第606話 折衝
「あぁ、そうだな。私の思想は甘く、間違っているのだろうな」
モーズは腕を組み、淡々と話す。
『そうだね。人類には過ぎた兵器たるウミヘビに人権なんて……』
「だが。もしも、もしも私が珊瑚症の特効薬を完成させたとして……。そのレシピの公開をウミヘビの人権確立を条件とした時、貴方は応じてくれるだろうか?」
『……。何だって?』
発言の意味をすぐには飲み込めなかったのか、たっぷりの間を置いて、アダマスは赤い瞳を見開いた。
『人類の救命に条件を付ける!? 仮定の話だとしても非道が過ぎる!!』
そして次に口から飛び出してきたのは、凶弾だ。
人命と兵器を天秤にかけてきたのだ、アダマスからすれば信じられない発言であった。
『君はクスシにしては珍しく、誠実な人間だと伝え聞いていたのだけど……。デマだったようだね』
「私にどんな印象を抱こうが構わない。可能か不可能かだけを判断してくれ」
『当然、受け入れられない。国連は例え人質を取られても要求を飲まないものだよ。国と国が人質交換をするのとは違うんだ』
「災害鎮圧や製薬の功績は、ウミヘビの助力があってこそ。それも命懸けの助力だ。にも拘らず搾取するだけして、用が済んだら処分しようなどと……。そちらの方がよほど、許容し難い」
彼らにどれだけ、助けられてきたか。
とうとうと語り聞かせたい思いを、モーズはぐっと堪える。
「貢献してくれた以上の見返りを、与えるべきだ。私としては人権で足りるかは疑問だが、まずはそれを獲得しなければ始まらないからな」
モーズの主張をアダマスは納得できないようで、顔を歪め嫌悪感を剥き出しにした。
そして次に絞り出す言葉を逡巡しているようだった。
『……っ。…………仮定の話を重ねていても仕方がないね。特効薬なんて存在しない餌で国連を釣ろうなんて、愚策もいいところだよ』
「特効薬完成の目処は立っている」
『は?』
断言してきたモーズに、アダマスは呆気に取られている。
モーズは話を続けた。
「珊瑚症が完治した人間が現れたんだ。あとは再現性を追求すればいい。特効薬は目前だ」
珊瑚症の完治など、非現実的に聞こえたことだろう。
だが、フランチェスコから『珊瑚』がなくなったのは――事実だ。
『……ここに来て、どうして直ぐにバレるハッタリを言うのかな?』
「ハッタリだと思うのならば、フランス感染病棟の報告に目を通すといい。ステージ5まで進んでいた感染者を含め、患者の多くが症状を緩和させている。それが、あそこで行っていた研究の成果だ」
研究の成果。
と良いように言っているものの、ハルパーが異常発生したのは想定外の出来事で、事故も同然なのだが……。それは伏せておく。
「私も人命を天秤にかけるのは気が引ける。ウミヘビの人権を考えてくれるのならば、特効薬に関する情報全てを無償で明け渡そう」
『それは無償と言わない。寧ろ立派な脅迫だ。そもそも存在しない物で交渉しようだなんて、どんな神経しているんだい』
「そうだな。まだ特効薬は完成していないんだ、交渉するならば先の話となる。ではそれ以外──ウミヘビをラボに返却する事を受け入れてくれるのならば、私は国連本部へ向かおう」
アダマスの頬が引き攣る。
ウミヘビの人権に比べたら大分、譲歩された条件だ。それでモーズを確保できるのならば、国連側としても旨味がある。
しかし此処でかき集めたウミヘビを手放すのは、リスクもある行為だ。この場では決めきれない。
「この交渉に応じてくれるのならば、正式な契約書を用意し、オフィウクス・ラボへ送ってくれ」
『ラボへ?』
それは即ち、契約書がテオフラストゥス含むクスシの目にも通されるという事。
契約書に不慣れだろうモーズをいいように丸め込む、という手は使えなくなる。
「拒否するならば、貴方の要求も拒否するだけだ」
『……、…………。これは私の一存じゃ決められないね。一旦、保留にしても?』
「あぁ、時間を要しても構わない。色好い返事を待っている」
『色好い、ね』
アダマスは最後に苦虫を噛み潰したような顔を浮かべると、通信を切った。
ホログラムも解除され、車内は元の風景に戻る。
「……。はぁー……」
途端。座席からずり落ちるレベルで、モーズは背もたれに体重を預けた。
「おい、モーズ。大丈夫か」と、軽く声をかけたのはブロムだ。
「大丈夫、では、ないかもしれない……。私はおかしな事を口走っていなかっただろうか? 交渉もあれでよかったのかどうか……。ひとまず保留で終わってよかった、か?」
モーズはアダマスに毅然とした態度を貫いていたが、それは虚勢だ。
実際は混乱や萎縮を気取られないよう、必死に取り繕っていた。
「フェイスマスクをしていなければ、私の心中なぞ筒抜けだっただろうな……。ハッタリも交渉も不慣れなもので、声が震えないよう喋るのが精一杯だった」
「先生、頑張ったねー」
テトラミックスがのんびりとした声で労ってくれる。
彼とは対照的に、セレンは焦った様子でモーズに詰め寄ったが。
「それよりもモーズ先生、国連が交渉に乗った場合、本気で身柄を引き渡すのですか!?」
「元々、スイスへ乗り込む手も考えてはいたんだ。フリーデン曰く、本部にはマイクさん達がいる。上手く合流できれば連携が取れることだろう」
ニコチンと再び会うには、国連本部へ行くのが手っ取り早い。
あちらが迎え入れてくれるというのならば受け入れ、内部を探り、可能ならニコチン含むウミヘビを外へ連れ出す――
尤もこれは理想論で、都合のいい空想だ。所長テオフラストゥス曰く「何をされるかわかったもんじゃない」という国連本部で、どれだけ自由に動けるかはわからない。
「契約を結ぶにしてもしないにしても、話がまとまるまで私は暫く放っておかれる筈だ。――そして大きな組織は、一つの意見を纏めるのに時間がかかる」
時間稼ぎ。それがモーズの狙いであった。
折衝が不得意というのは、モーズ自身、強く自覚している。故に相手が絶対に呑まないと思われる交渉を持ち掛け、何も決まらないまま引き下がってくれるよう画策した(万が一、呑んでくれたのならばそれはそれで僥倖ではある)。
その間にラボから帰還の連絡が来れば帰還するし、ハルパーの研究が進み、よりよい案が思い浮かぶかもしれない。
何にせよ、不利または不自由な状況に陥る事だけは避けたかったのだ。
「国連またはラボが再度、接触してくるまでの間、私達はフランチェスコ探しに勤しむとしよう」
「お前、まずは寝た方がいいんじゃないか?」
ブロムが言う。
「フランチェスコ先生も睡眠を疎かにして、よく倒れていた。人間は必要睡眠時間を確保するべきだ」
「……そう、だな。少し、眠ろう」
ここ数日、モーズは隔離病室でハルパーの研究に没頭し、特効薬の活路を見出そうとずっと神経を尖らせていた。
そして先のアダマスとの対話で気力も一気に削がれた。これ以上、行動した所で頭は働かずパフォーマンスは落ちる事だろう。
「休憩、休憩所は、そうだな……」
このまま空中を飛び続ける訳にもいかない。
ひとまず滞在場所をと思考を巡らせた時、ふと思い浮かんだ場所があった。
「イタリアに、行ってみようか」
フランチェスコが、産まれた国。
その国のとある場所へ足を運んでみたくて、モーズはそう提案したのだった。




