其の三十二 生き肝
一瞬、言葉の意味がよく解らなかった。
以前にも聞かされた、謎かけみたいなメッセージの続きだろうか。
あるいは未だ、術によって操られている──?
「──白月? お前、一体何を言って──?」
「──桃次郎、そなたなら判るであろう? わたしの中には、あれがある──」
「──おい、まさか──」
「──桃の御子──皆が、あのお方と呼ぶ男に会った。月から戻り、鬼どもによって捕えられた後のことだ。そして──埋め込まれた。あやつ本人から、直々に──
──そうだ。わたしの中には忌まわしき──あの宝珠がある」
──嘘だッ!
喉の奥から飛び出しそうになった、激しい怒鳴り声。
白月の背中に回した腕に、ぎりぎりと力がこもる。
それでも高ぶる感情を必死に抑え、努めて明るい声を出す。
「──大丈夫、大丈夫だ、白月。安心しろ! 宝珠は──取り出せる。
そうだ、取り出せるはずだ! 前に一度もののけと戦ったとき、偶然だったが引っ張り出せた。少し荒っぽいかもしれんが、同じようにやれば──」
「──そうは、ならぬのだ」
伸びたか細い手が、桃次郎の腕に添えられる。
常人の体温ではない。
雪の中に打ち捨てられた刀のように、驚くほど冷たい。
「宝珠の光は、さながら『命の光』。埋め込まれた者の生命に呪縛し、一体化している。呪縛からの解放は同時に、命の終りを意味しよう──」
「何かの間違いだッ! そうに決まってるッ!」
もう我慢できなかった。
濁流のごとく、感情がほとばしる。
「白月! お前は操られているんだ! 本当に宝珠が埋まっているなら、どうして正気を保っていられる? まだどこかに鬼が隠れているんだ。──そうだろう?」
「正気を失わぬは──月の光──生得的に備わった力のお陰だ。もう気付いているだろうが、わたしは普通の人間ではない。日輪に次いで眩しい光の加護に、ずっと守られてきた。あるいは幾人もの月影の従者たちに。しかしそれも、もう限界だ──」
──ぶわり。
まるで空気にとけ出すように、白月の内側からうっすらと邪気が溢れてくる──
気のせいであって欲しいのに、
勘違いであって欲しいのに、
それは一向、消えぬ。
「──そなたと戦いたくない。正気を失い、化物となって、傷付けたくない。お願いだ。今のうちに、早くわたしを──」
「──その逆は、ありだってのか? 化物に近い俺なら──平気で殺せると?」
めいっぱいに、桃次郎は白月を抱いた。
ただ、強く、強く──
「そんなこと出来る訳ないだろう! お願いだから止めてくれ。例え何が起こっても、俺が守ってやる。宝珠を取り出す方法も見つけてみせる! だから、だから──」
氷のように冷たい両の手が、桃次郎の頬を包んだ。
ゆっくりと白月の顔が近付き、続いて重ねられた唇は、どこまでも透明で、淡く、そして柔らかかった。
「──メッセージを受け取ったあの日から、わたしは心を決めていた。
そなたにすべてを捧げると。だから気に病まず、受け取ってはくれまいか?
それにどのみち、わたしは消え去らぬ。
例え今生で命尽きようとも、必ずまた寄せては返す波のように生まれ出づる。
──憶えておるか? 初めて会ったとき、『わたしに名前は無い』と言ったが、あれは正確ではない。わたしはあらゆる場所、あらゆる時代に幾度もその姿を現す。人間たちが闇夜に浮かぶ月を眺め、心にふと何事かを想うとき、血と肉を得て再び遣わされる──
ゆえに古代『ぎりしあ』の人々は、わたしを『あるていみす』と呼び、
時代が下って後、『ろーま人』たちは『るうな』と呼んだ。
もしかしたらそなたにも、幾つもの名前があるのかもしれぬ。
人々の願いや、話す言葉が違っていたならば、望むと望まざるとに関わらず──
力不足ゆえに、それを教えてやれぬのが酷く残念だ──」
白月の躰から漂う邪気は徐々に勢いを増しているようだった。
呼応するように、白く透き通る肌が濁り、変色する。
皮膚の内側では、不気味な脈動さえ始まっていた。
白月が──どんどん白月でなくなってゆく──!
「──これ以上、わたしに恥をかかせるな。心の臓を抜き出だせ。その身に月光の力を宿し、あの男の野望を阻止せよ」
「なぜだ──なぜなんだ、白月? どうして、どうしてこんな──」
「──宣託に従ったのではない。逆らえぬ運命だと受け入れたからでもない。
わたしが選び──決めた。他ならぬ──そなたに決めたのだ──
──なあ──もも次、ろう?
そなた、は──もう──決めた、か──?」
白月の肢体が変形を始めるその刹那、
桃次郎はゆっくりと、右手の指を彼女の内へと滑り込ませた。
今にも消え入りそうな華奢な躰──
その逆に、触れた心臓はどこまでも力強く、温かい。
握り潰してしまわぬよう、そっと包み込む。
宝物でも扱うように、ただ優しく、優しく──
引き抜いたとき、それは月の輝きを集めたかのように眩しかった。
転がり出た宝珠など、比べ物にならぬほど──
我知らず、口から咆え声が漏れていた。
獣のような、もののけのような、果てることのない慟哭──
誰かの為に泣いたのは、それが最初で最後であった。




