第604話 カーチェイス
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「あっはははは!! 夢にまで見たカーチェイスがこんな所で叶うとか! たーのしー!!」
全自動運転どころか半自動運転さえも切り、自分の技術だけでハンドル操作をするテトラミックスは、いつになく上機嫌であった。
ちなみにアクセルは踏みっぱなしで、走行規制など端から無視している。彼が注視するのは前方の障害物と、後ろの追跡車のみ。
追跡車の動向はフロントガラスに映したホログラム映像で把握できる。全部で三台。車体を破損しようと撃ち込んでくる射撃や、待ち伏せによる挟み撃ちなど、様々な手を繰り出してくるが、テトラミックスはその全てを難なく躱した。
これらのテクニックはバーチャルゲームで培ったものらしい。仮想空間での経験を実践できる日が来るなど思ってもみなかったので、彼は上機嫌なのである。
「ノリノリですねぇ、テトラミックスさん」
後部座席では、ハイテンションとなっているテトラミックスに、セレンが若干引いている。
「運転自体、久々になるからな。楽しそうで何よりだ」
セレンとは反対に、モーズは微笑ましさを覚えていた。
オフィウクス・ラボを発ってから今日まで、テトラミックスは車に乗れていなかったのだ。フラストレーションが溜まっていた事だろう。それが今日、解消できたのだ。運転するに至る経緯はとても褒められたものではないが、モーズはその事実を敢えて思考の隅に追いやり、テトラミックスが楽しんでいる事を純粋に喜ぶ。
「この様子では追い付かれる心配はなさそうだな。周囲に感染者や菌床の気配もなし。燃料も満タンだと確認済みだからな、暫くは安全だろう」
モーズがそう判断したところで、
「モーズ、俺も同行してよかったのか?」
ブロムが些か居心地が悪そうに口を開いた。
「国連だったか。連中が言っていた通り、俺は本来あそこ所属のウミヘビ。らしい。同行していると、お前達の立場が悪くなるのでは? 人間はこの状態を不法所持、と言っていた気が……」
「気を遣ってくれて有難う、ブロム。私も……。あぁ、国連ではなくてだな。フリーデンの元に、君を残すのか迷った。彼はラボと気兼ねなく連絡が取れる身だからな。しかし君はハルパーの全記録を所持している。『珊瑚』撲滅の他に、フランチェスコを追う手掛かりにもなる」
ブロムは人の形をした記録媒体。フランチェスコの研究を完璧に継いでいる彼は、フランチェスコの次にハルパーに詳しいと言っていい。ハルパーの習性や生態を考察すれば、フランチェスコを探し出す可能性は上がる。
ブロムの身の安全を考えた場合、ラボに通じるフリーデンの元に残す事が最善だっただろうが、それをわかったうえで、モーズは私欲を優先した。
「どうか、力を貸して欲しい」
フランチェスコと再会したい、ただその一心で。
「そう言う事なら……。しかしこの後はどうする気だ? 次の潜伏先は決めているのか?」
「いや全く」
きっぱりと返された返答に、ブロムは脱力する。
「この車はGPSが付いているだろうから、途中で手放すとして……。ただただ国連の人間から離れたくて飛び出したものだから、その他を考えていなくてだな……」
「見切り発車と言うやつですね! モーズ先生!」
「その通りだ」
「おい」
呑気なモーズとセレンを前に、ブロムは頬を引き攣らせると、勢いよく運転席へ視線を向ける。
「テトラミックス! この車は何処へ向かっているんだ!?」
「風が気持ちいいところー! 特に何処とかなーいよ」
「無計画にも程がある!!」
悲痛な叫びが車内に響いた。
「顔の効く感染病棟ならばイギリスか、ドイツか……。先に話していたように、ドイツへ向かうのが無難か?」
「私としてはラボへ帰るのが一番だと思うのですがねぇ。彼処ならば国連もそうそう手は出せませんから」
「いや、未だ所長から連絡が来ていない。所長の事だ、フランス感染病棟での災害と、私がフリーデンと接触した事は把握している筈。幾らでも連絡が取れる状態にも拘らず、何も言ってこなかった事を考えると……『まだ戻るな』という意思表示ではないかと推測できる」
「ははぁ。確かに所長なら、連絡したい時はハッキングでも何でも使って接触してくるでしょうね」
「だろう? だからドイツ感染病棟へ向かうか……フランチェスコを優先し、フランスに留まるかだな。しかし人探しをするには大勢の協力を得たい……」
トゥルルル。トゥルルル。
モーズの言葉を遮るように、車内のスピーカーからコール音が鳴る。
「えー? 通信ー?」
テトラミックスが面倒そうに言う。
この場にいる全員は、所持している携帯端末の電源を切っているうえに、車と連携もしていない。繋げられたのは、軍用車両内蔵の通信機器だ。つまりラボ側の人間ではなく、国連側の誰かによるコール。
「モーズ先生、どうするー? 無視しちゃうー? それとも切っちゃうー?」
ここは様子見をした方がいいかどうか、モーズが判断に迷っていると――通信が、強制的に繋げられた。
『こんにちは、クスシ・モーズ』
そして車内の座席に、銀髪赤目の男が現れる。
ホログラムで形成された映像だ。彼はモーズの正面の座席に腰を下ろし、悠然とした笑みを浮かべている。
『初めまして。私の名前はアダマス。国連警察所属で、現在は司令官を務めさせて頂いています』
(アダマス。──ニコチンと、契約を交わした人間)
非人道的な契約。
それを強制してきたのは国連という組織そのもので、アダマス個人と交わした訳ではないのはわかっているのだが、ニコチンから聞いた話のイメージが強く、モーズはどうしても忌避感を覚えてしまう。
「何の用だろうか」
『まずは謝罪を。国連支部の者が貴方とウミヘビに無礼を働いたという報告を受けました。同意を得ないまま同行を強要するなど、あってはならない事。管理不足です。申し訳ありません』
そういえばいつの間にか、銃声も走行音も聞こえなくなっている。
後部の窓へ視線を向ければ、モーズ達を追跡していた車は綺麗さっぱり消えていた。
『貴方を追う車は退かせました。そして貴方方が今乗っている車も引き続き、使用して構いません。これで無礼が許されるとは思いませんが、せめてもの贖罪として受け止めて頂きたい』
「何の用だろうか」
その上で、モーズは繰り返し問いかけた。
何故なら、聞きたかった答えが返ってこなかったから。
「まさか私に謝罪する為だけに、連絡を寄越したのではないだろう?」




