完璧な髪(1)
神崎修司 東都新聞記者(主人公)
森本亮太 東都新聞記者(後輩)
堀田部長 東都新聞部長 (上司)
桂木道隆 桂ホールディングス会長
翌朝、神崎修司の記事は、想像以上の反響を呼んでいた。
ウェブ版に掲載されたのは、午前七時三分。
公開直前、堀田部長が手を入れた見出しが、画面上部に大きく表示されていた。
――薄毛支援は誰を潤すのか 公的支援の裏で動く巨大市場
記事は、桂ホールディングスが制度作りに関与していると断定するものではなかった。
前日の国会答弁で明らかになった、薄毛改善への公的支援。その対象を、治療薬だけでなく、増毛製品やウィッグにまで広げる案が厚生労働省内で検討されていること。そして、その動きに合わせるように発表された桂ホールディングスの新製品。
一つずつ見れば、いずれも違法ではない。
薄毛に悩む人を支援することにも、新しい商品を開発して市場へ送り出すことにも、責められる理由はなかった。
神崎が記事で問いかけたのは、その順序だった。
制度が先にあり、企業が動いたのか。
それとも、売りたい商品が先にあり、そのための制度が作られようとしているのか。
記事の最後は、こう結ばれていた。
――これは、薄毛に悩む人を救うための制度なのか。それとも、薄毛を新しい市場に変えるための制度なのか。
公開から三時間。
その問いは、記事を離れ、SNS上で急速に広がり始めていた。
閲覧数は、政治記事としては異例の数字を記録していた。
コメント欄には、制度を疑う声だけでなく、薄毛に悩む人への支援を歓迎する意見や、記事そのものを批判する書き込みも並んでいた。
「支援のふりをした税金ビジネスじゃないのか」
「薄毛に悩んでいる人が助かるなら、別にいいと思う」
「治療薬なら分かるけど、ウィッグや増毛製品まで税金で支援するのは違う」
「桂を悪者にしたいだけの記事に見える」
「書いた記者も薄毛らしい」
最後の書き込みで、神崎の指が止まった。
どこから漏れた。
記事の内容より、書いた人間の頭が話題になる。予想はしていたが、実際に目にすると腹が立った。
神崎が編集部へ入ると、いつもより多くの視線が集まった。
記事の反響を喜ぶ者。桂が次にどう動くか予想する者。取材の裏付けが十分なのか心配する者。
経済部では桂ホールディングスの株価を追い、社会部では制度の影響を調べ始めている。
一つの記事が、社内の複数の部署を動かし始めていた。
「神崎さん」
森本が駆け寄ってきた。
相変わらず髪が多い。朝から前髪に艶がある。こういう男は、寝起きでも人に不快感を与えないのだろう。
「桂ホールディングスが、昨日の新製品発表について追加の説明会を開くそうです」
「昨日の発表会だけじゃ足りなかったか」
「薄毛支援制度と新商品の関係を疑う声が広がっていますからね。桂は『一部で誤解が生じているため、改めて説明する』と発表しています」
神崎は脱いだコートを椅子に掛けた。
「企業が誤解と言い出した時、本当に誤解だった試しは少ない」
「名言っぽいですね」
「実感だ」
奥から堀田部長が声を飛ばした。
「神崎、森本を連れて行ってこい」
「でしょうね」
「十三時、グランドパレス東京。最前列は無理でも、桂木の顔が見える位置を取れ」
森本が自分の前髪を整えながら尋ねた。
「もう僕たち、嫌われてますかね」
「記事が出てまだ数時間だ。向こうも今ごろ、広報と法務を総動員して読んでいるところだろう」
神崎が取材鞄を手に取った。
「じゃあ、嫌われるのはこれからですね」
「順調にいけばな」
堀田は新聞を折り畳むと、声を少し落とした。
「ただし、最初から桂を黒だと決めつけるな。今のところ、制度が動いた日に都合よく新商品を発表した企業にすぎない」
「ずいぶん慎重ですね」
「年を取ると、髪と一緒に断定も減る」
堀田は自分の頭頂を指で軽く叩いた。
「だが、調べるだけの匂いはある。会見で何を話すかより、何に答えないかを見てこい」
神崎は頷いた。




