完璧な髪(2)
グランドパレス東京三階、鳳凰の間。
政治資金パーティーも、新商品発表も、不祥事謝罪も、だいたい似た場所で行われる。
厚い絨毯。重いシャンデリア。妙に丁寧なホテルスタッフ。金と謝罪は、同じような照明の下に置かれる。
会場には報道陣が詰めかけていた。
テレビ局。経済誌。週刊誌。美容系メディア。政治部の顔も少し混じっている。
「神崎さん」
声をかけてきたのは、週刊潮流の記者・真壁だった。
年齢不詳。背だけ高く、痩せすぎなくらい痩せている。頬はこけ、スーツはいつも身体にぶら下がって見えた。
そのくせ髪だけは異様に多い。無造作にかき上げた長めの前髪が、本人のだらしなさに反して妙に艶がある。
そして近づくと、いつも少し煙草の匂いがした。
「珍しい顔ぶれですね」
神崎が会場を見回しながら言うと、真壁は口元を歪めた。
「髪は数字になりますから」
「どういう意味です?」
「コンプレックス産業は不況に強いってことですよ」
真壁は細い指で報道陣の列を示した。
「人は飯を削っても、見栄には金を出す」
嫌な言い方だった。
だが、間違ってはいなかった。
定刻になると、照明が落ちた。
壇上に一人の男が現れる。
桂ホールディングス代表取締役会長、桂木道隆。
六十五歳。
背筋が伸び、歩き方に迷いがない。顔には年齢相応の皺があるのに、髪だけが異様に若かった。
白髪ひとつない黒。
生え際は整いすぎていて、むしろ自然に見える。
完璧すぎる外見だった。
神崎は手帳に短く書いた。
作られた清潔感。
桂木は深く一礼した。
「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」
声は低く、よく通った。
「まず申し上げます。弊社は、現在報道されておりますいかなる政策決定にも関与しておりません」
記者たちの指が一斉に動く。
「我々は長年、髪に悩む方々の生活を支えてまいりました。就職、結婚、対人関係。髪の悩みは、単なる外見の問題ではありません」
桂木は一拍置いた。
「自信の問題です」
会場が静かになる。
言葉の置き方が巧かった。
差別ではなく支援。商売ではなく救済。
そう聞こえるように作られている。
「今回の政府答弁につきまして、弊社との関係を指摘する声があることは承知しております。しかし、弊社は政治を動かす企業ではありません」
桂木は穏やかに微笑んだ。
「人が前を向く力を支える企業です」
神崎は視線を上げた。
前を向く力。
聞こえはいい。誰も正面から否定できず、それでいて、何をする企業なのかは何一つ説明していない。
実に便利な言葉だった。
*
質疑応答に入ると、経済誌が最初に手を挙げた。
「今回の議論による業績影響をどう見ていますか」
「市場環境について具体的な見通しを申し上げる段階ではありません。ただ、髪に悩む方々への社会的理解が進むことは望ましいと考えます」
次に美容系メディア。
「新製品は従来品と何が違うのでしょうか」
「後ほど詳しくご説明します」
神崎はほかの記者の質問が途切れるのを待ってから、手を挙げた。
「東都新聞の神崎です」
桂木の視線が、まっすぐ神崎へ向けられた。
「どうぞ」
「薄毛への公的支援が国会で明らかになった同じ日に、御社は新しい増毛製品を発表しました。さらに厚労省内では、ウィッグや増毛製品も支援対象に加える案が検討されています。御社は制度の動きを、発表前から把握していたのでしょうか」
会場のざわめきが静まった。
桂木は表情を変えず、ゆっくりマイクを引き寄せた。
「新製品の発表に向けては、数年前から研究と準備を重ねてまいりました。国会での議論について、事前に情報を得ていた事実はございません」
「では、すべて偶然だったと?」
「制度については行政が判断することです。我々は、必要とされる商品を開発したにすぎません」
答えているようで、肝心なところには触れていなかった。
神崎は続けて尋ねた。
「御社、あるいは御社が加盟する業界団体が、薄毛支援制度の検討に関わった事実はありませんか」
「ございません。制度を決めるのは行政であり、我々民間企業が関与するものではありません」
それでも桂木の表情は変わらなかった。
「法令に則った、通常の政治活動への支援だと認識しております。今回の制度とは関係ございません」
迷いのない答えだった。
おそらく、この質問が出ることも想定していたのだろう。
神崎は手元の資料へ目を落とした。
「制度が動いた日に新製品を発表したことも、政治資金パーティー券の購入も、すべて無関係だと?」
会場が静まり返った。
桂木は、そこで初めて笑みをわずかに深くした。
「神崎さん」
名乗ったのは一度だけだった。それでも桂木は、確かめることなく名前を呼んだ。
「市場の変化を予測し、必要とされる時に商品を届けられるよう準備する。それを、我々は偶然ではなく企業努力と呼んでおります」
会場の何人かが、小さく笑った。
見事な返しだった。
だが神崎は、別の言葉に引っかかっていた。
市場の変化を予測していた。
では桂は、何が起きると考えて準備していたのか。
そして、いつから知っていたのか。
*
会見の後半、桂木はNEO-SKINの販売計画について説明した。
巨大スクリーンに、全国の提携サロンを示す地図が映し出される。都市部だけでなく、地方の主要都市にも拠点を広げ、提携医療機関でのカウンセリング体制も整えるという。
「年内に全国百か所で提供を開始し、三年以内に五百か所まで拡大する予定です」
会場から、驚きの声が漏れた。
昨日発表されたばかりの商品にしては、計画が具体的すぎた。
神崎の隣で、経済誌の真壁が小さく呟いた。
「ずいぶん準備がいいな」
「制度とは無関係らしいですよ」
「これだけの規模を、需要の予測だけで決めたと思うか?」
神崎は答えず、スクリーンへ目を戻した。
初年度の販売目標。一台百二十万円からの価格設定。分割ローンと月額のメンテナンス契約。
売って終わる商品ではない。利用者が増えるほど、継続的に収益が入る仕組みになっている。
「我々はNEO-SKINを、必要とするすべての方へ届けたいと考えております」
桂木が壇上から呼びかけた。
「そのために今後、医療機関や自治体を含む各方面との連携を進めてまいります」
記者の一人が手を挙げた。
「自治体との連携とは、公的補助を想定しているということですか」
「制度については、国や自治体が判断することです。我々は、求められた時に応えられる体制を整えているにすぎません」
また同じ答えだった。
制度には関与していない。
だが、制度が始まればすぐに商品を届けられるよう、全国規模の準備は終えている。
神崎は手帳に一行だけ書き込んだ。
――桂は、何を待っている。




