていた。


「そっちか」


 男は笑って立ち上がり、美紀へ軽く頭を下げた。


「近くにいて、ときどき榊さんの用事を手伝っています。今日は頼まれた部品を届けに来ました」


「森川です。こちらは息子の航です」


「送っていただいて、ありがとうございます」


「いえ。一人で帰すのは心配でしたから」


 男は義一へ向き直った。


「今日はもう作業するなよ」


「みんな同じことを言う」


「同じ顔をしてるからだろ」


 男は箱を持って作業場へ向かった。


「どこに置く?」


「机の左だ。工具の鞄には重ねるな」


「分かった」


 航も入口までついていく。


 男が箱を机へ置くと、中から銀色の輪が二つ見えた。


「車の部品?」


「そうらしい」


「分からないの?」


「俺が使うわけじゃないからな。番号を言われて、取ってきただけだ」


「義一さん、番号はこれで合ってるか?」


 居間から義一が答える。


「あとで見る」


「今日は見ないんだろ」


「今日は触らん」


 男は箱を閉じた。


 作業場の床には、細かな木くずが残っていた。男は壁の箒を取ると、入口の周りを掃き始めた。


「それも頼まれたの?」


 航が聞く。


「いや。靴につくから」


「勝手にするな」


 義一の声が飛んでくる。


「木くずだけだ。机の下は触らない」


 男は慣れた手つきで箒を動かし、終わると迷わず元の場所へ戻した。


 居間へ戻り、野菜の袋を台所へ置く。


「これは冷やすのか?」


「葉のあるほうだけだ」


 男は冷蔵場所を開き、空いている場所を探す様子もなく、野菜を収めた。


 航はその様子を見ていた。


「よく来るの?」


「たまにな」


 義一が答える。


「昨日も来たぞ」


 男が言う。


「部品を頼んだからだ」


「頼まれなくても先週来た」


「暇なんだろう」


「じゃあ、次から来ない」


 男は畳んだ袋を持ち上げた。


「それは持って帰れ」


 義一が言う。


「次から来ないと言ってるのに、まだ頼むのか」


「今日はまだいるだろう」


 航が笑うと、男も笑った。


 美紀が尋ねる。


「いろいろな活動をされているんですか?」


「そのとき必要なところへ行ってるだけです。運ぶこともあれば、直すのを手伝うこともあります」


「何をやっても腰が据わらん」


 義一が言う。


 男は肩をすくめた。


「一つのことだけ続けないと、そうなるのか?」


「始めたなら、少しは続けろ」


「続いてることもある」


「何がだ」


 男は部屋を見回した。


「ここへ来ることとか」


 義一は答えなかった。


 美紀は男と義一を見比べる。


「でも、本当にずっとここへ来ているんですね」


「勝手にな」


 義一は台所の棚へ目を向けたが、何も言わなかった。


 男は端末で時刻を確かめる。


「俺は行く。また夕方に寄る」


「来なくていい」


「夕飯を食べたか見るだけだ」


「AIが見る」


「AIの言うことを聞かないだろ」


 今度は義一も言い返さなかった。


 男は美紀へもう一度頭を下げ、航とハルに手を振って出ていった。


 玄関が閉じると、家の中が少し静かになった。


 美紀の端末には、義一の状態が安定したという表示が出ていた。


「私たちも、そろそろ帰りますね」


「最初から送るだけでよかったんだ」


 義一が言う。


 航はハルのリードを持ち、玄関へ向かった。


 その途中で、壁の写真が目に入る。


 若い男女と、その間に立つ小さな男の子。


「この子、だれ?」


 義一も写真を見た。


「孫だ」


「隣は、お父さんとお母さん?」


「ああ」


「今は何をしてるの?」


 義一は少し間を置いた。


「さあな。いろいろやっているらしい」


「さっきの人みたいに?」


「違う」


 義一はそれ以上、写真を見なかった。


 航は靴を履き、ハルのリードを持って玄関の外へ出た。


 美紀が義一へ頭を下げる。


「今日は休んでくださいね」


「分かっている」


「夕食も、予約したままにしてください」


「今日はな」


 航は開いたままの扉から、義一を振り返った。


「おじいさん」


「なんだ」


「さっきの人は、何をしてる人なの?」


 義一は少し考えた。


「知らん。だが、よく来る」


 美紀も玄関を出た。


 扉がゆっくり閉じ、義一の姿が見えなくなった。


 外は、来たときより少しだけ涼しくなっていた。


 航はハルのリードを持ち、美紀と並んで歩き出した。


 家の横には、さっき手押し車を置いた作業場があった。その奥の車庫には、ハンドルのついた古い車が収まっていた。


 居間の窓越しに、木の椅子に座った義一の姿が見えた。


 少し離れた台所では、夕食の予約を示す小さな明かりがついていた。


「おじいさん、大丈夫かな」


 航が言った。


「今日は、ちゃんと休んでくれると思うよ」


「さっきの人も、また来るしね」


「そうだね」


 通りの先で、小さな移動車が角を曲がっていった。先ほどの男が乗っているのかもしれなかった。


 ハルが一度立ち止まり、義一の家を振り返る。


 航も足を止めた。


 何をしている人なのかは、まだ分からない。


 けれど、もう少しすれば、またあの扉が開くのだろう。


 航はハルと一緒に前を向き、家への道を歩き出した。

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