其の三十三 月影の従者たち
「──悔い改めなさい。
私は命の息のある肉なるものを、
この地上からみな滅ぼし、消し去ります。
そのために、桃から生まれました──」
──桃太郎の言
白月の心臓を喰らった瞬間のことは、生涯忘れることは出来ぬ。
初めはいっそ彼女の亡がらと共に、どこかへ葬ってやろうかと考えた。
社の扉の向こう、平らかに広がる大神宮の境内──
かつて人買いの二人を土葬したときのように──
けれども掌の中、とくり、とくりと脈を打ち、
熱い光の雫を噴き上げるそれを眺めるうち──
実に異様な感情が芽生えた。
──嗚呼、
なんとも酷く、──美味そうだ!
さんざん鬼を喰らい、もののけを喰らった。
しかしそれは神通力のためであって、けっして美食や、空腹のためではない。
まして人間の──ヒトの姿をした白月の肝は喰らえぬ!
──俺は、けっして、あの和尚と同じではな──
──嘘ヲ 吐クナ
──今までも 楽しんだ はずだ
──噛み千切り 咀嚼し 滴る 血を舐め
──オ前ハ 酔イ痴レタ
──誤魔化すな
──俺たちのことは 平気で 喰らったくせに
──さあ さあ
──早ク 早ク!
今では血肉となった、たくさんの鬼、もののけ──
細胞に、血管に、血液に──
あらゆる器官に作り変わってなお、
ひと塊の怨霊となって桃次郎を呪縛する。
ヒトの肝を喰らえと、あらん限りに責め立てる!
大口を開けてひと息に飲み下した瞬間、すべてを悟った気がした。
自分の中の本当の自分──長く隠され、縛り付けられていたもの。ずっと忘れていて、しかし一番大事なこと。大いなる幹へと連なる、原初からの大号令──
──そうだ!
──俺は──鬼だ!
──人間を喰らい、殺す鬼だ!
──それの何が悪いというのだッ!!
何もかもが侵され、崩れ去り、書き換わろうとさえした。
それを止めたのは、内側から起こった熱い閃光だ。
胃の腑に収まった心の臓が、最後の力を燃やして膨張する。
まるで飛び込んだほうき星──あるいは客星の大爆発。
腕や脚がびりびりと痺れ、とても立っていられぬ。
突っ伏した社の板間の上、まるで五臓六腑が熔け落ちてゆくかのよう。
痛みは苛烈だが、お陰で意識がハッキリとしてきた。
邪念を必死で追い出し、ふと思う。
──白月は、最初から──このすべてを──?
──やがて、熱が引いたとき、
躰を起こした桃次郎は、息を飲んだ。
全身にみなぎるような力を感ずるが、そうではない。
世界が、
目に見えるすべてが、
塵のごとき細かな光に覆われている!
社の床板の一枚一枚、四隅の柱の一本一本、
純白の小袿をまとった白月さえ、目の奥に焼き付くほど眩しい!
自分の躰を眺める。
まとわる微細な粒子は静止してはいない。
血潮の流動に合わせ、それは忙しなく瞬き、駆け巡っている──
──そうか。
これが、白月の見ていた世界。
月光の加護を持つ者にだけ許された、超越的な感覚的知覚──
再び、涙が溢れそうになる。
こんなにも煌びやかな光の洪水を、もう白月が見ることはないのだと考えると、
怒りに任せ、自分すら打ち壊してしまいたくなる。
その気分は、ふいに流れてきた音楽によって途切れた。
あるいは、鳥のような歌声によって。
見やると、光の粒がゆるゆると集まり、次々と凝固した。
あまりに眩しく、はっきりと捉えることは出来ぬ。
しかし、ヒトの姿をした何かが三体、白月の亡がらを取り巻き、浮遊している。
「──なんだ、お前ら──?」
とっさに身構えた。
もっとも彼らこそ、彼女の従者たちなのだろう。
光るヒト型の二体が白月の傍らに留まり、祈るように悼むように見守っている。
残る一体が、ふわふわと進み出た。
目も鼻も、口も耳もない。けれども音楽はたしかに聞こえてくる。
不思議なのは音階の中、幾つもの感情があったことだ。
短調旋律が怒りを告げ、繰り返される半音が哀しみを伝える。
確実に──憤っているようにしか思われぬ。
──おいおい。
まさかコイツらとも戦うハメに──?
危うく拳闘の構えを取りそうになるが、急な転調。
ゆったりと平坦なリズムが続く。どうやら、戦う意思はないらしい。
白月と同じくらいか細い腕を伸ばし、身振り手振りで何かを説明している。
正直まったく要領を得ぬが──光る指先を合わせて四角い形を作ったとき、
「──箱? まさか、あの漆塗りの箱か?」
慌てて全身をまさぐるが、そういえば変身した際、着物と一緒に取り落としている。
これは探しに戻らねばと思っていると、従者の作った四角が耀き──光の中から例の箱がにゅるりと現れた!
まったく以って、目を疑う光景。
手渡されてなお信じられぬ。
それでも月光の加護を視認できる今、桃次郎は感じ取っている。
以前の箱とは異なり、その内に何か途方もない光の力が宿っていることを──
「──今なら、術を破って兄に迫れるというのか?」
従者に向かって問うが、明確な返事はない。
聞こえるのはただ、あらがえぬ運命を想わせる悲壮なシンフォニーだけだ。
「よく解らんが、俺は試してみることにするぞ。悪いが、白月のことを頼めるか? 本当なら葬ってやりたいが──」
果たして言葉が通じたのかどうかは解らない。
三体が白月を取り囲むと、眩しさはいっそう激しくなる。
やがて現れたときとは反対に、光が粒となって霧散し始めた。
それは白月の躰も、例外ではない──
「お前らに言っておく!」
未だ眩しい四つの光に向かって、桃次郎は叫ぶ。
「すべてが終ってなお、憤りがあるなら俺に会いに来い。逃げも隠れもせん。八つ裂きでもなんでも好きにしろ。ただしそれまで、白月の心臓は俺のものだ!」
そして躊躇いなく、箱を開いた。




