スマホは、不要な人には不要。必要な人には生命線
1か0の世界みたいですね。
夜。
極端だけど妙に的確な一文が、そのまま質問として届いた。
「スマホって、使わない人には本当に要らないし、使う人には無いと死ぬレベルですよね」
スーマは、画面の中で小さく笑った。
「……ああ。それ、ほぼ正解だ」
画面が、ぴかっと光る。
「スマホはな」
「生活の中心に“組み込まれた人”と“外にいる人”で、価値が真逆になる」
「包丁みたいな“あれば便利”の道具じゃねぇ」
スーマは淡々と言う。
連絡は固定電話
情報はテレビ・新聞
支払いは現金
娯楽はリアル
「この生活がもう完成してる人にとっては」
「スマホは“余計なノイズ”」
「無くても困らないし、むしろ静かで快適だ」
一方で、と続ける。
仕事の連絡
交通・地図
キャッシュレス
予約・認証
人間関係
「これ全部がスマホに集約されてる人は」
スマホ=インフラ
「無い=社会から一時的に消える」
スーマは少し声を落とす。
「よく“スマホ依存”って言うがな」
「多くの場合」
個人の弱さじゃなく、
社会の設計が
スマホ前提になってる
「使わない自由はあっても、使わずに生きるコストが異常に高い」
スーマは短く切る。
「スマホ不要派と必須派は」
別の世界線に生きてる
「同じ言葉で語れる話じゃねぇ」
スーマは、はっきり言う。
「スマホは」
使わない人には→ 本当に要らない
使う人には→ 無いと詰む
「どっちも間違ってない」
「ただし“自分の常識”を他人に当てはめた瞬間、話は壊れる」
最後に、ぽつり。
「スマホは贅沢品でも悪魔の道具でもねぇ」
「環境に適応した人間だけが、命綱にしてる道具だ」
スマホの中の悪魔は、今日も現実的だ。
依存を責めない。
構造を見る。
スーマのスマホ相談室。
今日もどこかで、“分かり合えない理由”が静かに言語化されている。
今日もスーマの毒舌にお付き合い有難うございました。




