インターハイ予選
帰ってきて、涙が止まらない。勇気の身に降りかかっている、癌という事実、そして右足の切除。とてもそんな現実は受け入れられない。でも、それも真実だからしょうがない、私は気を張り詰めて覚悟した。そして勇気に柔道をやめてもらって生きて欲しい、少しでも死に直結しかねない状況を避けて欲しい。それを願って、私は辛いことを押し殺して、勇気に訴えかけたのに、勇気には何にも届いてくれなかった。
私はずっとベットの中で泣いていた。勇気は私が好きだってこと、知ってるはずなのに、でも私と勇気が恋愛感情を抱く関係で無かったとしても、小さい頃からずっと一緒に柔道やってたんだ。少なくとも私のことは大事な存在であることは、私達はお互いそう思っていると思ってた。でもそれすらも私の一方通行だったなんて、そうじゃなければあんなこと、『俺はお前の事なんか好きでも何でもない。お前の言うことなんて聞く義務が無い。』なんて言葉が出てくる訳が無い。だから私は自分の思いを断ち切った。勇気は私のことなんて何とも思ってない。だから私も勇気のことなんてもう知らない。そう自分に何度も言い聞かせた。でも、あの言葉が耳の中で反響して離さない。私はその言葉を聞こえてくるたびに、涙を抑えきれず、泣いてしまう。私は勇気とこれからも一緒に生きていきたいのだ。勇気への思いを捨てるなんて私には簡単にできることでは無いのだ。
・・・・・・ずっと、ずっと、好きだった・・・・・・・・
なのに、なのに。私は勇気を信用できなくなったら、どうやって、誰を信じて生きていけばいいのだろう?勇気の代わりは誰もいない。勇気以上に私と幸せを分かち合うことができる人間なんていないのだ。
毎日、泣いて、泣いて、泣きまくった。両親にも心配された。私は帰って来てから部屋から一歩たりとも出ていない。お母さんは内側から鍵を閉めたままのドアをノックして過剰な心配をしている。私のこんな姿を見るのは初めてなんだろう。学校だって一日たりとも休んだことなんて無い。だから私が両親にかけている心配ははかりきれるものでは無いと思う。本当に申し訳がない。だから、私はドアから出ようとした。でも勇気を信用できなくなった私には、この世界というものが、とても怖くて出ていくことができない。
お母さんは私のドアの前で食事を持ってきては、下げていた。そして心配してノックをして声をかける。
「優利、何があったの?なんでもいいから話してちょうだい。」
朝、昼、夜。何度も何度もそう言われた。夜はお父さんと一緒になって声をかけていた。でも、私はもう、何にも誰にも話せなくなっていた。
私はドアから出られないため、四日間、飲まず、食わずの生活をしていたら、とうとうドアの鍵を外側から壊された。早朝だった。お父さんが強引に金槌でドアノブを叩いたのだ。
そしてお父さんとお母さんが入ってくる。私は外の世界がとても怖く感じて反射的に布団で身を隠した。
「やめて、来ないで!」
私は申し訳ないと思っていても、両親すら怖かった。だから、布団で身を覆ってビクビク震えていた。
「・・・・・・。」
両親はこんな私の姿を見ても、全然軽蔑どころか、ひるむこともしなかった。そして私に近づいてくる。そして父が優しく手を差し伸べた。
私は自分がこんなんになっても、普通に接してくれる両親に本当に申し訳がないと思ったのだろう。恐る恐る震える手で父の手を触ろうとした。
そしたら父は私をベットから強く引っ張り出して引きあげ、そのまま体落をかけた。
「こんな、軟弱な女に育てた覚えは無いわ!」
私は即座に受身をとった。もちろん、そんなつもりは無い。しかし自然に動いてしまっていた。
「ちょっとお父さん!」
お母さんは焦っていた。私も床に叩きつけられたものだから、受身をとったとはいえ、痛い。でも、この痛みは私を正気にさせた。これが痛みというものか・・・・・。
「お前、受身とれるじゃねーか?」
「・・・・・・・。」
私は無言でいるとお父さんは言った。
「下に降りてこい。とりあえず飯だ。」
私は何故か痛みを感じたおかげでドアの外に出ることができた。そして、お父さんとお母さんと一緒に朝食をとる。お父さんは今日は休みの日なので、私の様子を見ながら、ゆっくりと食べていた。
「食べることもできんだな?!何があったか知らねーけどな、お前、今日、何の日か分かってるのか?」
「・・・・・・・・。」
私はお父さんが何を言っているか分からなかった。父はそんな私を見て、呆れかえったように私を見る。その後すぐにお父さんは二階に上がり勝手に私の部屋に行ったようだ。そして、私の柔道着を持ってきて、私の腕の上に優しくのせた。
「・・・・・これは・・・・・。」
「お前、毎日言ってたじゃねーか?今日はインターハイ予選の初日なんだろ?」
私はハッとしてカレンダーを見る。
「うん。」
「お前は確かに誰かに傷つけられて、ふざがってたかも知れない。でもな、お前を必要としている人はいっぱいいるんだ。そいつらの為にもお前は行かないと駄目なんだ!」
お父さんは私に強くそう言った。私は手渡された柔道着を見て、そして、柔道着の向こう側にいる人が見えてきた。
・・・・・・山田君、井上君、大山田君、そして涼介君・・・・・・・
「分かったか?」
私の決意は固まった。行かないと、私は行かないといけない。皆の支えにならないと。
お父さんは私の目を見て、頷いて言った。
「早く行ってこい!」
「ハイ!」
私は勢いよく自分の部屋に行き、準備をする。お父さんとお母さんが話している。
「ちょっとお父さん、優利も女の子なんだから、もっと優しくしてよ。」
「女も男も関係ないさ、人は踏み出すときに踏み出さなければならない、それは今、優利が一番感じてるよ。」
私はお父さんに出て行く前に礼をして言った。
「ありがとう、お父さん。行ってくるよ!」
「おう!絶対に勝たせてこい、それが約束だ!」
「うん!」
私は走り出した。お父さん、お母さん、迷惑かけてごめんね。もう大丈夫だから。それと皆、こんな大事なときに部活見れなくてごめん。皆、練習やってたかな?そして、皆、来てくれるかな?そんなことを思って急いで会場に向かうため走っていった。
6月30日、インターハイ予選前日の放課後 学校の格技場にて
山田が言った。
「三枝先輩のノートに書いてあった課題は克服できましたか?大山田先輩!」
山田は達也と乱取をして何かいい感触をつかめたように見えた。
「ちょっと待っとけ、今コイツをすぐ投げ飛ばして、その後見たるさかい。」
大山田はあれから大変だ。主に俺と乱取をして、なおかつ皆の指導をしなければならない。優利のノート、それは本当に役に立った。俺達はもちろん大山田さえ気付いてなかった課題が細かく分析されていた。このノートを各々見て、自分で何が足りないか自覚して練習に取り組んできた。だから皆の成長は短期間であったものの目を見張るものだった。それにそれだけでは無い。このノートの存在は皆の士気を高めるのはもちろん、なんだか優利がノートから話しかけてくれている気がする。皆、優利のために、その思いを一つに必死に今までよりもキツイ練習をやり遂げてきた。
しかし、さっき言った大山田の言葉には俺はカチンとしていた。もう、俺は大山田に簡単に投げ飛ばされない。大山田とこうも毎日、死ぬ気で乱取していたため、自信もついてきている。しかしまだ大山田から一本もとれてはいなかった。
皆、俺と大山田のこの乱取を見ていた。期限は今日まで、今日までに大山田に一本をとらなけらば俺は大将をつとめることができない。
「なんや、その不服そうな顔は?投げらるもんなら、投げてもらってもええんやで。」
そう言って挑発してくる。しかし俺は一旦冷静になった。ここで挑発にのってむやみに投げに言っても勝てる訳が無い。俺は真剣な目で訴えかける。
「エエ目や。」
俺達は道着を持ったまま、前後左右に揺さぶりをかける。足技もお互いにかけあう。しかし、お互いきまらない。大山田は小内刈をしかける。大山田が後ろに揺さぶりながら左足のアキレス腱を右足裏で刈ろうとした。俺はすぐさま左足を引いて耐える。そして反動で前にでることを見越してそのまま背負投をしようとした。しかし、俺はそれを読んでいた。大山田の背中の上で俺は立っていて、そして大山田の背負投は不発に終わる。俺は寝技への移行をしようとしたが、大山田はすぐに立ち上がり、阻止した。
「本当にいい試合になってますね。二人。」
山田が達也に話しかける。
「涼介のインターハイ予選にかける思いは俺ら以上に特別だからな。だから、必死に一回一回の乱取にとりくんでいるからなんだろう。」
二人はそんな会話をしていたが、俺の心は違っていた。大山田はまだまだ俺より強い。どうすれば一本とることができるのだろうか?俺は考えた。そんなとき脳裏に浮かんだ言葉があった。
「立てよ。巴投っていうのはこうするんだよ。」
その言葉が受けたあの巴投げの動きを思い出す。俺は思い切って大山田にしかけてみようと思った。
俺は大山田を前後に揺さぶり、大山田が前に出た瞬間に素早く、俺が出せる最大限の速さで内股をしかける。しかしその内股は中途半端でいい。そして、すぐに体勢をもどして、大山田がまだ前に崩れているのを見計らって両手で後ろにひっぱりながら、下腹部に右足を当て、体を後ろに捨てた。
・・・・・・・・・・
大山田は前に放り投げられていた。
勝った、やっと勝った。俺の心は舞い上がった。しかしこの動きは勇気が俺にやってのけた技である。それをつい思い出してしまっていた。
「てててて。」
大山田は膝を払いながら立ち上がる。
「まさか、あんなに俺にしかけてきて、いとも簡単に阻止されまくってきた巴投で俺を倒すとはな、まぁええ、俺の負けや。」
大山田はそう言った。俺は静かに頷く。
「200戦中、199敗1勝。でも約束は約束や、ギリギリやが、お前が大将や。」
そう言って俺に手を差し伸べた。
俺はその手をとってお互い掴み合った。
「頼んだで、大将。」
「うん!」
俺は元気よく大山田に言った。
大将、やっと念願の大将になることを大山田に認めてもらった。これで、俺は宗明の大将、勇気と闘えることが叶えるようになるかもしれない。〈待っていてくれ、勇気!〉そう誓った。そしてこのチームの大将を背負って闘うこと、俺はその重さをひしひしと感じ、そして、心の中で覚悟を決めた。
「ほんで、山田か、見たるわ。ちょっと投込やってみろ。」
そう言って、達也を受に色々な技を投込させた。山田は色んな技に癖があった。そのため、投げ技がキレイにきまらないので、一本をとることは難しい、そのためその癖をなおす必要があった。しかし大山田はうんうん頷いている。
「ええ感じや、癖ってのはなかなか抜けへんねんけど、この短期間でそれが抜けとる。三枝のノートに書かれてあったこと意識して練習してきたんやな。」
大山田は山田にそう言った。山田はどの技も完璧とは言えないものの、ちゃんと上手くきまれば一本をとれる技になっていた。
「井上も見たるわ、投込やってみろ。小内刈、大内刈、背負投。小内刈は投げた後、袈裟固、大内刈は投げた後、横四方。その一連の流れも全部な。」
「うん。」
そう言って達也はまた受をやらされた。達也は苦笑している。
井上はやってみせた。大山田は頷いている。
「よう、この短期間で、この三つの技だけとはいえ上達してくれた。乱取もやらせとるのによくできるようになったな。」
そう大山田に褒められて井上はうれしそうだ。
「家でもイメトレしていたし、三枝さんが言ってた、この三つの技だけは完璧にしようってずっと思い続けていたんだ。だから大山田にそう言ってもらえてよかったぁー。」
試合前日になって、ずっと頑張って必死に投げ技を練習し続けてきた井上は肩の荷が下りたようだ。
「ほんでやね、最後は達也や。」
今まで受をしていた達也は、その言葉にゴクリとつばを飲む。
「達也、乱取するで、俺が肌に感じたいから俺と組め。」
そう言って二人は乱取を始めた。何回か大山田に倒された後、大山田が言った。
「駆け引きや、応用、まだまだ俺には敵わへんけど、ええんやないか?」
そう言って受身をとっている達也に手を差し伸べた。
達也も必死に練習していた、大山田や優利から勝つ気が足りないとか、全部中途半端とか散々な言われようだったが、そんなことを言われたことがあったからだろう。二人に認めさせるような柔道をできるようになろうと、必死に練習していた。もしかしたら、一番努力していたのかもしれない。
「よし、皆、エエ具合に仕上がったな。俺もほんま毎日ヒヤヒヤしてたが、こんなに急成長してくれたから、俺からは皆に今から指導することは無い。」
皆、顔を見合わせて喜んだ。
「明日、本番やから、明日にそなえて今日は道場いかんとこ、体やすませることも大事や。」
大山田はそう言った。
明日が本番、皆その言葉に身震いがする。俺達は本当に通用するのか?皆、自分の力を懸念している。その姿を見て大山田が言った。
「大丈夫や、お前らは十分強い。今までの練習を思い出してみろ。」
皆、うつむいて、思い出している。
「こんだけやってきたんや。努力は嘘をつかへん。自分を信じて明日に臨んでくれや。」
皆の気持ちは、その言葉を聞いて勇気づけられる。そして大きな声で言った。
「おう!」
皆が勇気づけられたのを見て、大山田が言った。
「それでやな、明日の順番なんやが、俺が決めんのもええが、お前ら自分で申告してくれ。」
「・・・・・・・。」
皆、しばらく考えた。
「俺、中堅やるよ。」
まず達也が言った。皆、頷く。
「俺もそれがええと思う、ほんなら、俺は副将な。ほんで約束通り山本は大将後は・・・・。」
決まったメンバーは皆考えた。現時点では山田の方が井上よりも強い。そうなると、次鋒、山田、先鋒、井上である。しかし、井上は先輩ということもある。山田から次鋒を申し出ることはもしかしたら気が引けているのかもしれない。
「僕、先鋒するよ。」
そんな皆の懸念を井上から払拭してくれた。しかし、それでいいのだろうか?俺は井上に聞いてみた。
「いいのか?井上。」
「うん。」
そう言って真剣な目をして俺達に言った。
「確かに僕は山田君の先輩だよ。でもこれは遊びじゃないんだ。僕は強い人が次鋒するべきだと思う。だから、僕より強い山田君は次鋒だよ。」
そう言った。自分が先鋒をすることは、井上は異存はないようだ。自分の力が劣っていると認めることは容易ではないだろう。だからと言って、お情けで先輩だからと言って次鋒になることは井上からしたら嬉しくもなんとも無いのだ。井上自身言っていたが、これは遊びでは無いし、練習試合でもない。だから、そんな思いを持ちつつ、そんな思いを捨てて自ら先鋒を志願したのだろう。
「よしっ!決まったな。皆に異存が無ければこれでいく。」
皆、頷く。
「ほんなら、一丁いっとくか!」
「エイエイオー!」
拳を高くつきあがた。皆もこの掛け声で気持ちが一つになった気がする。
「ほな、帰ろか?!」
そう大山田が言って、皆と一緒に俺も帰った。道場に行く気も少しあったが、やはり明日の本番を前にして体を疲労させることは得策ではないと思ったからだ。それに本当に俺達は今日までやるべきことをやってきた。その思いから、俺は今日はそのまま帰ることを決めたのだ。
次の日、インターハイ予選初日、当日の朝
俺達は駅の改札口で待ち合わせだった。県立体育館で今日はインターハイ予選の第一試合が行われる。俺は気持ちが急っていたので家を早めに出たつもりだった。だが、駅の改札前はすでに人ごみであふれかえっていた。インターハイ予選に出る他の学校の生徒、それを観戦しにくる人、漠然と眺めていると緊張感を肌に感じずにはいられなかった。俺はそのピリピリした空気を感じて鼓動が早まっていた。そして、柱を背中につけて皆を待っていた。このまま一人では不安だ。早く誰か来て欲しいと思っていた。
まず達也が来た。
「すーげー人だな。」
達也が俺に言った。
「緊張してない?」
俺は達也に言った。
「まあこのピリピリした空気吸ったらな、緊張はするけどよ。それはここにいる皆も一緒だぜ、きっと。」
俺達はうなずいた。
そして山田、井上、大山田、そして小野先生の順番で集まってきた。
「小野先生、いつも遅いよ。」
小野先生は頭をかきながら言った。
「別に遅刻してるわけじゃないんだから、いいじゃないか?」
「まあ、それはそうなんだけどな。」
そう達也が言った後、大山田が言った。
「皆、緊張しとるか?」
そう大山田が言うと、皆、うなずいた。
「一人で闘う訳や無いんや。団体戦は!横に実力を認める奴がついとる。そう思ったら気持ち楽になるやろ。」
そう大山田が言うと、皆もそう感じたようだ。そうだ、皆一人で闘う訳じゃない、強い味方がついているんだ。そう思うと気持ちが楽になりそして、不思議と自分にも力がみなぎってくるように感じていた。その様子を見て大山田も少し胸をなでおろしたようだ。
それにしても、さすが大山田である。俺達とは経験の差もあるだろう。試合を前にして物怖じしている様子が見られない。もしかすると、そう思わせないようにしているのかもしれないが、素直に大山田は自分が言ったことを自らも思っているのかもしれない。
そんなことを話していると小野先生が言った。
「やっぱり三枝は来ないのか?!」
小野先生は難しい顔をしている。俺達も眉間に皺をよせた。
「そうやな。アイツはまだ立ち直ってないのかもな。でも、アイツの思いは俺達は持ってきてるんや。だから頑張るぞ!」
そう檄を飛ばした。
「おう!」
皆、口を揃えて言った。そして、皆で会場まで歩いて向かう。皆、優利のことを少し考えてしまっていたのか、あまり口数は多くなかった。優利に来て欲しいと皆どこかで思っていたのだろうか?そして会場が見えてきた。しかし、近づいてくると、ドンドンうちの制服を着た女子の面影が見えてきた。そしてハッキリ分かったら俺達は走り出した。
「三枝、来てたんか?」
そう大山田が言うと。腕組みをして会場の体育館の扉近くの柱にもたれかかって待っていた優利は言った。
「皆、遅いわよ。会場入りは一時間前にはしとかないと。減点、大山田君と井上君、リンゴ飴無し。」
「ハハハ。」
皆笑った。皆、優利が、やっと優利に会えたことが嬉しくてたまらなかった。しかし、同時に心配になった。優利はもう大丈夫なのか?と。でもそんなことを言ったら、また気持ちが不安定になるかもしれない。しかし、もちろんその心配はあったが皆、優利が来てくれた事実、それが嬉しくてたまらなかった。
「来てくれたんだね、三枝さん。」
井上はとても笑顔だった。
「うん、でも最後、部活見ることができなくてごめんなさい。皆、課題いっぱいあったのに・・・・・・。」
優利は自分が指導できなかったことを後悔しているように見えた。
「三枝、大丈夫や。」
そう言って、大山田はノートを取り出した。
「これは・・・・・。」
優利はノートを見て呆然としている。
「三枝、これのお陰や、お前が道場に置きっぱなしにしていたノート、これのお陰で皆頑張れたし、お前の教えたかったことも伝わって、皆、頑張ってものにしてきた。」
そう大山田が言うと、優利は視線を下に落とした。
「そう、皆、私が作ったノートで練習してくれていたのね・・・・・。」
自分が毎日、必死に作り上げてきたノート、それを元に練習してきてくれたこと、それを知った優利は申し訳ないと思っている反面、自分がいなくても自分を支えにしてくれていた柔道部員に少し感動しているようだ。
「だから心配すんな。まあ、組み合わせ見てみな分からんけど、初戦が宗明以外なら負ける気しない。それに、そうだったとしても勝てないとは思ってへん。」
そう大山田は優利に言った。少しでも、優利の気持ちを変えることができただろう。
「うん。そっか、なら楽しみにしてる。」
優利は微笑んだ。
「そうと分かれば、皆急いで準備して、そしてトーナメント表見ないと!」
優利は皆を急かした。
「そうだな。皆とりあえず、トーナメント表見に行くで、その後すぐ着替えてくれ、全く先生が遅いから・・・・。」
「なんだよ。朝起こしてくれる人がいないから仕方ないじゃないか?」
「・・・・・・知らんがな。」
「ハハハ。」
場が和んだ。
そして、トーナメント表を見る。俺はまず自分の学校の位置と宗明学園の位置を確認した。そしたら、宗明とあたるのは決勝戦。最高の舞台だ。しかしそれは、同時に決勝まで上がっていかないと勇気と闘えないことを意味していた。俺は拳を握りしめる。そして、初戦の相手だが、俺は柔道に詳しくないので強豪校を知らない。どんな学校か、優利に聞いてみた。
「優利、この清堂学園って学校は強いの?」
それを聞くと優利は
「いわゆる、強豪校ってほどの学校では無いわね、かといって、全く知られてない訳では無いわ。大体ベスト8ぐらいかしら、毎年。なかなかの強敵と初戦に当たっちゃった。」
それを聞くと大山田は
「あんまり弱いと拍子抜けやからな、ベスト8ぐらいが初戦には丁度いい。なぁ、井上?!」
「えっ僕、僕はあんまり強くないチームが良かったな・・・・・。」
少しうつむく。
「あのな、どの道、勝ち進んでいったら当たるんや。お前も強いんやからベスト8ぐらいでひるむな!」
そう井上を励ました。
「・・・・・・うん。」
「ほな、着替えてくるわ、三枝と小野先生は先に会場の部屋で待っといてくれ。
「分かったわ。」
そう言って、俺達は更衣室にいくため、二人とは別れた。
更衣室で着替え終わると俺達はすぐ会場の大きな部屋に入った。他の学校はもうすでに着替え終わっていて、準備運動、打ち込み、皆、軽く体を慣らしていた。
「おーい。三枝、先生。」
大山田が二人に近づきながら言った。
「この畳の上でやるのよ初戦は。」
その俺達の目の前の畳は場内と場外を分けるため一部赤くなっていた。そしてその畳は場内を囲むように正方形に敷き並べられている。そして場内の中は、俺達が最初に組手を始めるときに立っている位置を示す、開始線、赤のテープと白のテープが中央に貼られてあった。
「しっかし、久しぶりやな、公式戦の空気吸うの。」
大山田は結構ノリノリだった。
「そうだね、大山田君は中学以来だもんね。」
大山田と優利はそんな会話をしていたが、俺達は清堂学園と柔道着に書かれた、対戦相手に気圧されていた。
ゴクリ
俺は唾をのんだ。もちろん相手がベスト8だろうが、今更、そんなことは感じない。しかし、一番ひっかかったのは相手の学校の選手に帯に色がついていたことだ。もちろん全員黒ということは無い。茶色もいる。しかし俺達は大山田を除いて全員白だった。
そんな俺達の様子を見て大山田が気付いたのか
「帯の色、気になっとるんやろ?」
そう言って、井上に肩をかけた。
「心配すんな。そんなん昇段試験受けさせてないだけや。強さの指標にも何にもならん。それにやな、相手白帯やからなめてかかってくんで、足元すくったれ!」
これは特に先鋒の井上に言った言葉だろう。井上はそれを聞いて、頷く。
「そうだね。そんなことでオドオドしててごめん。いつもごめんね、ビクビクしてて。」
「まぁ、いつもビクビクしてるが、置いといて気持ちは分かるで、なんせ初めての公式戦やからな。ちょっと緊張ほぐすか?」
そう言って一緒に柔軟をした。しかし、まだ皆、緊張している。大山田は皆の様子を見て、言った。
「よし、ほんなら特別に俺が受で投込やるで!」
大山田は何を意図して提案したのだろう。しかし、投げることは恐らく皆の気持ちにいい結果を及ぼすだろう。そして、大山田を投げ飛ばすこと自体、強い相手を投げ飛ばすことでもあり、皆に自信をつけさせる意図もあったかもしれない。
皆、大山田を投げて、何か感触をつかんでいる。最後は井上だった。
「井上、好きな技で俺を投げてこい。」
と大山田はわざと大きく構えた。受をするといいつつも大きく威圧している。
井上は少し臆した。そんな様子をみて優利が言った。
「井上君、投げ飛ばしなさい。」
井上は優利の方を振り向き、優利は頷いている。井上はまっすぐ大山田を目でとらえて突進していった。そして、道着をつかみ、前に崩しつつ背中に乗せて、背負投をした。
・・・・・・・・・
「ふぅ=3」
井上は一旦息をついた。
「ありがとう、大山田、もう臆したりしてないよ。」
「そうか。」
大山田は笑った。このことをすることによって、皆、少なくとも井上の心には闘志の火が燃え上がったことは間違いない。
その後、開会式が始まった。皆の目にはもう迷いを感じている者などいない。一緒に並んでいる学校はほとんど帯に色がついているが、そんなことはもう、俺達にとって何にも意味を持たなかった。
そして、開会式を終え、いよいよ俺達の第一試合が始まろうとしていた。
「もうそろそろ始まるわよ。順番はどうなってるの?」
優利が聞いた。
「先鋒、井上、次鋒、山田、中堅、達也で副将が俺や、ほんで大将は山本。」
「・・・・・先鋒は井上君なんだ。」
「うん。僕がそう言ったんだ。」
「そう。」
優利はそれについては何も言わなかった。その順番に異論は無いことはもちろん、井上がそう志願した理由も分かっているのだろう。
「それで涼介君が大将なの?」
「・・・・・。」
大山田が少し頭を掻いた。
「そういう約束やったんや、俺に一本とれたら大将やらしてやるってな。」
大山田はその約束をした経緯は何も言わなかった。言わないことで、勇気のことを言わないことを意図していたことと、これだけしか言わないと俺が大将をやりたいだけだと思わせることができるからだ。
「分かったわ。私も異存は無いわ。これでいきましょう。」
優利がそう言った後、試合場の中央に審判が立って、俺達を呼んだ。俺達は清堂学園の生徒と向かい合わせになって並んで、お互い礼をして。場外に出た。
「いよいよね。井上君、準備はいい?」
「うん。」
もう、井上に一切の迷いは無かった。何度も大山田に勇気づけられたのが、今の姿勢になっているのだろう。
「じゃあ、皆いくわよ!?」
「エイエイオー!」
この掛け声はとても懐かしく感じさせられた。優利がいなかったので、本当の意味でのうちの柔道部全員の掛け声となったからだろう。皆の思いが一つになった気がする。掛け声後、審判が呼んだ。
「先鋒前へ。」
井上は場内に入り、テープで貼られた開始線の前まで歩いていった。
「礼、始め!」
相手の先鋒は俺と同じような体格だった。井上は体格的には不利に見える。しかし技術面では、井上はまず間合いをとるためにフットワークを使って、相手の様子をうかがっている。この足運びは数日前で考えたら、考えられない動きをしていた。井上はこの試合が始まるまでにものすごいスピードで強くなってきたのが分かる。相手も白帯だからと言ってなめてかかれるような動きでは無い。しかし、問題は立ち技が苦手であることである。一応、どの技もできる。しかし、完璧と言えるまでには程遠いものである。だから、三つの技、小内刈、大内刈、そして背負投がキーとなると言える。井上は柔道着を掴むため、間合いをつめる。そして掴んだ。しかし、相手も掴む。井上は足技をするため一気に距離をつめて、小内刈、相手の右足のアキレス腱を右足裏で刈ろうとした。崩しが不十分であるため、きまらない。お互い一旦手を離して、また間合いをとっている。
ここまでを見て、優利は驚いていた。井上が相当腕を上げていることにだ。優利は驚きを隠せないものの、固唾を飲んで見守る。
井上は投げられないことを意識しているように思えた。小内刈、大内刈でそのあと寝技にシフトして抑え込みで一本をとる。それを狙っているようだ。しかし、相手にその意図がバレては勝てない。だから、井上はまた掴み合ったとき、あえて他の足技、支釣込足などの足技も決め技というよりかはフェイクで見せていた。あくまで小内刈か大内刈で勝負をきめる気だ。掴み合い、足技の応酬が続くと思われたが、相手は井上がかけた大内刈、相手を後方に崩して右足を股の間にいれて相手の左足を刈ろうとしたとき、相手は右足を大きく下げることで耐えて、井上が右足を着地させたのを機に背負投を仕掛けた。足を着地させた状態であるときは体は前に体重が乗る。それを見越しての背負投でのカウンターだ。井上は投げられまいと重心を腰を下げることで自護体になり、どうにか耐えた。体が自分より大きな相手の投技耐えることは、そう簡単では無い。これを耐えたことは井上が何よりも乱取を繰り返してきた結果、上達している証拠だった。しかし、相手が背負投で崩れたことは井上にとっていい傾向だった。得意な寝技にシフトできるからだ。すばやくネルソンの動きに移行する。背負投が潰れて四つん這いになった相手に、相手が脇を締めることや顎を引く前に左手で相手の左脇下から左前襟をつかんで、そして右足を相手の懐にすべりこませると同時に右手も右脇下から差し込んで相手の右腕から首を抱えた。その状態で反時計回りに相手を抱いたまま横転させて、相手が仰向けになったら、もともと右腕で相手の腕と首をきめていた状態にさらにきめにかかり、そして両足は足を広げて相手の両足の下にいれて、完璧に縦四方固をきめていた。相手はこの抑え込みに動けない。体育館の秒針が鳴り響く。
審判は時計をストップウォッチを見て。そして手を真上にあげた。
抑込が25秒を越えた。一本勝ちである。
井上は勢いよく立ち上がった。抑込をきめられた相手は悔しそうだ。体格差がある相手に負けたこともあるだろう。しかし、ベスト8が無名校に負けたことが堪えているのだろう。
向こうも立ち上がり、お互い礼をして。井上は戻ってきた。
パチパチパチ
優利は観戦していたときもそうだが、井上のこの上達ぶりには声も出ないほどのものだった。
「やったよ!大山田。勝てた!」
井上は凄い嬉しそうだ。
「やったな、井上。」
皆、口を揃えて言った。
「いや、たまたまだよ。得意な寝技にもちこめたからだよ。」
それを聞いて大山田が言った。
「お前は自分を過小評価し過ぎなんや。お前の強さは今ベスト8にも引けを取らないことを証明したんやで。いや、それ以上や。だから、もっと自信もっていけ!」
大山田は井上に自信を持たすことを言った。でも、この試合を見ていた者、特に相手側も分かっているだろう。無名校のうちの学校、さらにうちの先鋒、井上は簡単に勝てる相手ではないことを。確かに立ち技が少し苦手ではあるが、間合いの取り方、駆け引き、それは強いと認めるざる得ない。さらに、寝技が上手いことが脅威に感じていることだろう。本当に実力で勝った。決してたまたまなんかでは無いのだ。
「どうしたんや、三枝、固まって。」
「いや、ほんとに強くなってるんだなって、素直に受けとめちゃって、言葉が出ないのよ。」
「そうやで、井上だけやない、皆も強くなってる。まあ見とけ!」
大山田は優利が見ていなかった期間、俺達がどれ程成長しているか、それを優利に見てもらいたい様子だった。
「よしっ!ほんなら次もいってこい井上!」
そう大山田に言われて、審判も二人を呼ぶ。
「四谷坂学園、先鋒、清堂学園、次鋒前へ。」
清堂学園側は送り出すとき言っていた。
「あいつ、そーと寝技上手いぞ!気を付けろ!」
そして二人はお互い開始線まで歩ていった。
「礼、始め。」
相手は井上と同じぐらいの体格、体格差で先鋒を差し置いて、次鋒になっているのだから、技術面での高さがうかがえる。これは技術戦になると思われた。立ち技は向こうが有利かもしれないが、寝技はおそらく井上の方が強いだろう。
お互い、いいフットワークで回りながら間合いをはかる。そして距離を縮め、お互い道着を掴み合う。相手の方が少し早い。そしてそのまま、右足裏で井上の左足のかかとを刈ろうとした。しかし、井上は即座に反応し、左足を下げる。そして反動で前にでることを見越して、すぐに背負投をしかけてきた。小外刈からの背負投の連絡技である。しかし、井上は後ろに体重をのせてこらえていた。井上自体、投技の連絡技はお世辞にも上手いとはとても言えない。しかし、乱取で何度も受けてきている。だから、相手の動きを読んでいたのかもしれない。しかし後ろに崩す技、例えば大外刈などが、もしうってこられたら、投げられていたかもしれない。そこには確かな駆け引きがあった。相手は潰れた背負投の状態になっていたので、井上は得意な寝技を狙う。しかし、前の試合、見事なネルソンをきめた井上に相当な警戒をしている。すぐに立ち上がる。井上は絞技、送襟絞を狙っていたが、不発だった。
お互い道着をもったまま、井上は前後に揺さぶりながら足技を多く繰り出した。相手も必死に耐えながら、投げることを狙っている。
そしてまたお互い手を離して距離をとり、また投げる機会をお互いうかがって、また掴み合う。そんな拮抗状態が長く続いた。お互い、点数は一点もとれていない。このままでは時間内で勝負がつかないかもしれない。皆、そう思わされていたときだった。
井上は右足を相手の股の真ん中あたりに踏み出し、小内刈を狙った。両手を上手く使って相手は後ろに崩れてしまう。その機を逃さず相手の右アキレス腱あたりを右足裏で刈った。相手はこの井上の小内刈に完全にかかってしまっていた。さすがに、小内刈の練習を特別にやってきたことはある。相手はそのまま落下する。もしかしたら何もしなくても一本をとれていたかもしれない。しかし、井上のやってきた特別な練習はこれだけでは無い。相手が倒れる前に引手を引いたまま右手で相手の胸を押さえつけ、相手が着地すると、刈った足を股の間から抜いて相手の右側に体をスライディングするように滑り込ませると同時に、右手を相手の後頭部、さらに相手の右手を左手で抱えこんで、自分の上半身の右側部分で相手の胸部を圧迫していた。小内刈からの袈裟固、何度も練習した技である。この袈裟固めも相手を完全に抑え込んでいた。だから相手は必死にもがいていたが、秒針は刻々と時間の経過を知らせる。25秒抑込。一本である。
井上は審判から告げられた後、ゆっくり立ち上がった。この相手も悔しがっている。最後までもがいていたのだ。
そしてお互い礼をして帰ってきた。大山田は優しく言った。
「よかったな、何度も練習してきた技がきまって、勝ってこれて。」
「うん。」
井上は実感していた。さっきはたまたま勝ったと、自分から言っていたが、二度もたまたまなんてものは無い。これが自分の実力なんだと。
「ベスト8やろうが、宗明やろうが、通用する。井上、お前は強いんやで。」
そう大山田は井上に言った。皆、井上に優しい目で見る。
「うん。いける。僕もそう思う。」
拳を握りしめた。そして、呼ばれるのを待つため、真っ直ぐ次の対戦相手を見据えている。ほんの少し前の井上なら考えられないことだった。何をするのも弱気で、引っ込み思案な井上、もしかしたら井上は俺達の中で、柔道を始めて一番変わったかもしれない。
そして声がかかる。
「四谷坂学園、先鋒、清堂学園、中堅前へ。」
井上は開始線まで歩く。
「礼、始め。」
相手の中堅は体が大きいかった。背は180センチ程度ある。そのかわり痩せているが、体格差、体重差、どちらをとっても井上からすると大きいため、相手に威圧されるかもしれない。しかし、井上は臆している様子は無い。柔道は体が大きなことは有利なことは確かである。力や体重差を利用することもある。しかし崩すこと、それは体重差をうめることも可能になる。相手がいかに体重があろうと体勢が不安定な状態になると、どんなにそれに差があろうと投げられてしまう。大外刈などの足技が特にそうである。しかし、ディスアドバンテージがあることには変わりは無い。
いかに井上が攻略できるか、非常に注意がひきつけられる組み合わせだった。しかし、そうなると、投技が苦手な井上は少し不利になる。もし小内刈、大内刈、背負投できめられない場合だ。井上は他の技が得意でないため、たとえ投げることができても、少なくとも一本をとることは難しい。だがその反面、寝技が得意なため、技が潰されても寝技でいままでのように勝ってくるかもしれない。
井上は相手より先に柔道着をつかむ。相手の方は体格から、小さくてフットワークの軽い井上に速さでは敵わなかった。そして、一気に勝負をかけに井上は動く。井上はすばやく大内刈をしかける。相手を後ろに崩すため胸と胸を合わせるように接近して、右足を股の間に入れて、相手の左足の腿のあたりを刈ろうとした。しかし、相手は右足をうしろに下げて耐える。井上はさらに両手を使って、後ろに崩そうとし、そして反動で前にでる機をうかがって背負投をしかけた。
この一連の動きには驚かされる。井上は今まで連絡技を俺達の前で見せたことが無い。立ち技が苦手であるために特別にそんな練習をあえてさせてなかった。まずは一つ一つ技を完成させること、それに大山田も優利もそこに指導に力を注いてきたからだ。しかし、井上はやってのけた。おそらく皆がやっていたのを見て、ここで使ってきたのだろう。簡単にできることでは無い。このことは井上の大きな可能性を意味していた。大内刈、背負投、両方とも何度も井上にやらせてきた技だ。井上はその限られた、習得できた技の中で連絡技を見ていただけで、実戦で使えるようになっていたのだ。
ただ、連絡技が流れるように使ったが、井上の背負投はきまらなかった。相手を背中に乗せている。井上の技術が足りていなかったのでは無い。読まれていたのだ。相手も背負投をしかけてくるとまでは完璧に予想はできていなかっただろう。体重を後ろに移して耐えていた。もしも、井上が後ろに崩す技、大外刈を選択していたら、大失態で確実に倒されていた。しかし、前に崩す技がくることを想定した動きをした。経験からくる勝負強さなのかもしれない。井上はそのまま膝をついて四つん這いになる。そして自分が寝技が得意だから気付くのも早いだろう。寝技に連絡してくる。しかし相手の方が少し早かった。井上が防御の体勢になる前に、左足を井上の股の間に入れて、井上を覆いかぶさる形になる。そして左手で井上の左手を握って、そして胸で井上の背中を押しながら右手で拳をつくり首のラインに滑らせていき井上の左襟を掴んだ。そしてそのまま、井上の頸動脈を圧迫している。送襟絞だ。基本、背負投などが潰れて四つん這いになった場合、送襟絞や、腕ひしぎ十字固などの寝技を阻止するために腋を締めて腕を掬わせなようにすることや、顎を引かなければならない。井上は間に合わなかった。完全に絞技にかかっている。
審判は腕を垂直に挙げて言った。
「それまで。」
絞技にかかった場合、柔道では危険なため、技に効果があった時点で試合を止め、一本をとる。井上は自分が得意な寝技で負けたことよりも、不運にも自分がまさにさっきの試合でやろうと思った技で負けたことが、受け入れがたく、とても歯がゆいように見えた。
そしてお互い礼をして戻ってきた。
「・・・・・・。」
井上は戻ってきて言葉を失っていた。そんな様子を見て、大山田が言った。
「別に悪くない試合やったで、寝技で負けたのは悔しいと思うけど、お前がどんなに寝技が得意でもそれで負けるときはある。だから、切り替えろ。今日の経験はお前をまた強くさせるてくれるわ。」
大山田は井上にそう言った。井上は無表情だった顔に表情が出てきて、そして言った。
「うん。」
少し涙が零れ落ちる。井上は変わったとはいえ、井上には変わりは無い。でも、この負けを通して、井上はまた大きくなっただろう。そこにいる皆はそう思った。
「で、山田、相手どう思う?」
達也が山田に聞いた。
「僕と比べて体格差はかなりありますね。でも、それ以上に勝負の勘が鋭い相手だと思います。大内刈から背負投の連絡を防いだところを見ると、相当、駆け引きや勝負強さをもっています、それに加えて立ち技だけでもなく、寝技も強い。」
山田は少し、頭を抱えた。井上を倒した相手である。絶対に軽視することなどできるはずもない、むしろ勝てる方が確率は低いと思わされているようだ。
それを受け、大山田は
「勝負強さ?!何言っとんねん、それ一番持ってるのはお前や。山田。」
山田はそう言われて、意表を突かれたような顔をしている。
「あー、これは自覚ないんか?!」
と大山田は頭を掻いて言った。そして全員と顔を見合わせ山田を見た。
「練習でまだまだ未熟やのに、本番になったら、教えとらんことを何事もなかったかのように実行する。意外性だけなら、柔道部ナンバーワンや。」
そう言われて、思い当たるところに初めて気付かされたのだろう。しかしいまいち嬉しそうな顔をしていない。
「・・・・それ、褒められてるんですか?」
それを聞くと大山田は笑った。
「褒めとるよ、多分、無自覚で強敵をこれからもなぎ倒していくんやろな・・・・。心配すんな、お前なら倒せる。それに後のメンバーもいるんや、大船にのったつもりで立ち向かっていけ!」
「はい!」
そう、山田はいい返事をした。しばらくして審判は呼んだ。
「四谷坂学園、次鋒、清堂学園、中堅、前へ。」
山田は対戦相手と向かい合った。
「礼、始め。」
山田は肌に感じていることだろう、井上はこんなにも大きな相手と闘ったのかと、160㎝前後しかない山田や井上は相手と20㎝程度、身長に開きがある。道場内でもこれほど大きな人はあまりいない。だからこんなに大きな人と試合どころか乱取すら経験がないのだ。山田は間合いをつめて組みにかかる。俊敏性やスピードは山田の方が速い。そして足技、大内刈をしかける。相手を後ろに崩すモーションをかけながらそして、右足を股の間に入れて、左足を刈ろうとした。山田の動きは速い、しかし、崩しが不十分だった。耐えられる。すぐさま足を抜いて、両手で後ろに押して、反動で前に出ることを見越して、そのまま内股をしかけた。釣手、引手を引き上げ、右足を相手の股の間に入れて内腿を払いあげる。しかし、これもまた耐えられる。瞬間的な動きで、目にもとまらぬ速さの一連の攻撃だったが、耐えられていた。崩しが不十分、それにこれが体格差からのディスアドバンテージだろうか、こんなにも体格差がなければ一本をとることが無理でも投げれていた可能性がある。
しかし、かと言って、向こうが崩れていれば倒されていたことには違いは無い、駆け引きの上手さも、耐えれたことで裏打ちされていた。
その山田の一連の動きが終わった後、山田の体勢が戻る前に、相手は襟を持ち変える。釣手で奥襟を掴んでいた。対戦相手は山田の技術の高さを肌で感じている。奥襟をつかんで、攻撃を阻止したかった意図がよみとれる。しかし、この奥襟を掴まれている状態は前の練習試合を皆、思い出しただろう。そしてマズイと思わされた。なぜならば、この状態で何もすることができず、山田は負けてしまったそうだからだ。
山田はしばらく、動けなかった。皆の心配はそれを見て助長させられていた。
しかし、山田はフッと少し笑ったように俺には見えた。そして俺は思い出したのだ。山田が合宿で俺に奥襟をつかんでくれと頼んだことを。
そして頭を下げ体を左右に振りながら相手の釣手を引手で押し下げた。山田はそれをした後勢いよく頭を上げた。まるで、それはお前の好きなようにはさせないぞ、と訴えるかのような姿だった。
「やっぱ、アイツ、ものにしとったな。負けた敗因をアイツが放置させてる訳が無いからな。」
それを聞くと優利が
「柔道部で意外性もそうだけど、一番負けず嫌いなのかもしれないね。」
と言った。
山田は奥襟をつかんだ相手を完全に威嚇していた。この小さな体でこれだけの勝気を放つのは相当なものだ。しかし、作戦が上手くいかなかっただけで相手はひるまない。試合はふりだしに戻っただけ、そう思っているのかもしれない。しかし山田は攻撃をその後、すぐ様しかける。相手もこのスピード感についていけない。山田は次の攻撃もあえて大内刈をしかけた。しかし、これで倒す気がないことは相手は分かっていた。なにかしら連絡してくるはずだ。そう読んでいたに違いない。しかし、それが相手を混乱させる。大内刈の後、どう崩してくるのか?前か?後ろか?体格差があるとはいえ、これほどの技術のある相手に体重をかけるところを間違えれば命取りである。そんな一瞬の迷いがこの試合の勝敗を分けた。大内刈、後ろに押し出しつつ、右足で左足を刈ろうとする。耐えられる。そして山田は左足を大きく踏み出し、相手の右横につき相手の左足を右足で素早く刈った。大外刈である。相手はそのまま、どっちに体重をかけようか迷っていたため、後ろに崩れたままだった。技は完璧にきまり、そして畳の上に背中をつけて落下した。俺達は急いで審判を見る。
手が真上に上がっている。一本だ。
相手はまた悔しそうで、なかなか立ち上がれない。審判が声をかけてお互いに礼をして、山田は戻ってきた。
「ようやった。弱点もちゃんと克服しとるし、なかなかなもんやで。」
そう大山田が言った。
山田はそう大山田に言われて照れて
「奥襟をつかまれるケースは合宿で山本先輩に掴んでもらってから、乱取するときでもあえて掴んでもらってましたから・・・・・・。」
「そうか、確かに対策は教えたけど、知らん間にものにしとったんやな・・・・。」
「はい。」
「それはそうと、さっきの試合見事やで、大内刈、二回連続でだして、相手を心理的に翻弄しとったな。」
そう大山田は皆と顔を見合わせて言った。
「それは、絶対、相手迷うだろうと思ってやったことが吉とでました。良かったです。」
それを聞いて大山田は一回うなずいて、そして山田を真っ直ぐ見て言った。
「それが、意外性ナンバーワンってことや、そんな駆け引きなかなか出来るもんやない。ヒヤヒヤするときもあるけど、なんやかんやで勝ってくる。そんな力がお前にはあるんや。」
そう大山田が言うと、また山田は複雑な顔をする。
「それも褒められているかどうか分かりません。」
「まあ、まあ、なんやかんやで勝ってくることを自然と期待してしまうってことや!」
「・・・・・はい。」
「次も期待しとる。頑張ってこい!」
そう言うと山田は表情を引き締めて言った。
「ハイ!」
そして審判が呼ぶ
「四谷坂学園、次鋒、清堂学園、副将、前へ。」
山田は開始線まで歩いた。
「礼、始め。」
相手側の副将、今度は山田と身長差が全く見られない。体格も同じぐらいだ。ここの学校の順番は今まで見てきて、単純に強いもの順であることは分かる。それで、こんな小柄の選手がナンバーツーをやっているのだ。これは相当な技術がある選手と見て間違いないだろう。間合いをとるためのフットワークがかなり軽い。間合いの取り方は山田よりも上手かった。そして距離をつめて、そして凄いスピードで技をしかけてくる。背負投だ。背中をのせて放り投げた。
場内は固まる。あの山田が瞬殺されてしまったのではないかと、俺達に動揺が走る。
審判の手は足から45度程度しか挙げてはいない。有効である。
いきなり組んだ瞬間から、背負投をきめることは難しい。事実、山田は崩れていなかった。しかし、完全に相手は投げ切ることを意識していた動きをしていたため、この背負投には何かしらの意図がある。もしかしたら、同じ軽量級ということもあり、崩しが不十分でも投げられるとふんだのだろうか。それとも、一本をとれなくてもいいから、山田の強さから、早めに点数を稼ぎにいき、そして逃げ切ろうという腹か分からない。
何はともあれ、山田は開始直後から劣勢に追いやられた。
「向こうなかなかやるな、思い切ってあんな状態から投げにいきよったで。」
と大山田が言った。俺は山田を心配して大山田に言う。
「山田、大丈夫なの?このままじゃ、負けちゃうよ。」
「・・・・・言ったやろ、意外性ナンバーワンやて、このままで終わる男やない。まあ見とけ。確信は無いけど勝ってくる気がするわ。」
そう大山田は腕組みをしながらじっと見ていた。
山田は立ち上がり、そして、早く点を取り返そうと距離をつめにいく。しかし、相手はフットワークを使って、ただ単に場内を回っているだけで、今度は組みにいこうとしない。俺の懸念は当たっていた。相手は逃げ切る気だ。積極性のかける動きをした場合、指導を受けることになる。しかし、それが有効と同じ点数に達するには二回指導を受けないと有効の点数には届かない。相手は姑息だった。しかし汚くてもこれは正式なルールにのっとった作戦である。文句は言えない。そして30秒後、指導をとられる。やっと相手もまともに組む気になったようだ。
この30秒間、山田は歯がゆくとたまらなかっただろう。早く点数をとりにいかないと自動的に負けてしまう。しかし、相手は組みにもいかず、逃げてばかり、焦りが心の中を占めていたことは容易に想像できる。しかし、何故相手はここまでするのだろうか?さっきの動きを見る限り、まともに闘ったとしても、向こうにも十分勝てる可能性は大きい。それは、自分の方が強いと思っていても、山田の侮れない実力があるからだと思われる。そして、自分は副将であることは大きいのだろう。後、大将しか残っていない。そうなれば、少しでも勝つ可能性の高いことをするのは当然だと思われていた。
そして組手争いから、組み合ったら、投技の応酬が始まる。山田はもう向こうに投げられない。耐えて、こっちも投技をして、そして耐え、拮抗状態が続く、この状態は拮抗状態だが、実は状況的には不利である。このまま、お互いきまらずに時間が経過したら、向こうは自動的に勝ちになる。このことは山田は十分に意識させられているだろう。しかし、向こうの技術が高いため、投げられないのだ。まずい状況だ。そんなことを思っているなか、大山田は声を張り上げた。
「山田、落ち着け!」
山田はその声を聞いて、ハッとなった。一旦落ち着いたのだ。そして大山田に言った。試合の最中である。それも負けている状況で山田は大山田にこう言ったのだ。
「30秒あれば十分です。倒します。」
確かに、時間は後、30秒程しか残っていないが、この状況で、全く投げられない状況で山田は強くそのことを言い放ったのである。相手はイラッとしたことだろう。コイツ、分からせてやろうと思ったのだろう。豪快に背負投をしかけてきた。しかし、この相手を煽ったかの言動で、冷静さをかけたことが命取りになったのである。
山田はその背負投をしけて背中に乗せようとしたときに、両手で相手の上半身を抱きしめて足を踏み出して、相手の側方に回り込み、前腰で突き上げながら体をそらした状態で相手を抱きしめて離さない手で相手を後方に投げ飛ばした。
「抱分や!」
思わず、大山田は声を出してしまった。そして審判をみる。手を肩まで挙げている。技ありである。残り10秒ほどしか残っていない状態で、点数、立場を逆転させた。
山田は後は逃げたらいい、皆そう思っただろう。しかし、山田は正々堂々と組みにいって、声がかかる。
「それまで!」
闘った相手は顔が青ざめていた。もう大将しか残っていない。自分が負けたことの意味その思いに囚われているようだ。
そしてお互い礼をして山田は戻ってくる。
「さすが、意外性ナンバーワン!」
そう達也が言った。
「ほんまやで、見事、見事。」
山田は皆から称賛を浴びていた。
「そんな、たいしたことじゃないですよ。煽ったから勝てたんです。」
「?」
俺は、あまり意味が分からなかった。
「最初の背負投、僕は一つも崩れてなんかいなかった。あんな状態で投げきるって相当に背負投が得意なんですよ。そう思わされた。しかし、僕も二度も同じ動きで倒されるほど弱くありません。相手が点数かせいで逃げ切ろうとしているとき、彼は一度も、あんなに上手い背負投を出してこなかったんです。それでです、一か八かで怒らせたのです。煽れば、必ず自分の一番自信のある技できめにくる。それを確信させる程の背負投だったんですよ。だから、投げのモーションに入った瞬間、背負投を待っていました。あとはカウンターですよ。背負投のカウンター、抱分。それだけです。」
皆、驚いていた。山田はここまで計算ずくで闘っていたのだ。意外性だけでは無い、本当に闘いながら考えている。策士と言っても過言では無いだろう。それが故に意外性が強く見えてしまうが、それは全て山田の頭の中ではちゃんと考えてあるのだ。
「しかし、抱分なんていつ出来るようになったんや、やっとるとこ見たことない。」
大山田はそう言った。
「何度かやりましたよ。潰れた背負投からの寝技に移行して攻める方法色々あるじゃないですか、でも僕、そんなに寝技得意じゃないから、この技も練習していたんです。」
皆、そんなことがあったか、記憶の中を探していた。言われてみれば、乱取の中で数回実践していたかもしれない。
「とにかくや、皆、意表つかれたで!次も頼むは意外性ナンバーワン!」
大山田がそう言うと、また複雑そうな顔をした。
「褒められてるんですか?」
「もちろん!」
皆笑った。そして山田は言った。
「いってきます!」
「おう、行ってこい!」
そして審判が呼んだ。
「四谷坂学園、次鋒、清堂学園、大将前へ!」
俺はそのとき気付かされた、俺達はベスト8相手に次鋒で大将を引きずりおろしている。これは大変なことだ。うちの学校はそれほど強いのだと思わされる反面、相手チームはもう後が無いどころか、あと4人打ち破らないことには勝てない。完全に相手を追い詰めている。
大将の顔、姿を見た。顔には少し動揺の色が見えた。俺達のインターハイ、そして夏が終わってしまう。そう意識させられていることだろう。しかし、山田、山田には勝てる自信がありそうな顔をしていた。しかしだからと言って、一瞬でも気を抜けば、山田レベルの選手には投げられてしまうかもしれない。気が抜けるところが全く無い。これが大将の重みなんだなと、俺は自分が大将が故にそれを感じさせられてしまう。体格は俺と同じ程度、横に太くも無く、そして身長も175センチ程度、中量級の選手だ。しかし名実ともにこの学校のナンバーワンなのだろう。そんな風格を放っていた。
そして掛け声がかかる。
「礼、始め。」
お互い距離をつめる。そして組手争いが起こり、そして道着を掴みあう。相手の方が早い。山田はこの数日で、荒削りだった立ち技をほとんど修正してきた。だからそこに付け入る隙は無いと思えていた。どの技も万遍なくできる。そこまで成長してきていた。しかし、寝技である。寝技が得意では無い。それでも、できるだけ修正はしてきた。しかし、間に合わなかった。だから、あまり体格差がないとはいえ、抑込で一本をとることはおそらくできないだろう。敗因はそれに気付かれたことだったかもしれない。
開始、20秒後に山田が小内刈をきめたのだ。そして井上が何度も練習させていた、袈裟固に山田も移行した。審判の手は足から45度上がっており、有効をとれた。しかし抑込では、山田の袈裟固は通用しなかった。袈裟固めは右手を相手の後頭部をまわすように、首全体を固めて、左手は右手でしっかりと持ちながら右上半身で相手の胸を圧迫する抑込技である。しかし、相手はいとも簡単に山田の袈裟固から抜け出したように思えた。ただ、自由になっている手、右手で山田の脇の下を押しながら、さらにエビをすることで左手まで完全に抜ききった。
すぐ抜いたので時間内であった。これでは抑込が解けたことになる。そしてお互い向かい合った。恐らく、相手は感づいただろう。山田は寝技が得意でないと。もちろん、そんなに際立って寝技が苦手ということは無い。ただ、レベルの高い選手からすると、自分を抑え込まれる程の技術が無いことを分からせてしまった。
しかし、それでも相手は不利な状況である。有効をとられている。寝技を苦手だと分かっても、倒しにいかなければ寝技で勝負をかけようとも、かけられない。
相手は何をしたか?いきなり体の向きを変えた。そうすることで、ケンカ四つになる。あえて、利き腕をかえるような動きをしたことは何かしらの意図があるように思えた。それにどっちの体の向きでも闘えるということは、相手は相当腕があるということである。
そして、ケンカ四つの状態で巴投をしかけてきた。釣手、引手を引っ張りながら左足を相手の下腹部に突き立てて体を後ろに捨てる。しかし、山田はそんな技はきまらない。仰向けで山田は覆いかぶさるようになった。これは完全に寝技で勝負をしようとしている動きだった。山田にしては、この状態から出せる寝技は多い。通称、片足担ぎやかみつきなど、相手が仰向けで相対する場合の寝技へのシフトだ。しかし、巴投げをしかけた相手は、腕ひしぎ十字固めに移行するつもりだ。山田が寝技の動きに動こうとするより先に、相手は右足を山田の顔の前にいれ左手を両手で抱え込みながら、自ら頭を軸にして反時計回りに横転することで勢いをつけて山田を前転させて、仰向けにした。その時に腕ひしぎ十字固が完全にきめた。このケンカ四つの状態からの巴投からの腕ひしぎ十字固めを巴十字という。
「それまで。」
審判は腕を完全に上にあげている。関節技も絞技と同様に、効果があった瞬間から一本をとることになる。山田は腕を離されてから、立とうと思ってもなかなか立ち上がることができない。審判に声をかけられ、そして立ち上がって、お互い礼をして戻ってきた。
「・・・・・・すいません。」
最初、優勢だったため、負けたことが受け入れられないようだった。そんな様子を見て大山田が言った。
「・・・・・・何も謝ることあらへん。ええ勝負やったで、もう一戦することがあればお前が負けるとは限らへんと思うけどな。」
「自分がもっと寝技が上手くできたら・・・・・・。」
とても自分を悔い、そして責めている。
「・・・・・あのな、この勝敗を分けてのは、相手がお前より強いとかそんなんやないんや、相手がお前の弱点を肌で気付いて、そして、そこをついてきたことにあるんや。俺も体の向きを変えたのは驚いた。両方とも得意な選手はなかなかおれへん。俺も単に、山田がケンカ四つに対して苦手やと思っての作戦やと思った。でも実際は違ったんや、山田の寝技の技術を見て、劣勢に立たされているなか、自分は寝技で勝負をもちこめば勝てると確信したんやろ、あの真剣勝負の場で確実に勝てる方法を見出し、そしてそれを選択した。そういう意味では向こうの方が強いってことかもしれん。でもお前は二度も同じ技で負けるような男では無い。もう負けへん自信はあるやろ?」
「・・・・・・はい。」
拳を握りしめて、そして下を向いている。
「ほんならええ、それに弱点は絶対克服する男や。次の試合では絶対に同じようなことにはならん。だから後は俺達に任せとけ、お前のその悔しい気持ち背負って闘ったるから。」
そう大山田は山田に優しく言った。
「はい!お願いします。」
まだ顔を上げることができないようだ。俺達は負けてきた、井上、山田の気持ちを無駄にしないように誓ったのだ。俺は次に闘う達也が心配になった。
「達也、相手どう?勝てそう?」
「・・・・・・。」
達也は少し考えた。大山田は達也に言った。
「相手は技術だけでなく、その状況に応じて判断力も優れとる。そんな相手やけどな、もしかして荷が重いか?」
それを聞いて笑った。
「まだ俺が勝つ気が足りないとか、思ってるんじゃねーだろうな?!皆の思いを背負ってるんだ。もちろん勝つことしか考えてない。それにな、自分で言っちゃなんだけど、俺は際立って何かに優れていることはないけど、自分ではそれは穴が無いって思ってるんだ。そして、全部中途半端とか言われてたけど、それも克服しているつもりだ。絶対に勝ってくる。」
達也は目の色が変わっていた。達也はいつもクールなやつだ。あまり熱くなることは多くない。しかし、今の達也は完全に火がついている。俺達はそれを見て、いつもの達也では無いことに驚き、そして自然と期待させられてしまっていた。
「四谷坂学園、中堅、清堂学園、大将前へ。」
審判に呼ばれる。達也は開始線まで歩いていった。
「礼、始め!」
俺達は今日の達也の姿を見てから、そして確信してしまっていたかもしれない。清堂の大将と達也は体格差は全くない。しかし、技術面では山田を倒したことで確定してしまう、相当な腕をもっている。達也のことを全部中途半端だと優利は言っていたが、優利がいなかった4日間で、達也は、優利が達也のことを徹底的に分析されたノートを見たことで、細かいところまで全部、自分に課されている問題点を修正してきた。だから達也は自分でも言っていたことだが、穴は無くなっている。だから技術で相手に引けはとらないだろう。だから、まさに五分と五分、どちらが勝ってもおかしくない組み合わせである。
達也は回りながら間合いをとり、そして一気に距離をつめた。達也の方が手が速い。しかし、相手も少し遅れたとはいえ、引けをとらない速さでつかむ。前後左右にお互い揺さぶり合い、そして足技の応酬が続く、どちらも駆け引きし合って、完全にきめることができない。お互い拮抗した状態が続いた。その状態を先に崩したのは向こうだった。
相手が両手を上手く使って、達也を前に崩し、体を半回転させながら達也の内腿を払って内股をしかけてきたのだ。一連の動きは敵ながら見事だった。誰もが投げられたと思った。そのとき達也はとっさに足を股に挟み込み、腰を落とした。内股に対して足を挟む技術を持っているのは山田の技術だった。それを達也はここにきて実践していた。俺は驚いた。山田の技術を会得しているだけでなく、あんなに大山田に乱取で内股で投げられまくっていた達也が、足を挟むことで耐えていたのだ。
俺が驚いていると大山田が言った。
「そんなに驚くことはあらへん。俺と乱取してたときでも、これで防がれたことは何度かある。誰からも教わってないのに、山田の見ただけで、何度か失敗はしていたがこの技術をものにした。アイツは天才ではないが、本当に地道な努力をして、数多くの相手の技に対して対抗する手段を身につけてるんやで。」
大山田は少しも表情を変えることなく、目に試合の風景を映し出している。完全に達也の実力を信頼しきっているのだ。俺も試合を見るために再度目線を戻した。
達也の足を挟んだことに対し、向こうは焦ってすぐに足を抜く。技術はある。そう思わされて当然である。しかし、相手にはデーターが無い。初出場で、初めて組むこともあり、さっきみたいに弱点をついて攻撃に転じるという行動ができない。この限られた4分間の間にそれを見つける他ないのだ。それとも、そもそも今、相対する相手は前の山田と違ってそんなものは、はなから無いのかもしれない。色々な思念が相手には渦巻いていることだろう。
そして、足を抜いた後、すぐに手を離してまた距離をとり様子を伺っっている。達也の方も組んで肌に感じていることだろう。こいつ、やはり強い。山田を倒しただけのことはあると。お互い実力を認めながら、そしてまた組みにいく。
今度は達也がしかける。組んだ瞬間に両手を使って相手前に崩し、右足前回りさばきをして半回転しながら右手を離して右腕を両手で抱え込み、背中に乗せて投げる。一本背負投である。きまらない。くずれてしまう。達也はすぐに寝技がくることを瞬時に想定し、すぐ手を離して、四つん這いになると同時に腋を締めて、顎を引く。相手は腕を掬おうと必死になる。
審判がこの膠着状態を見て
「待て。」
と言って、そして両者を立たせる。
「ハァハァ」
両者とも拮抗した試合に、相当な体力を消耗している。達也はどう攻略するか、頭で考えているようだ。この相手は絶対に単純な技ではきまらない。ならどうするか?達也は答えが出たような顔一瞬した。向こうは足技が多い、それはもちろん連絡技にする起点としているのだろうが、その足技で足元をすくってやる。そう思ったに違いない。そんな動きをした。再び組み合い、その状態から、何度か足技の応酬をしていた。達也はある技だけに神経をとがらせていた。見せかけでこっちも攻撃する姿勢は見せているが、心の中では自分は防御することに専念していた。そしてその技を相手がかけてきた。それは小内刈である。相手は達也を後ろに崩しつつ、右足アキレス腱あたりを左足裏で刈ろうといした。もちろん相手は背負投などを連絡するか、もしくは様子見のつもりだっただろう。しかし、その技を待っていた達也はその技だけに神経を尖らせていたため、反応が速い、右足を引いてすかす、そして横に流れた相手の右足を左足で払った。出足払の応用。小内刈のカウンターである。
相手は自分が投げられていることを信じられないように落ちていった。完全に意表をついていた。
俺達は審判を見る。腕が肩まで上がっている。技ありである。
達也は投げ終わった後も積極的に組みにいった。技ありの場合、時間稼ぎで二回指導をとられても負けることはない。しかし、相手の強さに敬意を払っているのだろう。そんなことはとてもできないようだ。そして様々な技の応酬の後、審判は言った。
「それまで。」
達也は勝ち越した。
「やったな!達也!」
皆、達也の勝利に立ち上がって喜んだ。
「勝てるって信じきっとで!」
そう大山田が言うと、達也は場内でブイサインを出していた。しかしこの試合に神経を使い果たしたのだろう、ヘロヘロだった。
「整列。」
審判は俺達にそう言われた。俺達は清堂学園と並び合った。そして審判は勝った方に手をあげる。
大将と副将は泣きじゃくっている。他のメンバーはどう声をかけていいか困っているようだ。
俺達は闘った清堂学園に礼をした。大将と副将は礼をしていたが、泣きじゃくって、頭を下げてから上げることができない。俺達は場外に出た。清堂学園側は皆で、二人を囲みながら場外に出て行った。それを見て大山田は物悲しい顔をしている。
「あいつら、今年で最後やったんやな・・・・・。」
何か昔を思い出しているかのような顔だった。
「三年の最後の夏、引退するのか、相手の大将と副将。」
そう達也が言った。
「そうや、俺は勝ち抜いてきたから、自分が泣いたことは無いが、泣いている姿は何回も見てきた、あれ見るとやりきれん気持ちになる・・・・・・。」
「そうだな。俺達も来年はああなってるかも。」
「・・・・・・。」
「とにかくや、俺達はあいつらが負けた分を背負って、今度は闘っていかなあかん。そのいう意味でも負けることはでけへんで、勝ち進むんや!」
そう、清堂学園の姿を見て、皆、やりきれない気持ちになっている大山田が、皆を奮いだたせた。
「おう!」
俺達はまた口を揃えて言ったが、何度も言っている言葉だが、いつもより重みを感じる返答だったように感じた。
「三枝、あんま喋っとらんけど、どうしたんや?」
そう言った大山田は何やら少し自慢げに見えた。優利はそれを聞いて。
「皆があまりにも強くて、何も言えなかったの・・・・・・。」
優利は素直な感想を述べたようだった。大山田は、また皆と顔を見合わせて。
「当たり前や、俺達で強くした、そして俺らの部なんやかな!」
そう胸を張るように言った。
「私達・・・・・。」
「そう、三枝、お前も含めてな。」
大山田はニッタリ笑った。
「そうね、私達の部なんだから当たり前よね!」
優利は試合中、ずっと無表情だった。大事なときに、あのことがあって立ち直れずにいて、部活を見れていなかったことを負い目に感じていたことだろう。しかし、大山田の言葉を聞いて笑顔に変わっていた。
「皆!今年は県大会優勝するわよ!」
皆、優利の笑顔が戻ったことに安堵し、そして皆で顔を見合わせて言った。
「エイエイオー!」
「ハハハ、大分慣れて来たなこれ。」
「何よー!」
優利を含めて、ここに来て、この柔道部はリスタートをきった気持ちにさせられた。そして、皆、初戦を突破したことで自分の強さを認め、そしてチーム全員の力を信じきったことだろう。このまま目標のインターハイ出場を目指す、その目標は揺らぐことは無い、そのことは皆の目が物語っていた。
「そーいえば、宗明、試合始まってる頃やぞ!見に行かないと!」
大山田が言った。大山田は宗明の試合開始時間まできっちりチェックしていたのだ。
「・・・・・・。」
それを聞いて、優利が無言になった。
「私、行かない。」
「・・・・・・。」
皆、優利の気持ちを察していた。しかし、あえて大山田は優利に言ったように思えた。
「・・・・去年の覇者や、見に行かん訳にはいかんやろ?お前、監督なんやろ?」
声のトーンを落とした。
「・・・・・・。」
俺達は別の部屋の宗明が初戦を闘っている部屋に入った。優利もしぶしぶ入っていく。俺達の部屋とは違って、スポーツ関連の記者が集まって、カメラを向けられている。世間の注目はうちの試合なんかと比べものにならなかった。
「すっごい、人やで、これ。」
皆は記者団を見て驚いていた。しかし、優利の注意をそんなところには無かったようだ。メンバーを見て。そしてボソリと言った。
「やっぱり出てるのね・・・・・。」
それは、自分とは決別した思いを持ちつつも、それを確認せずはいらないのか、それともまだ勇気への思いを決別できずにいて、勇気が参加している現実を見たくなにのに、確認せずにいられなかったのだろうか?
宗明は中堅、相手は大将だった。
「もうここまできとるんかい?!あんまり試合見られへんわ。」
大山田は少し残念そうだ。
そして中堅は何分か、お互い組み合いあって、技の応酬を受けた後、相手の隙をついてキレイな背負投をきめて、あっさり倒したのだ。
「宗明の中堅、俺が以前闘ったときよりも数段強くなっとるな。」
大山田の素直な感想だった。
「前は俺の方が強いって確信あったけど、今なら分からん。」
それを聞いていた皆も、それは分かっていた。皆は前の試合ではマグレで勝てたようなものである。勝利を手放しで喜べるほどの力も技術があったものでは無かったのだ。
「まあ中堅だろ?俺とあたる可能性が高いってことか?今度は前みたいに易々と負ける気は無いけどな。」
そう達也が言った。皆もうなずく。
「そう、決して勝てない相手ではないよ、大山田!」
井上が言った。
「そんなん、俺もそのつもりや!アイツらが俺達の目標で、俺達は必ず勝つ!」
「おう!」
皆、声を揃えて言った。
そして宗明と相手チームが礼をして、宗明学園側は記者団に取り囲まれる。特に勇気が注目の的になっていた。そして、記者団の一人が勇気にインタビューする。
「初戦突破、おめでとうございます。相手は去年のベスト4でしたが、難なく勝てましたね。」
「・・・・・はい。」
勇気はどうやら煩わしい奴等は嫌いらしい。柔道誌でも、勇気の存在は大きく取り上げられていた。去年、突如現れる新星と書きただされていた。去年はインターハイ優勝はならなかったものの、勇気の力を世に知らしめた大会だったのだ。
「今年の目標はなんですか?やはり全国優勝ですか?」
矢継ぎ早に記者団は勇気にインタビューを続ける。しかしその質問には勇気はハッキリ答えた。
「もちろんです。皆、そのつもりでこの夏まで必死に練習をしてきました。」
「なるほど。」
記者団は一同にメモをとる。
「県大会における、最大のライバルはどこのチームですか?」
しかし、その質問の答えに記者団は固まった。
「四谷坂学園です。」
「?」
記者団全員に沈黙が広がる。全く情報が無い学校に、皆、耳を疑ったのだろう。
「おい!四谷坂学園ってどこだ?!」
記者団の中でざわつき始めて、そして伝達役に調べにいかせる。
「初出場の学校です。創部まもない学校。」
そう調べて戻ってきた記者が言った。その事実に余計驚いたのだろう。
「今年、初出場のチームですよ。それが今年のライバル・・・・・。」
それ以上、その記者は言葉がでなかった。
「そうです。信じられないかもしれませんが、四谷坂学園は練習試合でうちに勝ってます。」
それに記者団は驚く。
「とんでもないダークホースがいたもんだな・・・・・・。」
それを聞いて、その中の誰かが言っていた。
宗明学園の部員は皆、顔を見合わせて頷いて、勇気は言った。
「必ず決勝であたることになるでしょう。では・・・・。」
そう言い残して、宗明学園柔道部は帰っていく。
勇気は俺達を発見し、そして優利もいることに確認したようだ。そのまま、顔の向きを戻して行っていってしまった。
「・・・・・・。」
「ああ、言ってるで、向こうさん。」
大山田は少し困った顔をした。優利はしばらく硬直していたが、大山田の言葉に反応をしめした。
「今年は優勝するんでしょ?!いいじゃない、相手が宗明になろと、優勝するんだから全チーム勝たなければならないんだから。」
優利はなんだか少し無理をしているように思えた。
「それもそうか!」
大山田は気持ちを切り替えた。そして俺達はその場から立ち去ろうとすると、ある女性記者が俺達を発見し、声をかけてきた。
「あなた達、さっき言われてた四谷坂学園でしょ?!」
「・・・・・・。」
皆、無視した。ここで注目を浴びることは皆嫌がっているようだ。
「ちょっと待って、少しだけ、さっき言った学校がここにいることは誰にも言わないから、ね!」
そう言って、俺達の行手を阻む。俺達もその態度に折れて
「何ですか?」
と聞いた。
「そうね、皆、このチームの強さ全く分かってないみたいだけど、ベスト8の清堂学園を中堅までで倒しているのよね。強いチームだと私は思うな。」
この女の人は俺達の試合をどうやら見ていたようだ。
「それで監督さん。さっき宣告されたとおり、やっぱりライバルは宗明学園ですか?」
小野先生に言ったのだろうか、どうやら違うようだ。優利に質問をしているようだった。この女の人は優利が監督であることに気付いている。優利はその質問に答えるのに時間がかかった。そしてしばらくして言った。
「決勝戦がどこのチームであろうが、私達はインターハイ出場を目標にやってます。だから、宗明学園をライバルだと特別意識はしていません。」
そう優利は言い放った。
「そう。うん。このチーム、私は注目するわね。本当に強いみたいだから、決勝楽しみにしてるわ。頑張って!」
そう言うと、その女の人は取材のために、またどこかのチームを見に行くため、どこかに行ってしまった。
ずっと腕組みをして黙っていた小野先生が言った。
「次の試合は明日だな。連戦になる日もあるんだな。」
「そうですね、明日は連戦です。」
達也は小野先生に言った。
「それなら、今日の疲れを癒して早く休まなきゃだな?!」
「そうですね。でも僕、練習したいです。」
そう山田が言った。
それを聞くと優利は少し考えた。
「気持ちは分かるけど、これから毎日試合だから、疲れを次の日に持ち越すのはよくないのよ。」
そう優利が言った。
「うん。そうだね。僕も本当は練習したいけど。」
と井上が言うと、それを聞いて大山田は言った。
「大丈夫や!皆、もっと強くって思ってるみたいやけど、お前らは十分強い!」
それを聞くと、皆顔を見合わせた。
「そうだね。」
井上の返答には自信がのっていた。
「明日からも勝ち進んでいくぞ!」
「おう!」
その後、俺達は連日の試合をまさに破竹の勢いのごとく勝ち上がった。自信をつけた井上や山田は健闘し、この二人が苦戦しているときは、達也がなぎ倒していくがごとく、何人も一人で勝ち進め、達也が負けてしまったときは、大山田がきっちり勝っていた。そういう意味で大将の俺が闘うことは今まで無かった。そして、準決勝まで勝ち上がっていったのだ。
俺は準決勝が始まる前、ロビーでトーナメント表を一人で見ていた。トーナメント表は俺達の学校、そして俺達が次闘う、去年のベスト4の学校、そして宗明と、あと見たことも聞いたことも無い学校がベスト4に残っていた。
「よう!」
後ろから声がかかる。その声の主はすぐ分かった。俺は振り返る。勇気が立っていた。
「・・・・・・。」
俺は無言でいると、勇気は話しかけてくる。
「いよいよだな。お前の学校との勝負、そしてお前との勝負。」
「・・・・うん。」
俺は少し、返答が遅れてしまう。それを見て勇気は指を首の後ろで組んで、言った。
「俺は、さぁ、もちろん次の試合で勝たせてもらうけど、お前の学校はそうはいかないんだよな。」
俺はそんなことを言われたので少しイラッとくる。
「勝つよ!絶対、うちのチームは強い。」
そう言いきった。それを聞くと勇気は目を細めて言う。
「ほんとだな?!」
「絶対勝つ!」
「その言葉信じてるぜ。勝てよ、俺は全国に行っても、お前と闘わなければ意味が無い・・・・・。」
その言葉に俺も次の試合での重みを再認識させられる。そうだ、勝たなければ、勇気には届かない。俺はこのために闘ってきたんだ。そう思わされた。そして俺は答えた。
「おう!」
「まあ余談なんだが、うちの次の相手なんだが、お前のチームと当たらなくて良かったかも知れないな。」
「?」
あまり良く分からないことを言って、勇気は去っていた。
俺は再び、会場の部屋に行き扉を開ける。準決勝は同時に闘う。俺は自分のチームが集まっている畳の前を見た。そして会場全体を見渡す。
俺は身の毛がよだつ思いをした。記憶、記憶の底で、そいつを思い出し、そして体が反応する。
・・・・・何故こいつがここにいるんだ・・・・・・・・
そいつは記者のインタビューを受けていた。
「世間では天才、新星の斎藤選手のライバル現ると話題をよんでいますが、斎藤選手はやはり注目していますか?」
そいつは少し鼻で笑った。
「フッ、注目?!そんな程度じゃありませんよ。僕はそいつを叩きのめすために、ここまで上がってきました。そして、ついにその時が来た・・・・・。」
穏やかじゃない発言に記者も慌てる。
「斎藤選手とはお知り合いで?!」
「知り合いどころじゃないです。これは因縁の対決ですね。まぁ、楽しみにしといてください。あの斎藤勇気が倒される瞬間を。」
そう言って、取材陣から離れて、自分のチームに戻る。その男、185センチ程のすごい長身、頭は丸めているが、ピアスの開けた跡が左耳に二か所残っている。声を聞いても間違いない、俺達が今年の5月の始めに起こった惨劇を再び思い起こす。俊介である。あの、俺達を心身ともにボロボロにさせられた、イジメをした張本人、俊介がこの会場にいたのである。
俺は警戒しつつ、自分たちのチームの試合場の前に行く、どうやら準決勝の相手ではなく、勇気たちの相手であるらしい。しかし、視線を感じて気付いたのだろう。
突然下品な声で笑い出した。
「ハハハ、これは傑作だ。あの、あの、弱虫どもが柔道始めたのかよ?!そして、もしかしたら決勝あたるかもだと?!」
「コラ!ちょっと黙れ。」
そうその学校の先輩らしい人が言う。
「ハハハ、いや、あまりにも面白かったもんで、でもアンタらそんな口きいていいの?誰のお陰でここまで弱小校が勝ち上がってこれたと思ってんの?立場わきまえなよ。」
こんな派手な様子を見せつけられたら、そこにいる全員、心穏やかじゃない。しかし、そこの学校の先輩は俊介に何も言えなかった。
大山田はその光景を見て話す。
「アイツで間違いないな。対戦表にも矢野俊介って書いてある。アイツ宗明を転校して、柔道部入ったんか?!」
「・・・・・・。」
皆、あの時の嫌な思いを思い起こすことになり、無言になる。
「・・・・・。心配すんな、アイツは確かにお前らに酷いことした許されるべき奴やない、それにベスト4まで来たことを裏付けると強いのかもしれん。でもな、お前達も強い!」
大山田は俺達にそう言い放った。
「それにやな、決勝、あんな奴のチームが上がってくる訳ないやろ?宗明は絶対に勝つ。そんなやわなチームやないんや!だから今はそういう確信を持って、目の前の敵を倒すんや!」
大山田の言葉に俺達は気を取り戻すことが出来た。そうだ、俺達も強い。そして宗明学園も強い。あんなクソ野郎に負ける訳が無い。俺達は信じることにした。
しかし、アイツを見て心配しているのは優利だった。優利はやはり勇気のことをまだ気にかけている。確かに酷いことは言われた。そして自分を追い詰めて、学校も休んでいた。しかし今も元気に振る舞っているが、心の奥底にはずっと勇気がいるのだ。ほんとは勇気に今すぐにでも病院に行ってもらいたい、その気持ち嘘はつけないだろう。そして、対戦相手である。俊介、アイツともし勇気が闘うことがあるならば、それが不安に感じずにはいられないのだ。しかし、優利はまた元気よく振る舞った。
「そうね、まずは準決勝の相手、集中よ。去年のベスト4なんだから簡単に勝てる訳が無い。でも、皆、きっと勝てるよ!」
俺達は優利の気持ちには気付いていたので、その優利をもっと不安にさせないためにも、いつもより元気よく、そして拳を突き上げた。
「エイエイオー!」
その効果は良かったようだ。優利に笑顔が本当の意味で戻った気がする。
「整列!」
審判の掛け声がかかる。もう試合は始まる。俺達は一致団結して準決勝の相手と相対する。
「礼。」
そして、礼をして場外に出た。
「井上君、準備はいい?」
優利が井上に聞いた。井上はまっすぐ対戦校を睨みつけ、腰を据えている。
「任せて。」
その声になんだか、安心して見てられるような気にさせられていた。
そして掛け声がかかる。
「四谷坂学園、先鋒、秋霖高校、先鋒、前へ。」
「礼、始め。」
試合が始まる。試合が始まった直後、掛け声がかかる。
「相手、大内と小内と背負投しかないぞ!」
この掛け声は俺達も驚いた。研究されている。当たり前だが、うちの部は準決勝まで来ている時点でもうベスト4なのだ。今までの試合で研究されない訳がない。この手の内がばれているのは大きなディスアドバンテージだ。もう支釣込足、出足払い、いかなる技もフェイクで決め技でないことがばれている。俺は焦った。そして優利や大山田を見る。二人とも動揺が全く見られない。状況が呑み込めていないのか?俺は心配になった。そんな様子を見た大山田は言った。
「お前、今更、こんなことに気付いたんか?そんなこと前の試合から、相手にバレとるで。」
俺は大山田にそう言われてハッとする。
「そう、もうここまで勝ち上がってるんだから、バレてて当然なのよ。それでも、昨日、井上君は勝ってきた。井上君にはそのディスアドバンテージを覆す力を持っているのよ。」
そう二人は断言した。と言っても、俺は心配のままだった。しかし当の本人、井上は全く物怖じした様子は無い。軽いフットワークでいつものように様子を伺っている。相手の選手は俺と同じような身長、体重、両者とも井上にとって大したことでは無い。むしろもっと大きい相手をこれまで倒してきている。問題は技が三択しか相手には無いとバレていることだろう。しかしこの三択だけでも、相手を揺さぶることは大いに可能だ。基本的に大内刈と小内刈は相手を後ろに崩す技、そして背負投は相手の前に崩して投げる技である。掴み合ったとき、前後に揺さぶることで、相手にどの技が来るか考えさせることが可能になる。しかし、後ろに崩したときは大内刈、小内刈、どっちが来るか、考えさせることができるが、前に崩したときは相手は100%背負投であることがバレてしまう。背負投を決め技にすることは避けたいと思わされた。しかしそんな俺の心配をよそに、井上は掴みあった瞬間、小内刈をしかけ、相手が左足を下げて耐えたら、すぐに背負投のモーションに入った。
相手は当然読んでいたので、腰を落として自護体になり防ぐ、そして潰れた背負投からの寝技にいこうと思った瞬間、相手は一瞬ためらった。すぐさま四つん這いになり完璧に腋をしめ顎を引いている井上に何もしなかったのだ。これはどうしてか?恐らくデーターが頭に浮かんだからだろう、寝技が相当上手いと。このまま、お互い寝技勝負になったら、データー通りだと負けるかもしれないと思ったのかもしれない。事実、初戦の一回を除いて、井上は寝技で負けたことは無い。それでも、背負投で潰れたらすぐに寝技に移行した方がいいだろう。しかし、それができない。データーはある意味、逆手にとれば武器になる。こんなことで縛られていたら勝てる試合も勝てなくなってしまう。だから、うちの監督は何も試合前に言わないのかもしれない。
相手は何もせず、ただ、その状態の井上を放置し、そして待てがかかり、再び立ち上がらせてしまった。
そして、お互い技のせめぎ合いが続く、井上はディフェンスは申し分ない。簡単には投げられない。相手は倒せないから怖気づいたかもしれない。もし技が潰れて、寝技に持ち込まれれば、負ける。そんなことをずっと考えていたのかもしれない。そんなときに井上は大内刈りをしかける。後ろに揺さぶっているときに右足を相手の股の間に入れ、そして左足を刈った。すぐさま抑込にかかる。倒れていく相手を袈裟固で完全に抑え込み、25秒が経過した。審判は腕を真上にあげる。一本勝ちである。
井上は対戦相手と礼をして戻ってくる。
「ようやったな。」
大山田は井上を讃えた。
「もう、試合慣れしてきたからね、手の内バレててもなんとも思わないよ。」
「去年のベスト4の実力はどうなんだ?」
そう達也が聞いた。
「あれは明らかに向こうの作戦ミスだね。あんまりいい試合したって感触ないよ。でも、次は恐らく変えてくる。それを覚悟の上で闘わなきゃ。」
井上はいつの間にこんなにたくましくなったのだろう。もう発言は一昔前とは違っている。立派な柔道家である。
「・・・・・それはそうやな。ふんどし締め直していってこい!」
「うん。」
そして審判が声をかける。
「四谷坂学園、先鋒、秋霖高校、次鋒、前へ。」
「礼、始め。」
相手の選手は165センチ程度、そんなに大きくない。この闘いは体格差が無いため、間違いなく技術戦だろう。そう思わされた。しかし、そう思わされたのも束の間、相手はもの凄く速かったのだ。スピードでいうと勇気並と言っても過言ではないと思わされた。井上はビックリする。すぐ掴まれて、両手を使って前に崩し、右足前回りさばきで背負投である。井上は遅れた反応で、後ろに腰を落とすことで耐えた。そして得意な寝技に移ろうとして、四つん這いになった相手の腕をすくおうとしている。腋は瞬時に締め、そして顎を引く、井上は腕を掬えないなら、横に転がそうと必死になっている。
「待て。」
審判がとめる。そして立ち上がらせる。相手は井上に小さな声で言った。
「遅ぇよ。」
こういう相手を挑発するような行為は指導をとられるかもしれない。しかし、相手は平然とそう言った。よほど自信があるのだろう。理想的な軽量級の選手、フットワークが抜群に速く、俊敏性がある。さっきの相手とは違って、俺にはお前を倒すのに何の策もいらねーよっと言わんばかりの態度だ。間違いなく相手は超一流の選手だ。強豪校にふさわしい選手をここにきてそれが謙虚に表われる。井上は悔しかっただろう。自分がスピードについていけず防御に徹したことばかりでなく、得意な寝技もいとも簡単に防がれてしまった。しかし、ここにきても井上は決して諦めなかった。各上、当たり前だ。これは準決勝なんだと。
距離をとるため、井上はフットワークを使う。そしたら相手は
「だから、遅ぇって。」
そう言って、すぐ距離を縮め、掴んだ。井上はもうスピードに驚かない。いくら相手が速かろうが、技がきまらなければ意味が無い。ディフェンスには自信があったのだろう。何度かこらえる。しかし、相手は激しく前後に揺さぶる。そして内股をかけてきた。井上は足をとっさに開いて、腰を落としながら釣手を体に回して相手の腰を抱くことで耐えた。このディフェンスの技術は相四つのとき、払腰などの投げ技に対して使うディフェンスの技術である。練習ではこの動きを実践していたが、試合では初めて見せる技術だった。俺は驚いたが、向こうはそんな時間も与えない。
「思ったより、やるじゃん。」
そう言って、すぐ体勢を戻して、お互い掴み合った瞬間に、大外刈、自護体になっていたため、後ろに体重が残っていると思ってのことだろう。左足裏で井上の右足裏を刈ろうとした。井上は瞬時に反応し、腰を落とし、足を開いた。自護体に再びなることにより、より体の重心をより安定させたのだ。これではよほど体重差が無いと相手は倒せない。
「・・・・・君、ディフェンスだけは一流だね。」
とうとう審判も痺れをきらして、「口を慎むように。」と言って指導をとる。
「はいはい。じゃあ、普通に勝ちますか?!」
本当に指導をなんとも思っていない、よくしゃべる奴である。
試合を黙って見ていた大山田が言った。
「アイツ、恐らく一年や。多分、実力順で順番決まってないで。」
俺は大山田の発言を不思議に思い、聞いてみた。
「というと?」
「名門校によーあるんやけど、一年はレギュラーに入れても、実力で強い順番にいかさんのや。アイツは恐らく、他の奴らと比べて、頭一個でとるんかもしれん。少なくとも、前の先鋒よりかはな。あの無鉄砲で自己中心的な言動は怖いもん知らずなんや、負けても自分は来年も再来年もある。それに自分の実力も自分で認めとる。せやさかい、あんな態度がとれるんや。あれは秋霖さん手焼いとるできっと。」
俺はそれを聞くと妙に納得した。確かにどのチームの選手もプレッシャーを持って闘っていた。負けるとここで終わるというプレッシャーを持っている。しかし、目の前の相手はただ勝負を楽しんでいるようにしか見えない。そこには背負っているものが無いのだ。
井上は必死にくらいついていった。相手のスピードにようやくついていって、頑張っている。しかし、相手に一矢報いたかったのだろう。勝ちたい、その思いから大内刈をしかけた。ディフェンス一辺倒だった、井上の唯一の攻撃だった。相手を後ろに崩す動きをして、右足を股の間に入れて相手の左足を刈ろうとした。相手はすぐに右足を引いて刈られそうになった左足を払いあげながら、両手を左にハンドルを切るようにして畳に叩きつけた。大内返である。腕が上がった。試合時間は3分55秒。
「・・・・・・。」
「そこまで。」
「礼。」
井上は帰ってきた。
「・・・・・・。」
しかし何も言わなかった。というより言えなかった。涙をこらえるのに必死だったのだろう。しかし、井上は泣かなかった。
「次、次は絶対に負けないから。」
井上は拳を握りしめていた。くやしかったのだろう。実力で敵わなかったことよりも、自分がコケにされたことが。
「大丈夫や、井上、敵はとったる。」
大山田はもし自分が次、アイツと闘えるなら、あの高い鼻をへし折ってやるっという気持ちが出ていた。それを聞いて井上は言った。
「後をお願いします。」
俺達は言った。
「おう!任せとけ!」
次に闘う山田はゴクリと唾液を飲み込む。さっきの試合を見て、井上が手も足も出なかった。そして自分より各上だと闘う前から実感させられているためかもしれない。しかし、井上のためにも勝たなければ、そう自分を追い詰めてくるのか、とても緊張している。
「・・・・・・。」
そんな姿を見て大山田は言った。
「お前、相手に自分ではどうやっても勝たれへんとか思ってへんよな?」
山田は大山田を見る。どうやら図星のようだ。その様子を見てお大山田は頭を掻いた。
「そーやなぁ、今の実力で見たら、お前より向こうの方が分があるかな。俺なら100%勝つ自信あるんやけど、そういう訳にいかん、次鋒が副将と当たる意味分かるよな?」
山田はコクリとうなずく。
「ちょっと山田君にプレッシャーかけないで。」
そう優利は焦って言う。
「こんなん、何も言わんでもガチガチやんけ。」
「でも!」
大山田は優利の言葉を遮って言う。
「ただな、これだけは言うといたるわ、柔道のセンスだけで言ったら、向こうより、お前の方がある。」
「はい?」
山田は思いもしなかったことを言われたようだ。
「確実に勝ってこいとはこの際言わん、向こうが向こうやからな。でもな、俺は相手がもしも、こんな態度でなめてかかってくるなら、勝機は十二分にあると読んどる。それだけや。」
「・・・・・・柔道のセンスが上。」
その言葉が山田の闘う姿勢を変えてくれてようだ。そして言った。
「僕の方が才能があるかは分かりませんが、はい。頑張って来ます。」
「おう。期待してるで。」
その後、すぐに審判に呼ばれた。
「四谷坂学園、次鋒、秋霖高校、次鋒、前へ。」
山田は開始線まで歩いていく。
大山田と達也が話している。
「山田にもしものことがあれば、次はお前や。勝てそうか?」
「あれだけスピードがあればな、ちょっとは考えものだけど、スピード以外は負けてないと思う。なんとか食い止めるよ。それよりも、もしもってことは山田が勝つ方が確率高いって思ってるのか?」
「当たり前や。そう信じたいって気持ちもあるけど、アイツは勝ってくるやろ。」
「意外性ナンバーワンだもんな。」
「それを裏返せば、才能と伸びしろが大きいってことに本人は気付いてないんや。」
「礼、始め。」
試合が始まった。
山田は相手を様子見なんてしなかった。試合直後に飛び掛かった。しかし組手争いなんてものは、この対戦相手において存在しない、掴まれる。相手は特に前にも後ろにも揺さぶることなく、そのまま内股をしかける。しかし、その流れるような一連の動きは見事で、両手を上手く使って前に崩し、右足を股の間に入れ、内腿を払い上がるように投げる動きに入った。しかし山田はどうやら反応できたようで、足を股に挟み込んで、腰を落とす。山田の十八番だ。相手は少し笑って、すぐ足を抜いて攻撃の手を一瞬休む。
「前の選手と同じだね、防御で精一杯かい?」
しかし、山田はそんなことは最後まで聞く気などなかった。相手を驚かしたかったのだろう。山田は相手の視界から一瞬消えた。引手を強く引っ張り、相手の右足に左足をかけながら畳の下に座り込むように体を落下させた。浮き技である。これには相手も驚く、いきなり組んだ状態から浮き技をかけてこられた。しかし、相手はこらえた。そして山田が前に座り込んでいる、絶好の寝技をかける機会を自ら逃して、高笑いを始めた。
「ハハハ、面白いよ。面白いよ。君。」
「おい、ちゃんとしろ!」
秋霖高校側が叱るように言った。
「はいはい。あー面白い。君、何してくるか分かんないよ。君、寝技の方が苦手なんでしょ?もう立ち技オンリーでいこうよ。いい試合になりそう。」
審判も勝手にしゃべりだす相手にあきれ返っている。一応指導をとった。
山田はゆっくり立ち上がった。相手の言い分にのったのか、それともこの相手は絶対に立ち上がるまで攻撃なんてしないだろうと確信を持ったのか分からないが。
「これはチャンスやな、相手、自分が絶対に負けることないって決めつけとる。うちの山田なめとったら痛い目に絶対合う。」
「そうだね。」
井上は頷いた。
その後、立ち技の応酬、つまり投技の応酬だった。小外刈、出足払、支釣込足、内股、様々な技をお互い掛け合っている。しかし、終始、相手は楽しそうだ。まるで自分の手のひらの上で転がしているかのように闘っている。山田は完全に技にはまってはいないが何回か体勢を崩し畳の上に体が着いた。効果、有効を一づつとられた。しかし、相手は山田が倒れているのに、寝技をかけようともしない。立ち上がるのをゆっくり待っていた。相手陣営も、もう何も言わない。言っても無駄。そしてもう点数稼いでるんだから、時間が経てば勝手に勝ってくるだろうという気の緩みだった。しかし、その機の緩みが秋霖高校全体、そして相手にとって最大の墓穴を掘ることになる。
相手は楽しみながら背負投をした。これは相手は初戦で見せた、抱分を見せてみろと言わんばかりの中途半端な背負投、本気で投げる気なんて無い。しかし、山田はそんなことをする気は無かった。潰れた背負投からオーソドックスにすぐさま寝技に移行する。相手は焦った。約束が違うじゃないかと。相手の釣手(右腕)を抱えて相手の右方向に体を流し、足で相手の下腹部と後頭部を押さえつけながら、反時計回りに相手をしっかり抱えたまま横転した。仰向けにした相手を完全に腕ひしぎ十字固をかけている。
「そこまで。」
腕を垂直にあげ、審判は山田の勝ちを言い渡した。
相手は凄く憎らしい目で山田を見た。そして両襟を持ってくってかかる。
「お前、約束と違うじゃないか?」
「は?」
「俺は、お前が倒れているのを見過ごして寝技をかけなかったんだ。そういう取り決めだろ?そんなせこい勝ち方して嬉しいのかよ!」
「・・・・・・。」
「僕はそんな約束、最初からしてない。君が勝手にそう決めたルールでやってただけ。君は確かに強いかもしれないよ、全然、歯が立たなかった。でも、その自己中心的な姿勢から君は一番このチームで足引っ張ってるよ。」
「何!?」
「仲間を見て見ろよ、君の勝利を喜ぶ人も敗北を悲しむ人もいない。そんな君は来年も僕には勝てないよ。」
そいつは言われたとおり、仲間を見ていた。誰も山田の言うことに反論する姿勢どころか、次の対戦する選手にアドバイスして、準備している。
「孤立してるんだよ。君。」
「くっそう・・・・。」
相手は掴んでいた両襟の手の力が一気に力を抜いて手をぶら下げた。
山田は戻ってきた。
「ようやったで!」
皆、嬉しさを隠すことができない。
「辛勝でしたけどね。」
「まぁね、でも敵に塩送り過ぎやで、来年闘うかもしれんのに。」
大山田はさっき山田が相手に忠告したことを言った。
「いや、やっぱりチームの力も持ってもらって闘ってみたいんですよ。彼は一人相撲とってましたから。だから来年も彼の本当の力で闘ってみたいんです。」
それを聞いて優利が言った。
「そうね、でもそれに彼が気付いたら、もっと強くなるわよ。勝てるの?」
「来年は彼より強くなってみせます。」
山田は少し誇らしげに言った。
「そうね、山田君なら、彼よりきっと強くなれるわ。」
「ほんでやな、次、中堅か、あんな強敵は出てこんと思うけど、甘くみんなよ。」
それはこの試合が強いものの順番でないことを意図して言ったのだろう。しかし、それは山田も分かっていたようだ。
「はい。頑張って来ます。」
審判の声がかかる。
「四谷坂学園、次鋒、秋霖高校、中堅、前へ。」
山田は開始線まで歩いた。相手は身長は俺ぐらい、体重は大山田より少し軽い程度の体格だった。
「礼、始め。」
試合が始まる。相手はどうやら左利きのようだ。山田は右利きなのでケンカ四つになる。フットワークを使って、相手との距離を取る。向こうの動きを見る限り、速くはないようだ。でも重量級まではいかないが、結構大きな選手である。山田から先にしかける。釣手を先にとりにいって圧力をかけ、そして引手をとりにいく。もう何度もケンカ四つの闘いは経験しているため、特に苦手意識はないのだが、基本通り動いていた。お互い掴み合ったら、相手は左足前回りさばきをして大腰をしかけてきた。釣手を離し、山田の腰に手をまわしながら前方に放り投げようとした。しかし、山田は耐えた。体重差がある相手の大腰に耐えれた理由としては、後ろに体重を乗せ、自護体に近い形になっていたからである。山田は相手が前かがみになって引手をもっている状態から引手を引いて抜き取り、相手の腰を下腹部で押し当てて倒れさせた。相手は四つん這いになる。山田は寝技で勝負する気だ。さっきの試合も寝技で勝負をかけた。山田は寝技が得意では無いという短所を克服し、そしてそれで勝つことにより、自信をつけたいという意図がみられた。なぜならばこの場合、わざわざ苦手な寝技で勝負をつける必要性がなかったのだ。相手が組みなおすのを待てばいい、そして隙を見計らえれば、そのまま投技をかけることも可能だ。それをせず、この行動に出たのはおそらくそういう意味だろう。
四つん這いの状態で、山田は覆いかぶさり、腕をすくおうとした。しかし相手は腋を絞めそして顎も引いている。山田は右手で奥襟を持って、そして左手を腋にさしこんで跨って相手を横に転がそうとした。しかし、体重差があるため、簡単には動いてくれない。
そのまま膠着した状態で時間が経ち、そして待てがかかり、立たされた。
再び、組合いから始まる。今度は山田が相手に内股をしかようとした。ケンカ四つのため相手との距離が近い状態からさらに距離を縮め、そして腰を90度回転させて右足を相手の股の間にいれようとして払いあげようとした。しかし向こうは左足を動かして即座にギリギリすかして股の間に山田の足は入らなかった。そして、大きく前傾姿勢になった山田は体を支えていた左足の前に左足を出されて釣手を前に押しだすように前に引きつけそのまま前に放り出された。内股すかしである。
俺達は焦って、審判を見る。肩まで上がっている。技ありである。しかし、俺達は焦らなかった。時間は十分にある。山田なら覆すことは可能だろう。皆、山田を信じていた。さっきの次鋒は爪を噛みながら言っていた。
「あんな単純な内股すかしをくらうなんて、とんだ期待外れだぜ。」
一体、さっきの次鋒はどっちを応援しているのだろう。俺達はそんな疑問を抱いたが、無視することにした。
山田はすぐに立ち上がった。しかし焦りはない。こういう逆境こそ山田は強い。山田はまた次も内股をしかける。さっきカウンターをくらったばかりなのに、大した度胸である。しかし、山田は二度も同じ技で倒される男では無い。山田は相手の左足を右足で払いあげながら抱えていた。しかし、相手は倒されていない。山田は即座に右足を畳に着地させ、まだ相手の左足が畳に着地させていなかった状態、つまり現段階では一本の右足で体を支えている相手のその右足を左足で払いあげることで、バランスを失わせて、上体を左に捻りながら畳の上に落下させた。内股からの払釣込足の連絡である。
「・・・・・・・。」
審判を俺達は見る。手が真上に上がっている。一本である。
山田は礼をして、戻ってきた。
「ようやったな、山田。」
「いえいえ、でも最初の内股すかし、一本とられてもおかしくなかった。反省する点は多いですね。」
「そうやな。相手も見事な内股すかしやった、やっぱり平均的に向こうの方が分があるのかもしれん。でも内股のカウンターくらった後に、内股をしかける。なかなかできたもんじゃないで、本当に本番に強いな。」
大山田は山田の勝負強さに感心している。
「次は副将ね。」
優利が言った。
「俺の勘やが、恐らく、去年のベスト4だけあって、今まで強さの順番はバラバラやったが、副将、大将は本当に強い奴がやっとると思う。」
山田はゴクリと唾を飲み込む。
「そうですね、でも勝ってきます。気持ちで負けてたら絶対勝てませんから。」
「そうだな。」
達也も頷く。
審判が呼ぶ
「四谷坂学園、次鋒、秋霖高校、副将、前へ。」
「行ってきます。」
そう言って、開始線まで歩いていく。
「礼、始め。」
相手は中量級の選手、身長、体格は達也や俺と同じぐらいだ。山田にとって、体格だけ見れば、そんなに不利な相手では無い。しかし相手はチームに信頼を持たれているようだ。皆応援しているし、そして何より、その背中には大きいものを背負っている風格が表われていた。おそらく3年生、そして強いだろう。
お互い、場内をフットワークを使いながら回っている。スピードは両者とも差は見られない。山田より体が大きいので当たり前のことだが、普通、体が大きい方がそれに反比例して動きは遅くなる。しかし、相手は山田と互角のスピードをもっていることを見受けられると、それは、かなりこのクラスの中では身軽なことを意味していた。
組手争いが始まる。しばらく掴み合って離しあった後、お互い道着を掴み合った。先に山田がしかける。前後に揺さぶり様子を両者ともうかがっていて、前に体重がのったと思われたときに、相手側に時計回りに回りながら、左足を相手の右足首あたりを当てる。左支釣込足である。相手は足を開いてこらえた。そしていったん、右足を左足後方につかせて前かがみになった瞬間、一気に大外刈へ移行しようとした。しかし、相手は分かっていたのか、その大外刈をするために飛び出してきて大きく左足を踏み出そうとしてくる山田に、右足をその山田の左足首をかけた、山田は大きくバランスを崩して、そして相手は両手を上手くつかって、山田を背中がつくようにきっちり落としたのだ。
審判を俺達は見る。腕が垂直に上がっている。一本。
なんと、あの山田が開始してほんの数秒の間にあっさり倒されてしまったのだ。
これは山田はすごく悔しそうだ。
「そこまで、礼。」
山田が帰ってくる。
「悔しいか?」
「はい、何よりもこんなにも時間をかけられず、あっさり投げられてしまったことがやりきれなくて。」
「そうだな。まだまだ力出しきってないのに負けたのは、やりきれないよな。」
あの試合を見て達也は思っていたことを言った。
「はい。」
「でも、どうや、実力的に向こうの方が強いって思ったか?」
大山田は山田に聞いた。
「はい。正直、何で投げ飛ばされるに至ったかよく分かりませんが、スピード、力、そんなもの、身体能力的な強さは見受けられませんでしたが、なんかつかみどころが無い相手だったというか・・・・・。」
「・・・・・・相手、反射神経と判断能力めちゃくちゃええんや。」
大山田はぼそりと言った。
「えっ・・・・・。」
皆、大山田の言葉に驚いた。
「そうね、あの時点で大外刈が来るって100%読んでないと不可能な一連の動きよ。別に体勢整えて、背負投に連絡してもいいんだから。」
そう優利が言った。
「恐らく、踏み出した後、反応した。それに、かけられる前から十中八九、大外やろうなと読んでいるからできたことやと思う。経験からくる勝負勘と瞬時に判断する力、それに加えて反射神経の良さ。ただ、あっさり勝負がついた風に思えるけど、相手は確実に投げれる確信をもって動いてたんやと思うわ。」
「・・・・・・。」
皆、黙り込んだ、ここの次鋒は圧倒的な身体能力で翻弄していたが、いま相対する副将は経験からそして、表からは見えない、隠れた力を有しいる。この相手に対して打つ手はあるのか、皆考えさせられたのだろう。それも、次に闘う達也は特に。
「達也、いけそうか?」
大山田が言った。
「そんな話聞かない方がよかったかもな。でもな、勝つことを信じないと勝てるものも勝てないよ。それは次鋒戦、山田が証明したことでもあるしな。」
そう言い切った。負ける気は無いようだ。
「そうや行ってこい。お前は地味やが強い。それは信じてる。」
「うるさいな!」
「ハハハ。」
「まぁ頑張ってくるよ。」
審判の掛け声がかかる。
「四谷坂学園、中堅、秋霖高校、副将、前へ。」
達也は開始線まで歩いた。
「礼、始め。」
達也は言われたことを気にかけているように思えた。反射神経と判断能力、俺達、柔道を始めたばかりのものにとって、一番欠落しているもの、それは経験である。反射神経はある種、身体能力の一つととっていいが、判断能力は間違いなく経験から裏打ちされるものである。それが劣っている自分が勝てるのか?おそらくそんなことを考えているのだろう。
だから、フットワークを使って、相手の出方を注意深く見ている。慎重になり過ぎてしまっているのだ。しかしこんなことでは積極性に欠けるということで指導をとられる。そして掴み合わなければそれも分からない。達也は思い切って距離を縮める。そして掴み合う。スピード、力はそんなに大差ないように思えた。組手争いの後、同時に掴みあう。しかし、これからである。相手の真価が発揮させられるのは。
しかし、達也は考えることを止めたようだ。あれこれ考えても仕方が無い。内股をうちにいく、両手を使って、前に崩すようにして右足を相手の股の間にいれ、払いあげる。相手はその内股を足ではさんで、腰を落とし自護体になる。内股は不発に終わった。問題はその後である。達也がそのまま体勢を立て直そうとして、前に向いた瞬間、後ろに少し体重をのせた。しかし、相手と向かい合った瞬間、腰を振ることで達也の右真横につき、達也の右足ををすかさず左足で刈ろうとした。大外刈である。達也はとっさに股を開いて、自護体になることでその攻撃を阻止した。タラタラ汗がしたたり落ちている。達也は恐らく思っている。こういうことか・・・・・・と。この一連の動きは何も特別なことでは無い。しかし、相手に自分がどう体重をかけ、そして次にどう動くか完全に見抜かれている感触を持っただろう。柔道が強くなること、それは何も身体能力の強化が直接つながることだけでは無い。確かに、スピード、力、それらは武器にはなり得る。しかし、相手の意表をつくことや駆け引き強さが実は重要なのである。相手の体のバランスを崩すことを前提に柔道の立技すべてが体系化されている。それは、上手く相手を崩すことが可能ならば、どんなに前者が優れていても勝つことは可能であることの証明にもなり得るのだ。
しかし、それが自分と相手の差だと体感しても、勝たなければならない。達也は掴み合った状態から大内刈をしかける。この選択は正しいのかもしれない、大内刈からの連絡は後ろに崩す技の大外刈や、前に崩す技の背負投や内股、両者とも持ち合わせている。これは相手にどう連絡してくるか?考えさせることが可能である。達也は右足を股の間にいれ相手の左足を刈ろうした。相手は右足を下げて耐える、この後である。この後、達也は相手の後ろに崩す技、大外刈を選択した。相手の右横につき、左足で右足を刈ろうとした。しかし、相手は読んでいた。股を大きく開けて、腰を落として耐える。そして、相手は攻撃する手を止めずにそのまま膝をついた背負投げをしかける。しかしこの動きの驚くべきところは、さっきの大外刈をかけた状態の達也からすると、すごくこの技にかかりやすい体勢になっていたことである。大外刈りをかけた直後、達也は相手の右横にいたため、そのまま、右前隅に上手いぐあいに崩されたのだ。達也は驚いて、右足を前に出して耐える。普段なら、潰れていた背負投ならば、寝技に移行するのが普通だが、崩されてとっさに右足が出たものだから、すぐには攻撃には移れない。これで相手の攻撃は終わればよかったのだが、相手は駆け引きのプロである。達也が右足に体重をのせていたので、体勢を立て直すために左足に体重をのせたと思われる直後、相手は立ち上がり、右手(引手)を達也の左袖口までずらし、立ち上がる力を利用して左に体重をのせていたため、崩れていた達也をそのまま、左腰で抱えて前に投げ放った。左袖釣込腰である。
達也は完全に腰をつけて落下した。
この連絡技のすごいところは普通、駆け引きは前、後ろ、どちらかに崩して投げるものだが、この技は前、それも右前と左前、つまり左右に揺さぶって投げたことである。
達也は完全に各の違いを見せつけられた。審判を見る。真上に腕が上がっている。一本だ。
「それまで。」
達也はなかなか立ち上がれなかった。そのまま天井を見ていたい気持ちだったのだろう。
審判に言われて、ようやく立ち上がった。
「礼。」
達也は頭を下げて戻ってきた。
「完敗だ。どの技をとっても、一つ一つに無駄な動きが一切ない。その上、心を見透かされているように感じたよ。」
達也は闘って味わった感覚をそのまま言ったようだ。それを聞いて大山田が言った。
「そうやな、俺も、闘ってる最中のお前の汗の量で凄さは伝わった。」
「そんな動揺してたのか?俺・・・・・。」
「そんなこと無いよ、相手の動きに一瞬驚いたふうに見えたけど、冷静になって、勝つために何をすればいいか、必死になってたと思うよ。」
と井上が言った。
「それゆえに、あの汗の量なんやな、お前はようやったよ。実際、宗明より強いかもな、相手。無鉄砲やが身体能力の高い次鋒、状況判断に優れとる副将、そして、そいつらのトップに立つ大将。これは強敵やな。」
大山田が珍しく弱気なことを言う。
「大山田、勝てそうか?」
厳しい顔をして達也が言った。
「分からへん。」
その言葉を聞いて不安そうに大山田を皆見た。大山田はそんな皆の様子を見て
「あのな、クレバーな奴なら、どこの世界でもそうやが、柔道界でもごまんとおるねん。そんな心配すんな。どうにかしてきたるわ。」
そう言って皆に笑顔を見せた。皆、その笑顔を信じようと思った。
「四谷坂学園、副将、秋霖高校、副将、前へ。」
「ほな行ってくるわ。」
「おう・・・・・。」
皆、心配している。事実上、副将ではあるが、この柔道部で一番強いのは大山田だと皆思っている。その大山田が負けてしまったら、と考えると不安なのだろう。
「礼、始め。」
大山田は何か策でもあるのだろうか、そう思って皆、大山田に視線を送っていた。しかし大山田は開始直後から距離をとることもせず、速攻つかみにいった。そして大山田のお得意の背負投である。
「あのバカ。」
達也が言った言葉だが、皆そう思った。
しかし、大山田の背負投はさすがに一番得意なだけあって見事である。それに速い。ここ数日間、速さが足りないと優利に言われてきたこともあり、独自に練習してきたこともあるだろう。右足前回りさばきから背中にのせるところまで、ケチをつけるところなんて何もない。気が付けば、投げ飛ばしていた。こんな頭から背負投がきまることはめったにない。大山田の技術、それはこの一連の動きで証明させられた。
審判を見る。肩まで上がっている。技ありである。
皆、悔しがる。一本であれば、すんなり勝負はきまっていた。しかし、皆、大山田の行動は、たまたまきまったように思えていたに違いないが、大山田は恐らく意図があったのだろう。駆け引きもくそも、完璧に技さへきまれば関係ない。そして駆け引きが得意なら、あえて何も考えず、自分すら予測不可能な動きをしたら、相手は絶対にこっちの動きを読むことはできない。そんな意図があるように思えた。
それはそうと、大山田は技ありをきめたことは大きく勝利に近づいたことになる。今度は相手が焦るからである。いくらクレバーな相手でも、技あり以上をきめないことには、時間がくると自動的に負ける。この状態は焦りを生み出すことに間違いない。そこは、大山田にとってつけいる隙があると考えていいだろう。事実、その後、相手は攻撃をかけ続けていた。しかし、大山田はあまり攻撃する意思があまり見られない。というより相手の攻撃から、隙あらば投げる気満々である。この姿勢は相手からしたらすごい怖い、ミスが許されないのだ。まるでさっきの達也との試合の反対の立場に相手を追いやっている。
相手は大内刈をしかけた、さっき達也が選択した技である。前、後ろ、どちらに賭けるか見極めてみろと言わんばかりの攻撃だった。しかし大山田はそんなことは考えていない。恐らく、大内刈が来るなら、そのまま返してやれと思っていたのだろう。まず相手は股の間に右足をいれる、相手は連絡技を意図しているので、そんなに崩しをきめにかかってない。大山田は大きく右足を下げた。これは大内返の動きである。相手は予想に反する動きに驚き、このまま股に右足をいれていれば危険だと思ったのだろう。刈らずに引き抜こうとした。大山田はその前に左足で相手の右足を払いあげようとした。抜かれた直後だった。
「チッ!」
大山田は舌打ちをした。しかし、相手は大山田の体勢が不安定だと思ってそこに勝機を見出そうとした。大山田が片足になっている状態に釣手と体を使って、前に押し出した。安定を取り戻そうと大山田は右足を後ろに着地させる。そのまま大外刈を相手はしかける。明かに後ろに崩れているので、左足を踏み出し、真横につき、大山田の左足を右足で刈ろうとした。大外刈は先に釣手を使って後ろに崩さなけらばならない、そう言う意味で利にかなった動きをしていた。やはり単純な動きの大山田より考えて動いている。しかし、大山田は相手のクレバーの攻撃に対し、もっと簡単に動いた。おそらく、これはしまったと思ったのだろう。一か八かで大外返をしてみようと、大外返とは相手が大外刈で刈ろうとした足をそのま刈り返す技である。相手が左足で刈ってきた瞬間、右足で逆に相手を刈り返した。しかし単純なりに大山田も考えている。相手が大外刈をうつために踏み出した直後に、自分の体を相手に浴びせる。相手が崩れているのを見計らってうってきてるのなら、そのままでは絶対に大外返を試みたとしても、向こうの攻撃は絶対にきまる。ならば相手に体を先に浴びせていたらどうだ?相手は自分の体の圧力をかけられたら、後ろに崩れ、恐らく大外返はきまるだろう。そう思ったに違いない、事実、相手は畳の上に落下した。
審判は腕を上げる。一本。大山田は勝った。
向こうの副将は負けたことが信じられないようだ。大山田は単純に大内刈なら大内返、大外刈なら大外返、何も難しいことはしていない。ただ、その技の返し技をしただけ、それなのに負けてしまった。クレバーな相手は信じられないのだろう。そして思わず出てしまった。
「クッソ・・・・・。」
だからこそ悔しいのだろう。自分の駆け引きが通用しなかったことが。審判が声をかけると、相手の副将は気をどうにか切り替えて。お互い礼をした。
そして大山田は戻ってくる。
「やったね、大山田!」
井上は飛び上がるように喜んでいる。達也は呆れている。
「ほんと、何も特別なことしてないな。」
そう大山田に言った。大山田はその言葉を聞いて
「俺もどっちかと言うと駆け引きする方やねんな。でもな、あまり試合中、それに囚われると、歯車が狂ったとき慌てるんや。だから、どちらかと言うと特にクレバーな相手にはなんも考えんと感覚的に闘うことにしとんのや。そっちの方がええふうに転ぶときあるからな。」
そう言って、笑顔を見せた。
「でも、適当すぎよ。なんで頭から背負投なんてかけにいくのよ。潰れたら洒落にならないわ。」
優利は少し怒っていた。しかし、少し喜んでいるようふうにも見える。
「あれは一か八か・・・・・・。まぁなんや、勝てたからええやないか?!」
優利の反応に慌てながら、どうにか話をはぐらかした。
「まぁね、結果オーライだけど、無茶はやめてよね。」
「はい。」
大山田は少し反省したようだ。しかし、すぐ切り替えて
「次はいよいよ大将戦やな。」
「そうだな。これに勝てば決勝進出。」
「しかし、相手、絶対気ぃ抜けんぞ。間違いなく、この学校で一番強い・・・・。」
大山田の顔が急に真面目になった。自分がもし負けるようなことがあればと考えているのかもしれない。それに相手の試合を見ていないため、勝てるという確信が持てないのだろう。そんな大山田の様子を見て。井上が言った。
「大山田、きっと勝てるよ。」
そう勇気づける。
「そうだ、大山田、勝てるぞ。」
皆、大山田に声援を送る。それを見て、大山田は勇気づけられたようだ。
「そうやな、こいつのためにも勝たんとあかん。」
そう俺に微笑んだ。
「四谷坂学園、副将、秋霖高校、大将、前へ。」
「ほな行ってくるわ。」
笑顔を見せて、開始線まで歩いていった。
向こうの大将は大山田と体型がそっくりだ。少し太め体格の背中からすさまじい程の強い気が放たれているように感じた。大山田は相手の威圧感からゴクリと唾を飲み込む。そして闘う前から肌で感じただろう。相当できると。
「礼、始め。」
フットワークを使って、距離をとりながら相手の様子を伺う。両者とも速い。大山田は相当、体の俊敏性の訓練してきた。だからこのスピードをものにしている。しかし、相手も体が大きいのに速い。スピードに置いて、両者とも引けを取らない。ならば力はどうか?組手争いのあと、同時に掴み合う。その後、大山田は引手をぐいと引っ張った。向こうも対抗して引っ張る。力も互角。残るは技術である。技術がどちらが上かが、この勝負の勝敗を分ける気がした。大山田は大外刈をしかけた。釣手で相手を後ろに崩そうとして、左足を踏み出して相手の右横につく、しかし、大山田は実は大外刈を狙った訳では無い。右足、刈り足を振り上げただけで、実は相手が防御体勢、左足を後ろに下げるのを待っていたのだ。そのまま、右足を刈らずに、振り下ろした左足は相手の左足に向かっていた。形状、大外刈からの大内刈となるが、大外刈をただのフェイントにし、逆の足を刈る、かなりトリッキーな技術である。
刈られた相手は股を広げるように落下していく。
審判はすぐに手を挙げた、足から45度までまでの高さ挙げていた。有効。落下するときに、体をひねって、背中をつかないようにしたのだ。自分が一本をとられたら、もう終わりである。是が非でも負ける訳にはいかない。そんな意思が見えた。しかし、こんなテクニックを見せつけたので大山田の方がやはり分があるのかと思われたが、そうでは無かった。
大山田はその後、相手の猛攻に合う。支釣込足や、小外刈からの連絡の背負投、大山田はいつの間にか大山田は防戦一方になっていた。どうにかしのいでいる。相手の基本技術は洗練されたといってもいい程、高い技術をもっている。大山田はトリッキーな技で相手から有効を奪ったとはいえ、ここまで技術を持っている相手には驚きを隠しきれなかったようだ。そして、防戦になっていた大山田もいつしか攻撃をくらう。地味だが堅実な技だった。前後の揺さぶり、まず相手は右足を踏み出した。大山田は左足を下げる。そして左足を戻して、右足を踏み出した瞬間に大山田の右側に体をさばいて釣手で後ろに押し上げて後ろに崩し、そして左足裏を大山田の右足かかとに当てて刈った。なんの変哲のない小外刈である。しかし、これに大山田は完全にはまっていた。落下する。
審判は腕を上げた。肩まで上がる。技ありである。これまで優勢だった大山田が立場を逆転させられる。相手は一個一個の技を確実に倒せるように、決め技に昇華させている。相手は、特筆して何もすごいところが無いように見えるが、それが可能にできること自体、何百回も練習を重ねてきたからできる努力の天才と言っていいだろう。
「クッ。」
立ち上がる。大山田は逆転しなければならない。しかし、そんなに時間は残っていない。大山田はこの敵に関し、ディフェンス面でも相手はとても堅実な柔道をして隙が無いと思わされていた。しかしこの相手よりも自分の方が技術は上だと誇れる技を持っていた。それは、背負投である。大山田は自分の得意な背負投には絶対的な自信を持っている。たとえ、この相手だろうがきめることは可能だろうと、そう思ったに違いない。まず小内刈をしかける。釣手を使って後ろに崩しながら右足のアキレス腱あたりを股に入れた右足裏で刈ろうとした。相手が左足を引いて体勢を安定させると、前に出る反動を見極めて、右足前回りさばきをして背中にのせて投げ放とうとした。誰もがこの非の打ち所がない、見事な背負投に相手は投げられると思っただろう。しかし、大山田は畳に膝をつけ背負投は潰れていた。すぐさま、引手、釣手を離して、腋をしめ、顎を引き四つん這いになる。
そして相手に何もさせないようにして、待てがかかるのを待っていた。すぐに戦線に復帰しなければ負けが確定してしまう。しかし、相手が大山田に跨って横にころがそうとしているのを耐えているとき、審判がかけた言葉は違っていた。
「それまで。」
大山田は頭が一瞬真っ白になったように見えた。一回、瞬きをして審判を見る。審判は勝った相手の方に手を挙げている。状況が呑み込めたようだ。
「礼。」
大山田がとても深刻そうな顔つきをして戻ってきた。
「悪い・・・・・。」
それ以上、言葉が出てこない。しばらく間をあけて話し出した。
「決して、勝てない相手では無かった。もちろん相手は強かった。でも、俺がもっと・・・・・・・・・。」
そこで言葉をつまらせた。言いたいこと、悔やむ気持ちがあったが、それ以上言葉が出てこなかったのだ。
「・・・・・・。」
皆、うつむいた。最後の砦だと思っていた、大山田が負けたのだ。当然だ。その様子を見て、優利は言った。
「皆、諦めないで、まだ負けてないわよ!」
そう、皆に強く言った。皆もそれは分かっていた。でも、もう負けた気でいた。しかしその中で一番切り替えが早かったのは意外にも大山田だった。
「そうや、その通りや。山本、まだお前がおる。」
そう言った。大山田の言葉に皆も少し気持ちが動かされたようだ。
「山本は俺から一本とれた唯一の柔道部員や!それを皆忘れてへんか?」
そう言えば皆、俺が大山田から一本をとったところを見ていた。
「そうだな。諦めるのはいつでもできる。でも、諦めないことは今しかできないんだな。」
達也は皆にそう言って元気づける。
「そうだよ。涼介ならきっと勝てるよ!」
そう井上が言った。皆も俺に託してくれている目を向けた。俺はゆっくり頷いて
「うん。」
決意した。
「山本、闘う前に相手の情報言うわ。」
大山田は今はもう、全く諦めていない様子だった。
「相手は基本が完璧で、どの技も決め技に出来る程の技術をもっとる。でもな、お前は巴投なら相手をしのぐ程のものにしとる。後はな、最初にかけた技、トリッキーな動きには相手は対応できない。それを念頭に入れて闘え、そうすれば自ずと勝機が見えてくる。しかし時間を長いことかけたら、相手は技術が高いゆえに、どんどん追い込まれていく。だから技をきめるときは必ず一本をとるんや、巴投げなら背中をつけやすい。」
大山田はそうアドバイスした。俺はうなずく。
「分かった。必ず勝ってくるよ。」
俺は明日の試合のためにも、この試合を落とす訳には絶対にいかないのだ。俺は覚悟を決めた。必ず勝ってくると。
「四谷坂学園、大将、秋霖高校、大将、前へ。」
審判が呼んだ。俺は開始線までゆっくり歩く。
そして、相手の大将と向かい合う。負けられない、勇気と闘うためにも・・・・・。
相手も負けられない気持ちは同じだと思う。これが大将の闘いだ。その重圧を背中に大きく感じる。
「礼、始め。」
長引けば不利。そのことを意識させられていた。まずは距離をとる。スピードだけは俺の方が速い、しかし力は向こうの方が上だろう。俺はスピードの差をいかして、距離を一気に縮め、道着をつかみとる。大内刈をすばやくしかける。これは連絡のためのつなぐだけの技にする気だ。完全に崩さなくてもいい。相手を後ろに崩そうとしつつ右足を相手の股の間に入れて左足を刈ろうとする。相手は俺のスピードについてこれなかったせいか、足を刈ることができた。しかし、崩しが不十分なために耐えられる。相手は刈られた足をすぐさま畳につけて、後ろに崩れたままなら危険なので、重心を前に移す、その機を見計らって、俺は体落をしかけた。引手を前方に引き上げながら、体を半回転させて、相手の右足の前に自分の右足を引っかけた。体落への移行できたことは運が良かった。俺の大内刈りは単に連絡するために出した技にすぎなかったが、足がすかされず引っかかってくれた。相手はこの動きだとほぼ確実に、少しでも前に出て重心を安定させよとするからである。相手は投げられた。俺は一本をとれたと確信して審判を見た。
肩までしか上がっていない。技あり。
このチャンスを俺は逃してしまった。長期戦にせず、先に確実に一本さえとれれば、勝機はある。その意識を持っていたからである。しかし一本には届かなかった。
相手は不覚をとったような顔をしていた、しかしそこには焦りが見られない。すぐに立ち上がり、再び向かい合って、組み合う。そして、前後に揺さぶられた後、右足を踏み出した瞬間に左足裏で右足のくるぶしを払って出足払をかけられた。まさに洗練されたこの足技に抗う術など無いと感じさせられた。俺は畳の上に落下する。
審判は肩まで手を挙げた。技ありだった。この時点で同点となる。
そしてその後、再び組み合ったあと、相手は俺の左側に回り込んだ、俺は左足を下げて対応し、右足に体重がのせた瞬間、一気に反時計回りに半回転しながら、俺の左足の前に相手は左足を置いて、両手で前にひっぱることによって右膝下あたりを右足で払いあげながら投げられた。払腰である。俺は投げられる前に踏ん張って投げられるのを極力阻止しようとしたため、運よく技あり以上に届かず、有効でおさまった。
相手に洗練された技術抗うことができず、俺の最初の技ありはいつの間にか、意図も簡単に逆転されていた。
・・・・・・このままでは確実に負けてしまう・・・・・・
もう、相手の圧倒的な技術に対し、諦める気持ちが生まれ始めていた。
しかし、そんなとき俺は大山田が言っていた言葉を思い出す。トリッキーな動きには弱い。そして巴投だけだと相手と引けをとらない。俺はある作戦が頭に浮かんだ。
・・・・・・やるしかない、やらないと長引いて、確実に倒されてしまう・・・・
俺は次に再び掴み合ったとき、俺は明らかに何の技をかけようとしているか分かるように支釣込足の動きをした。右足前さばきをして引手で前方に引き出そうとして、釣手を上方に釣込む。相手は十中八九、支釣込足だと読むというか、読ませようとしたのだ。読まれていたので、当然、このまま支釣込足をすると、きまる訳がない。そのため、相手は右足を出そうとしなかった。しかし、その動きのお陰で前には崩れてくれていた。相手が体勢を立て直す前に、俺は右膝を曲げながら相手の下腹部に右足裏を突き立てて相手を両手で引っ張ることで相手ごと後ろに倒れ込んで後ろに放り投げた。少し強引な体勢の巴投だった。しかし、相手は支釣込足だと読んでいたため、前には崩れている。巴投はきまりやすいはずである。
俺は願っていた。技ありでいい。ここで技あり以上をとらないと、もう二度とチャンスはこないかもしれない。柔道の試合では技ありを二本先にとることは一本に相当するからだ。
審判は少し間を置いて、そして肩まで上がった。技あり二回、勝ったのである。
相手は仰向けになっていた体を起こして、四つん這いの状態から固まっていた。不覚、本当に不覚をとったと思っていたのだろう。しかし、目から自然とどんどん涙が流れてきていた。
「やったぁ!涼介!」
「よう、やった山本!」
四谷坂学園側は皆飛び上がるように喜んでいる。そして整列するために声がかけられた。
「整列、礼。」
俺達はお互いに礼をし合った。対戦相手、特に副将、大将は涙が止まらない。しかし俺達には見慣れた風景だった。なにせ、もう準決勝を勝ち上がってきたのだから。俺達は皆、喜びをおさえることがきれず、そのまま場外に出ようとした。
「待ってくれ!」
そう向こうの大将が言った。俺達は振り返った。
「頼む、俺達の分まで、そして決勝は必ず勝って、全国に行ってくれ・・・・・。」
大将は俺達に自分たちの思いを託してくれた。俺達はそれを見て、皆で言った。
「おう!」
「・・・・・ありがとう。」
大将はそれ以上に何も言えなかった。そんなとき、相手のあの自己中の次鋒が出てきた。
「おい!来年覚えとけよ、お前ら。絶対俺が勝つ。」
この言葉は特に山田に言ったように思えた。台無しだ。皆、そう思った。
「・・・・・・・。」
山田はさすがに呆れて何も言えない。
「あーあ、こいつの処遇、任せたで、こいつをなんとかせんと、来年も優勝狙われへんで。」
大山田がそう言った。その言葉に大将や副将は笑った。笑顔が戻ったのだ。
「こいつな、まだ俺達引退できないな、来年のエースは間違いなくこいつなんだから。夏が終わるまでにこいつの性格がマシになるようにきっちり指導するよ。」
「ハハハ。」
さすがにそのやりとりに、次鋒は赤面した。副将はしばらくして言った。
「決勝戦、見に行くよ。頑張ってくれよ。」
「おう!」
この言葉も皆、合わせて言った。
「それにしても、ようやりよったで、俺が負けた相手に勝ってくるとは。」
俺の頭を上から拳でぐりぐりして大山田が言った。
「そうね、でも涼介君の勝利は決して運なんかじゃない、純然たる実力だった。だから凄い強くなってるのね。」
優利はそう言った。俺は少し照れる。そして優利は言葉を続ける。
「そして、皆もよ。皆、私の予想を裏切って、さらに強くなってる。決勝も自信をもって闘ってね、このチームの力なら勝てると私は信じてる。」
そう優利が皆の士気を高める。
「おう!」
「それで決勝なんやが、向こうとんでもないことなっとんで。」
大山田は隣の試合場を見ていた。今まで、自分たちの勝利の余韻に浸っていた、俺達は驚愕の光景を目の当たりにした。宗明の渡辺が、俊介に膝をつけさせられている。
俺達は、ホワイトボードに書かれているスコアボードを見た。
立川学園、大将、矢野俊介が、宗明相手に3人抜きをしていた。そして副将までもが、今劣勢に立たされている。
優利な複雑な顔をして帰ろうとした。
「どこ行くんや?三枝。」
「私、帰る・・・・・。皆も明日の決勝に備えて体を休ませなきゃでしょ?」
気丈夫に振る舞っているが、明らかに無理をしている。俺達は優利の気持ちを察した。しかし、大山田は言った。
「あほか、決勝戦で相手の試合、確かめへん奴どこにおんねん。あかん。」
それを言われて優利はうつむく。
「はい。」
自分の私情で我儘を言っている自覚はあるのだ。
俺達は少し離れている場所で試合を観戦することにした。そして、渡辺は寝技にかからまいと耐えていたが、時間が過ぎてしまった。
「そこまで。」
審判は立川学園側に手を挙げる。
なんと、俊介は宗明相手に4人抜きをしたのである。次はいよいよ、大将同士の戦い、つまり勇気と俊介の試合である。
優利はいたたまれない様子だった。本当は勇気が闘っている姿なんて見たくない。勇気が立って、今もなお闘っている現実を直視したくないのだ。だから優利は宗明の試合をあえて見に行かないようにしていた。勇気の現実から目を背けたかったからだと思う。でも、その裏返しで何よりも気にかけていることは事実だった。
優利のそんな様子に皆気付いていた。しかし、大山田の意図は計り知れないが、あえて見させているようにも思えた。
「始まるぞ。」
大山田が言った。優利はそんな自分を抑えていた感情を抑えきれなくなったのだろうか、身を乗り出すようにして試合を見た。その目には心配の感情が表われている。
勇気と俊介は開始線まで歩いていく。俊介は試合の始まる前に勇気に言った。
「お前の学校、俺の元学校か、大したことねーな。」
「・・・・・・。」
勇気は黙っている。
「俺はお前と闘うために、あえて弱小校に転校した。なんでか分かるか?」
「・・・・・知らねーよ。」
「お前のプライドをズタズタにするためだよ。俺はお前へに復讐するため、憎悪だけで必死になって柔道を磨いてきた。お前言ったよな?お前は何をやっても俺に勝てることは無いってな。だから、あえて俺は柔道を選んだ。お前が一番誇りにもっている柔道でお前を倒し、そして、お前は絶対に俺には勝てないと実感させるためだ。強豪校に入ったら、俺の力じゃなくてもお前を倒せるかもしれないだろ。だから、確実にお前を俺が倒すために弱小校には入ったんだよ。」
「話はそれだけか・・・・・。」
勇気は落ち着いて言った。
「ああ!?」
「弱い犬ほどよく吠える。御託はいいから、さっさとかかってこいよ。勝ってから発言しな、カス。」
審判はこのやりとりに慌てる。こんな試合を成立させていいのか?と思ったのかもしれない。しかし、この試合は天才、斎藤勇気と今年の超注目の新星、矢野俊介の試合だ。この試合を喧嘩みたいにしようとしている両者から、危険な反則がないように審判は目を尖らせてようとしていた。
審判は少し、間を置いて言った。
「礼、始め。」
勇気は複雑な思いもっているかもしれない。この目の前の男は、柔道を始めて間もなく目の前で宗明学園のレギュラーに4人抜きした男である。間違いなくクズだが、運動神経、身体能力だけは一級品である。実力は認めざるを得ない。しかし勇気は明日、決勝のためにも勝たなければならない。それにこんな男に負ける訳にはいかない、奴は勇気が過去に存在意義を全否定した男、奴が勇気に勝つこと、それは奴の存在、悪を認めさせられることである。だから挫かなければならないのだ。
勇気はまず距離をとる。あまり探っているようには見えない。勇気は何度も奴の動きを闘う前から前の試合で見ていたはずである。だから何か弱点をみつけていたのかもしれない。相手も距離をとる。そして勇気から距離を縮めた。そして道着を掴みとる。俊介は勇気程、動きは速くない、先につかまれる。まず勇気から小外刈ををしかける。前後に揺さぶって相手が前に体重がのったと思われるときに、左足裏で俊介の右足かかとを刈る。耐えられる。その後、俊介も前後に揺さぶり勇気が右足を踏み出した瞬間、左足裏で右足のくるぶしあたりを払う、出足払、勇気も耐える。そして勇気はその後、支釣込足。技を掛け合いながら、両者とも完璧に投げれる機会をうかがっている。しかし、両者とも、ここぞいう技がきまらない。
勇気と俊介の差とは身体能力的にはスピードは勇気に分があり、体格的には勇気より10㎝程高い俊介は勇気と比べると力は俊介の方が分があるだろう。しかし、それでも埋まらない差とは経験だった。試合の場数が大きく開きがある。そういう意味で宗明相手に一人で4人抜きして、現状、勇気の攻撃を耐えている俊介は天才的で、その差を埋めることを可能にしているのかもしれない。しかし、それは他の相手では可能ではあったのだろうが、勇気には通用しなかった。
俊介は探り合いの中、小内刈をしかけた。俊介の小内刈はまだ初心者とは到底思えない程の非の打ち所がないものだった。右足を勇気の両足の真ん中あたりに踏み込み、そして左足を運び引手を引き下げ、釣手の圧力で後ろに崩そうとして右足アキレス腱辺りを股の間に入れて右足裏で刈ろうとした。これは連絡技の起点では無い。完全に小内刈だけで相手を倒そうとしている。しかし、刈られる前に勇気はとっさに右足を引いてすかした。そして左足で相手の右足を払って両手を左にハンドルをきるようにつかって畳の上に落下させた。出足払の応用、小内刈りのカウンターである。俊介は体を空中で捻って、ちゅんと背中をつかないように落下した。
審判を見る。肩まで上がっている。技ありである。
俊介は立ちあがった。勇気は俊介の表情を見て少し笑って言った。
「どうした?」
「ふん、倒してきた雑魚どもとは違うようだな。だからこそやりがいがあるんだよ。」
「は?」
審判も目を光らせているが、この試合はまるで喧嘩だ。両者に指導をとることをためらいを感じさせられているようだ。
しかし、この後だった。勇気は俊介の攻撃を受けても、自分から攻撃しようとしない。必死に守りに徹している。何かが変だ。優利もその様子を見て心配が助長させられているように見える。
「どうした?攻撃してこいよ。」
俊介は勇気を煽った。
「・・・・・・・。」
返答しない。審判はしびれをきらして一回、俊介に指導をとる。
「チッ!このまま逃げ切る気かよ?!がっかりだぜ、この臆病者。」
俊介は掴み合った状態から大内刈をしかける。体の圧で勇気を後ろに崩し、右足を股の間に入れ左足を開いて刈ろうとする。しかし、勇気は右足をを引いてたえる、そして安定を取り戻そうと少し前にでそうになった時に、両手をつかって前に引き出させて、体を左に半回転させながら右足で勇気の右足の内腿を払い上げた。大内刈からの内股の連携である。
勇気は畳の上に落下した。審判を見る。肩まで手があがる。技あり。
「ふん、そんなもんかよ。県内一位の実力ってのは。」
その俊介の言葉を受けても、何も勇気は言い返さなかった。勝って分からせるのが一番だと思っているのだろうか?しかし、俺はそんなことよりも心配することがあった。
・・・・・・内股・・・・・・・・
そして、さっきからの勇気の異変。まさか・・・・・。俺はハッとなって勇気を見てみる。ゆっくり立ち上がった勇気からは汗が大量にしたたり落ちている。これはもしかしたら、症状が出ているのかもしれない。俺は心配になって視線を送っていた。おそらく優利もこのことに気付いているだろう。勇気は俺の心配をよそに、見ている俺に視線を送ったように感じた。そして、ウィンクするように片目を閉じる。どういう意味があるのだろうか?心配ないぞと言いたいのか?
「お前の話はもう沢山だ。勝ってからしゃべれよな。」
「ああ!?」
「いくぜ。」
勇気は時間をかけて立ち上がったにも関わらず、もの凄いスピードでつかみに行った。これは俊介はとてもついていけない。恐らく、本当の意味で限界まで自分の力を振り絞っているのだろう。そして最後にこの技に賭けたように思えた。小内刈、釣手を後ろに押し込み右足アキレス腱あたりを右足裏で刈ろうとした。しかし、俊介はその小内刈に反応はできたようだ。左足を引いて防ぐ、そして反動で前に出ることを見越して、右足前回りさばきをしながら、俊介を背中にのせて放り投げた。この背負投はきれいで見るものを魅了した。まさに完璧だと言いきっていい。俊介は一連の動きに何もできずにいて、ただ畳の上に落下させられた。
審判は腕を完全に上にあげていた。一本勝ちである。それを見ると勇気は一気に足を崩した。
「よっしゃあ!」
宗明学園側は皆、喜んでいる。
「・・・・・・。」
あまりにも速いスピードで華麗な背負投を受けたため、ろくに受身をとれなかった俊介は天井をただ見ていた。その様子を勇気は見て、ゆっくり立ち上がった。
「よう、気分はどうだ?」
「・・・・・。うるせーな。これはルールにのっとった喧嘩だ。ほんとなら、俺はお前に負けてねーんだよ。」
「・・・・ぬかせ。」
そして宗明学園側と俊介の学校、立川学園が整列して礼をした。
「お前、この後、体育館の前で待ってろ。その時がお前との本当の決着だ。」
俊介はまだ負けを受け入れてない。当たり前だ、ずっと勇気に復讐することだけを一心に柔道をやってきた。負けた現実を受け入れることは、否定された自分をこれからも否定し続けることである。もう、耐えられないのだ。
「・・・・・・。いつでも勝負にはのってやる。でもな、お前、周りみてみろよ。」
「・・・・・・。」
俊介は整列して皆、泣いているチームメイトを見た。それを見て少しの間、言葉を失う。
「このチームはお前が導いてベスト4まで来たチームだ。お前の独裁だったと思うが、皆お前に賭けたんだ、今年の夏を。」
「だから何だよ!?」
「いい加減気付けよ!柔道は喧嘩のためにあるんじゃない、武道だ。皆、必死になって毎日練習して、一年に一回しかない、負けたらその時点で終わる、この大会に賭けてきてるんだ。確かにお前は俺との勝負だけを考えてやってきたかも知れない。でもな、お前の、その大将の背中にどれだけの思いを背負わされていたのか、気付かないのか?そいつらの思いを無駄にしないためにも、お前は負けられなかったんだよ!」
声を張り上げて俊介に向かって言った。俊介は少し気押される。そして、その話を聞いて横にいた副将が俊介の道着を引っ張った。俊介は反応して、副将を見た。
「俊介、お前が入ってきて、うちの部はお前一人のお陰とはいえ、強くなれた。俺達は今年で引退だ。このチームはお前に託す。来年、お前の力で俺達の夢を引き継いでくれ。お前はめちゃくちゃだったが、準決勝までこれたこと、本当に感謝してるよ。ありがとう。」
その、副将のありがとうの言葉は俊介の心を大きく揺るがした。
「俺は、俺は、自分のためにやってきただけだ。感謝されることなんて・・・・・。」
勇気はその様子を見て、微笑んで言った。
「だとよ、これから大変だな。お前がこのチームを強くするんだ。来年はお前らも要チェックだな。」
「フッ、分かったよ、来年だ。来年まで待ってろ、このヘボどもを強くして必ず、勝ってやるよ。」
「楽しみにしてるぜ。」
そう言って、勇気は場外に出た。すぐ取材陣に囲まれる。
「新星と謳われた矢野選手を有する準決勝戦、勝ちましたね、おめでとうございます。」
「どうも。」
少し頭を下げて、歩いて引き離そうとしている。
「これで全国大会優勝の目標に一歩前進しましたね、明日の決勝戦、ご指名した四谷坂学園にあたります。決勝を前にして心境はどうですか?」
質問攻めの勇気を見て渡辺が痺れを切らす。
「勇気はこういうの苦手なんですよ。話は俺が聞きますよ。あまり構わないでやってください。」
「・・・・・・・。」
渡辺が取材陣の注意をひきつけている間、試合を見ていた俺達の前に勇気が来た。勇気は優利を含めた、俺達を見た。優利は目があった瞬間、斜め下に視線を落とす。勇気はそれを意識しないようにして、俺に言った。
「明日だな、涼介!」
「そうだね、明日だね!」
勇気は笑顔で答えた。
「よく勝ち上がって来てくれた。・・・・・ゴホ、ゴホ。」
勇気は突然咳き込んだ。さっきの試合といい、そして試合後、すぐ足を崩したことといい、やはり病状が出ているのか、俺は心配になった。
「・・・・・大丈夫なの?」
「何がだ?!とにかく俺は明日の試合楽しみにしてるぜ。」
そう言って、勇気は拳を突き出した。俺も拳を突き出して合わせる。勇気は屈託の無い笑顔を見せた。その時だった。
バタン
・・・・・・・・・・・・・・・
勇気は突然倒れた。とても苦しそうな顔をして、意識が朦朧としている。
大山田は走って宗明学園にこのことを伝えに行く。優利はまた気が動転していた。
「勇気、勇気。」
優利は体を揺すって、勇気の目を覚まさせようとしている。本来、こんなことをするべきじゃないだろう。優利は心の奥底で押しとどめていた気持ち、それにもう抗えることなどできず、その気持ちが心の中をいっぱいにさせられている。
「三枝、落ち着け。」
そう、達也は肩に乗せた。
ハッとなった優利は、体を揺することを止めた。勇気は既に完全に気を失っていた。それを見た優利は両手を握りしめて、顔がくしゃくしゃになるぐらい目を閉じていた。
大山田が宗明学園の皆に勇気の異常を知らせて戻ってくる。
「今、救急車呼んでくれとる。斎藤の具合はどうや?」
しかし、大山田は何も聞かなくても状況を把握した。意識が既に無い。
「勇気!勇気!」
渡辺達、レギュラー陣が大きな声をかける。
しかし、勇気の目は開かない。状況を把握していない、宗明の顧問の先生とレギュラーじゃない部員は渡辺たちに聞いた。
「斎藤先輩は一体どうしたんですが?」
「・・・・・・。」
このとき、渡辺もさすがに真実を話さなければならないと思ったのかも知れない。
「勇気は病気なんや。」
「知ってたんですか?渡辺先輩!」
「俺だけな。」
もし目を覚まして、恨みを買うなら俺だけでいい。渡辺はそう思ったのだろう。そして顧問の先生が聞く。
「なんの病気だ?」
「右足に骨肉腫、骨の癌です。」
「何!?それは本当か?!。」
「はい。黙っていた申し訳ないです・・・・・。」
「・・・・・・・。」
その顧問の先生はこの事実に言葉を失っていた。ひどく勇気の身を案じている様子だった。この真実を知った、宗明の顧問の先生はもう、たとえ勇気が明日には回復しても、勇気を試合に出すことはしないだろう。
「そういうことだから、下手に動かせない。救急隊員がくるまで動かすな。」
渡辺は皆にそう言った。
しばらくして救急隊員が来た。俺は担架で運ばれている勇気と一緒についていった。一緒に来たのは、ずっと手を握り締めて離さなかった、優利、渡辺、そして四谷坂学園の柔道部員は全員、救急車に乗り込んだ。あまり来てもらっても困ると救急隊員に言われたが、皆、その要求を押し切るように断った。救急隊員は困ったようだが、俺達の真っ直ぐな目を見て気圧されたようだ。
「すみません、病院は○✕大学病院でお願いします。」
優利は大きく声を張り上げて言った。救急隊員も訳を渡辺から聞いて、了承した。
「これより、○✕大学病院に患者を搬送する。」
そう伝達して、そして俺達は○✕大学病院まで救急車に乗って行き、病院に着いた。そして、すぐに集中治療室に運ばれて行く。
俺達はその部屋の前の廊下まで行き、手を組んで待っていた。刻一刻と秒針が時間の経過を告げる。それはなんだが、勇気に残された命の時間がどんどん短くなっているように感じさせ、凄く怖く感じた。
1時間程経過して、勇気は入院する病棟に送られているところを俺達は見た。優利はその姿を発見すると、すぐに声をかけに行く。
「勇気、勇気、お願い目を覚まして。」
勇気はまだ意識を失ったままだった。
「斎藤勇気さんの関係者の方!」
そんなとき、看護婦さんがそう声を張り上げていた。俺達は声の方向に反応した、そして俺達は看護婦さんに診察室連れられて整形外科の診察室の中に入った。中には前に見た、勇気の主治医がいた。
「勇気に、勇気に、命の別状はないのですか?」
優利の心配はもう、最高潮に達していた。自分自身に嘘をついてきて目を背けてきた事実、優利はもう自分に嘘をつくことも目を背けることもできなくなっていた。ただ、ただ、勇気がこれからも生きて欲しい、それ一心になっていた。だから、その後、先生に言われたこと、それを受け入れること、それは相当に大きなことで、優利には耐えられないことなのかもしれない。
先生は骨のレントゲンとそして肺のレントゲンを見せた。そして静かに言った。
「骨の癌は進行し続けています。」
「切断するんですか?」
「はい、この機を逃すと手遅れになることは間違いないでしょう。右足の切断をします。」
「・・・・・・。」
皆、その事実に言葉を失う。神様は待ってくれなかったのだ。そう思わされた。
「それと、」
先生は言葉を続ける。
「まさかとは思って、肺のレントゲンをとりました。肺に癌が転移しています。それもかなり進行しています。」
皆、一斉に大きな目をして先生を見た。転移の可能性があるとは聞いていたが、まさか肺までもが病魔が既に勇気に蝕んでいたとは・・・・・。勇気は助かるのだろうか?優利は頭が空白になって、しばらくしたら体中が震えだしていた。とても質問できる状態では無い。俺は聞いた。
「勇気は助かるんですか?」
その言葉を聞いて先生は言った。
「明日、手術を行います。手術が成功したら、助かる可能性もあるでしょう。しかし手術の成功の確率は決して高いものではありません。」
「・・・・・・・。」
俺達は黙り込んでしまった。その様子を見て先生は言った。
「皆さんの安心を買えるものでないかもしれませんが、私達も死力を尽くして、明日執刀するつもりでいます。」
先生は真剣に、少しでも俺達を安心させようと訴えた。
「・・・・・はい、お願いします。」
優利は深々と頭を下げた。本当にもう、全てを預けるしかない。勇気をどうか救ってくださいという願いが表情から読み取れる。
俺達は勇気が寝かされている病棟の病室に入った。そして優利はまだ意識を失っている勇気をずっと、ずっと手を握り締めている。俺達はただ、ただ見ていた。
勇気お願いだ。優利のためにも、そして俺のためにも生きてくれ。俺はお前に沢山のことをもらって、沢山のものを返さなければならない。こんなところで命を失わないでくれ。
俺はそう、願っていた。
刻一刻と時間は過ぎていき、優利は明日の手術に対し、やっと心の覚悟ができたようだ。病室で勇気を見ていた皆に言う。
「皆、帰ってちょうだい。明日の決勝戦もあるし、今日の疲れを癒して明日に備えて。勇気のことは私が見てるから。」
「でも・・・・・。」
井上はこんな状態の優利も勇気も心配でたまらないようだ。そう言い返そうとすると。優利に強く言われた。
「インターハイに出場するんでしょ!皆、私は大丈夫だから、お願い帰って!」
そう井上は優利に強く言われて、戸惑った。そして達也に肩を叩かれて。
「帰るぞ、井上。」
「・・・・・うん。」
少し後ずさりをして、井上、山田、達也は帰っていった。
渡辺も優利の様子を見て思ったこともあるが、自分にはもう何もここにいても、出来ることが無いと悔やんで、帰ることにしたようだ。病室から出て行く。
「涼介君も、大山田君も帰って。」
「・・・・・もう少しおらせてくれ。」
そう大山田が静かに言うと、優利は何も言わなかった。しばらくして、大山田が俺に小さな声で言った。
「山本、ちょっといいか?」
「・・・・・。」
俺達は病室の外に出た。
「明日な、手術がどうなるかは、俺には分からん。でも、お前が前、俺達に言ってたこと、それは三枝に伝えなあかんのやないか?このままだと、三枝は誤解をもったまま、斎藤と別れを告げられるかもしれん。お前の口から斎藤が思い続けてきた思いを打ち明けるべきやないのか?」
「・・・・・そうだね。」
俺は実際、迷っていた。大山田が言われる前から、言わなければと思っていた。でも、優利がずっと勇気の手を握り締めていたので伝えられなかったのだ。
「伝えてこい。」
「うん。」
俺は一人病室に戻って、そして優利に話しかける。
「優利、勇気のことで伝えなければならないことがあるんだ。」
優利はその言葉を聞いて、俺の顔を見つめる。
「何?」
「実は・・・・・・・。」
俺は優利に嫌われるかもしれない。病気を知ってから、俺達のなかであったこと。そして勇気が俺や優利に抱いていた気持ち、それを全て打ち明けた。
それを聞いて優利は言った。
「勇気、勇気、そうだったのね。そんなことをずっとずっと一人で抱え込んで、私のために、そして涼介君のために・・・・・・・この、この大馬鹿野郎。」
涙がとめどなく溢れてくる。このことを聞いた優利はもう、これから先、勇気に何があっても勇気についていきたいと思っているようだ。でも、その命の灯火が消えるかもしれないのも、残酷な事実が目の前にはあった。
大山田が話終わったと気付いたら、病室に戻ってきた。そして厳しい顔をして、俺に言った。
「全部言ったのか?」
「うん。」
それは、聞かなくても優利の涙が物語っていた。しばらく経って、あたりは病室の窓から暗闇を映し出していた。夜が来たのだ。
「そろそろ帰るわ。山本帰るぞ。」
俺はそれに首を振った。
「俺、帰らないよ。手術が終わるまで、勇気の傍にいる。」
大山田はもう一度聞いた。
「明日、決勝戦や。帰るぞ。」
「嫌だ。」
大山田は、いったん視線を落としてから、そして顔を上げて言った。それも凄い形相で。
「お前、斎藤がそんなこと望んでると思うのか?!斎藤は自分の病魔を知って、お前に引き継いで欲しいと思って、今までやってきたんやろ?!お前が斎藤の代わりになる。その思いでお前に託したんやないんか?!その思いを無駄にする気か?!」
俺は大山田が張り上げた言葉に思わずのけぞった。
「でも・・・・・。」
パチン。
大山田が俺の頬をビンタした。俺はハッとさせられる。俺はベットで寝ている勇気の顔を見た。そして、託された思いを思い起こされた。
・・・・・・・勇気・・・・・・・・・
俺は勇気と優利の姿を見て、振りかえって、大山田の顔を見たときには、もう決心がついた。
・・・・・勇気のためにも、俺は立ち止まる訳にはいかない・・・・・・
「決心ついたか?」
「うん。」
「ほな、帰るわ、三枝。斎藤のこと頼んだで。」
「うん。」
俺は大山田と病室を出た。優利はずっと、勇気の手を握り締めて、祈っているだろう。でも、俺はもう振り返らなかった。俺は勇気の思いを背負って、勇気の分まで勝たなければならない。そう決めたのだ。




