第七話 老人の家 (二)
二 義一の家
《榊義一さんの住居へ向かいます》
車が静かに動き出した。
航は窓から遠ざかる公園を見た。
老人の名前を知ったのも、老人の家へ行くのも、これが初めてだった。
移動車は、公園からほど近い住宅地へ入った。
森川家の周りより、少し古い家が多い。壁や屋根は一軒ずつ違い、庭に木を残している家もあった。
やがて車は、低い灰色の家の前で止まった。
玄関の横には小さな作業場があり、そのさらに奥に、大きな扉のついた車庫が見えた。
「ここがおじいさんの家?」
「そうだ」
義一が車を降りる。
足取りはゆっくりだったが、今度はふらつかなかった。美紀は手を出さず、すぐ横を歩いた。
《榊義一さん、お帰りなさい》
玄関の表示が明るくなる。
《健康確認を継続します。休息場所を準備しました》
「余計なことをするな」
義一が言う。
扉が開くと、木と金属の混じった匂いがした。
玄関には柄の長い箒と、小さなちり取りが掛けられている。その下には自動清掃機も収まっていたが、表面に薄く埃が積もっていた。
「掃除する機械、あるよ」
航が言う。
「あるな」
「使わないの?」
「使うときもある」
義一は靴を脱ぎ、家の奥へ進んだ。
美紀は玄関で足を止める。
「中まで入っても大丈夫ですか?」
義一は、搬送台の上の手押し車を見た。
「荷物を置くまでだ」
航はハルの足を拭き、美紀と一緒に中へ入った。
居間の隣には台所があり、その奥に自動調理機の表示が見えた。
居間の壁には、色の薄くなった写真が何枚か掛けられている。
そのうちの一枚には、若い男女と、小さな男の子が写っていた。三人は、航には見慣れない形の車を背にして立っている。
航が近づこうとすると、義一が横の扉を開けた。
「手押し車はこっちだ」
作業場には、机と棚が壁に沿って並んでいた。
工具、木の板、金属の棒、小さな留め具。使いかけの物も、長く動かしていないように見える物もある。
公園へ持ち出していた工具は、そのほんの一部だった。
「これ、全部おじいさんの?」
「勝手に増えた物もある」
「物が勝手に増えるの?」
「必要になって置けば増える」
搬送台が手押し車を作業場へ運び込む。
義一は壁際を指した。
「そこへ置け」
《安全な作業間隔を確保します》
手押し車は、義一が指した場所より少し手前で止まった。
義一は何か言いかけたが、やめた。
「今日は直さないの?」
航が尋ねる。
「直さない」
「見るだけ?」
「見たら触りたくなる」
義一は作業場の椅子へ座った。
家のAIがすぐに知らせる。
《居間での休息を推奨します》
「ここにも椅子はある」
《室温が高くなっています》
航は額に手を当てた。
「ぼくも暑い」
ハルも口を開け、舌を出している。
義一はハルを見ると、立ち上がった。
「居間へ戻るぞ」
作業場を出る途中、航は廊下の窓から、奥の車庫の中が見えることに気づいた。
大きな扉の一部が透けていて、中に灰色の車が見える。
いつも乗る移動車より低く、前の部分が長い。丸いハンドルの脇には、行き先を示す表示もついていた。
「自分でも運転できる車?」
「そうだ」
航は窓へ近づいた。
「車に任せることもできるんでしょう?」
「できる」
「じゃあ、どうして自分で運転するの?」
義一は窓の向こうを見た。
「着くことだけが目的なら、任せればいい」
「ほかに何があるの?」
「道の具合が手に伝わる。風に押されたら戻す」
航は、窓の向こうのハンドルを見た。
「楽しい?」
「運転しているあいだはな」
「ぼくも乗れる?」
「隣ならな」
「今度?」
義一は答えず、居間へ向かって歩き始めた。
航はもう一度、窓の向こうの車を振り返った。
丸いハンドルは、まっすぐ前を向いている。
航には、いつもの移動車より、どこか遠くへ行けそうに見えた。




