其の二十二 堺 燃ゆ
煙の下で燃え盛る炎は、まるでひらひらと動く無数の手のようだった。
木造の家屋群、長く伸ばされた桟橋、停泊した船。
あらゆるものが揺らめく赤に絡めとられ、火の粉を散らしている。
吹き荒れる風は気流を生み、炎は幾重にもとぐろを巻いた。
灼熱地獄と化した堺の町。
通りのそこかしこに倒れ伏す、黒く炭化した塊。
悍ましき臭気の原因は──まさにそれだ。
「──逃げろ、逃げろッ!」
斜面の道を駆けあがってきたのは、十数名の男女だった。みな着の身着のままで、かろうじて抱えているのはお包みの赤子。顔は黒く煤け、なかには酷い火傷を負っている者もある。
「早く逃げろ! 堺は終りだ!」
道を塞ぐこちらを押し退け、避難者が怒鳴る。
「何がどうなっている? 油壺に引火でもしたか?」
行商の頭領がそう訊くと、
「違う! 鬼ヶ島から戻った船に──鬼が乗り込んでいたんだ!」
その言葉を聞いた瞬間、
桃次郎は背中を荷を捨て、町の方へ駆け出していた。
「駄目だ、お兄さん! 行っちゃいけねえ!」
頭領が叫ぶも、耳へは届かぬ。
──兄は失敗した。
──返り討ちにあった。
──鬼どもの侵攻を止められなかった。
──兄は、もう──
「よくもよくもッ! よくもッ!」
躰の震えが止まらぬ。
熱気のせいでも、恐れのせいでもない。怒りだ。炎よりも猛る激情。
内なる熱に全身の血潮は沸騰している。細胞の一つ一つ、毛穴という毛穴を破り、今にも噴き出してしまいそう。
絶対に、絶対に──許すことはできぬ!
「出て来い、クソ鬼! ぶっ殺してやるッ!!」
炎渦巻く辻に立ち、桃次郎は呼ばわった。
聞こえてくるのは木が爆ぜ、メリメリと割れる音。あるいは炭化した家屋の内側に崩れる轟音。
──ぐううるうるるるうううううう!
火炎の中から現れたのは、焼けた炭のように赤い鬼だった。馬の背中のような広い肩、大木のごとき首。右手には黒光りする巨大な鉄の棍棒。左手には黒く焦げた人間が握られている。身の丈は──桃次郎の二倍以上だ。
「──おや? てっきり源氏の侍かと思ったが──」
鬼が口を利いた。びりびりと空気が震える。
耳がおかしくなるような重低音。
「こりゃまた、ずいぶんと風変わりな野郎が来たものだ」
鬼の左手が振り上げられた。
遺体が宙を舞い、地面を転がって桃次郎の前で止まる。
「コイツは一瞬で死んだ。まったく面白くなかった。お前はもっと──楽しませてくれるのだろう?」
それが兄であるのかどうかは解らなかった。
桃次郎はただ唸り、地を蹴った。
激しい熱気が躰を包むが、どうでも良い。降りかかる火の粉が衣を燃やすが、知ったことか。
必ず殺す。それ以外あり得ぬ。
視界の先、鬼は棍棒を両手で握り直し、高く掲げた。こちらとの間合いを計り、腰の力で振り下ろす。炎をまとった分厚い塊。焼け落ちる火事場の柱のようにこちらの頭上へ打ち掛かるも、寸前で避けた。
衝撃と共に土へと埋まる棍棒の先端。桃次郎は手をつき、そのごつごつとした表面へ飛び付いた。ジュッという嫌な音。皮膚の表面が瞬時に沸き立ち、激しい痛み。歯を噛んで耐え、棍棒が作る一直線の上り坂を駆けあがる。
前方には鬼の顔。ギョッとしたように目を見開いている。足元では草鞋が燻り、ついに発火した。けれども歩数はもう必要ない。固く握った右の拳。顔面めがけ、渾身の力で叩き付けた。
──ベキッ。
右手の中指、薬指、関節部が砕けた。
分厚い金属の塊を殴ったような、酷い衝撃だった。
拳を押さえ、呻く桃次郎。ニッタリと鬼が笑っている。剥きだされた牙。黄金色に輝く眼は、一切笑っていない。
両の腕を軸にして、棍棒が天高く突き上げられた。
足場を失い、躰が滑り落ちる。地面に尻もちをつき、倒れ込む上半身を左腕のみで支えた。そこへ飛んできたのは、巨大な足の裏だ。
指の先には鋭い鍵爪、かかとは冷え固まった溶岩のようにひび割れている。できることは少なかった。躰をよじり、ただ顔だけを守った。桃次郎は飛ばされた。
──次に意識が戻ったのは、背中への衝撃を受けてのことだ。
わずかに首を動かすと、自身がうつ伏せに倒れているのを知る。
背中の上には鬼の足。
固まった溶岩のようなかかとが皮膚に刺さり、酷く痛い。
少しずつ体重をかけているらしく、息もできぬ。
「──お前、なにでできてんだ?」
頭のずっと上から、鬼の声。
「どうして死なない? そも、それだけの火傷を負ってなぜ生きている?」
左腕を動かそうとした。感覚がない。千切れてふっ飛んだのかと一瞬焦るが、視線の先にしっかりと残っていた。けれども蹴りをまともに受け、あらぬ方に曲がっている。正直、見ない方が良かったと思ったくらいだ。
「──嗚呼、そうか。そういうことか。なるほどッ!」
カラカラと鬼が笑い出す。
空気の震えがあらゆる患部を刺激し、激痛が走った。
語気を強め、鬼はさらに呼ばわる。
「──お屋形様、お屋形様ぁ! 我が主様ぁ! お出まし下さりませ! 遂に見つかりまして御座りまするぞ!」
視界の先──広がり続ける町の延焼が、二つに割れた。
溢れ出す眩い光。まるで地上に太陽が出現したかのよう。
耀きの中から進み出たのは鬼ではない。長身の優男だ。
長髪を頭のうしろで結い、それが肩の辺りまで垂れている。
熱気に揺れる紅き陣羽織。直垂の袴。
ただの一ヶ所も、焼け爛れたところはない。
「──どうしたのですか、温羅?」
男が鬼に話し掛けた。親し気な口調。
静かな微笑みさえ浮かべている。
ふいに思い出した。
川を流れるときに聞いた「ふふっ」という笑い声。
──ま、まさか──!
直感が、受け入れがたい事実を告げていた。
この男こそ、探し続けた尋ね人であると──




