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途中  作者: 古江 門
第一部

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12/21

第三話 母の小さな活動 (三)

三 自分で直す


 その日の夕方、家の端末へ伝言が届いた。


《上の娘も、自分の鞄を直してみたいと言っています》


 その下に、


《美紀さんに、そばで見ていただくことはできますか》


 と続いていた。


 美紀は食卓の椅子へ座った。


 自分で直すのと、子どもに針を持たせるのは違う。鞄がどのように傷んでいるのかも、写真だけでは分からなかった。


 美紀は、子どもだけを預かるように見えない言葉を探し、返事を書いた。


《鞄の傷み方を見ながら、一緒にやってみる形でもよければ。針を使うので、お母さんもご一緒いただけると安心です》


 返事は夕食の支度を始めたあとに届いた。


《ありがとうございます。三人で伺います》


 灰色の鞄の写真が添えられている。


 さらに、


《週末でもよろしいでしょうか》


 と続いた。


 美紀は予定を開いた。


 土曜日の夕方には、移住した日に街を案内した支援室の女性が、生活の様子を確認しに来ることになっていた。


 昼過ぎからなら、時間がかかっても間に合いそうだった。


《土曜日の一時ごろでしたら大丈夫です》


 美紀はそう返した。


 週末の午後、母親が二人の娘を連れてやってきた。


 妹は直した赤い袋を腕に掛け、姉は写真で見た灰色の鞄を抱えていた。底の角が擦れ、縫い目から糸が出ている。


「これも直すの?」


 航が聞いた。


「今度は、お姉ちゃんが直すんだよ」


 妹が先に答えた。


「私が言おうとしたのに」


 姉は鞄を食卓へ置いた。


 食卓には、美紀の裁縫箱と、何種類かの布が並んでいた。


 母親は裁縫箱をのぞく。


「近くで見るの、初めてかもしれません。家で直してもらうときは、預けて終わりなので」


 姉が鞄を美紀の前へ押し出した。


「どこからやればいい?」


 美紀は鞄を受け取らず、向きを変えた。


「どこが一番傷んで見える?」


 姉は糸が出ている縫い目を指した。


「ここ」


「触るとどう?」


「やわらかい」


「反対側と比べてみて」


 姉は両方の角を交互に押した。


「こっちは硬い」


 母親も触れて、声を上げる。


「あ、本当。私は糸しか見てなかった」


「こっち、薄くなってる」


 姉が言った。


 美紀は布を数枚取り出した。


「薄くなったところを、別の布で支えます」


 姉は小さな布を重ねたが、傷んだ部分が外へ出た。


 自分で布をずらし、ひと回り大きなものを取る。


「こっちなら入る」


「うん。そっちがよさそうだね」


 妹も身を乗り出した。


「私もやりたい」


「今日はお姉ちゃんの鞄でしょう」


「私の袋は、もう直ってるから」


 航が言う。


「こわれてなくても、見ればいいんだよ」


「何を見るの?」


「糸が出てないかとか」


 妹は赤い袋を裏返した。


「出てない」


「うすくなってない?」


 妹が指で押す。


「わかんない」


「今は大丈夫そうね」


 母親が言った。


 妹は持ち手を引こうとしたが、母親に止められた。


 航がうなずく。


「何度もさわったら、今度は自分でこわすって、おじいさんも言ってた」


 妹は手を離した。


「じゃあ、もう見たから終わり」


「何もなかったら、それで終わり」


 航は満足そうに言った。


 美紀は姉へ針を渡した。


「持ったことはある?」


 姉は首を横に振った。


「じゃあ、ゆっくりね。先には触らないように」


 最初の一針は、考えていた場所より大きく外れた。


「あ」


 糸が斜めになる。


「変になった」


「戻せるよ。このまま留めることもできるけど、どうする?」


 姉は糸を見てから、針を元へ戻した。


「もう一回やる」


 二度目の針も真っすぐではなかったが、さっきより布の端に近かった。


 それから姉は、何度も裏と表を確かめながら縫い進めた。糸を強く引きすぎたときだけ美紀が手を添えた。


 妹と航は、いつの間にかハルと遊んでいた。


 窓から入る日差しが手元から外れ、母親が照明をつけた。


 姉は途中で指を休めたが、鞄から離れようとはしなかった。


 角を一周したころには、外の光が赤くなっていた。


 最後の結び目は布から離れた場所にできた。


 姉は美紀に教わりながら糸を戻し、もう一度結ぶ。


 今度は布の近くに、小さな結び目ができた。


「できた」


 姉は余った糸を切り、鞄を表へ返した。


 縫い目は不ぞろいだったが、薄くなった角は裏から支えられている。


 持ってきた本と水筒を入れ、鞄を持ち上げた。


 縫い目は開かなかった。


「直った」


 姉は美紀を見る。


「これ、私が直したって言っていい?」


「もちろん」


 姉は曲がった縫い目を指でなぞった。


「ここは上手じゃない」


「最初のほうでしょう。最後はずっとそろってるよ」


 母親も鞄をのぞき込んだ。


「本当に持ててるね」


「私が縫ったから」


 姉は鞄を肩へ掛けた。


 帰る支度をしながら、母親は裁縫箱を見た。


「こういう集まりって、ほかにもあるんですか?」


「分かりません。私は家のものを直していただけなので」


「てっきり、どこかで教えている方なのかと思いました」


「今日が初めてです」


「初めてだったんですか?」


 母親は姉の鞄を見る。


「それでも、この子は自分で直せました」


「私も、傷んだ鞄を見たのは初めてでした」


 母親は美紀へ頭を下げた。


「今度は私もやってみたいです」


「一緒にやりましょう」


 三人が帰ったあと、家の中が急に静かになった。


 食卓には、切り落とした糸と布の端が残っていた。


 美紀は針の本数を確かめ、裁縫箱へ戻した。


「お姉ちゃん、上手だった?」


 航が戻ってきた。


「最初より、最後のほうが上手だったよ」


「お母さんは何したの?」


「どこを見るか、一緒に考えた」


「それだけ?」


「それだけかもしれないね」


「でも、またやるって言ってた」


 美紀が裁縫箱の蓋を閉じたとき、玄関の呼び出し音が鳴った。

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