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途中  作者: 古江 門
第一部

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第五話 父の最初の仕事 (六)

六 二つの頼まれごと


 直人が家へ戻ると、航が玄関まで走ってきた。


「お父さん、魚あった?」


「あったよ」


「何の魚?」


「白い魚だった」


「名前は?」


「見なかったな」


「食べたのに?」


「食べれば分かるものでもないだろう」


「おいしかった?」


「おいしかったよ」


 航はそれで納得したらしく、台所へ向かって声を上げた。


「お母さん、魚あったって」


 ハルが足元へ寄ってきて、直人の鞄を嗅いだ。


 航もしゃがみ込む。


「ハル、匂い変わった?」


 ハルは鞄をしばらく嗅いだあと、直人の靴へ移った。


「どうだって?」


「まだ分かんないって」


「そうか」


「明日も持っていったら分かるかも」


「明日も行くよ」


「また機械見るの?」


「別の機械も見ることになった」


「今日のは直った?」


「試験ではな」


「じゃあ、すごいね」


 航はそれだけ言うと、ハルを連れて居間へ戻っていった。


 食卓では、美紀が夕食の用意をしていた。


「初日、どうだった?」


「止まっていた原因は見つかった」


「本当に?」


「古い設備と、新しくつないだ仕組みで、終わったと考えるところが違っていたんだ」


 直人は手帳を開いた。


 二つの《完了》の時刻。途中で切り替わった記録。試験で止まった回数。


 説明しながら、言葉が次々に出てきた。


 美紀は、分からないところを聞いた。直人はそのたびに、機械の動きを手で示しながら言い直した。


「新しい側では、頼んだところで終わったことになっていた。でも、古い機械は、そこから荷物を運び始める。途中で記録の担当だけが変わると、誰の判断で動いているのか分からなくなって止まる」


「それを直人が見つけたの?」


「ああ」


「すごいじゃない。初日から役に立ったんだね」


 直人も少し笑った。


 美紀は、直人がこんなふうに一つのことを続けて話すのを、しばらく聞いていなかった。


 移住の準備を始めてからは、確認することや心配することばかりが口から出ていた。


 今は違った。


「よかったね」


 美紀が言った。


「何が?」


「その仕事を選んで」


「まだ一日目だよ」


「一日目だから言ってるの」


 直人は手帳へ目を落とした。


「でも、間違いもした。設定を入れる場所を、一つ下と間違えた」


「何か起きたの?」


「試験へ進む前に止められた。設備には何も送られていない」


「なら、確認する仕組みがちゃんと働いたんだね」


「よかった、で終わることではないよ」


「同じ間違いをした人もいたんでしょう」


「いた」


「それで見つける仕組みができた。今度は表示も変える。だったら、間違いも役に立ったんじゃない?」


 直人は手帳の下のほうを見た。


《項目を一つ下へ間違えた》


 自分で書いた文字だった。


「記録にも残った」


「原因を見つけたことも残ったんでしょう?」


「ああ」


「じゃあ、両方残ったんだね」


 美紀は簡単に言った。


 良い記録と悪い記録が並び、どちらか一方だけで自分が決まるわけではない。


 そう説明されても、直人にはまだ、名前の横についた間違いが評価ではないとは思えなかった。


 居間から、航が紙を持ってきた。


「お父さん、これやって」


 学校でもらった迷路だった。すでに半分ほど、航の鉛筆で線が引かれている。


「自分でやるものだろう」


「いっしょにやるの」


「どこまで分かった?」


「ここ。こっち行ったら、行き止まりだった」


「なら、戻ればいい」


「戻ったよ。でも、次が分かんない」


 航が鉛筆を直人の前へ置いた。


 美紀は鍋から料理をよそおうとして、手を止めた。


「航、迷路はご飯のあとにする?」


 航は直人を見た。


「お父さんもあとでやる?」


「やるよ」


「じゃあ、あとにする」


 航は迷路を閉じ、食卓の端へ置いた。


 料理が並ぶ。


 直人の鞄の中で端末が鳴った。


《設備接続班の担当候補が更新されました》


 今日の記録を受け、旧式設備を使う温度管理庫が、直人の担当候補へ加えられていた。


 正式な担当を決めるのは翌日以降だった。


 添えられた記録の最初の数行が見えた。


 冷却開始。


 担当記録の更新。


 一時停止。


 今日の昇降機と同じ並びだった。


「これだけ見たら」


 直人が言うと、美紀が皿を置いた。


「冷めるよ」


 直人はもう一行だけ読み、端末を伏せた。


「分かった。食べよう」


 席につくと、航がすぐに箸を持った。


「お父さん、今日、学校で迷路やったんだよ」


「それがさっきの紙か」


「そう。最初のは簡単だったけど、二枚目が難しいの」


「行き止まりが多いのか」


「うん。でも、となりの子はすぐできた」


「その子と同じ道を通らなくても、出口へ着けばいいだろう」


 航は少し考えた。


「でも、同じ迷路だよ」


「なら、最後は同じか」


 美紀が笑った。


 食事のあいだ、直人は今日の昇降機について話した。


 航には分からないところも多かったが、箱が途中で止まった話には興味を持った。


「中の荷物、落ちなかった?」


「落ちないよ」


「魚が入ってたら?」


「魚の話から離れなさい」


 美紀に言われ、航は笑った。


 直人も笑った。


 食事を終えるころには、直人の皿も空になっていた。


 航が迷路を広げる。


「お父さん、やろう」


「ああ」


 直人は航の隣へ座った。


 航が引いた線を、入り口からたどる。


「ここで間違えた」


「こっちは?」


「そこも行き止まり」


「なら、残っているのはこっちだな」


 直人が指すと、航は鉛筆を動かした。


 二つ先の角で、また道が分かれる。


「どっち?」


「少し考えてみろ」


「お父さんも考えて」


「考えてるよ」


 そのとき、食卓の端で端末が鳴った。


 榊からの追記だった。


《本日の判断記録を確認しました》


《設備接続班で、今後も十分に生かせる経験だと思います》


 直人はその二行を読んだ。


 移住の受付で、過去の経験について照会を受けたときとは違った。


 今回は、自分が今日した判断が実際に設備を動かし、次に見るべきものへつながった。


 間違いも含めて記録を見たうえで、それでも経験が必要だと書かれている。


 直人はもう一度、二行を読んだ。


「お父さん」


 航に呼ばれ、顔を上げる。


「ちょっとだけ、さっきの機械を見ていいか」


「また止まるやつ?」


「そうかもしれない」


「じゃあ、先にやってる」


 航は迷路へ戻った。


 直人は温度管理庫の記録を開いた。


 冷却が終わる前に担当が切り替わっている。ただ、昇降機とは停止の時刻が少し違った。


 同じ原因と決めるには早い。


 隣で、航が鉛筆を動かしている。


 一度行き止まりへ入り、線を消した。


「お母さん、ここどっちだと思う?」


「お父さんに聞かなくていいの?」


「今、機械見てるから」


 不満そうな声ではなかった。


 美紀は航の反対側へ座った。


「じゃあ、一緒に考えようか」


 二人で紙を回し、道をたどり直す。


 直人には、その声が聞こえていた。


 記録の途中に、昇降機では見なかった動きがある。


 意味を考えかけたところで、航が呼んだ。


「お父さん」


 迷路は、出口の手前までつながっていた。


「できたのか」


「まだ」


 航が最後の短い道を指した。


「ここ、お父さんのぶん」


「そこを引くだけじゃないか」


「でも、お父さんもやったことになるよ」


 直人は端末を伏せた。


 航から鉛筆を受け取り、最後の道へ線を引く。


「着いた」


 航が言った。


「ああ」


「次はもっと難しいの持ってくる」


「今日より難しいのか」


「お父さん、機械見てたから、これくらいでちょうどよかった」


 航は迷路を持ち上げ、美紀に見せた。


 直人は苦笑しながら、伏せた端末へ目を落とした。


 画面の向こうには、まだ途中までしか読んでいない記録がある。


 航はもう、次の迷路の話をしていた。


 直人は鉛筆を返した。


 それから端末を手に取り、温度管理庫の記録は残したまま、重なっていた通知だけを閉じた。

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