第四話 やめる人 (一)
一 片側の日よけ
森川家の移住日に生活登録を手伝った佐伯佳乃が部屋へ入ったとき、最初に目に入ったのは、窓に掛かった黄色い布だった。
古いカーテンを切ったものらしい。上の二か所が細い紐で留められ、窓の右半分だけを覆っている。反対側には何も掛かっていなかった。
切り離された残りの布は、窓際の机に畳まれていた。その横には、糸を通したままの針と、使わなかった紐が置かれている。
完成した日よけには見えない。
けれど、布の影は窓際の椅子をちょうど覆っていた。
「こちらへどうぞ」
部屋の主である女性が、椅子を二つ出した。
佐伯の隣で、水野遼が窓を見上げた。
二人は記録・参加支援室の職員だった。
活動へ参加したい人と受け入れる側をつなぎ、必要なら場所や道具を手配する。共同で行っていた活動から誰かが離れるときには、預かった物や、相手の側に残る作業がないかを確かめる。
活動をやめるのに、支援室の許可はいらない。
ただ、そこで残された記録は、次に届く案内や、何を任せるかを判断する材料にはなる。
通常の離脱確認なら、端末上で済む。
今回は、共同で作った物が部屋に残っているうえ、活動履歴に付けられた補助分類の修正も申請されていた。そのため、佐伯が現物を見ることになった。
水野も同行したのは、この活動を紹介したのが彼だったからだ。
「森川さんと作られたのは、こちらですね」
佐伯が尋ねると、女性は窓を見た。
「はい」
午後の日差しは強かったが、椅子には直接当たっていなかった。
「布を見てもらって、使えるところを決めました。傷んでいる部分を避けて切って、最初の一か所を留めるところまで教えてもらいました」
「縫い方も?」
水野が尋ねた。
「少しだけ」
机の布を持ち上げる。
端には十センチほどの縫い目があり、その先から糸が垂れていた。
水野は身をかがめて見た。
「ここから先は、ご自分でされる予定だったんですよね」
「最初は、そのつもりでした」
「今は?」
「しません」
水野が顔を上げた。
「森川さんに問題があったわけではありません。分かりやすく教えてもらいました」
「そういう意味で聞いたわけではありません」
返事が少し早かった。
「どこまで進んだのか、確認したかっただけです」
以前、水野は、午後の日差しを遮るものが欲しいという相談を受けていた。
既製品を選ぶこともできたが、女性は捨てる予定だったカーテンを使えないかと尋ねた。
そこで水野が思い出したのが、布の状態を見て、使い続ける方法を一緒に考えるという森川美紀の活動だった。
「今の状態で、必要だった日よけにはなっているんですね」
水野が言った。
「はい」
女性は窓を見上げた。
「ここに座ると、前は光が目に入りました」
黄色い布の向こうから、揺れた木の影が透けている。
「今は入りません」
水野は窓と椅子の位置を見比べた。
片側だけの日よけは、作業の途中にも見える。
けれど、必要だった影はすでにそこにあった。
「残った布は、森川さんへ返す物ではありませんね」
佐伯が尋ねた。
「もともと私のカーテンです。借りた道具も、もう返しました」
「森川さんには、ここで終えることを伝えましたか」
「はい」
「何と?」
「分かりました、と」
畳んだ布の端をそろえる。
「残りを捨てるのか聞かれました。まだ決めていないと言ったら、決まるまで置いておけばいいと」
水野は窓の日よけを見たまま、何も言わなかった。
「紹介してもらったのに、すみません」
水野が顔を上げる。
「私に謝る必要はありません」
「でも、水野さんは、これを作るために森川さんを紹介したんですよね」
「それは、そうですが」
声が途中で弱くなった。
机の上の針へ目を落とす。
「森川さんにも、悪かったと思っています」
糸の端へ手を伸ばし、触れる前に引いた。
「少しだけ続けたほうがいいのかとも考えました。でも、それで行くのも違うと思って」
「違う?」
「申し訳ないから行くことになるので」
それ以上は続けなかった。
佐伯にも、引っかかるものはあった。
それでも、離脱のために確認すべきことは別にある。
佐伯は端末を開いた。
活動名は、
《古布の日よけへの転用》
進行状況は、
《未完了》
となっている。
その下には、美紀の残した記録があった。
《布の状態を確認し、使用可能な部分を選別。一か所を取り付けた》
《本人から終了の申し出があり、了承した》
「森川さんの側に、残っている作業はありますか」
「ありません」
「返していない物は?」
「ありません」
「ほかの人へ引き継いでもらうものは?」
「ありません」
佐伯は三つの返答を記録した。
「では、活動から離れること自体には問題ありません」
女性の肩から、少し力が抜けた。
「ありがとうございます」
水野は何か言いたそうだったが、佐伯は次の画面を開いた。
《継続可能な活動を探索中》
「こちらの補助分類を外してほしい、ということで間違いありませんか」
「はい」
迷いのない返事だった。
水野が画面を見た。
「活動には、もう参加しないということですか」
「いいえ」
「では、別の活動を探している?」
「探してはいません」
「でも、また参加するかもしれない」
「何か気になるものがあれば」
水野の眉がわずかに寄った。
佐伯は、補助分類が付いた経緯を開いた。




