其の三十九 はるまげ丼
──晴れるや──!
──晴れるや──!
──晴れるや──!
その高らかな声音は、まるで鳥のさえずりだった。
あるいは竹で作られた笛とは違う、何か硬質な管楽──
見上げると、光が天へと昇って消えた辺りから、幾つもの黒い点が飛び出してくる。
それは初め、小さな虫かなにかに思われたが、急降下するとぐんぐん大きさを増した。二枚の翼がはためいていることから鳥に見えなくもない。けれども何かが違う。
目の前まで飛んできてみれば、
それは背中から白い羽根の生えたヒトの赤子だった。
ふわりふわりと宙を舞いながら、幾匹もが桃次郎を取り巻いている。
今し方、女の陰を通ったかのように肌が赤い。
なにより一糸まとわぬその躰からは、
日輪に近い温かな耀きがもれ出している──
「──よくぞ誘惑を退けた。大遣使よ──」
童の唄うような声で、進み出た一匹が言った。
「──汝ら兄弟は、もとより試されていた。ひとえにこれ、大御心の成さしめたまうものなり──」
「──おいガキ!」
周囲を飛び交う群れに目を配りつつ、桃次郎は怒鳴る。
「試されていたとは何だ? 一体、どういう意味だッ!」
すると赤子はふわりと向きを変え、地面に崩れた弟を見やる。
「大遣使『みけいえる』は堕落した。大業の半ばにして救世主を騙りしは、赦すべからざる大罪なり。聖なる尊号たるところの『桃の御子』──其は元来、真の救世主にのみ許されしもの。大遣使が名乗るべきにあらず。
されば、かの者を滅した功により、汝を召し上げる。恩寵にただ感謝せよ──」
赤子の羽根から一陣の風が巻き起こり、また同時に耀きがこちらへ流れた。
瞬間、桃次郎の背中に激痛が走る。
肩の骨がメリメリと盛り上がり、鋭く伸びて肉を貫く。
慌てて鬼の筋肉で踏ん張るが──とても抑え込めぬ。
骨はさらに膨張し、縦に横に広がった。
やがて嘘のように痛みが引いたとき──
桃次郎は言葉を失った。
──翼だ!
左右の肩甲骨の辺りからそれぞれ、純白の羽根が生え揃っている!
鉄の鳥のような硬く無骨なものではない。一枚一枚が生まれたての雛のように柔らかでいて、しかしその先端の風切羽は西洋剣のように立派で雄々しい──
「おい、テメエッ! 俺に一体、なにをしやが──」
──ぶわり。
感情に任せて動いた拍子に翼が風を孕み、躰が浮いた。
二度三度、続けざまにはためかせると面白いように飛翔してゆく──
いまだかつてどんなもののけの肝をもってしても、
大空を渡る神通力は獲得した試しがない。
もしかしたらこのまま、
白月の故郷まで飛んで行かれるのではとさえ思えてくる──
「──案ずることなし。大業は我らが引き継がん──」
光の屑をまとい、追い付いて来た赤子が言う。
「やがて天の窓は押し開かれ、
四十日四十夜、雨は絶えることなく地に降り注がん。
生けるものすべて、地の表より拭い去られよう。
新しき御世において、
汝はキビの実を挽きて粉を取り、よくこねて、団子の作り方を習い得よう。
その作り方、今ここに示さん──」
その説明を半分も聞かぬうちに、桃次郎は理解した。
弟が行っていた、悍ましき生物の強制進化──
あるいは、人体実験の全容を──
「──さあ大遣使。共に参ろう。常しえの天光満つる──」
「──いい加減にしやがれ。──テメエらの茶番は、もうたくさんだッ!」
ぐうるッうるるるるううるるるうるるるうるるるうるうるるうるるうるるッ!!
桃次郎は一撃で赤子の頭を砕き、
引きずり出した心の臓をむしゃむしゃと喰らう。
「──ひええッ!」
「──く、狂っておる──」
「──なんたることぞ!」
慌てふためいて逃げ出す赤子たち──が、すでに一匹喰らったお陰か、こちらのスピードを振り切ることは出来ぬ。腕を伸ばしてむんずと捕まえ、喰らっては投げ、喰らっては投げ捨てる。その度毎に翼はぐんぐんと大きくなり、立派さを増して行く──
「喰らってやるッ! 全員──喰らってやるぞッ!」
さらに数匹の肝を抜き、咀嚼した瞬間だ。
その一筋の光線は、さながら伸ばし降ろされた梯子のように雲間から降り注いだ。
赤子たちを避け、途方もない明るさを保ちつつ、ただ真っ直ぐに桃次郎だけを捉える。
真っ白な羽根が急に黒ずみ、激しい熱を帯びる。
鬼の皮膚は靄のごとき煙を燻らせ一時耐えたかに見えたが、毛穴という毛穴は沸騰し、内側の脂を気化させて炎上した。
白に近い光のうねりが鼻と喉を焼いている。
火炎を取り込み、力に変えるはずの鬼の躰──内と外から焼けて行く。
思い出すのは堺の港。
生死をさ迷ったあの走馬灯。
けれどもこの陽光は、比べ物にならぬほど苛烈だ!
肩甲骨から飛び出した付け根が燃え落ち、浮力が消えた。
桃次郎は呻き声さえ漏らせぬまま、ただ真っ逆さまに落下して行った──




