流行を追う=自らモブになるのか?
似ているようで実は違う。
タイムラインを眺めながら、
ちょっと引っかかる視点の相談が届いた。
「流行を追うって、
結局みんなと同じことをするってことですよね。
それって自分からモブになるって事じゃないですか?」
スーマは、画面の中で少し考えてから言った。
「……半分は合ってる。
だがそのままだと、ちょっとズレてる」
結論:流行を“追うだけ”ならモブ化しやすい。でもそれだけじゃない
画面が、ぴかっと光る。
「流行は
乗るものでもあり、使うものでもある」
「ここを分けろ」
“モブっぽくなる人”の特徴
スーマは指を一本立てる。
これだ。
みんながやってるからやる
理由が外側にある
流行が終わると一緒に消える
「この状態は」
完全に“流されてる側”
「だから」
モブ感が出る
でも流行に乗る=全部モブではない
スーマは少しだけトーンを上げる。
「問題は“流行そのもの”じゃない」
“どう関わるか”だ
主体がある人
流行を選んでいる
自分の文脈に取り込んでいる
自分なりの使い方をする
「これは」
モブじゃない
“流行を利用してる側”
分かりやすい違い
スーマは短く例を置く。
流行を着る人 → モブ寄り
流行を“どう着るか考える人” → 主体あり
「同じ服なのに、
扱い方で立場が変わる」
人はなぜ流行に乗るのか
スーマは少し現実寄りに言う。
「理由はシンプルだ」
安全だから
外さないから
共通言語になるから
「流行は」
“失敗しにくい選択”
「だから人は集まる」
モブになるかどうかの分岐点
スーマは、ここを切る。
“自分の軸があるかどうか”
無い → 流される
ある → 流行を乗りこなす
「主役かモブかは」
行動じゃなく、意思で決まる
実は“全員がどこかでモブ”
スーマは少し笑う。
「ここ、重要だ」
「どんな人でもな」
服
食べ物
言葉
「どこかで流行に乗ってる」
「完全オリジナルは」
むしろ孤立する
スーマは、短く切る。
「流行を追うことは」
モブ行為 → 半分YES
生存戦略 → 半分YES
「だが結局は」
流行に“使われるか”、
“使うか”の違い
スーマは、ぽつり。
「主役ってな」
誰とも違うことをする奴じゃない
同じ中でも、
自分で選んでる奴だ
「同じ服を着ても」
着られてるのか
着ているのか
「そこが全部だ」
スーマのスマホ相談室。
今日もどこかで、
「みんなと同じ=ダメ?」が
「使い方次第」に
静かに言い換えられている。
今日もスーマの毒舌にお付き合い有難うございました。




