其の十六 「真っ白なお月さん」
月光が照らし出す、弁天堂の細長い回り縁。桃次郎はしゃがみ込んでいた少女を、その分厚い床板の上に寝かせた。
どうやら術者の死によって、術の効力は失われるものらしい。少女の胸はしっかりと上下し、回数こそ少ないが呼吸の音も聞こえる。きつく締め上げられていたからだろう、その首には赤い線が走り、ところどころ黒く鬱血していた。
「大丈夫か?」
そう声をかけたあと、手の血を拭っていなかったことに気が付いた。彼女の衣に幾つもの赤が付着してしまっている。
透き通りそうなほど純白で、どこまでも冷たく、ゆえに高潔な存在。それをまるで自分が穢してしまったかのようで、桃次郎は生まれて初めて酷く恥ずかしくなった。
「──和尚は、どうなったのだ?」吐息とともに少女が言った。
「死んだ。ぶっ殺した。アンタは自由だ」
「──ありがたや。そなたには感謝してもしきれぬ」
「勝手にやったことだ。気にするな」
「──ところで肝は、心の臓は砕いたか?」
桃次郎が貫いたのは、和尚の腹だ。確かめていないので心停止したかどうかは解らぬ。しかしいずれ止まるだろう。
「いかん。放置してはならぬ。たとえ鼓動は止まり、腐れが始まったとて、わずかながらに力は残る。人が食わなくても、動物が食らえば厄災の種となろう──」
桃次郎は和尚の骸を見やった。ふと考える。
もしその肝を喰らえば、目と言葉で人を操れる──?
実に、不快な考えであった。小さい時分から喋らないこと最大の処世術とし、かつ語彙の多くない自分にとっては、枷になりこそすれ使いこなせるとは思えなかった。
なにより、あんな穢れた男を喰らうだなどと身の毛がよだつ──
桃次郎はお堂の中に和尚を運び、少女に見えぬところで肝を砕いた。
*
少女の回復力には、目を見張るものがあった。ちょっと離れた隙に首の赤味は引き、鬱血も薄桃色に変化している。桃次郎も常人離れした力の持ち主だが、少女はそれ以上である。
色々と質問をぶつけてみるが、これが当たり前だというばかりで要領を得ぬ。
それにしても、彼女に名前がないのは酷く不便な気がした。自分にネーミングセンスなど無いのは解っているが、一つ付けてやっても損はあるまい。
「──ええっとたしか、アンタを拾った最初のジジイは、竹を加工してたんだよな? つまり、竹細工とか、竹の家具を売っていた。そこから名付けて『かぐや』というのはどうだ?」
「──あまり嬉しくない。それでは最初の翁のことを嫌でも思い出してしまう」
「なら、『真っ白なお月さん』というのは? なんせアンタは──あの月みたいだから」
「それ──名前なのか? 酷く呼び辛い気がする。されど、白い月というは気に入った。今後は白月とでも名乗ろう。感謝するぞ、桃次郎」
自分が付けたというより勝手に改変された気もしたが、喜んでいるなら何よりだ。
「なあ白月。ちょっと訊きたい。以前、迷ってる奴を導く力がある、と言ったよな? それって、人探しにも使えるのか?」
「使えるような、使えないような──すまん。いわく説明が難しい。そなた、尋ね人があるのか?」
「どうしても会いたい男がいる。それは生き別れの兄弟で──兄なんだと思う。可能なら、居場所を知りたい」
「なるほど。お安いご用だ。ちょっと失礼するぞ──」
白月の細い両の手が伸び、こちらの顔に触れた。酷くひんやりとし、しかし絹のようにやわらかい指先の感触。急に天上の月が光量を増し、まるで星が落ちて来たかのよう。熱は感じないが、ただ小川のせせらぎのように冷たい──
眩しい光の中、こだまするような白月の声。
「──かの者は、東の沃土に生を受けた。しかし、そなたがそこへ出向くことはない。かの者は胸に大志を抱き、旅に赴いたからだ──」
「──いずれ相まみえよう。運命の糸に手繰り寄せられるがごとく。独りでに回り続ける車輪のごとく。そのとき、そなたは決断を迫られる──」
「望むと望まざるとにかかわらず目覚めは強制されよう。未だ内側に潜みし、隠されたもの。従うか、従わぬかは、そなたの選択だ──」
我に返ってみれば、月はいまだ煌々と耀き、白月も目の前にいた。「──どうだ? メッセージはちゃんと受け取れたか?」
白月が、真顔でこちらを覗き込んでいた。




