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他がために、禿げはなる  作者: 南 春


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9/13

頭髪維持税(1)

法案の骨子が流出したのは、三日後の朝だった。


 最初に火をつけたのは、匿名の投稿サイトだった。


「頭髪環境改善推進法案(素案)」


 題名だけなら、薄毛に悩む人を支援するための法案に見えた。


 だが、中身は当初の説明から大きく変わっていた。


・一定年齢以上を対象とした頭髪健康診断の実施

・薄毛の進行度を数値化した「頭髪健康指数」の導入

・基準を下回った者に対する治療および改善指導

・国が指定する育毛剤、増毛製品、ウィッグへの公的補助

・改善指導後も基準に達しない者への追加負担の検討


 神崎は最後の項目を読み返した。


 薄毛に悩む人を助ける制度だったはずだ。


 それがいつの間にか、薄毛でいる者に改善を求め、結果が出なければ負担を課す制度へ変わっている。


  そして文書の末尾には、追加負担の具体的な名称まで記されていた。


「改善指導後も頭髪健康指数が一定の基準に達しない場合、頭髪環境維持負担金の徴収を将来的な検討課題とする」


 この一文が、世論を爆発させた。


 正式名称は、頭髪環境維持負担金。


 だが、そんな長い名前で呼ぶ者はいなかった。


 テレビもネットも、すぐに別の名前を使い始めた。


 ――頭髪維持税。


 制度が発表された当初、冗談半分に使われていた「ハゲ禁止法」という呼び名も、もう笑い話ではなくなっていた。


 神崎は編集部のモニターを見つめたまま、黙ってコーヒーを飲んだ。


 隣では、森本が画面を何度も読み返していた。


「これ、治療を受けても髪が生えなかったら、金を取られるってことですか」


「そう読めるな」


「努力しても駄目だった人は、どうなるんです?」


「その努力が十分だったかどうかまで、国が決めるんだろう」


 森本の顔から、いつもの笑いが消えた。


「支援じゃないですね、これ」


「ああ。治す自由を与えるふりをして、治さない自由を奪おうとしている」


 国は、薄毛を罰するとは書かない。


 健康を守るため。社会参加を支えるため。本人の将来を考えるため。


 正しい言葉をいくつも並べ、その最後に負担金を置く。


 その意味を、国民に分かる言葉へ翻訳する。


 それが、記者の仕事だった。


     *


 午前十時には、全局がこの話題一色になっていた。


 ワイドショーの司会者が神妙な顔で言う。


「今、日本人の見た目が問われています」


 美容評論家が頷く。


「第一印象は経済活動に直結しますから」


 弁護士が眉をひそめる。


「憲法上の平等原則に抵触する可能性があります」


 タレントが笑いながら言う。


「でも、ちょっと気を遣うのは大事ですよね」


 スタジオが笑う。


 笑いながら、人は残酷なことを言う。


     *


 政治部フロアでは、記者たちが一斉に電話へ飛びついていた。


「官邸のコメント、まだ取れないのか!」


「厚労省は担当者不在の一点張りです!」


「与党幹部、裏口から出たぞ!」


 神崎はモニター前の人だかりを離れ、自分のデスクへ戻った。


 流出した素案が本物かどうか。まず、それを確かめる必要がある。


 椅子に腰を下ろすと、長年付き合いのある厚労省の官僚へ電話をかけた。


「神崎です。今出回っている素案、本物ですか」


 しばらく沈黙したあと、男は声を潜めた。


「文書の内容は本物だ。ただし、まだ省内でも限られた人間しか見ていない」


「そちらから漏れたんですか」


「少なくとも、そういうことにはなっていない。今ごろ省内では、誰が持ち出したのか必死に探しているよ」


「では、政治側から?」


「法案を早く通したい連中もいれば、潰したい連中もいる。どちらかが相手を牽制するために流した可能性はある」


「どちらだと思います」


 男は電話の向こうで低く笑った。


「漏れたことで、誰が得をするか考えろ。それを人に聞くようじゃ、君もまだ若いな」


 通話は一方的に切れた。


 四十五歳を捕まえて若いと言うのだから、官僚の世界は時間の流れが違うらしい。


 神崎はメモ帳を開き、二つの言葉を書き込んだ。


 ――法案を通したい側。


 ――法案を潰したい側。


 だが、本当にその二つだけなのか。


 神崎は、流出した文書をもう一度見つめた。


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