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途中  作者: 古江 門
第一部

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第三話 母の小さな活動 (六)

六 遅くなる散歩


 父子が帰ったあと、美紀は椅子へ座ったまま、手を休めた。


 航がハルの首輪を持ってくる。


「公園、行く?」


 美紀は時刻を見た。


 足にも重さがある。


「車で近くまで行こうか」


「歩かないの?」


「公園の中は歩こう」


 その日は、移動車で公園の近くまで行った。


 老人はいつものベンチに座っていた。


 足元には、ハルのための水が置いてある。


「今日は遅かったな」


 老人が言った。


「服を直してた」


 航が答える。


「お前が?」


「お母さん」


「なら、お前が答えるな」


 美紀は隣のベンチに腰を下ろした。


 ハルは水を飲み、公園の中を歩いた。


 帰るころには、呼んでもすぐに立ち上がらなかった。歩く速さも、行きより遅い。


 老人は何も言わず、ハルの足取りを見ていた。


 数日後には、脚の外れかけたぬいぐるみを親子が持ってきた。


 持ち主の子どもが中の綿を戻し、美紀が脚を縫い付けた。航も落ちた綿を集めた。


 作業には時間がかかり、その日は公園まで行かず、ハルと家の周りだけを歩いた。


 別の日には、活動記録を見た人から、当て布の厚さを比べる写真を求められた。


 美紀は布を並べて撮ったが、端が机の色へ重なった。下へ別の布を敷くと、今度は影が強く出る。


 位置を変え、写真を撮り直しているうちに、航がハルの首輪を持ってきた。


「公園行こう」


「これを載せたらね」


「どれくらい?」


「もう終わる」


 公開したときには、航が声をかけてから二十分ほど過ぎていた。


 その日は歩いて公園まで行った。


 老人は前と同じベンチに座っていた。


「今日は遅かったな」


「お母さんが布の写真撮ってた」


 航が答えた。


「布は逃げないだろ」


「見えにくかったんです」


 美紀が言った。


 老人は何も答えなかった。


 ハルは水を飲んだあと、老人の足元へ伏せた。


 美紀の食卓に裁縫箱が出ている日は、次第に増えていった。


 毎日ではなかった。


 診療の予定がある日には、約束を入れなかった。写真だけで済む相談には、家へ来てもらわなかった。


 質問受付の横には、いつでも停止できる表示があった。


 美紀は予定を確認しながら、答えられるものだけを開いた。


 それでも、公園へ出る時間が遅くなる日はあった。


 ある日の午後、補修の方法を見たいという人が二人来ることになっていた。


 航は学校から戻ると、ハルの首輪を確かめ、水の容器を鞄へ入れた。


「今日、ぼくとハルだけで行っていい?」


 美紀は手にしていた布を置いた。


「公園まで?」


「うん。道、わかるよ」


 航は鞄を開いた。


 水と、連絡用の端末。


「首輪も見た」


 金具を押す。


 開いたあと、元へ戻った。


「信号は?」


「青でも、車が止まったのを見てからわたる」


「ハルが走ったら?」


「引っぱらないで、止まってよぶ」


「おじいさんがいなかったら?」


「水を飲んで帰る」


「暗くなる前に?」


「帰る」


 美紀は航の顔を見た。


 答えを先に考えてきたらしい。


 端末で道と時刻を確認する。


 公園までは遠すぎない。街の移動機能も、子どもと犬が歩いていることを認識する。


 それでも、許可する言葉はすぐには出なかった。


「おじいさんがいなくても帰れるよ」


 航が言った。


 美紀は鞄をもう一度見た。


「着いたら教えて。帰るときも」


「うん」


「寄り道しない」


「ハルがにおいをかぐのは?」


「それはいいよ」


 美紀はリードを航へ渡した。


「気をつけてね」


 航は玄関へ向かった。


 扉を開ける前に振り返る。


「お母さんは?」


「ここにいるよ」


「終わったら休んで」


「分かってる」


 航はハルと一緒に外へ出た。


 美紀は窓から二人を見送った。


 航はハルより前へ出そうになるたび、足を緩めて隣へ戻る。


 角を曲がる前に振り返り、美紀へ手を上げた。


 端末には、航とハルを示す印が、公園へ向かって動いていた。


 公園の入口が見えると、ハルの歩く速さが上がった。


 航も早足になりかけたが、リードを持つ手を緩めた。


「走らないよ」


 入口を通ったところで、美紀へ、


《着いた》


 と送る。


《着いたね。帰るときも教えてね》


 と返ってきた。


 航は端末を閉じ、公園の奥を見た。


 老人はいつものベンチに座っていた。


 足元には布の鞄と、ハルの水が置かれている。


 今日はベンチの後ろに、見慣れないものが並んでいた。


 二つの車輪。


 金属の棒。


 幅のある板と、長さも太さもちがう木材が数本。


 ハルは老人を見つけ、先へ行こうとした。


「引っぱらない。ハル、こっち」


 ハルは航の隣へ戻った。


 老人が二人を見る。


「今日は一人か」


「ハルもいるよ」


「母親はどうした」


「袋とか服を直す人が来てる」


「人まで直すのか」


「人はこわれてないよ」


 老人は鼻で息を吐いた。


 航はベンチの後ろへ回った。


「これ、何?」


「板と車輪だ」


「それはわかるよ」


「なら考えろ」


 航は木材を一本持ち上げる。


「これは?」


「横に付ける」


 老人は同じくらいの長さの木材をもう一本取り、板の左右へ置いた。


「かこむの?」


「低くな」


「低かったら落ちるよ」


「高さはあとで決める」


「ハルの車?」


 老人はハルを見る。


「公園でつかれたとき、お前でも押せるものにする」


 航は板の前へしゃがんだ。


「じゃあ、早く作ろう」


「測ってからだ」


 老人は巻き尺を渡した。


「板の幅」


 航は巻き尺を斜めに当てた。


「四十六」


「曲がってる」


「でも、四十六だよ」


「斜めなら長くなる」


 老人に言われ、航は板の端と平行に測り直した。


「四十二」


「そうだ」


 老人は車輪と金属の棒を板の下へ合わせた。


 航が車輪を回す。


 板には当たらず、どちらも動いた。


「使える?」


「今のところはな」


 航はハルを呼んだが、ハルは板へ乗ろうとしなかった。


「乗らないよ」


「知らん板だからな」


 航は板とハルを見比べた。


「乗せるところ、もっと広くしなくていい?」


「囲いを付けても、伏せられる幅はある」


 老人は二本の木材を板の端へ置いた。


 残った長い木材は、板の後ろへ伸びるように並べる。


「これは?」


「押すところに使えるかもしれん」


「ぼくでも届く?」


「だから、まだ切らん」


 航は長い木材の端を持ち、自分の腰のあたりまで持ち上げた。


 板はまだ動かなかったが、完成した形を考えているらしく、何度も位置を変えた。


「こっちのほうが押しやすいよ」


「車輪を付けてから言え」


「でも、今でも分かるよ」


「今分かることと、動かして分かることはちがう」


 航は木材を元へ戻した。


 ハルはベンチの下へ入り、二人の作業を見ていた。

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