第605話 夢物語
モーズはアダマスと向き直し、話を続ける。
「遠からず車は返却する。延々と居場所を把握されるのは気分が悪いからな。それから、追っ手を退けたぐらいで恩を売ろうとしないで欲しい。私達は貴方の手を借りずとも、幾らでも撒ける手段があったのだから」
『誤解があるようなので訂正致しますが、私共は恩を売ろうとしたのではなく……』
「では言い方を変えよう。その程度で、好感を与えられると思わないでくれ」
ホログラムに投影されたアダマスの眉がぴくりと動く。
敵意を隠そうともしないモーズを厄介に思ったのだろうか。
(モーズ先生、いつになくカンカンですねぇ)
そのやり取りを見ていたセレンは、そんな事を考えていた。モーズは敢えて、相手の言葉を遮る形で話をしている。誠実が白衣を着ているような彼が、普段ならば絶対にしない事。
アダマスに話の主導権を、握らせない気だ。
「それよりもニコチンは? 私の勧誘に失敗したからと罰を受けている事はないだろうな? 彼は私の自由意志を尊重しただけだ。処罰も処分も言語道断」
『彼ならば待機部屋で休ませております。ご安心ください』
ひりつく空気の中、アダマスはあくまで穏やかな声音で答える。
『国連本部にお越し頂けたら、顔をお見せする事もできますよ』
「そうか。直々に勧誘するのが目的、と」
『クスシ・モーズ。自覚があるのか存じ上げませんが、貴方は保護されるべき人間です。決して貴方を縛り付けたい訳ではない。貸し出しする部屋のデータも送りましょう』
アダマスがそう言うと同時に、車内の機器が作動しホログラムが勝手に展開すると、モーズの眼前に映像を映し出した。
広々とした部屋に、こだわり抜かれた質のいいベッドにソファが置かれている。壁紙も絨毯も照明も、最高品で揃えていると思われる。ぱっと見は高級ホテルのスイートルームにしか見えない光景だ。
だが、窓がない。一つも。窓を模したスクリーンに空が映っているだけ。所詮はまやかし。
何より気になるのは重厚な扉だ。ドアノブには黒く無機質な機械が取り付けられていて、厳重なロックが掛かっていると推測できる。
きっとそこは――牢獄なのだろう。
『『珊瑚』撲滅に、貴方は必要不可欠です。逆に『珊瑚』の手に渡ってしまえば人類の脅威になる。ラボが壊滅的な状態の今、国連で保護を受けるべきです』
「一つ訊ねる」
モーズは問い掛ける。
「私がそちらに向かえば、ウミヘビを解放してくれるか? ニコチンに限らず、全てのウミヘビを」
『……何故そうする必要があるのですか?』
「アバトンに帰りたいと願うウミヘビは多い筈だ」
『フッ。帰るなど』
すると画面越しに失笑したのが聞こえた。
『国連が現在所持しているウミヘビを、管理し切れていないアバトンに戻す事はできません。人間のように扱う問題が発生してしまう』
「人間のように扱う事に何の問題があるんだ。彼らは身体の造りは違えど、人間と同じ思考能力を、心を持っている。なのに何故、君はそこまでウミヘビを粗悪に扱える。あれほど人類に貢献していると言うのに、処分を望む。何故だ、君は、君達は……!」
『ウミヘビは人間ではなく、人造人間だ』
冷え切った声で、アダマスは言い切る。
『幾ら人真似が上手くともそれは擬態だよ。ステージ6と同じ。人間のフリをして人間から警戒心を奪っているに過ぎない。あれらは、人間の皮を被った兵器だ』
ウミヘビ、いや人造人間について語るアダマスからは、丁寧な言葉遣いが欠落していた。
理解を得られないモーズに恭しく接する必要性を感じなくなったのか、それとも人造人間と言う名の、彼の中の地雷に触れられた為に――本音で話したくなったのか。
一切、取り繕わずに。
『私からすれば国を容易に滅ぼせる存在をどうして脅威に思わないのか、理解できない。モーズ医師の主張する『心』……。感情を持ち自立行動できる性質は、厄介さに拍車をかけているだけだよ』
いっそ心のない機械だったのならばどんなに楽か、と呟くアダマスの声には、鷹揚に穏やかに話していた時とは打って変わり、憤りが滲み出ている。
『人類は結局、《核兵器》を手放せなかった。今後、何世紀経とうとも、文明が崩壊でもしなければ所持し続ける事だろうね』
核兵器。
西暦2320年現在に至る歴史の中で、人類は幾度も脱核兵器を望み、訴えてきた。
その理念に賛同し手放す国も現れはしたが、未だに所持したままの国の方が多い。
そして核兵器は、全ての国が放棄しなくては意味がない。
『私は国際平和を願っていると同時に、人類を信用していない。私利私欲で容易に戦争を起こす存在を、どう信用しろと? 思想の統一など無理な話だよね』
「……思想の統一など、しなくとも……」
『力は支配だ。あればあるだけ行使される。何故ならどれだけ邪魔な存在も、命を奪えば思い通りになるから。平和の為に話し合おう、だなんて夢物語だよ。話し合う為のテーブルにつくには、同じだけの武力が必要になる』
言葉に詰まるモーズをよそに、アダマスは淡々と喋り続ける。
『ウミヘビも武力だ。それも凶悪な。残し続ければ、いつの日にか必ずその武力を独占しようと企む国が現れる。そして手にした国は絶対に手放さない。核兵器のようにね』
既に核兵器という前例があるのだ。例外など起きないだろうと、アダマスは確信していた。
哀しい事に。
『ウミヘビはまだ世界に広がっていない。管理できる範囲なんだ。今のうちに壊すべきだと、私は考えている』
人の手に余る存在など、あってはならない。
何故ならば平和が脅かされるから。
『私は人類の平穏を願っているのだから』
それが唯一無二の、アダマスの信念であった。
「……受け入れられない思想だな」
『そのような考えで、ウミヘビが戦争の道具にされたらどうする気? 君では責任など取れないだろう?』
「そうなる前に、人権を与え、国際法で守る。という案はどうだろうか?」
『フッ。随分と都合のいい、夢物語だね』
「だがアダマス。私は研究の合間に、どうすればウミヘビが人権を得られるのかを、ずっと考えてきた」
モーズは法律に聡い訳ではない。国際法も全てを把握している訳でないし、新しく法律が作られる過程を正しく理解しているとはとても言えない。
「『珊瑚』を撲滅すれば、ウミヘビが前線へ送られる事はなくなる。災害鎮圧を強いられる現状からの解放が叶えば、人権を得られる道が開くのではないかと思っていた。あくまで素人の発想で、君の言う通り夢物語だがな」
『そうだね。『珊瑚』の撲滅なんて、たとえ達成できたとしてもその証明にどれだけ時間がかかるのやら。悪魔の証明をすると言われても受け入れ難いし、災害対処から解放されたところでウミヘビが危険な事には変わりない。その程度で事態を動かせると? それも、ただのいち研究員が』
アダマスの言う通り、モーズはただの新人研究員に過ぎない。
オフィウクス・ラボという後ろ盾はあるものの、彼個人の持つ影響力は酷く低い。ウミヘビの立場の改善を求めている、所長テオフラストゥスの力を借りれば結果は変わるかもしれないが、モーズだけでは大した事はできない。
いつだかセレンとテトラミックスを前に人権を与えたいと発言したにも拘らず、モーズはどこまでも無力だ。国連を動かしウミヘビの人権を獲得する事など到底できないだろう。
――正攻法では。




