第607話 情報調査室
西暦2320年11月11日。
国際連合本部、ビルの一室。
窓のない部屋の真ん中で、アダマスは最新の人間工学椅子に腰を下ろしていた。
光源は、空中に浮かぶ無数のホログラム画面のみで薄暗い。
「アダマス司令官、如何致しましたか?」
そこで自動ドアが開かれ、マイクが入室する。アダマスに呼び出されたからだ。
「マイク。君はモーズと面識があったよね。君から声をかければ、要望を聞いてくれるかな?」
アダマスはホログラム画面から視線を逸らさないまま言う。
前置きなく尋ねられた事にマイクは眉を顰めながらも、「内容によるかと」と無難な答えを返した。
「どのような要望をお望みなのですか?」
「国連本部に招きたい、と」
ホログラム画面の一つには、誰もいない部屋が映っている。
モーズを招く為に用意した部屋であり、ミシェルを始めとする会長達と同じように、高級ホテルと同等の質だ。衣食その他の待遇も保証されているうえに招く以上、金銭を要求する事もない。
人によっては、極楽を提供されたに等しい提案だろう。
「……何の為に、が重要になりますね。大方、ペガサス教団絡みでしょうが」
「そうだよ。モーズはペガサス教団、つまり『珊瑚』が重要視している人間だ。国連の総意として、保護するべきだと考えている」
本人から拒否されてしまったけれど。と、アダマスは残念そうに呟く。
「あぁ、既に提案済みなのですね。ならば私から伝えたところで……それどころか誰から伝えても、彼の意思は変わらないでしょう」
「そう」
マイクの返答に、アダマスは感情のない声で相槌を打った。
そこには喜びも悲しみもなければ、苛立ちもない。
「なら私の選択はきっと、事態を正しい方向に導いてくれるだろうね」
アダマスは独りごちるように言った。
彼は――昨日の時点ならば、思い通りに動かないモーズに憤りを覚えていたかもしれない。
しかし、今は違う。
(……手は打った。結果がどうなろうとも、必ず状況は好転する)
既に、手を回したからだ。
――組織は大きければ大きい程、物事の決定は遅れ、それに伴い初動もまた大きく遅れを取る。
国連軍の包囲を掻い潜るというモーズの動きを見越し、事前に準備をしていたという訳ではない。あれは完全に想定外の動きであった。しかもアダマス自らコンタクトを取りに行った際、特効薬とウミヘビの人権を天秤にかけてくるなど、予想だにしていなかった。
アダマスが集めた情報では、モーズは人命を何よりも優先する、慈愛に満ち常に誠実という、クスシにしては珍しく飼い慣らしやすそうな人物だと目されていたというのに。
しかしモーズもまたクスシには違いなく、一癖も二癖もあるとわかった以上、アダマスは穏便に事を運ぶ事をやめ――
同時に、独断で次善の策を実行した。
これにより迅速に円滑に事を運べる。《珊瑚サマ》の【降臨】が近い今、会議の決定を待っている時間はない、と判断した故の決断だ。
この責任の追及によって自身の首が飛ぶ事になるとしても、世界平和が実現できるのならば――アダマスは本望であった。
「アダマス司令官、私からも質問よろしいでしょうか?」
沈黙してしまったアダマスを前に、マイクが口を開く。
「何かな?」
「ビリーの処遇についてなのですが……」
「モノフルオロ酢酸の管理補助は継続予定だよ」
さらりと告げられた返答に、ぐっと、マイクは拳を握り締めた。
ビリーとの連絡は、彼が諜報に失敗した日以来、取れていない。『へるぷみー』という気の抜けたメールが送られてきた事に加え、部屋にあるホログラム映像のうち一つにビリーとモノが映っていて、モノへ本の読み聞かせをしているという何とも和やかな光景を中継している辺り、緊急性はなさそうだが。
「それで地下への侵入は不問にしてあげたんだから、いいだろう?」
「はい。ビリーの失態に対し、厚い温情を頂き誠に有り難かったのですが、それはそれとして……。私が彼と一度も顔を合わせられないのは、どうしてなのかと」
「万が一、逃げられてしまっては困るからね」
「……私共は信用ならない、と。それならば、此処にいるのも避けるべきかと思いますが」
アダマスとマイクのいる、椅子とホログラム投影機しかないこの殺風景な部屋は、『情報調査室』だ。
国連の機密含めあらゆる情報を閲覧、分析を可能とする。現在、ホログラムに映っているウミヘビや会長の姿も機密情報で、外部に漏らせない代物。サイバー防御は徹底している他、窓といった物理的な情報漏洩の危険性さえも排除するという徹底ぶり。
本来は部屋へ入ること自体、厳重に制限された場所。
「あぁ、いや。別に君達の心配はしていないよ」
アダマスはひらひらと軽く手を振って言う。
「君達が何を企んでいたとしても、個人の謀なんてさしたる脅威じゃない。だから滞在を許しているし、情報調査室に招いてもいる。機密の厳重さに関しては、寧ろ信頼していると思って欲しいな。これは今までのマイクの活躍を評価した上での判断だよ」
「光栄です。では、ビリーこそが信用に値しないと?」
「信用とか信頼とかの問題じゃない。ビリーの環境を下手に変えると、モノフルオロ酢酸が機嫌を損ねて脱走する可能性がある」
「……はぁ? 機嫌を損ねる? 何故?」
マイクは腑に落ちない、と眉間に皺を寄せた。
「アレがビリーに強い関心を抱いた、という話はしただろう?」
「あぁ、はい。報告にあがっています」
その件は把握している、ビリーは陽気なだけの男だ。まさかウミヘビという気難しい性格(※マイクの偏見)をしている連中を、手懐けた訳でもなかろう。
きっと直ぐに飽きる、とマイクは予想していた。
「ビリーの何が関心を引いたのか。まだわからないけれど、ともかく手元に置きたがっていてね。一時的に距離を取る事さえ嫌そうだ」
「そ、そこまで?」
「そこまで、だよ。そして問題は機嫌を損ねた後だ。アレは独断で脱走でき、気分で人を殺めてしまう」
それは先日の事件で知っている。
ビリーが潜入任務を実行したその日に、気分で収監部屋から脱走していたモノは、気分で周囲の人間を殺めた。その殺戮にビリーが巻き込まれなかったのは、運が良かっただけだろう。
「ビリーをつける事で少しでも大人しくさせよう、という算段だよ」
アダマスは言う。
扱いの制御が効かない兵器そのものだ。しかし丁寧に説明されるとその分、腑に落ちない点が増えていく。
「それだけ危険だと判明しているのならば、何故……処分しないのですか?」
マイクは真剣な声で言った。
モノは能動的に殺人を犯し、毒素を撒いた。実害が出てしまっている。
処分をするのにこれ以上ない理由だ。と言うか、対象がモノでなくとも、死人が出てしまった時点で処分するべきだろう。
何故モノを放置し、ビリーを付けてまでどうにか制御をしようとしているのか。
ウミヘビの処分を推奨している節があるアダマスならば、これを好機としていの一番に片そうとしそうなものだが、その気配もない。マイクからすれば訳がわからなかった。
「私個人としては、この状況を看過したくないけど……。……アレにはまだ使い道が、あるからね」
するとアダマスは苦々しそうな表情を浮かべ、彼は肘掛けを用い頬杖をつく。
「その時が来るまで、どうにか押さえ込むつもり――」
ウゥ〜ッ! ウゥ〜ッ!
直後、アダマスの声を掻き消す警報音が、情報調査室に鳴り響いた。
『警告、警告。菌床が発生しました。繰り返します。菌床が発生しました。場所はB棟屋上……』




