其の十一 邪術とんち
「──むかし、都の外れの山寺に、
言葉で簡単に人を言いくるめてしまう、
それはそれはとんちの得意な和尚さんがいました──」
──古の語り部の言
男たちが帰り支度を始めたのを見て、桃次郎は危機感を覚えた。
こんなヤバいジジイと、二人っきりにされては敵わぬ。
「おい、オッサンたち! そんなのただの石ころだぞ!」
括袴がぴたりと動きを止めた。手の中にある石をまじまじと眺め、はっとしたような表情。目には光が宿り、正しい認識が戻ったかに見える。
「──良かったのう。その石には金の粒玉、千個の価値がある」
和尚の声が飛んだ。
括袴は急にとろんとし、再び喜びに満ちた表情だ。
「毎度どうも。──兄ちゃんも達者でな」
男たちが仏殿を辞した。桃次郎は目を伏せたまま、結ばれた縄を見た。手首の拘束は固く、簡単に解けそうもない。胴に巻かれた一本などは近くの柱にくくられている。それでも足だけは自由だ。蹴りか、あるいは体当たりでも決めればワンチャンこのジジイを──
「──抵抗などするなよ?」
和尚の声が響いた。
「──桃次郎と言ったか? お前に向けた問答ではなかったとはいえ、よく引っ掛からなかったものじゃ。褒めてやろう。しかし、まずは私の顔を見よ。たとえ代金は石ころであっても私はお前を買った。つまりお前は私のものじゃ。──さあ、私の顔を、見よ」
見たくなかった。
特に、あの背筋の凍る目を見たくなかった。もし見入られてしまったら、こちらが魅入られそうで怖かった。しかしよくよく考えれば、それは考え過ぎではないだろうか? 背筋が凍るといったところで、本当に凍ることなどあり得ぬ。つまらぬことは言っていないで、自分を買った相手の顔くらいは見るべきであろう──
──いや、見なくてはならない。
桃次郎はビクンと躰を震わせ、顔を上げた。飄々とした表情の中にある、どす黒い瞳。視線が絡み合った瞬間、操られていたことに気づき、はっとした。
「──よしよし。大変けっこう。はっきり言っておく。私はいつでもお前を殺せる。実に簡単じゃ。『死ね』と命じれば、お前は嫌でも実行する。だから逆らうでない。──よいか?」
よい訳がないが──桃次郎はうなずいた。
「うむうむ。さて、ここからが本題じゃ。私はお前のような珍しい童を集めておるが、かといって役立たずは要らん。さっきの男どもの話では、お前には戦いの才があるという。そこで一つ、実演をかねたテストと行こう──」
ぐぐぐと顔面を寄せてきた和尚。
臭い息と共に、耳元で同じ内容が繰り返される。
──お前はあの男どもに酷い目に遭わされた。恨みを晴らしたい。どうしても恨みを晴らしたい。今なら追いかけて行って、連中に仕返しできる。お前はあの男どもに酷い目に遭わされた。恨みを晴らしたい。どうしても恨みを──
拘束が解かれた瞬間、桃次郎は仏殿の外へ駆け出していた。
和尚を攻撃するという考えは、微塵もなかった。唸り声をあげながら山門を抜け、飛ぶように石段を下りる。
男たちの背中が見えた。こちらの声に驚いた二人が、同時にふり向く。
桃次郎の最初の拳は括袴の顔を捉え、二発目はその腹を強く打った。悲鳴もなく、ただすべての息を吐き出して、石段を転げ落ちて行く括袴。
髭面の呆然とした顔。二言、三言、こちらに何か言葉を放ったようにも思うが、意識はそれを受け取れぬ。脚を払って倒し、馬乗りになって拳を叩き込む。自分の口から漏れる獣のような咆哮。──止めたいのに、どうしても止めることができぬ。
やがて、髭面はぴくりとも動かなくなった。
目的を達したからか、あるいは暗示が解けたからか──
桃次郎はまるで憑き物が落ちたみたいに、自分のしでかした事をまじまじと見た。
──たしかに、彼らのことは好きではなかった。
復讐できるものなら、やってやろうとも思った。
しかしこれは──望んだ形でも、自分の意思でもない!
「──合格じゃ、桃次郎」
石段の上から声がした。
ふり向くと、再び和尚の黒い視線がへどろのように絡み付いた。
──このジジイ、ぶっ殺してやる!
激しく沸き起こったはずの感情はその瞳に捉えれた瞬間、煙のように消えていた。
和尚はにっこり微笑むと、続けた。
「とりあえず、お前を使ってやることにする。逃げようとしたら殺す。逆らっても殺す。生きのびたければ従うことじゃ。──ああ、それから、死体は片づけておけよ? なにせお寺は清浄に保たねばならんからのう?」




