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Better Sweet  作者: 坂本 流
PR
6/6

決勝戦、それから・・・・・

 



 ・・・・・・あれから何時間ぐらいたったのだろうか?私はいつの間にか寝てしまっていて、夢を見ていた。小さいころ公園で勇気と星空を眺めていて、一緒に流れ星を見たときのことだ。私はお願い事をしている。

「私が世界で一番の強い柔道家になれますように。勇気が二番目に強い柔道家になれますように。そして二番目の人と結婚できますように。」

 私はできるだけ、早口で流れ星に願いを言った。勇気はそれを聞くと照れている。

「お前、それは口に出すもんじゃないぞ、心の中で三回唱えればいいんだよ。」

「うん。でもきっと叶えてくれるよ。」

 私は笑顔で勇気にそう言った。

「勇気は何をお願いしたの?」

「えっ・・・・・。」

「言ってよ!私は言ったんだから。」

 勇気はなんだか恥ずかしそうだ。

「お前と一緒みたいなもんだよ。でも、願い事にするのはやめた。だって現実になるだろ?少なくとも俺の願いは。」

「そうなの?」

「うん、きっと俺達は結婚する・・・・・・。」

 それを聞くと私は笑顔で勇気に振り向いた。しかし、勇気の体が光り出した、そして横にいるはずなのに、どんどん遠ざかっていく。私は走り出した。

「勇気、勇気、どこいくの?私を置いて行かないで!」

 私が走って追いかけていくと、途中でつまずいた。そして倒れたまま顔を上げた。

 もう、あんなに遠くにいる。

「待って!待って!」

 そして暗闇の中で流れ星のように消えていったのだ。


「勇気!」

 私はハッとなって目が覚め、上半身をベッドに預けて寝ていた体を起こす。

そしてすぐに勇気を確かめる。まるで勇気のことを暗示しているかのような夢だったので、私は異常に心配になっていた。しかし、

  ・・・・・・・いない・・・・・・・・

 勇気はベットの上にいなかったのだ。何かの間違いだろう?もしかしたら、手術の最中かもしれない。私は長い間、いつの間にかずっと寝ていたのかもしれない。時計を確認する。

 まだ手術の時間は来ていない。便所?私は辺り構わず、病院内を走りながら駆けまわった。

  ・・・・・・どこにもいない・・・・・・

 わたしは一旦病室に戻って、そして、ベッドの上にある置手紙を発見した。私は急いでその手紙を見る。私はその手紙を見てしばらく固まってしまった。そして、私はハッとさせられる。昨日の涼介君の話、まさか・・・・・。

 ・・・・・・・勇気!!あの大馬鹿野郎。・・・・・・・・・・

 私は試合会場に行くため、試合を止めるため、私は衝動に駆られるまま走り出した。





  ボキボキボキ

 大山田が首の骨を鳴らした。

「連日の試合で肩こっとるわぁ~。」

「いよいよ。始まるね、決勝戦。」

 と井上は言った。

「そうやな、斎藤があんな形になって、出られへんのは心残りやけどな。」

「・・・・・・。」

 皆、昨日のことを思い出して、思わず下を向いてしまう。

「だけど、俺、信じるよ。勇気は絶対に手術は成功する。だから俺は勇気の思いを裏切らないように精一杯闘うよ。」

 俺は顔を上げて、皆にそう言った。

「そうやな・・・・・・。お前がその気持ちなら俺達も負けてられへん。やるぞ、皆。」

「おう!」

 大山田の言葉で皆士気を高められた。そうしていると、渡辺が近づいてくる。

「大山田、皆、今日はよろしくな。勇気が出られへんのは、本当に残念で、アイツのこと思うと正直試合どころやないんやが・・・・・・。でもアイツはそんなこと望んでない。俺達もアイツの分まで頑張る!よろしく頼むで。」

「お互いな。」

 大山田と渡辺は握手をした。

「試合まで後10分か、戻って皆の体と気持ちほぐしてくるわ。」

 渡辺は大変そうだった。勇気とお互いずっと一緒に部活で柔道をやってきて、切磋琢磨し合ったライバルでもあり、チームメイトである。二人の絆は俺達が思っているよりも強いものかもしれない。そんな勇気が今、死に直結しかけない大きな手術を受けようとしている。精神をどうにか持たせようとするのがやっとだろう。しかし、それは宗明学園側の皆も思っていることである。勇気に代わって自分が皆を支えなければ、誰よりもそれを考えているようだ。

 開始5分前、俺達も柔軟と軽く打ち込みを終えて、試合を待つ。そんなときだった。会場の扉が開く。俺達はまさかと思って扉を見る。俺達は驚愕した。

 勇気が、勇気が立っていたのである。そして宗明学園側の試合場の前まで歩いていった。

「・・・・・・・・。」

 しばらく渡辺は言葉を失っていたが、勇気に怒るように話しかける。

「お前は今日、手術受けるんやろ?!病院に帰れ!」

「・・・・・嫌だね。」

「お前の言い分は我儘でも無茶でも何でもない、無謀や!」

「俺には絶対に最後に闘わなければならない奴がいる。帰る訳にはいかない。」

「あかん、帰って手術を受けてくれ。そいつもきっとお前にそう思っとる。」

「それでもだ。アイツがそう思っていても、俺はアイツのために闘わないと駄目なんだよ。」

「・・・・・・。」

 そうかも知れない、俺は確かに勇気に病院に帰って、手術を受けてもらいたい。でも心の奥底では勇気と闘いたい。そう思っているところがあることに嘘はつけなかった。

 それを聞いて渡辺は俺を一回睨んだ。

「それに俺を全国優勝させてくれるんだろ?約束したじゃねーか。」

 それを聞いて沈黙が広がる。

「だけど・・・・・。」

 渡辺が勇気に訴えていると、宗明学園レギュラー陣が一斉に勇気を取り囲み、そして、中堅が渡辺の肩に手を置いた。そして勇気に話しかける。

「勇気、今日手術するんだってな、時間、何時からだ?」

「夕方、16時だよ。」

「約束してくれ、必ずその時間までに帰って、手術を受けると。」

「おい!」

 渡辺は反応する。しかし、振り返って皆の目を見て気圧された。皆、真っ直ぐに真剣な眼差しを勇気に向けている。

「最後の我儘だ。聞いてやろうじゃないか?そして、勇気の叶えられなかった夢、インターハイ優勝を俺達は果たすんだ。右足を失っても勇気にはチームの一員としてベンチにいてもらう。だから、最後だ、最後に勇気の望みをかなえてやろう。」

 中堅はそう言った。

「・・・・・。分かった。」

 渡辺はその言葉に折れた。勇気に病院に戻って欲しい。でも、本当は一分一秒でも共に闘っていたいんだ。勇気が大将にいてくれること、それは大きな意味を持っているのだ。

「ダメだ!」

 向こうの顧問の先生が皆が一致したところに割って入る。

「骨に癌があると知った以上、俺はお前の参加を認める訳にはいかない。」

 先生はそう言い張った。しかし、宗明学園、柔道部全員が突き刺すような視線を先生に集中させる。先生はそれに気圧されている。しかし、それを振り払い

「ダメだ。もしものことがあったらどうする。」

 そう言うと勇気は嘘を言った。

「右足が折れる可能性はありますが、命に別状はありません。」

 渡辺は詳しくは昨日の事を顧問に話していなかったようだ。おそらく、これから来れなくなると言っていただけなのだろう。

「・・・・・・・。」

 顧問は頭を掻いた。

「・・・・・・分かった。最後の我儘か・・・・・・。お前が強くして作りあげたチームだもんな。分かった。最後だ、最後にその我儘を聞いてやる。でも本当に最後だ。必ず試合が終わり次第、病院に戻れ。このことは俺は知らなかったことにしてやる。試合で不慮の事故で右足骨折程度なら、学校で問題になることもないだろう。」

 それを聞いて、皆顔を見合わせた。

「ありがとうございます。」

 宗明学園の柔道部員は顧問が願いを受け入れてくて、無茶な申し出を許してくれたことに感謝する。深々と全員、頭を下げた。顧問の先生は少し鼻を人差し指で掻いて言った。

「その代わり絶対に勝ってこい。優勝するんだ。」

「はい!」

 大きな声が全員一致した。

「よし、ほんならいきますか?!」

「おう!」

「俺達は誰だ?」

「宗明学園柔道部!」

「狙うものは何だ?」

「全国優勝!」

「絶対に勝つ!勇気をインターハイに連れて行くんだ!」

「おう!」

 手を出して円になっていたそう言った。しかし、最後の言葉はキャプテンの勇気ではなく渡辺が言った。

「何しきってんだよ?!」

 と勇気が言う。

「うるせー!」

 勇気の首に腕をかけて、頭をグリグリしている。向こうの意思は強固のものになったようだ。

 その姿を見て、俺達は勇気の参加にしばらく戸惑っていたが、宗明学園の一致団結した姿勢を見ているうちに、向こうの固まる意思に心が動かされる。

「・・・・・・。斎藤も参加する。アイツの最後の願い、そしてそれは、こっちの大将の願いでもある。俺達もその思いに全力で応えようやないか?」

 そう大山田が言った。皆、お互い顔を見合わせた。決意がこもった顔をしている。

「おう!」

「向こう、えらい気合入れてるから、こっちもいつもどおりやるで!」

「エイエイオー!」

 全員で拳を突き立てる。

「こっちも向こうに負ける訳にはいかん、全力でいくぞ!」

「おう!」


 その後すぐに審判に声がかかる。

「整列。」

俺達は宗明学園と向かい合わせになって整列させられる。皆の目は真剣そのものだった。絶対に両者とも勝ちは譲れない、優勝するんだ。その思いに心が占められているようだ。

 そして、俺達は場外に出る。そして大山田が井上に言った。

「井上、準備はいいか?」

「もちろん。最初から全力でいく、もちろんいつもそうしてるけど、今日はいつも以上の力が出せる。そんな気がするんだ。」

「そうか、頑張ってこい!」

「うん。」

「四谷坂学園、先鋒、宗明学園、先鋒前へ。」

 審判が呼んだ。井上は試合場の畳の上を歩いていく。そして開始線まで歩いた。その足取りはとても頼もしいものに感じた。

「礼、始め。」




・・・・・・・・僕が変わったのは柔道のお陰だった。僕はずっと臆病で引っ込み思案で、泣き虫。言いたいことも相手の顔色をいちいち伺ってしまう小心者だった。でも、そのせいで、友達、涼介が他校の生徒からリンチを受けているのを見ているだけで何もできなかった。ただ怯えていただけ、それは僕にとって一番、自分を嫌い、追い詰めるものだった。でも柔道を始めて、ただの友達だった皆は僕にとってより大事な存在に変わった。その絆を守るためなら僕は何だってできる。そう思えるようになって、柔道は僕に勇気というものを与えてくれた。僕はインターハイに出ること、そして優勝することは本当はどうだっていい、ただ、涼介の話を聞いて、二人のためにやってあげたいことがある。それが今のこの試合に臨むにあたって一番大事なことだ。僕は勝つ。その勇気を持って、涼介のために頑張るんだ。そう思っていた。

 相手の先鋒は前の練習試合では山田君が二人抜きをしたため、一回闘ったことがあるとはいえ、初めて組む相手だ。あれから半月程が経過した今、自分は強くなっている自信があるが、相手ももちろん強くなっているだろう。体格は170㎝程で、右利きなので相四つ。山田君が開始直後に大外刈をきめて倒した相手なので情報あまりない。でもそんなもの、もういらなかった。僕は自分のスタイル、柔道を信じてやればいい。そう思った。

 相手との距離をとりつつ、間合いをとる。動きは僕の方が速そうだ。僕は一回無心になる。そしてスピードの差をつかってつかみにいく。僕の方が速いと思っていたが、手の動きは互角だった。お互い、なかなかちゃんと組み合えない。僕は外中袖と横襟をちゃんとつかめたという感触をつかんだら、すぐに技をかけにいった。無心になっていたので一番得意な動きが自然と出たのだろう。大内刈だった。右足を相手の両足の間の前に踏み込み、左足も続いて前に出して、胸と胸をあわせるように接近して相手を後ろに崩す。そして右足を股の間に入れて左足を刈ろうとした。相手は右足を引いて耐える。僕はその後、反射的に動く、それは何度も繰り返して練習してきた絞られた技の一つの背負投に連絡しようとする。

 相手が後ろに崩れているのをさらに後ろに押し込み、反動で前に出ることを見越して右回り前さばきをして背中にのせながら放り投げようとした。相手は両手で引っ張られたまま、前かがみになって耐えられた。僕は膝をついた。すぐに両手を離して、四つん這いになり、腕を掬わせないように腋を締め、そして絞技がかからないように顎をひく。やはり、宗明相手には僕の背負投は通用しなかった。しかし、僕は諦めない。待てがかかり、再び立ち上がるときを待っていた。しかし、相手は僕を転がそうとしている。相手は僕の左側に向かい合う形でについて、僕の帯からめいいっぱいの力をこめて持ち上げようとしていた。僕はひたすら耐える。持ち上げられたら、転がされて寝技をかけられる可能性がある。僕も耐えるので、なかなか状態は変わらない。しかし、審判がそろそろ待てがかかると思ったときに、僕は上半身が一瞬持ち上げられた。手を畳につけて腋をしめていたため、腋と体の間に一瞬隙間があく、相手はその隙に左手を右脇下から差し込んで帯まで手をまわす。体の左半分から抱き抱えられた形になる。両足の甲を僕が四つん這いになっていたため、正座みたいなってに折りたたんでいた足を僕の内腿に当てて僕の足を伸ばした状態にして、僕を仰向けの状態になって抱きかかえたまま、右回転をして僕の体勢を仰向けにさせた。この寝技の技術は横返(酒井返)である。相手は寝技で勝負する気だ。

 相手はその状態のまま横四方固に移行する。相手は体を覆いかぶせた状態から、体を僕の右側に移し、左手を僕の首の後ろに差し込み首を抱えこんで、右手を僕の左足の内腿あたりを握り込んだ。相手の上半身は僕の胸や腹のあたりを完全におさえこんでいた。右脚は僕の右足近くにつけて膝を曲げており、そして左脚は伸ばしていて、僕の動きが逃れようと思って動いても対応できる理想的な横四方固だった。

 エビや肩ブリッジをして幾度か抗う。僕は焦っていた。この状態を打破しないまま、25秒が経過すると抑込で一本がとられる。しかし寝技の対処法、とくに横四方固の逃れ方には多少自信があった。鉄砲返しという寝技のカウンター技である。この技はまず、エビ(体をエビのように前に折り畳むこと)をして首を仰向けで寝かされた状態から横向けて、肩を抜いていきながら、畳に対し垂直にする。そして左手で相手の首を横から脇の下で抑えこみながら帯まで手を伸ばして掴む。そして肩を抜いた時に右手が自由に動かせるスペースができる、そのスペースを使って、相手の腹の下に手を通して脇腹まで通過させて手を体の外に出す。その体勢で、向こうが胸を使って抑え込もうとしたら、体が畳に対して側方になっているため、抑込がきまらない、その時がチャンスなのだ。その時に相手が圧力が弱まった時に抱きかかえたまま反時計回りに横転する。相手はその結果、横転をさせられて、ひっくりかえされて仰向けになる。相手が仰向けになったら、すぐに同じ横四方固めに移行し、抑え込むのだ。

 しかし得意とはいえ、相手はこっちが鉄砲返しを狙っていることに気付いている。

エビをして肩を抜こうとしても、それに合わせて胸に圧力をかけて、なかなか体の向きを側方にできない。ようやくエビが成功して、体を横に向けれたと思った瞬間だった。

「それまで。」

 審判は手を真上にあげた。抑込、25秒、間に合わなかった。そして審判が再び呼んだ。

「礼。」

 頭を下げた後、僕はなかなか場外を出ることができなかった。その場で立ち尽くしてしまう。そんな様子を見た大山田に声をかけられる。

「立ち止まるな!」

 その声は僕の心を突き刺した。そして自然と足が動いてくれた。皆、僕を見て心配してくれているのだろうか、皆の目はとても優しそうに見えた。

「立ち止まるな、井上、お前はこれからも強くなる。負けも糧にして一歩一歩進んでいくんや、だからこの試合で負けたこと、それはお前にとってやりきれなくて辛いかもしれん、でも進む足を止めたらあかん。」

「うん。」

「きっとその涙もお前を強くする。だから、もう泣くな。」

 僕は泣いていたのだろうか?しかし、僕を支配していた気持ち、それはその衝動を起こさせるほど大きな感情だった。

  ・・・・・・もう泣かないって決めていたはずなのに・・・・・・・

 そう思うと余計、涙が出てくる。僕は一気に右腕で涙を拭きとって言った。

「あと、後、お願いします。」

 僕は頭を下げた。

「おう!任せとけ!」

 皆が口を揃えて言ってくれた。




「四谷坂学園、次鋒、宗明学園、先鋒、前へ。」

 僕は、小さい時から塾に行かされて、勉強ばかりしていた。周りの子供たちは皆遊んでいるなか、僕はひたすら勉強していた。小学生のころは優等生と言ってもいい子供だった。その頃は、親は僕の成績に満足してくれて、よく褒められた。いつしか、勉強ができること、それが僕の自負になりそして、アイデンティティを支えるまでになった。もちろん校庭ではしゃいでサッカーや野球をしている同級生を見て羨ましく思ったこともなかったことはないが、それよりも家に帰って親に成績を見せて褒められること、それがとてつもなく僕の悦びで、スポーツなんかをするよりも僕にとっては大切なことだったのだ。

 しかし、勉強ばかりしているはずなのに、僕はその勉強に見放された。中学生3年ぐらいから好成績を維持できなくなったのだ。周りは中学時代はガリ勉とか言って小バカにしている連中がいた、僕は何も気にしなかった。僕は勉強ができる、悔しかったら僕に勝ってみろ!そう思うことによって耳にも入ってこなかった。でも、その勉強ができなくなることは僕の心を失墜させることは容易だった。勉強してるのに出来ない。成果が出ない。それでもがむしゃらになって毎日勉強した。その努力は実を結んだのか?偏差値の低い高校には進学することは無かった。しかし受かった高校は僕の安心を買える程の頭のいい学校では無かった。それでも最後にものを言うのは最終学歴、僕を諦めなかった。しかし一向に成績は上がらず、僕は勉強を続けることに疲弊し、意味をどんどん見失っていた。

 ちょうど、そんな時だった。僕は校門前で声をかけられた。「君、柔道やらない?」三枝先輩が声をかけてくれた。僕は自分が勉強すらろくにできない、ましてスポーツなんて全くやったことが無い自分に柔道なんて出来る訳がないと思って、その場から逃げ出してしまった。でも僕はそれがずっと心に引っかかっていた。そして体験会をするからと言って、柔道着を着た先輩たちが教室に入ってきたとき、僕は何故こんなことまでして柔道部を作ろうとするんだろう?スポーツなんて、それで食べていける人間はごく少数。将来になんの価値も見いだせないもの、そう思っていたが、先輩たちは必死だった。僕は体験会に行ってみることにした。男子生徒に必死に訴えかけている。しかし、柔道の体験をしているのは女子だけだ。この体験会は失策だったのではないか?と心の中で思っていた。しかし、女子が説明を受けて三枝先輩を投げていく姿。それは僕の心を動かしたのだ。やってみたい。でも、こんなに人がいる。僕はためらった。そしてチャイムが鳴って誰もいなくなったのを見計らって僕は声をかけた。先輩たちはみんな大喜びで僕を歓迎してくれた。しかし、大山田先輩を投げることになって、投げようとしても投げられない。僕はすぐに諦めた。僕に運動神経なんてものは無い、今までだってスポーツなんてしなかった。そんな僕は女子にも劣るんだ。だから絶対に僕には無理だ。そう思った。しかし、そんな姿勢を見て大山田先輩にどやされる。怖かった。気持ちで負けてるとか、本当に努力したことあるのか?と技ができないだけで散々言われた。でも僕はそんなスポ根みたいな講釈はどうでも良かった。スポーツに向いてない、早くこの人を諦めさせよう、そう思った。皆投げられたのに、僕だけできないのは向いてないからだと言い切った。それを聞いて大山田先輩はそんな僕の頭に血が上るようなことを言った。「あのな、山田君。もっと簡単に言ったるわ。エエからお前の本気見せてみろ!ウジウジしてんじゃねーよ!このチビ!悔しかったら投げ飛ばしてみろ!」その言葉に僕はカッとなった。気が付いたときには僕は大外刈を大山田先輩にかけて投げていた。その瞬間、僕は体中で湧き上がる感情を感じてしまう。僕はできるかもしれない。大山田先輩が一途に訴える本気、それの意味が人生で初めてようやく分かった。

僕は変われるかもしれない、この手でいまつかみ取ったもの、それを失いたくないそう思ったのだ。大山田先輩はまだ言葉を続ける、自分を信じて本気でぶつかったら得るものは必ずある。柔道を通して得られるもの、それは将来にも必ず役に立つ大きなものだと。何が無価値なんだろう?僕は勝手に決めつけて、見過ごしてきただけなのではないだろうか?僕は決める。柔道をすること、それは必ず僕に大きなものを与えてくれる。そして自分は変わるんだと。

そしてこの数か月、僕は言葉に変えることができない沢山のものを先輩からもらった。そして、その先輩の一人、山本先輩のために今度は僕がもらったものを返す番だ。そう思った。負ける訳にはいかない、一人でも多く、僕は勝つ。そう誓って相手と組みにいくのだ。

「礼、始め。」

 この対戦相手とは一度闘ったことがある。今でも覚えている。大外刈を頭からしかけて、その後の攻撃は全部しのいだ。今でもハッキリ思うことがある、勝てたのはたまたまだ。でも、もう前の僕では無い。僕は確実に強くなっている。本当の実力で勝ってやる。そう思った。

 フットワークを使って間合いをとる。相手は僕のスピードにはついていけない。いける。そう思って見合いをつめ道着を先につかみとる。かけた前は考えていないかったが、僕は大外刈を勢いのまましかける。この相手は僕のいきなりの大外刈に倒された相手、まさか、同じ大外刈でくるとは思わないだろうと技をかけながら思った。左足を相手の右側に大きく踏み出した。しかしその後、ある動きが僕の記憶の中の映像が目の前に映った。僕はそのまま左足を前に振りかざして刈ろうとした。しかし、右足を狙ったのでは無い。左足だ。僕が右足を振り上げているとき反応して左足を広げる。二度も同じ手はくうか!そんな意思が見受けられた。しかし、相手は驚いただろう、右足を刈ろうともせず、そのまま振り下ろした先は左足だったのだ。相手は完全に意表を突かれて、足を広げたまま畳に落下する。

 審判を見る。肩まで手が上がっている。技あり。

 この技は大山田先輩が準決勝で大将と闘っているとき見せた技、大外刈の応用の大内刈である。大山田先輩はこれを見てポカンとなっている。言葉も出ないようだ。

 相手は立ち上がる。しかし立ち上がったときの表情から読み取れることがあった。『こいつ相当腕を上げてやがる。』恐らくそう思わされたのだろう。相手は攻めにかかる。小外刈、支釣込足、出足払い。まさに猛攻と言っていいだろう。カウンターを試みたが、それをさせない、やはり向こうは強い。このまま前のようにディフェンスに徹すれば時間が経てば僕の勝ちである。しかし、それはしたくなかった。一本をとりたい。そう思った。しかし僕には決め技といっていい程の自信をもっている技は無い。どれも平均的で、この技というものが無いのだ。それならば豪快にきめてやる。そう思った。身長差がある場合、背負投はきまりやすい技の一つである。右足裏で相手の左足かかとを刈ろうした、この小外刈はフェイントである、相手はすかして左足を下げて対応する。そして体勢を戻そうとするところを見計らって右足前回りさばきをした、賭けだった。背負投をきめて一本をとることしか考えてない。そして背中にのせた感触が体を支配した後、そのまま相手を背負ったまま、放り投げようとした。

 ・・・・・・・・・・

 僕は審判を見る。腕が真上に上がっている。一本。僕は歓喜の声を上げたかった。

「それまで、礼。」

 僕は対戦相手に深々と礼をして場外に出た。

 大山田先輩が呆気にとられていた。そして言った。

「技を盗むのは一級品やな。」

「どういう意味ですか?それ?」

「ハハハ。」

 僕がそう言うと先輩方は笑った。しかし、大山田先輩は真面目な顔をしていた。

「ようやった!山田!」

「はい!」

 嬉しくて涙が出そうになった。でも喜んでばかりもいられない、まだまだ闘いは続いているのだ。僕は次の対戦相手に気持ちを切り替えた。


「四谷坂学園、次鋒、宗明学園、次鋒、前へ。」

「行ってきます。」

「おう!頑張ってこい!」

 そう言われて送り出された。開始線まで歩いて、宗明学園の次鋒と向かい合う。次鋒は165㎝程度の技術のある軽量級の選手だ。この次鋒とも一回闘っている。内股をきめられて次も同じ動きをしてくれたから確か、足を挟んで、そのまま釣手を腰に回して大腰をかけて勝った相手だ。

 この相手も完全に自分の本来の力で勝ったとは言い難い。駆け引きで自分が相手を出し抜いただけという感触だった。でも今なら、本当の力で渡り合える気がする。僕は一瞬たりとも気を抜かないように試合に集中する。

「礼、始め。」

 掛け声がかかる。確か相手は左利きで僕と組むときはケンカ四つになる。間合いをとる。相手も僕とそんなにスピードにおいて差は無い。しかし、相手の技術が高いことは知っている。そのことが僕の動きに歯止めをかけた。うかつに組みにいけない。そう思わされていた。

 そんなとき、相手から動いた。釣手で横襟を掴みにいく、僕も少し遅れをとったが釣手で襟を掴んだ。そして引手をとろうと動いた。お互い、同じ意思が働いたのだろう。引手、袖は同時に掴み合った。何をしかけてくるのか?と思ったが、もう頭で考えるのはやめだ。何か積極的に攻撃をしかけないと勝てるものも勝てない。僕は大外刈をしかける。相手を両手を使って、後方に崩して相手の前に体を横に向けながらついて、右足で右足を刈る。こんな大外刈をきめるには無茶な体勢ではきまる訳が無い。そんなことは百も承知の上だった。軸足である左足の向きを前に向け、大外刈で引っかけた足を利用して、そのまま足車をしかけようとしたのだ。足車とは払腰は相手に腰をあてて、それを支点にして前に引き出して相手を前方に回転させて投げる技だが、足車の場合は膝頭を支点にして前に相手を引き出しながら前方に回転さえて投げる技である。しかしこれは相手に読まれる。大外刈の足を残して膝あたりに足を残したあたりから、相手は前に崩されないように自護体になる。焦って、すぐ足を戻して向かい合って組み合った状態に戻した。

 ・・・・・・・強い・・・・・・・・

 そう思わずにはいられなかった。自分なりに完璧に投げに行ったつもりだった。しかし読まれていた。前は駆け引きの点では一枚上手だったという感触をもったが、今回のそれはその事実を否定した。

 体勢を急いで戻した瞬間、相手は攻撃をしかける。小外刈だ。僕の右側に移動しながら釣手と引手を使って前に崩そうとする。そして前に崩れて体重がのった右足を右足裏で刈った。両手は右ハンドルをきるようにして体の自由を奪いそして僕はそのまま畳の上に落下した。

 審判は手を挙げた。肩まで上がっている。技あり。しかし、この攻撃は一本と判定してもいい程のものだった。僕は劣勢に立たされる。幾度か僕の方からも攻撃をかける。しかし、きまってくれない。僕は焦り出した。時間がもう無い。しかしそう思って攻撃をしかけてもきまらない。僕は最後、内股をしかけた。釣手と引手で前に引き出しながら相手の左足前方に左足つまさきを前に向けてを踏み出す。そして腰を90度回転させて、相手の懐に入り、右足を股にいれて内腿を払いあげながら投げようと試みた。しかし相手は右足を上げて透かされ完全空振りになった。勢いよく払いあげようとしたので、片足の状態の僕はそのまま釣手で前に押し出されて、後ろに振り上げた勢いと前に押し出される力で回転運動が起こり、前に前転させられて、畳に落下した。内股すかしの一種である。

 審判は手を真上に挙げている。一本。完敗だった。

  ・・・・・・負けてしまった・・・・・・・・

 僕はヒシヒシとその思いを噛みしめる。僕は一勝でも多く、山本先輩のために勝つつもりだったのに。

 そして審判が呼んだ。相手と向かい合って

「礼。」

 頭を下げて場外に出た。悔しい。勝てなかった。前勝てたことは幸運だったのかと思わずにはいられない。完敗、相手に完璧に倒されたはずなのに、悔しい。悔やんでも悔やみきれない。

 そんな様子を見て、大山田先輩が言った。

「悔しいか?」

「はい。一勝でも多く勝ちたいと思っていましたのに、完全に相手に負けてしまいました。負けた弁解する余地もありません。なのに悔しいんです。」

「きっと勝てるようになる。俺はそう思うけどな、負けることは同時に目標を見つけることになるんや、だからきっと目標を達成する。ここのメンバーみんなに言えることやけど、それは一番お前が持っとるもんや。」

 その言葉はまるで、僕が本当の意味で本当に本気になれるっと言ってくれているようだった。僕はそんな気がして、そして本当に本気で努力したいって思った。僕ならできる、もう確信を持てる。なぜならばこんなにも悔しいのだから。僕は先輩方に頭を下げた。

「後、よろしくお願いします。」

 頭を深々と下げて、なかなか顔を上げられなかった。そんな様子を見て、瀬川先輩が言ってくれた。

「任せとけ!」




 俺は気心がしれた、本当の友達を見つけた。そいつは山本涼介という、パッと見はどこにでもいる平凡な奴だ。入学当初、特に惹かれ合うことは無かった。そいつと同じクラスになって話しかけてみると何故か話が合った。色々な話をして、いつもそいつと過ごしていた。しかし一番通じ合ったのは、この学校の女子が俺達に対する待遇だった。俺達は異性としての意識どころか、人として見ようとしない態度に業を煮やしていたのだ。それに対する反感する気持ちが一緒だったからだろうか、俺はこいつはなかなか見どころがあると思っていた。俺は本来、女なんてあまり興味ないが、友達として中学生まで普通に接してきた。しかし、この学校の女子ときたらなんだ?!毎日苛立ちを感じていたからだ。

 しかし、それは俺の興味をひきつけるきっかけに過ぎない。長いこと接していくうちにどんどんコイツの良さが分かってくる。人を身を挺してまで守ろうとする、情の熱さや、困った人を見過ごせない優しさ。俺はコイツをずっと見守っていきたいと思うまでになっていた。そして、こいつは三枝優利という女に恋をする。三枝優利か、優しそうだし、面倒見も良さそうだ。何よりコイツは男子を差別している様子は全くない。俺は心の中で容認していた。しかし、涼介はコイツにいつアタックするのか?それを自分のことのように気を揉んでいた。しかし急展開が起こる。涼介があることをきっかけに女子から目をつけられ、学校から連れ出されて他校の男子生徒にリンチされていた。その光景を見て、初めて見た日は逃げ出してしまったが、俺は誓った。コイツを守るのは俺の役目だと。そして助けに行ったその日、三枝と斎藤が突如現れて嵐のごとく不良共を倒していった。俺は悔しかった。自分が涼介を助けられなかったことが、そして、この二人がその後、涼介をどこかに連れて行ったことを。俺は自分の非力さを憎んだ。そして涼介を連れ去っていった二人も憎んだ。自分の非力さとそして、自分が守るという矛盾した心の葛藤が俺にはあった。それはたちまち憎悪に変化し、涼介を否定するようになった。そして衝突する。俺達は屋上で喧嘩した。しかし、そのときだろか、俺はやはり自分の心に嘘をつけなかった。喧嘩は俺が勝っていたはずなのに、涼介を殴ることができない。俺は、俺は、コイツを守るんだ。やっぱり大切な友達なんだと。その後、様子を伺っていた三枝が現れ、柔道を俺にもやってくれと頼まれた。俺は意地を張るのをもうやめた。俺はただ、嫉妬していただけだ。一緒に柔道を始めて見守ってやろう。何も三枝や斎藤が悪いことなど何もしていなのだから。そして、それからもずっと見守っていた。どんどん、斎藤や三枝と距離を涼介は縮めて、親密になっていく。俺はそれもいいだろうと思うようになった。アイツは飛び立とうとしているのだ。俺は傍らにいるだけでいい。そう思っていた。しかし斎藤は涼介との仲を深めるなかで、とんでもないことを隠していた。そして、そのために涼介に思いを引き継がせようとしていた。俺はそれを聞いたとき、涼介が斎藤に思う気持ちが大きいため、とてつもなく苦痛を感じているのは涼介が口に出さずとも分かった。辛い思いをするだろう。でも、だからこそ俺は二人の間に悔いが残って欲しくない。俺が涼介にやってあげられること、それは、二人が望む最後の願い、それを実現することだった。だから、俺も負けられない。必ず勝ってみせる。その意思で闘いに挑む。

「四谷坂学園、中堅、宗明学園、次鋒、前へ。」

 俺は開始線まで歩く。

「礼、始め。」

 勝負が始まった。相手は山田を技術面で倒した相手である。油断などできる訳もない。俺は中堅をはっているだけあって、山田よりかは強い自信はあった。しかし、山田のように意外性が無い。俺はただ基本に忠実で地味なのだ。そういう面で山田のように予測不可能な動きで相手を翻弄し勝つことはできない、そう思っていたことには嘘はつけない。しかし、俺も殻を破らなければならない、今相対する相手はそんな相手だ。

 まず釣手を取りに行く、軽量級の選手だけあってスピードはある。しかし、俺の方が力はある。相手はすばやく大腰をしかけてきた。前後に揺さぶりながら、前に出たと思った瞬間に釣手を腰にまわして、引手を引っ張ることで投げにかかる。若干前に崩れていた。しかし倒される訳にはいかない。踏ん張る。相手は投げることが出来なかった。こんな頭から投げられて負ける訳にはいかない。そして相手は体勢をたてなおして再び向かい合う。相手は攻撃の手を休めない。そのまま背負投の体勢に入る。しかし、俺も攻撃をしかけよとしていた。小外刈である。相手が背負投をするため、左足を踏み出したのがこの小外刈がきまることに功を奏した。相手の左側に移動しながら釣手と引手を使って前に崩す動作をする。相手は左足を踏み出しているので既にこの技にかかりやすい状態になっている。後はハンドルを左に回すようにしながら、バランスをさらに崩させて、左足を刈った。

 相手は落下する。

 審判を見る。肩まで挙がっている。技ありだ。

 相手は立ち上がりながら、汗がしたたり落ちている。完全に失態だった。背負い投げのモーションに入っていたため、防ぐことは不可能だったのだ。

 しかし、俺も汗がしたたり落ちている。一瞬たりとも気が抜けない勝負。これは点数が勝っているからといって消極的な柔道をしたら、立場がひっくり返されかねない。

 しかし、そうは言っても劣勢に立たされているのは向こう、相手の方が焦っている。一本をとる。そう思って、相手は内股をしかけてくる。右足を俺の左足の前に踏み出し、腰を90度回転させながら、左足で右内腿を払いあげようとしてくる。相手が内股がきた瞬間思った。このまま足を挟んでやればこの場はしのげる、でも俺は殻を破ろうと思った。内股すかしを狙う。俺に内股すかしができるか確証は無いが、やるしか無い。俺は上手くすかすことはできなかったが、相手の左足をぎりぎり俺の右足の横を通った。そのとき片足立ちのため大きく崩れた。俺はその機を逃さなかった。その体を支えている相手の右足の前に自分の右足を出した。そして釣手を前に押し出して相手の体が前に出るように投げた。さっきとは違う内股すかしである。内股すかしは成功した。審判を見る。

 肩まで手が上がっている。技あり二本、一本である。俺は勝利した。

「それまで、礼。」

 俺は礼をして場外に出た。

「ようやったな。」

 大山田は俺にそう言った。

「一瞬たりとも気が抜けない試合だった。相手、やっぱり認める他ないな。」

「せやけど、そんな相手に達也は勝ったんやで。」

「そうだな、でも次の相手、中堅はこう上手くいくか分からない。」

「前の中堅にやられたこと思い出してんのか?」

「おう。かけられた技は内股返、小内からの背負い。そして俺の攻撃は全部、防がれた。前に一回、中堅の試合見たけど、上手い試合運びをして背負投で完璧に一本とってた。ますます強くなってる、正直勝てる自信はあまり無い。」

「強くなってるか・・・・それはお前にも言えるんちゃうか?」

「?」

「内股すかし、初めてきめたやろ?」

「そうだな。」

「今、この場でもお前は成長を続け取る。そのスピードは決して早くないが、殻を破って一気につき上がるかもしれん。だから俺はお前が勝つことを信じてる。」

 大山田は俺のことをちゃんと見ていてくれていたのだ。自分が初めて内股すかしをきめれたこと、そしてさっきの試合で自ら挑戦し、殻をやぶろうとして強くなろうとしていることまで。

「そうか・・・・・。ありがとうな、大山田。期待に応えてみせるよ。コイツのためにもな。」

 俺はそう言って涼介を見た。そして前を向く。決して負けられないと気持ちを奮い立たせた。

「四谷坂学園、中堅、宗明学園、中堅、前へ。」

 俺は呼ばれて開始線まで歩いていく。相手を見ただけで少し気圧されてしまう。しかし後ずさりはできない、それを振り払って力強く歩く。

「礼、始め。」

 審判が言うと、すぐ俺は距離をとった。大山田級の右組みの相手、俺とは相四つになる。技術はかなり高く、その上、俺よりも力は強い。しかしスピードだけは俺の方が速いだろう。そう思ってもなかなか組みにいきたくない。そうしていたら、先に距離をつめられてつかまれる。うかつだった。スピードがこっちの方が速いなら、先手必勝という手もあった。内股をかけられる。右足を両足の間の前に踏み出され、両手を使って前に崩されて反時計回りに体を回転させながら右足を入れて内腿をはらいあげようとしてくる。

  ・・・・・・速い・・・・・・・・

 驚いた。とっさに足を挟んで腰を落とす。内股返しどころでは無い。とても対応できない。すぐさま足を抜いて、また組み合う。次は俺から足技を積極的にかけにいく、大内刈、小内刈、支釣込足、すべて連絡せずに様子見だった。相手はそれすら読んでいるように思える。そして、俺がそんな姿勢で出足払をしたときである。俺は右足裏で左足外くるぶしあたりをなんとなしに払おうとした。もちろんこれできめる気はない。しかし、相手はそんな出足払に反応し、左足をとっさに下げてすかし、その足でそのまま俺が払おうとした足を左足裏で払った。俺は体勢を崩し、そして落下する。燕返である。

 ・・・・・・負けてなるものか・・・・・・・・

 俺は背中を着けないように落下した。これでは最低でも一本に至ることは無い。

 審判を見る。肩まで挙がっている。

 ・・・・・技あり・・・・・・・

 それは俺をものすごく追い詰めるものだった。これまで技を全部防がれて、前の試合でも全部不発に終わっている。そのうえ、この判定である。技ありなどこの相手に容易にとれるものでは決してない。そんな心理的に極限状態で俺は思った。それは大山田に言われた言葉、俺は今でも成長している、そして殻を破れば一気につきあがるかもしれない。殻を破ってみせる。俺はそう決意して力強く立ち上がる。

 俺はそのとき、やったこともない連絡技を思いついていた。これがもし成功したら、俺は殻を打ち破ることができるだろう。そう思って、俺は素早く組みにいき大外刈をしかける。スピードは自分の方が速い自信があるので、大外返でも食らわないかぎりは倒されないだろう。それに本気にかけに行く気はない。左足を相手の右横に踏み出し、そして右足を大きく振り上げて大外刈をしかける。しかし俺はその大外刈は相手の裾にかすらせただけだった。そして、相手は大外刈に警戒していたので、左足を後ろに開いていた。俺はその姿勢から左足を軸に90度反時計回りに回り、大外刈で振り上げていた右足を相手の股の間に入れて左腿を払いあげながら両手をつかって相手を前に押し出した。内股をしかけたのだ。

 相手は完全に意表をつかれていた。それは倒れていった様子を見たら分かる。そして、畳の上に落下した。俺はすぐ審判を見る。

 腕を真上に挙げている。俺は体中の血が騒いだ。手も足もでないと思っていた相手に一本をとれたのだ。静かに喜びをかみしめる。

「それまで、礼。」

 俺は礼をして、そして場外に出た。

「殻を破ったな!」

 大山田は俺にそう言った。手の平でつかみとった感触、払いあげた右足の感触、それがずっと俺の体にまだ残っている。それは今まで俺がただ基本に忠実で地味な柔道をしているという自分の心の中に存在している殻、それを打ち破ったことを体現しているようだった。

「おう!」

 この感触・・・・。俺はまだまだ強くなれる。現段階では各上だと思っていた相手に俺は勝てたのだから。大山田はそんな様子を見て言った。

「次は副将、相手は勝手に俺のことをライバル視しているが、渡辺や。試合前に言っちゃなんだけど、相当強いぞ。」

「おう。分かってる・・・・・。」

 俺はまっすぐ対戦相手を見た。大山田は俺の目を見て、静かに目をつぶり、そして再び目を開けたときに俺の背中を大きく押してくれた。

「頑張ってこい!」

 大山田はあえて余計なことは言わない。もしかしたら、俺に大きな期待を言わずとも、のせてくれているからだろうか?


「四谷坂学園、中堅、宗明学園、副将、前へ。」

 俺は開始線まで歩いていく。この相手は大山田相手に拮抗した試合をし、長い闘いの後、大山田が相手に横車という大技で倒した相手。大山田が苦戦を強いられた相手、勝てる見込みは小さい。しかし、俺はさらに殻を破ってやろうと思っていた。全身全霊の力で相手と立ち向かうんだ。

「礼、始め。」

 試合が始まる。体型は大山田とそっくりだ。そして前の試合で確認済みで力は大山田と互角。左組みの相手、俺とはケンカ四つになる。

 フットワークを使って相手との距離をとる。重量級なのでこっちの方がスピードはあるようだ。俺は前の試合で尻込みしてすぐに組みにいかなかったが、今回はこっちから素早く行動に出る。釣手、引手を掴み取る。前後に揺さぶる。

 ・・・・・動かない・・・・・・

 相当足の力がある。俺はそれに驚き、一瞬思考がそれに囚われる。その瞬間、相手は釣手を腰に回して、引手を力強くひっぱり、完全に前傾姿勢にさせられて腰と接触させながら俺を前方に投げ飛ばした。大腰。

 審判は肩まで手を挙げる。技あり。

 こいつは今まで闘ってきた相手とはケタ違いだ。そう思わされた。それもそのはず、大山田のライバルなのだ。コイツを倒せること、それは大山田に実力が大いに近づくことを意味するのだ。しかし、相手は何も特別なことをしていない。ただ、大腰という単調な技を俺にかけただけ、駆け引きや技術面で勝負したら俺にも勝機はあるかもしれない。

 俺は立ちあがる。そして闘志を燃え上がらせる。

 俺はある技を狙っていた。この技の類似技はうちの柔道部は何故か好きで、何度も見せられた。しかしこの技自体、俺はやったことが無い。しかし、相手は必ず意表をつかれることだろう、そう思った。

 相手は小外刈、袖釣込腰、内股。どれも必死に耐えていて、投げられないようにするのが必死だった。全然反撃できない。しかし、俺は考えていた。どの隙を見計らおうかと。この技をするには前に崩れてくれているときが望ましい。相手が前に体重をのせるとき、それを攻撃に耐えながら見計らっていた。

 そんなときチャンスが訪れる。一本背負投をしかけてこようとした。相手はこれできめる気だ。相手は引手を離して、俺の釣手を押し下げる。この状態ならば必ず右足に体重がのっている。すぐさま俺は相手が一本背負いのモーションに入る前に、引手(右手)で右袖口を持った。そして釣手で右足に体重をのせた相手をさらに右前隅に崩し、左足が右足前につくようにスライディングしながら畳に落下した。後は頭を相手の右脇下からくぐらせて、横に体を捨てながら体を捻って相手の前方に回転させて投げる気だった。この技はうちの柔道部が好んで使う浮き技の類似技、肩車である。

 しかし俺は相手の右足の前で、ただ右手を引っ張って座っているだけだった。絶対にきめると信じて揺るがなかった、この技を耐えられていた。恐らく引手を右袖口をもった時点で肩車がくることを警戒し、腰を落として、自護体になっていたのだろう。

 しかし、相手は対応できたとはいえ、一瞬驚いていた。しかし、その顔は一瞬だけ、すぐに寝技に移行する。相手は仰向けになった俺の右の方向に立っている。相手の右手はそのまま釣手に持たせておき、引手は相手の袖を掴みにいく。そして右足は相手の腹に当て、そして左足は畳を蹴って、相手の技がいかなる寝技がこようとも、簡単にかからないようにしていた。相手はまず、右足を徐々に相手の右側に体を前に押し込みながらずらしていった。そしてそのまま横から体を抑えこみ、右足を完全に外した。そして右手で内腿あたりの道着をつかみ、左手は俺の首を抱えこんで上半身の圧力で完全に上半身を抑えこんだ。横四方固である。俺はこの抑え込みから逃れようと、右手の肘あたりで相手を押し上げてどうにか、相手の体の間にスペースを作ろとした。そのスペースをつくれば体の向きを横向きにしてエビで逃げれるからだ。しかし、持ち上がらない。顔を真っ赤にして、どうにか持ち上げようとする。しかし少しも持ち上がる気配が無い。そして審判が言った。

「それまで。」

 手を真上に挙げている。抑込、25秒経過。一本である。

 まだ力は残っている。こんなルールさえなければ、勝てたかもしれない。俺は負けを受け入れて消化することができずにいた。

「礼。」

 俺は、場外に出るのに時間をかけて出た。

「・・・・・・。」

 俺は大山田に何も言えなかった。ただ自分の非力さを悔やんでいた。

 そんな様子を見て、大山田は俺に言った。

「お前、もしかして自分が渡辺よりも弱いから負けたなんて思ってないよな?」

 図星だった。まさにそれで俺は自分を許せずにいた。

「・・・・・あのな、あの試合で肩車狙いにいったのは完璧な作戦や、ただ単に向こうが気付くのが早かっただけ。」

 少しは気持ちが楽になった。でも、まだしこりは残っている。

「それでも・・・・・。」

「勝負ってのはな、必ず強いものが勝つんやない。実力で劣ってると感じたら、どうやったら勝てるか、模索する。そしてその結果、勝負する前から分かるって思われる勝負すらひっくり返すことが可能になるんや。だから、決して弱いから負けたんやない。あの時点で相手の攻撃を受け、自分が負けるなんて微塵も思わんと立ち向かって、あの肩車をしかけた。あれは相手がかかる可能性が十分にあった。ただ、勝利の女神が味方せんかっただけや。だから、お前は強い。たとえ、世界中の皆がそれを認めなくても、ここにいる俺達のチームは全員それを認めとねん。」

 そう言われて、皆の顔をみた。皆の顔を見た瞬間、俺は自分を追い詰める気持ちが一気に解放された。俺は目頭が急に熱くなる。大山田はそんな俺を見て、鼻で笑った。

「お前、柄にも無いことすんなよ。」

「うるさなあー。」

 俺は顔を見えないように背ける。

「達也、後は任せとけ。」

「おう。よろしく頼む。」




「四谷坂学園、副将、宗明学園、副将、前へ。」

 俺は呼ばれて、開始線まで歩いていく。俺はそのとき、再び柔道を始めた理由を思い出していた。自分の手で選手生命を奪ったこと、そのトラウマから暴力を嫌い、柔道を引退した。

それから何をやっても満足できない空虚な日々を過ごしていた。それは罪悪感からずっと囚われ続けていたからだ。しかし、俺は理不尽な暴力を何度も目の当たりにした。しかし、俺はもう二度と格闘技を嫌い、それで人を傷つけることを恐れていたため、何もしなかった、というよりその思いから何もできなかったのだ。しかし俺は衝動的になって、あの日、井上と達也を自分がもう二度とやらないと誓った柔道を使うことで助けてしまっていた。そして自分の気持ちを打ち明けた後、達也に言われた。「そうやって過去を背負いこんで、自分を騙して生きていくことは、お前は自ら不幸な道を進むことになるんだぞ!もういいんだよ、大山田、お前らしく生きてくれ。その思いを受け止めながら、お前の手で誰かを幸せにして、お前自身も幸せになってくれよ!俺はお前にそれを望んでいる。それは井上も、そして涼介もそれをきっと望んでいるよ。」

 この手で人を不幸に追い込んだ俺は、その言葉に心が動かされる。過去に囚われ、許されるべき人間でないと自分を追い詰めていた、こんな自分の幸せを願ってくれている人がいる。俺はようやく自分自身の幸せのこと、そして俺を大切に思ってくれている友達がいること、それに気付かされる。俺も幸せにならなければならない、俺のことをそう願ってくれている人のためにも。そのとき、俺はようやく自ら幸せになりたいと思った。コイツらと柔道をすること、そしてまた大好きな柔道を続けること、それは俺の幸せそのものだったのだ。そしてコイツらと今まで柔道をやってきたこと、それは言葉に変えることのできない程の大きなものを俺に与えてくれた。俺はその思いを今噛みしめている。しかし、同時に俺は、コイツらにも幸せになって欲しいと思うのだ。だから、今度は山本の力になってやりたいのである。俺の手で誰かを幸せにする。達也が言った言葉だが、俺はそれを山本にやってあげたい。少なくとも、今後の人生で後悔に縛られて生きて欲しくないのだ。

 開始線が近づくと、渡辺に話しかけられた。

「おい、お前、当然俺には勝つ気ではいると思うけど、俺に勝ったら、そっちの大将のために勇気との闘い、ワザと負ける気ちゃうやろな?!」

「・・・・・・。」

 正直悩んでいたことを渡辺に言われた。確かに俺は山本の思いを聞いてから、二人がこの最高の舞台に立って闘ってもらいたいと思っている。しかし、はたして、斎藤が俺がそんな姿勢を見せたら喜ぶだろうか?

「そんな訳ないやろ?そんなことしたら、斎藤の気持ちを裏切ることにもなりかねん。勝つ気でいるよ。」

 俺はその場を取り繕った。

「そうか・・・・。俺とお前は同じ立場やからな、同じこと考えてると思っとたんやが、結論は俺も同じや。」

渡辺も悩んでいるようだ。しかし渡辺は俺とは違い、答えは出ている。自分が勝ち上がって大将まで倒すと。

「そういうことやから、悪いけど、大将、勇気までいかせる気ないわ。ここで食い止めたる。」

 そう渡辺が言った。俺はその言葉に刺激された。たとえ斎藤を倒さなくても渡辺は倒さなければならない。

「そうか?でも悪い渡辺、勝たせてもらうわ。」

「ハハハハハ!」

 俺達はお互い、本当に不器用だ。そう感じ合った。

 審判に注意された。

「不必要な会話はひかえるように。」

「はい。」

 そう返事をすると、すぐ掛け声がかかる。

「礼、始め。」

 渡辺は強い。それは分かっていた。この前の試合では俺は辛勝することができたというのが俺の率直な印象だった。しかし、俺はあれから相当腕が上がった。柔道を長いことやってきてるが、こんなにも成長できのは、的確なアドバイスをしてくれた三枝、そして俺よりも強い相手、斎藤と乱取をしたことが大きい。スピードに置いて、俺は凄く成長したことを確信している。しかし、渡辺も俺からの敗北を糧に変わっているだろう。あれからの成長が試合の勝敗に左右する。これはそう言う意味を持った試合だ。

 渡辺との組手はケンカ四つになる。俺は間合いをとるためにフットワークを使う。やはりスピードの面では俺の方が勝っている。俺は組みにかかる。すぐに釣手、引手を相手より先につかむことができた。大腰をしかける。俺は渡辺の腰に手をまわして、引手でひっぱり、渡辺の腹部に右腰に当てて投げよとした。耐えられる。力はある。力の面で俺が渡辺より勝っていることは無いようだ。

 渡辺と再び向かい合って、渡辺はすぐに小外刈をしかける。俺の右側に移動し釣手、引手をつかって、右前に崩そうとして、左足裏で右足かかとを刈ろうとする。俺は重心を下げた。耐える。

 一進一退の攻防である。渡辺と俺に共通していえること、それは技をきめる気でかかってきていることである。連絡を考えていないように思えた。しかし、これで両者とも分かっただろう。連絡技、もしくは変化技(カウンター)をしなければ、勝敗がつかないと。

 俺と渡辺は再び距離をとった。俺達の得意技は互いに知っている。俺は背負投が得意で渡辺は内股である。俺は背負投を狙う。まず大内刈をねらう。釣手を渡辺のあごに押し当てて、引手を引きながら前に崩し、右足を相手の股の間にいれ左足を刈ろうとした。渡辺は左足を引いてすかす。一旦前に崩れていたため、後ろに重心を置き、また攻撃を仕掛けようと左足を戻すの見計らて俺は背負投をしかける。俺は釣手の肘を相手の腋の下には入れずに、釣手を掴んだまま相手の胸と自分の背中を密着させて体を大きく前傾させて背中にのせながら引手を引っ張る方に放り投げた。ケンカ四つの場合の背負投を肘抜き背負いという。

 渡辺は踏ん張っていたので、投げれたことは投げれたが、一本はとれていない感触だった。

 審判を見ると腕は肩までしか上がっていない。技あり。

 俺は大きくリードすることになる。しかし、渡辺は俺が一番得意な背負投をしかけてきてくれたことを少し嬉しそうだ。ならば、俺の内股を見せてやろう。俺達は言葉にせずとも分かった。俺はその思いに応え、全力で相手の内股を迎え撃つことを受け入れた。

 この勝負は相手が完璧に内股をきめることができれば勝ち、そして俺が相手の内股をすかす、またはカウンターを決めたならば俺に軍配が上がる。その勝負に見えた。

 かと言って、頭から内股をしかける程、渡辺はバカでは無い。タイミングを見計らっている。袖釣込腰を狙う。相手は釣手となる左手で俺の右袖口を掴んだ。そして上方に手を釣り上げながら、素早く体を半回転させながら腰から俺の体が左側に出るように、俺の上半身を腰でかかえながら前傾姿勢になった。ケンカ四つのとき袖釣込腰をするときは片手で行われることが多い。俺はこの一連の動きはとてもスピーディーなものであったが、袖釣込腰であることを読んでいたので、体は持ち上がらなかった。そして、向かい合って組み合ったときである。内股だ。内股を渡辺はしかける。この攻撃を耐え、少し体勢にふらつきがあったときだった。

 渡辺は右足を、前方につま先を向けて俺の左足前に出す。そして時計回りに腰を90度回転させ左足で俺の股の間に入れ、俺の右腿を払いあげようとした。俺は過剰に反応してしまって右足を後ろに下げ過ぎた。この時点で両者とも片足立ちになった。

・・・・・・やばい・・・・・・・

そう思った。もし俺の左足を渡辺の前に出す事ができなければ、内股すかしは成功しない。そして、もし、俺の右足が間に合わず、先に左足を左足で刈られる(内股からの大内刈への連絡)ことがあれば、俺は投げられてしまう。そのまさに一瞬が左右する刹那の状況の後、俺は歓声を聞いた。

 そして、確かめてみる。俺が立っていることを。

 ・・・・・・勝った・・・・・・・

 俺は拳を握りしめて勝利を噛みしめる。審判を見る、腕を真上に挙げている。一本だった。

 渡辺は起き上がって、俺に手を差し出す。

「いい勝負だったな。」

「おう。」

 俺達は握手する。

「次は必ず勝ってみせるからな。俺はお前に一度も勝てたことが無い。でも、俺はこれを糧にもっと腕を上げる。だから、お前も腕を上げて待ってろ!もう二度と柔道を辞めるなよ。」

 渡辺の言葉、それは俺は凄く心に響いてしまった。柔道を辞めるなよ。そう、もう辞めてなるものか、俺の幸せ、そして俺のことを幸せを願ってくれている人のためにも。

「礼。」


 俺は場外に出て戻ってくる。

「本当にレベルの高い、いい試合だったな。」

 そう達也が俺に言った。

「そうだな、やっぱりアイツは俺のライバルなんかもな。癪やけど認めたるわ。」

 そう笑いながら言った。

「いよいよ、斎藤君だね。」

 と井上が言って、皆、相手の大将を見据えた。

 ・・・・・・・斎藤、倒していいものか?・・・・・・・

 俺はまだ悩んでいる。そして、山本の顔を見てみた。山本は俺の気持ちに気付いている。だから俺にこう言った。

「遠慮しなくていいよ。大山田。」

 ニッコリ笑って俺に言ったが、なんだか無理に笑っている気がした。

・・・・・・どうしたらいいものか?・・・・・・・

 そんなこと考えていたら、俺は審判に呼ばれる。

「四谷坂学園、副将、宗明学園、大将、前へ。」

 開始線まで歩いて行く。そして斎藤に近づくにつれ、俺の本能がかきたてられる。確かに何度も乱取をしてきた相手である。しかし、あの試合、俺は斎藤に開始してわずか数秒で倒された動きが、今向かい合っている斎藤と重なる。

 ・・・・・・闘ってみたい、全力で・・・・・・・・・

 俺の体中にめぐる血液が俺にそう知らせる。俺はゴクリと唾を飲んでしまう。現状、自分より強いと心から思える相手。その相手に自分の実力を試してみたいのだ。

  ・・・・・・・悪い、山本・・・・・・・・・

 俺はそう心変わりしたことすら、自分を責めることをしなかった。もう、俺には闘争心の火が高く燃え上がっている。

 お互い向かい合って。審判に言われる。

「礼、始め。」

 すぐに距離をとる。こいつのスピードは知っている。速い、ものすごく速い。そして力も俺と同等近くこの体格で有してやがる。俺はまるで威嚇している猫のように、距離をすぐにとって、相手の動向を見定める。斎藤はそんなに速く動いているようには見えない。しかし、それは手を抜いている訳ではない。俺の行動そのものが異常なのだ。しかし、そんな姿勢をずっと続けても闘いは始まらない。覚悟を決めて組みにいく。組みにいくと当然、斎藤の方が速い。横襟と外中袖をつかまれた。前みたいにクロスグリップで組めなかったようだ。それは俺は俊敏性において差を埋めていたからだ。俺もほんの少し遅れて相手の道着をつかんだ。斎藤は内股をしかける。素早く両手を使って前に崩しながら体を半回転して、股の間に右足を突っ込んだ。

  ・・・・・・・・・かかる・・・・・・・・・・・

 俺は足を股に挟んで腰を落とす。反応するのがやっとだ。すぐさま斎藤は足を抜いて体勢を整えようとした。俺はその後に、俺の十八番、背負投をきめようとする。俺が全身全霊で一番強いと思っている技、背負投、これが通用するか、みてみたかったのだ。両手を使いながら右前りさばきで前に崩す。そして相手より自分の重心を下にして、釣手を相手の右脇下にいれて背中にのせて前に放り投げる。俺は自分で自分を褒めていいくらいの投げるまでの動きをした。しかし、俺は背中の上で斎藤を抱えていた。潰れてなるものか、そう思って、足に踏ん張りをきかせて、立ち上がり、そしてまた向かい合った。

 俺は再び手を離し、距離をとる。バクバク心臓がなっている。自分の背負投が通用しなかったこと、それに動揺していたが、そんなことを考えている時間などない。いかにして勝つか?それだけを考える。それはやはり自分が信じ切れる技、背負投を通してしかありえなかった。小内から背負い、大内から背負い、小外から背負い。色々頭の中で考えがめぐる。しかし、もう闘争本能に任せる他ない。

 俺が選択したのは小内刈からの連絡だった。右足を斎藤の足の真ん中の前に踏み出し、左足も続けて前に運びながら、引手を引き下げ、そして釣手を立てて後方に押し込み後ろに崩す。そして右足を股の間に入れて、右足アキレス腱あたりを右足裏で刈る。斎藤は左足を引いて耐える。俺は右足を支点として、両手で斎藤を押しつけ反動で前に出ることを見越して、また背負い投げのモーションに入る。右前回りをしながら前に崩して、背中にのせて放り投げるつもりで投げた。

 またもや、背中の上にのせていただけだった。しかも今回は潰れる。その後、膝を畳につけてしまったのだ。俺はすばやく手を離して、腋を絞め、そして顎を引く。この状態は相手に転がされてしまったらもう決着はついてしまう。横返、ネルソン、転がす方法は色々とある。俺は覆いかぶさっている斎藤の攻撃にひたすら耐えていた。しかし少し不思議に思った。コイツほど技量があれば、たとえ俺が防御態勢に入っていたとしても、転がせるはずである。

 そんなことをふと浮かんだが、待てがかかりそして立たされて試合再開である。

  フゥフゥ

 息が上がる。こんなに気持ちを高揚させて試合に挑むのは初めてだ。斎藤からしたら俺の疲労は手に取るように分かっているだろう。そして俺はまた、背負投を選択する。あまりにも無策でバカである。しかし、バカにでもならないと勝てないだろう。そんな相手だ。

 今度は大内刈からだ。俺は大内刈をしかける。今度は右足を相手の両足の真ん中あたりの前に踏み出し、続けて左足を運ぶ、そして胸と胸をあわせるように相手を後方に押し崩そうとして右足を股の間に入れ左足を刈ろうとした。しかし、連絡に背負投を選んだことよりも大内刈を選択したことが良くなかった。斎藤は右足を大きく下げて、刈られそうになった左足を俺の右足ごと払いあげ、体のバランスを崩した俺は、斎藤に両手で反時計回りにハンドルを切られたように体を動かされて、そのまま畳に落下した。

 投げられた俺は審判を見た、腕を垂直に挙げられていた。

「それまで。」

 大内返だった。完敗だ。しかし、悔しい。悔やんでも、悔やみきれない。自分の力を最大限に使って、自分の出せる技のなかでも最大の自信があった背負投をもってしても届かなかった・・・・。唇を噛みしめる。

「礼。」

 俺は場外に出た。

 俺の顔を見て皆、俺のことを心配してくれている。しかし、それを見て俺はハッとし、そして大事なことに気付く。

  ・・・・・・皆、ありがとう・・・・・・・

俺のことを心配してくれている。俺はこいつらに愛されているのだと、そしてコイツらのためにも幸せにならなければ。思えば、こんなに心に高揚感をもって闘ったのは初めてだ。俺は幸せだった。こんな一戦ができたのだから。そう思うようになったいた。

 だから、俺は皆に笑顔を見せた。

「ええ試合やった。今までで一番かもしれん。」

「そうか。」

 達也は優しい目で俺を見ていた。

「・・・・・それでやな、山本、次の試合、お前が願い続けてきた斎藤との大将戦や。」

 山本は俺の目をじっと見て頷いた。

「やっぱりこの最高の舞台での役者はお前みたいや!勝ってこい!」

 俺は山本にタスキを渡す。

 山本は静かに頷き、そして立ち上がる。目にものすごい強い意志を宿らせている。こんな山本を見るのは初めてだ。俺は圧倒されてしまった。





皆が俺のためにつないでくれたタスキ、俺はもう、皆に頭が一生上がらないだろう。感謝しても感謝しきれない。この勝負が成立できたこと、それは四谷坂学園の柔道部皆が、俺のために力を合わせてここまで勝ち上がってきてくれたのである。俺は皆の力、そして絆に感謝する。

 そして、その皆の力で成立させてくれた、俺と勇気の願い、最高の舞台で闘うこと。今思えば俺と勇気が出合った瞬間から、運命の歯車が既に回り始めていて、この闘いをすることは宿命づけられていたのかもしれない。そんなふうに思えてくる。しかし、本当の勇気の願いは勝敗が分からない、最高のライバルと闘うことでもある。それは俺が勇気と同等の力をつけていなければならない。だから、俺は勝利よりも、勇気が全力を出し切って闘うことを意識していた。それは勝利することよりも難しいことに思える。全身全霊、自分の能力の極限を越えてまで自分の力を出すことに専念する。その覚悟は俺にすさまじい力を与えてくれている気がする。

「四谷坂学園、大将、宗明学園、大将、前へ。」

 俺達は試合場に入る。勇気は俺の姿を見て、もう言葉はいらないと思ったのだろう。お互いの目を見ることで、言いたいことは伝わった。

「礼、始め。」

 俺達は間合いをとるために距離をとった。しかし、そのときだった。

  バーン

 部屋の扉が勢いよく開かれる。優利が立っていた。そして、あろうことかそこで大声を上げた。俺達の注意はそれてしまう。

「試合を止めて!」

 大声で優利が叫ぶ。とても取り乱している。そして走って、四谷坂学園が固まって座っている試合場の前に来た。

「お願い、大山田君、試合を止めて。」

 さすがにこんな状況だ。皆、優利に注目して、小野先生と向こうの顧問の先生、そして試合の審判をしている以外の大会の関係者が優利を囲む。

「今すぐ試合を止めさせて、そうしないと勇気が死んじゃう。」

「何!?」

向こうの顧問の先生が驚く。試合前と聞いた話とは大きく違うからだ。優利は集まっている皆に勇気の状況を説明した。皆、驚きと同時にうつむいてしまう。

「分かったでしょ?!勇気は闘ったら駄目なの。もうやめさせてあげて・・・・。」

 それを聞いて、大山田は優利の肩に手を置いた。

「三枝、それは無理や。見て見ろ、二人、お前が来たことに気付いても、試合を続けとる。」

 優利は俺達を見た。

「それが何?試合なんかより、命の方が大事でしょ?!」

 優利は皆に言って聞かせようとしている。しかし、皆、優利の言葉を聞いても心が動かされなかった。

「なんで?なんで、皆分かってくれないのよ!」

 また声を張り上げている。皆、この決勝戦を皆、見ている。そして反対していた宗明の顧問の先生までもが静かに言った。

「勇気の最後の望みで、最後の闘いなんだ。俺もやめて欲しいとは思っている。でも、あんな姿をみたら俺にも止められない。」

 俺達は互いに闘志は優利が来てからも一秒たりとも切らしていなかった。

「この勝負だけは成立させてあげたいんだ。」

 そう宗明の顧問の先生が言った。そこにいて優利の話を聞いていた皆、同じ気持ちだった。

「三枝、諦めるんや。この闘いに対する二人の思いと覚悟、それを止めることは誰にもできんのや。俺達はこの試合を見届けようやないか。」

 大山田はそう言った。

「なんでなのよ?!そんなことに意地を張ることに、何の意味があるのよ。」

 優利は足を崩して、ぽろぽろ泣いている。


 俺達は再び試合だけに専念する。お互い、優利が来たことで緊張感はとらなかったが、技をかけることはしなかった。やはり少し気がそれてしまっていたのだ。

 俺達は同時に掴み合った。そして前後左右にお互い揺さぶる。先にしかけたのは勇気だった。小内刈をしかけてくる。俺を両手を使って後ろに崩し、そして右足アキレス腱あたりを俺の股に入れて、後ろから右足裏で刈ってくる。勇気は連絡してくる気だろう。俺はそう読んでいた。しかし、俺は勇気がそうする前に小内刈に反応できていた。普段なら勇気のスピードについていくことなんて有り得ないことだ。しかし、それを今の俺には可能になっていた。右足を即座に引き、そして勇気が刈ろうとした足を左足で払った。小内刈のカウンター。勇気は落下した。しかし背中はついてはいない。

 審判は片腕を45度側方にあげる。有効。

 勇気は立ち上がりながら言った。

「驚いたぜ、まさか反応できるとはな。」

 そう言った。しかし、俺自身、それに対して驚きは何も無かった。限界以上の力を俺は引き出している。もう二度と柔道できなくなってもいい、この勝負に全てを賭ける。その決意によって強くなっていることを体感していたからだ。

「いくよ。」

「おう。」

 俺は内股をしかけにいく。すばやく引手釣手をつかみとって、右足を両足の前の間に踏み込み、両手を使って前に崩す、左足を右足後方に置いて右足を使って反時計回りに半回転しながら右足を勇気の左腿に払いあげるように突っ込んだ。勇気はギリギリ反応できたようで、足を股の間に挟み込み、自護体。すぐ足を抜く。体勢を戻すと勇気はすぐに飛び掛かってきて、大外刈、さっきの内股をかけて体勢をもどしたとき、俺は後ろに体重をかけていた。勇気はそれを見逃さない。左足を俺のすぐ右側方に踏み出し、わずかな隙間を腰を振ることで、俺の後ろに右足をつかせて振り上げて左足を刈った。足を開き、腰を落とし、自護体になることで耐える。

 そしてお互い手を離した。

「ハハハ、嬉しいよ。本当に。俺、全力なんだぜ。これで、お前に任せられるな・・・・・・。」

「・・・・・・。」

 その言葉は凄く嬉しかった。でも最後の言葉を返すことができなかった。

「さぁ、決着だ。俺とお前がどっちが強いか?いくぜ。」

「おう!」

 勇気はまたも凄いスピードで組みにいく、俺も反応して、道着を掴むスピードは劣っていない。勇気は大内刈をしかける。右足を両足前の真ん中あたりに踏み出し、左足を続け運び、胸と胸を合わせるように後ろに崩す、そして右足を股の間にいれて左足を刈る。かかりそうだ・・・・。俺は即座に右足を引いて耐える。とても大内返などできない。連絡は何か、0,数秒の間に考えるが、俺はすぐに背中に乗せられていた。重心を俺より下にもっていき、釣手を右脇下にいれている。そして膝を伸ばすと同時に俺を前に俺を前に放り投げた。

 背負投への連絡だった。完全に決まった。俺は仰向きになって審判を見る。

 審判は手を肩まで挙げている。技あり。まだ闘える。俺は勢いよく立ち上がるった。しかし、目の前に立っている者がいない。俺は視線を下に落とした。

 勇気が、勇気が両足の膝を畳の上をつけて、片手で、体を支えている。

 ・・・・・・まさか・・・・・・・

 俺は思い出した。あの大山田が道場で勇気と乱取した日のことを。あの日、大山田に右足を払いあげられ悲鳴を上げた。

  〈ウワァー!!!〉

 という叫び声が耳の中で反響してくる。まさか・・・・・・冷や汗をかき始める。

 しかし、勇気はすぐに立ち上がった。

「どうした?」

 俺の様子を見て言った。

「なんでもない。」

 俺は言葉の通り、そう思うことにした。しかし次の勇気の動きを見て安心した。スピードはまるで落ちていない。大丈夫だ。そう思った。

 組み合って、お互い足技の応酬をした。支釣込足、大内刈、小内刈、俺も勇気も技を防いで、技が決まらない。しかし、俺が小外刈から払腰をしたときだった。

 俺は右足で勇気の左足を刈ろうとした。勇気は左足を下げてこらえ、体勢を戻すために右足に体重を勇気がかけたとき。

  クッ・・・・・・

 その声は耳に神経をとがらせないと、とても聞こえないものだった。俺は気付いても手を止めることが出来なかった。払腰のモーションに入っていたからだ。右足前回りさばきをして俺の後ろ腰を勇気の左前腰に当てる。そして両手をつかって前に崩し、右足で勇気の右膝下あたりをすく上げながら前に放りなげたのだ。

 ・・・・・・・。

 審判を見た。肩まで挙がっている。技あり。

 しかし、そんなことよりも、勇気が右膝を抑えて動けなくなっていた。これはあの時の情景と全く同じだった。俺の頭皮から大量の汗が噴き出した。

 ・・・・・・・神様は、神様はなんて残酷なんだろう?この試合ですらも待ってくれなかったのか・・・・・・・

 俺は泣きそうになっていた。

 優利はそれを見て大声を上げる。

「もう、もう、無理よ!勇気は闘えない。もうやめてあげて!」

 審判は勇気の肩を叩いた。

「大丈夫か?」

 それを聞くと、右足を右手で押し付けながら、勢いよく立ち上がった。その様子は見るものを釘付けにする。勇ましいなんて言葉では片づけられない。本当にもう最後だと覚悟を決めた男の顔だった。

「アイツは俺と互角の闘いができるまで、俺のために必死に練習してきて、約束を守ってくれた。だから俺がここで倒れる訳にはいかないんだよ。」

 そう言い放った。

 その姿を見て、大山田は優利に言った。

「アイツは今、最後の力、命の火を燃やしとるんや!止めることはあいつらにしかでけへん。」

 俺もその姿を見て決めた。本当に最後まで遠慮しない、全力で挑むと。

「いくよ!」

「おう!」

 俺達はすぐ組み合った。勇気はすぐに俺を右に移動させながら、俺の足が揃った瞬間に、送足払を俺にかけた。右足裏で俺の右足外くるぶしあたりを払う。おれはスピードが速かったのでこの技にかかってしまった。しかし、力が足りていない。俺は倒されなかった。俺はそのまま内股をしかける。右足を両足の前に踏み込み両手を使って前に崩し、左足を右足後方に置き、右足を支点にして半回転しながら右足を股の間にいれ、左足を払い上げて投げた。

 勇気は倒される。やはり右足に力が足りていないのだ。

 審判の判定は肩まで挙がっているので技あり。

 勇気はドンドン追い詰められている。しかし、勝とうと、絶対に勝とうという意思が目に表れている。揺らめきながらだが、すぐ立ち上がる。

 そして次は背負投をしかける。これできめる。俺はそう思った。これで技あり以上なら勝利は確定である。勇気のために、そして優利のためにも。

 俺は全身全霊の力で背負投をするために右足を踏み出して、右足前回りさばきをして、背中にのせたときである。試合を見てずっと泣いていた優利が叫んだ。


「勝って!勝って!勇気!」


その声は試合場内全体に響いていた。

その声を聞いた瞬間、その優利の言葉は勇気に最後の力を与えてくれた。勇気にものすごい力を出して、足を踏ん張って、俺の背負投を耐えている。そしてすぐに体の向きを戻した、そのときだった。

それはまさに一瞬だった。しかし、俺は動きがスローモーションのように感じた。あまりにも一瞬の出来事で走馬灯のような体験をしてしまったのだ。

 勇気は俺が体を戻した瞬間に、両手を使って俺を前に崩した、それと同時に左足を俺の両足の間に深く踏み込んで右膝を曲げながら俺の下腹部に右足裏を突き立てた。そして右足を押し上げ、真後ろに勇気は体を捨てていった。俺は前に回転してゆっくりと背中をつけて畳の上に落下していった。

「それまで。」

 審判は手を真上に挙げている。

  ・・・・・・・巴投・・・・・・・

俺は初めて勇気の巴投を見たときから、魅了されていた。そして今受けた巴投は本当に美しかった。俺は負けたんだ・・・・・・。しばらく動けなかった。しかし、すぐにハッとなって、立ち上がる。

・・・・・・勇気、勇気は大丈夫なのか?!・・・・・・

 俺は勇気の傍に駆け寄る。

 試合を見ていたもの、大会関係者、四谷坂学園の皆、宗明学園の皆、そして優利と俺、倒れて動けない勇気を中心に皆集まって円を作っている。

 勇気は皆を見て。

「おおげさだなぁ・・・・・。」

 倒れながら頭を掻いた。

「確かにもう立てないけどよ。」

 俺達はそれを聞いて少し顔をひきつった笑顔をする。そしてその状態の勇気が俺に言った。

「いい試合だった。最後に俺の願い、夢をかなえてくれてありがとう。」

  ゴホ ゴホ

「何言ってのや?勇気、俺達の夢は全国優勝や!お前が今つないでくれた。そんなこと言わんといてくれ!」

 今にも涙腺が壊れそうになるのを必死に耐えながら渡辺は言った。

「・・・・・・ごめんな。」

「おい、ふざけんなよ!お前と一緒に全国優勝するんや!俺達は!」

 渡辺は大きな声をあげた。

「・・・・・・。」

 そのときの勇気は自分の体がどういう状態か分かっていたのかもしれない。少なくとも死は確信していなくても、それに近い状態になるということまでは。


 

しばらくして、○✕病院関係者、先生までもが駆けつけた。おそらく誰か、早いところを見ると優利が電話したのだろう。

再び担架に運ばれて、救急車につれていかれる。

「付き添いする方?」

医療スタッフが聞くと、皆、自分が行くと言って聞かなかった。こんなに人を乗せる訳にはさすがにいかない。

「あの・・・・・。」

 勇気が言った。

「涼介と優利だけ手術前に付き添ってくれるか?大事な話があるんだ・・・・・。」

 優利はもとより、自分が行くと言っていたので、それを受け入れる。もちろん俺も一緒についていく。

「・・・・・・・。」

 皆、救急車の中では黙っている。優利は目の下を腫れあげながら、見えるはずのないカーテン越しの外の風景を見ていた。

 俺はうつむく。

 ・・・・・・勇気、これからどうなるんだろう?俺は勇気の願いを果たすことができた。しかし、それのために勇気が助からなかったらどうしよう。俺は間違った選択をしたのかもしれない・・・・・・

 そう自分を責めていた。そのときゆっくり勇気が口を開いた。

「よう!優利、怒ってるのか?」

  ゴホゴホ

 優利はすぐ振り向いた。そして無理に目をつり上げている。泣き出す感情の方が強いみたいだ。

「怒ってるわよ!」

 そう言いきった。

「女にはわかんねーよな!?なあ涼介?」

 屈託のない笑顔を俺に見せた。

「・・・・・そうだね。」

「何よ!二人とも!」

 そう言って、また見えもしない外を見ようとしていた。しかし、膝あたりのズボンの生地には涙の水滴の跡が残っていた。



 病院に着いた。手術の時間は昨日言われた通り変更は無い。今日の16時、病院に着いてすぐ手術では無かった。

 昨日入っていた病室に運ばれる。そして勇気の担当の先生、神田先生が勇気に言った。

「これほど困らせられた患者は初めてだよ。」

「・・・・・・すいません。」

 勇気は意外に素直だった。自分がやったことにさすがに責任は感じているようだ。

「パニックになったんですよ!?病院中!」

「はい。」

「もし三枝さんから電話がかかってこなかったら、脱走ですよ。」

「先生、それは間違っている、もう脱走済みですよ。」

「・・・・・・。」

 頭を困らせている。

「とにかく、手術までどこにも行かないでくださいよ。」

「はい。すみません。」

「お願いしますよ。では・・・・・・。」

 先生は厳しい顔をして出て行った。手術がどうなるか、今まで散々困り果てさせられたこの患者に情が移っているのは分かった。だからこそ、手術の成功が気がかりで仕方がないのだ。勇気に生きてもらいたい。そう真剣に思っているのが分かる。

「・・・・・・。」

 先生が出て行って少し無言になる。

「あのさ、」

 勇気が話し出した。

「涼介、優利に話しただろ?」

 俺はコクリとうなずいた。

「そうか・・・・・。」

 勇気は俺が勇気の気持ちを話したことについて怒らなかった。その代り、少し物悲しい顔をした。

「俺な、骨肉腫にかかってから、俺は優利の夢を叶えてあげられないって、ずっと悔やんでたんだ。でも、前に、お前を見つけて、お前に託すことにしたって言ったよな。」

「うん。」

「でも俺はずっと葛藤していたんだ、俺は優利の夢を叶えてあげられない、たとえこの夏で日本一になっても、なり続けることはできない。だからお前に俺の夢のタスキを渡したんだ。」

 それを聞いて、黙っていた優利が言った。

「勝手よ!何もかも身勝手よ!私が本当に日本一の人と結婚したいって思ってたと思ってるの?!違うわよ。あんたとあんたと私は結婚するの!」

 それを聞いて、また悲しそうな顔で言った。

「本当はな、本当は、分かってた、お前にとっても、そして俺にとっても柔道なんてしなくてもお前と結ばれることが本当のお互いの幸せだって。でも、お前の夢なんて言ったけど、俺の夢を叶えてくれる人が必要だったんだ。それが涼介、お前だ。」

「うん・・・・・。」

「何言ってんの?!手術が成功したら生きられる可能性があるって言ってたじゃない?」

「俺は待ちすぎた。病気の進行が早すぎたんだ。俺だって馬鹿じゃない。手遅れになる前に手術を受けたかった。」

 ゴホゴホ

「でも、涼介との闘いは絶対に果たしたかったんだ。肺に転移している。もう遅いんだ。骨肉腫が肺に転移した後の生存率は低い。」

「・・・・・・・・・。」

 沈黙が広がる。その聞いた事実は手術が成功したら生きられる、そして両想いの二人はこれからも寄り添って人生を歩んでいけるという将来を打ち砕いた。

「でも、でも、可能性が0じゃないんでしょ?諦めないで、勇気!」

 いつの間にか優利は泣いていた。そして布団に顔を擦り付けている。そんな優利を見て勇気は肩を叩いた。優利は顔を上げた。

「優利、愛してる。」

 その顔は真剣そのものだった。まっすぐにそして初めて自分の気持ちと勇気は向き合って告白をした。

「今さら遅いわよ。」

 涙を拭きながら、優利は少し笑顔になった。そして勇気は優利を抱き寄せた。優利もきつく勇気を抱きしめる。そしてお互いを見つめあって唇を合わせた。その後、おでこをくっつけて。

「私もよ。愛してる。」

 勇気にそう言った。

 俺はその二人の姿を見て、とても辛かった。二人は結ばれているというのに、命の灯火を消そうとする病魔によって二人を引裂こうとしている。とても見ていられない。

「涼介!コイツのこと頼んだぞ!」

 二人が離れた後、勇気が言った。

「何、縁起でもないこと言ってるんだよ・・・・・・。勇気、生きてくれ。俺は優利のことが今でも好きだけど、二人の幸せは俺の幸せなんだ。だから、そんなこと言わないで。」

 俺は勇気にどうしても生きることを諦めて欲しくなかった。生存率がなんだ?!この二人なら乗り越えられる。そう信じたかったのだ。

「・・・・・・。」

「お前優しいな。本当にお前と出会えてよかったよ。お前と過ごした時間、それも俺は絶対に忘れないよ。」

 そう言って、俺を抱きしめた。そして耳元でささやく。

「頼んだぞ。優利は一人では生きていけない。お前が支えになってやるんだ。」

「・・・・・・・・。」

 俺は何も言えなかった。ただ、悲しかった。でも、きっと勇気は生きてくれる。そう信じることにした。




  数時間後

 勇気は手術室に運ばれていく。俺達は運ばれて行く途中、一緒についていった。

「私、信じてる。絶対に成功するって。だから、必ず戻って来てね。」

 優利は勇気にそう言った。

「俺も、信じてるから。」

 その言葉を聞くと、勇気は俺達に最後の笑顔を見せた。

「おう!」

 手術室の扉の上の赤いランプがつく。赤く、手術中というランプが光り出す。

 俺達は手術室の近くの長椅子に座っていた。祈るように手を組んでいた。

 ・・・・・・どうか、神様勇気を救ってください・・・・・・・

 そう思う一心になっていた。優利も同じだろう。手をずっと、ずっと組んだまま目をきつくつぶっている。

 刻一刻と時間は過ぎていく。長時間に渡る手術であるようだ。俺は大きく鳴り続ける心臓の音を長時間聞いていた。優利を見た。あれから体勢を一度も動かしていない。ただ、祈るように手を組み続けている。

 赤いランプが消えた。そして俺達は出て来るもの注視する。まばたきなど一回もしていない。目を大きく開けていた。そして執刀医が出て来る。まだ勇気は出てこない。

「ご両親は?」

 と執刀医が聞いた。

「勇気は親戚に引き取られていますので、おじさんにも連絡はつけてますが、仕事の終わったら来るそうです。」

 と優利は言った。

「それよりも、勇気は勇気はどうなったのですか?」

 執刀医は視線を落とす。

「癌の発生源の右足を切除しました。そして切開して胸を開き体の中を見ました。肺自体、切開しても、生命を維持できない程ではありません。ただ、他の臓器にも転移が見つかったのです。これ以上切除したら、生命を維持できません。麻酔をかけて目を覚まさない状態ですが、もう目を覚まさないかもしれません。そして生命維持装置をつけた上で植物状態を経て、いずれお亡くなりになるでしょう。それは、いつ心肺が停止するか正確には私達には分かりません、少なくとも長くは無いでしょう。」

 とても責任を感じている顔だった。俺はその執刀医に食って掛かった。

「何言ってんだ?あんた医者だろ?どうにかしてくれよ。」

 俺は何かの冗談を聞いているように感じていた。まさか、そんなことがあるはずが無い。

「手術するのが遅すぎたのです。全てはうちの失態です。すみません。」

 頭を深々と下げて、もう先生は頭が上がらなかった。手の打ちようのない手術をさせてしまった。その責任の重さは量り知れないものだった。俺がそんな話としていると優利は足を崩した。そして小さく言った。

「そんな・・・・・・・・。」

 そして、大粒の涙を流して、

「なんで、なんでなのよ、私は願いなんてどうでも良かった!アンタが柔道できなくても、アンタと一緒にいられるだけで、それだけで充分だった。なのに、なのに、何でなのよ!何で死ぬのよ!」

とても量りきれない悲痛を叫び、それは病院内に響き渡っていた。

 そして勇気は運ばれてくる。右足は切除され、胸には切開の跡があり、そして大量の機械から管が勇気の体には繋がれていた。

 そして運ばれて行く。運ばれた病室は前の病室では無かった。死に瀕しているものが入る勇気しか入らない。一人だけ病室。

 俺達はついていく。優利は涙が止まらない。もう優利が流す涙は止まることは無いのかもしれない。

 勇気の身元引け人らしき男性が来た。恐らくさっき言った、親戚のおじさんだろう。

 優利はとても状況を話せる状態で無い。俺はそのおじさんに説明した。ただ、こんなにも心が痛む言葉を放ったのは初めてだ。自分が説明する。そのたびに胸が締め付けられる。

「そうか・・・・・。」

 おじさんはうつむいた。

「俺は仕事が忙しくて、あまり勇気に構ってやれなかった。勇気が骨の癌があるって聞いたときから、お金なんて気にするな、手術を受けたらどうだって説得していたのだが、勇気は俺には目標があるって言って、断っていた。もし、俺があのとき強く言ってきかせたら、こんなことにはならなかったかもしれない。俺の責任だ。」

 そう言って、思い詰めた顔をした。

「・・・・・・。」

 おじさんは勇気の手を握り、勇気に言った。

「ずっと二人暮らしだった。仕事であまり構ってやれなかったが、お前のことを本当の弟みたいに思っていたよ。情けない兄貴でごめんな、勇気・・・・・・。」

 そう言って、しばらく俺達と一緒にいて帰っていった。涙は流していなかったが、心から悔やんでいただろう。

 優利はずっと手を握りしめていた。お願い、もう一度目を覚ましてくれ、と思っているだろう。聞かされた現実なんてとても受け入れられない。受け入れられ訳がない。

 俺達は三日三晩、不眠不休で勇気に付き添った。しかし、勇気が目を再び覚ますことは無かった。そして、心臓が動いていることを知らせる機械、生体情報モニターに異常が現れた。

  ピ・・・・・・ピ・・・・・ピ・・・・・・ピーーーーーーーーーーー

 誤作動か、そう願いたかった。俺達は走ってすぐにナースステーションまで走っていく、そして、看護婦は先生を連れてきて、俺達は病室に入る。

 先生は勇気を見て、静かに言った。

 「7月10日 0時51分斎藤勇気さん、ご臨終です。」





 その日の夕方、お通夜が開かれた。

今日の午前0時51分、先生が勇気の死を告げた後の病室での優利の姿は、とても言葉に変えることができない。しかし、その流した涙。それは枯れてしまったのだろうか?お通夜に参列して座っていた優利は今泣いてはいない。

 そして最後のお別れを棺桶に入れられている勇気に皆、お別れを言う。

 まず、前に立ったのは宗明の渡辺だった。

「勇気、お前の望み、必ず俺達は全国優勝する。お前が俺達に残してくれたもの、そして意志は受け継いだ。だ、だ、だから、天国で見ていて・・・・・・・。」

 渡辺は最後まで言えずに泣き出した。周りにいた宗明の部員も渡辺を介抱しながら、それぞれ別れを告げる言葉を口にした。

 いっぱい泣いている宗明部員がいる。勇気がどんなに愛されていたのか、こんなところで命を失っていい男じゃない。その姿を見て俺はそれを強く感じる。

 そして、俺達高心円道場の皆、四谷坂学園柔道部員も含めて最後に別れの言葉を言っていく。

 師範は言った。

「お前、なんでもっと早く手術受けへんかったんや?!なんで俺に相談してくれへんかったんや?!後に残された俺達はどうなるんや?このこの馬鹿野郎。」

 不謹慎だとは思っているだろう。でも、受け入れられないのだ。そして師範の顔には涙が止まらない。

 そして四谷坂学園柔道部の皆も最後の言葉を言う。皆、自分の胸のうちを吐き出しているようだ、それは皆共通していたことだった。一番始めに、大山田が言ったときの言葉だ。

「斎藤、お前のお陰で、俺達、全員の人生が変わった。全てお前のお陰や。俺達が柔道を始めたこと、俺達の友情が深まったこと、ありがとう。でも、斎藤、お前は生きなきゃアカンかったんや、死んだらアカンかったんや・・・・・・。」

 他のメンバーも共通して、俺達が勇気のお陰で変わったことを感謝し、そして勇気の死を悼んでいた。そして俺が言う番が来た。俺は棺桶に入った勇気の顔を見て思った。まだ生きてるんじゃないか?死んだなんて嘘なんじゃないか?こうやって目の前に勇気はいる。辛い現実から目を背けるような感情に支配された。

 そんな様子を見て達也が言った。

「しっかりしろ。涼介・・・・・。」

 気を持ち直して、そして勇気に別れを告げる。

「勇気、なんで俺なんかのために、ここまでしてくれたんだよ。ありがとうなんて、勇気がいなくなっていまったら言えないじゃいか?なんでだよ、なんで死ぬんだよ!」

 俺は、今まで我慢していた涙を流し始めた。どんな声をかけても返ってくる言葉がない。その現実を受け入れることで、勇気が死んだこと、いなくなってしまったことを受け入れさせられたのだ。全身を突き刺すような、辛さ。悲しさ。俺はそれを勇気の目の前で感じていた。

 そして、優利が俺の後に、最後に言葉をかける。

「勇気、あんた、昔から本当に勝手よ!そして身勝手よ!全部、私のためとか言って、私の本当の気持ちなんて何一つ応えてくれなかったくせに・・・・・・・。でもね、そんな身勝手なアンタは私の他にもらいてなんてないのよ。勇気、これからも私の生涯のパートナーはあんただからね。勇気、愛してる。」

 その言葉は別れの言葉とは到底思えなかった。愛の告白だった。優利は死を受け入れていないのか?きっと違う。別れを受け入れてからも、勇気を愛し続けることを誓ったのだ。


 俺は涙を拭きながら思った。

  ・・・・・・・やっぱり、この二人には敵わないや・・・・・・・・

 優利はもう泣いてはいない。堂々と顔を上げている。そして、俺達に言った。

「皆、帰りましょう。いつまでも悲しんでいたら、勇気きっと悲しむわ。」

 無理をしているようには見えない。何時間も悲しんだ後、自分の心の中でおそらく整理をつけることができたのかもしれない。






  約一ヶ月後

「皆、早く、早く!インターハイ決勝戦見逃しちゃうよ!」

 急いで観客席に座った優利は言った。

「急がんでも、試合時間前に試合始めることなんてあらへんのや。」

 大山田は少し困った顔をした。多分走ることが面倒くさいのだろう。そして、俺達は観客席に座る。対戦カードは去年のインターハイの覇者、大阪の松林高校と宗明学園だ。

 俺達はその試合に毎回、一喜一憂した。宗明学園は去年の覇者相手に善戦している。

 そして、最後の大将戦、宗明の大将は渡辺だ。大山田は大声を上げた。

「渡辺!きばれや!勝たんと前おごったラーメン代払ってもらうぞ!」

 皆、呆れて大山田を見る。そして井上が言った。

「恥ずかしい。大山田!」

「・・・・・そうだな。」

 そう言って、珍しく大山田が赤面する。きっと渡辺のことになると熱くなってしまうのだろう。渡辺は大山田の大声のせいで、こっちを見る。日本一を決める闘いの前なのに少し笑っていた。そして真剣な顔に戻して相対する相手と向き合う。気合は十分なようだ。

 試合が始まり、渡辺は劣勢に立たされる。もう、皆が無理だと思った瞬間に、渡辺は巴投をきめた。

 会場が一気に湧く、見事な一本勝ちだった。

「やったあ!勝った!」

 皆、大喜びだった。

しかし、渡辺は勇気との約束を果たすことができて、勝った瞬間、涙が止まらない。蹲って、礼を審判に求められてるのに、立ち上がらない。中堅に支えられて、審判の前に立っていた。俺達以外の観客はそれをしみじみと見ていた。涙の意味を本当に知っているのはおそらく、この中では俺達だけだろう。

そして、優利はその後言った。

「こんな試合を見せられたら、うちもうかうかしてられないわね。」

「そうだな。」

 皆、声を揃えて言う。

「皆、すぐ学校に戻って、練習よ!来年はあの舞台に立ってるのはうちなんだから!」

「えーーーー!」

 全く、この柔道バカが、皆そう思っただろう。でも、皆、優利についていく。

数日前だが、俺は勇気が病院を脱走した日、残した手紙を優利から見せてもらった。手紙の中身は婚姻届けだった。俺の名前と優利の名前を勝手に書いてある。おそらくこの書類を持っていたということは、肌身離さずこの婚姻届を勇気は持っていたのである。そして、もう一枚の紙が入っており、もし勇気がいなくなったら、この書類を出してくれと頼むことが書いてあったそうだ。

 本当に色々、敵わない。

優利はそのときにこう言った。

「私は婚姻届けなんて一生出さないわ。ホント、あのバカ勝手なんだから。」

 そう言っていた。優利は一生、勇気を愛し続けるだろう。俺はどうなんだろう?勇気から託された約束がある。とりあえず、優利をずっと見守っていこう。俺の思いは届かなくていい。そう思った。



ときどき、俺は勇気の夢を見ることがある。

 そこは畳が敷き詰められており、柔道着を着た勇気が立っている。他には誰も、そしてここには何もない、ただ真っ白な世界が無限に広がっている。

俺達は向かい合う。そして、勇気はいつもこう話しかける。

「優利とはうまくいってるのか?」

「いや、まだ勇気のことを好きなままだよ。付け入る隙もないよ。」

「そうか・・・・・・。」

 勇気は頭を抱える。そして次にこう言う。

「じゃあ今日も練習だ。乱取するぞ!」

「うん。」

 俺は毎回、そうやって組み合っている。

 今日も俺は巴投げをしようとする。すばやく内股の動きをし、勇気の両足の手前に踏み込み、両手を使って前に崩す、そして反時計回りに体を半回転させながら、内股をするふりをして、体勢をすぐ戻して巴投げをしようとする。しかし戻った瞬間に、勇気の釣手が俺の右脇下に入れられており、背中に乗せ投げながら、投げられた。背負投。

「お前、今日こそ、お前の巴投見せてくれよ・・・・・・。何回負けてんだ?」

 俺は膝を払って立ち上がって言った。

「勇気には敵わないよ。」

 Better Sweetを読んでいただきありがとうございました。

 長い間、お付き合いしていただいた、Better Sweetは完結になります。


 さて、Better Sweetの題名でほとんどの方がBitter Sweetの間違いではないかと、言われます。

 しかし、Better Sweetです。もちろん、Bitter Sweetのチョコレートなどのちょっとほろ苦い味ですね、それをもじっているので当然と言えば、当然なのですが・・・。この話自体、ほろ苦いですし・・・・。

 しかし、あえてBetterにしたのは、もちろん僕は人生とはほろ苦いものだと思っているのですが、それでも、そんな人生だからこそ、Better(よりよく)なってもらいたい、そう意図して、もじったのです。


 でも、Better Sweetを直訳すると、よく甘い・・・・・。


 さておき、先日、この小説を友人に読んでいただき、この話をすると。

「踏み出す勇気によってBitterがBetterになるんだね。」

 と嬉しいことを言ってもらえました。しかし、そこまで実は具体的にメッセージをこめてなくて、ちょっと言葉を濁してしまったことがありましたが、それは逆にうれしくて、自分の小説がこういう風に伝わるんだとか、こんなとらえ方をしてくださっているのかだとか、読んでくださった方の胸に届いた、感情やメッセージ、それは、この小説を書いた僕自身よりも、想像の域を超えていて、すごいな人の想像力はと思ってしまうのです。


 だから、この小説で皆さん、それぞれのメッセージを読みとって欲しいです。そして、どうか、Bitter Sweetの人生をBetter Sweetの人生になっていただきたいと切に願い、あとがきとさせていただきます。

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