決起(5)
高城への質疑が続くなか、森本のスマートフォンが震えた。
政治部の記者から届いたメッセージだった。
『与党本部で緊急幹部会』
『若手議員十一人が審議延期を要求』
『真田座長が国民投票を提案したとの情報』
森本が画面を神崎へ見せた。
「真田議員が、国民投票を?」
神崎は三行目を読み直した。
「法案を撤回するつもりはないらしいな」
「でも、今の世論で国民投票をやったら、負けるかもしれませんよ」
「あの男は負けると思っていない」
壇上では、高城が専門家による冷静な議論の必要性を訴えていた。
「真田は、この制度が本当に国民を救うと信じている」
「だから、国民に決めさせる?」
「自分たちが正しいと証明するためにな」
*
午後三時。
与党本部で緊急会見が開かれた。
壇上に立ったのは、党の頭髪環境政策プロジェクトチーム座長、真田圭介だった。
四十二歳。当選四回。整った顔立ちと隙のない身なりは、以前と変わっていない。
ただし、用意された原稿は持っていなかった。
「本日、中央記念広場に多くの方が集まり、法案の是非を国民に直接問うべきだとの声が上がりました」
真田は正面のカメラを見た。
「その要求から、私たちは逃げるべきではありません」
会見場がざわついた。
「先ほどの幹部会で、私は頭髪環境改善法案を国民投票に付すことを提案しました」
記者たちの手が一斉に上がったが、真田は話を続けた。
「この制度は、人を選別するためのものではありません。外見を理由に機会を失ってきた人へ、国が新しい選択肢を届けるためのものです」
真田の声に迷いはなかった。
「私たちは、治療を強制しようとしているのではない。経済的な理由で治療を諦めてきた人に、支援を届けようとしているのです」
記者の一人が声を上げた。
「与党への政治資金をめぐる疑惑が出ています。その状況で、法案の正当性を主張できるのですか」
「政治資金については、すべての資料を公開し、説明します」
真田は即答した。
「疑惑から逃げるつもりはありません。しかし、法案の作成過程に疑問があることと、この政策が必要かどうかは、分けて議論すべきです」
「国民投票で否決された場合は?」
「結果を受け入れます」
会見場が静かになった。
「法案への反対が、本当に国民の意思であるならば、私たちは従わなければなりません」
真田はカメラから目をそらさなかった。
「しかし、声の大きな一部の人々だけでなく、この国に暮らすすべての人に判断していただきたい」
鬼塚の要求を避けるのではなく、同じ言葉を賛成派の側から使っていた。
「外見を理由に機会を失う社会を放置するのか。それとも、国が支援するのか」
真田ははっきりと言った。
「正々堂々、国民に選んでいただきます」
「党内の了承は得られているのですか」
「幹部会では結論が出ていません」
「それでも公表した理由は?」
「私自身の考えを、国民の前で明らかにするためです」
真田は会見を終え、記者たちへ頭を下げた。
中継を見ていた森本が呟いた。
「まさか、自分から国民投票を提案するとは思いませんでした」
「だから厄介なんだ」
神崎は、壇上を離れる真田を見ていた。
「金で動いているだけの政治家なら、疑惑が出た時点で逃げる」
「真田議員は逃げなかった」
「ああ」
神崎は取材ノートに、二人の名前を書いた。
鬼塚剛。
真田圭介。
反対運動の顔と、法案を推進する側の顔。
国民投票が実現すれば、二人の主張が正面からぶつかる。
朝にはシュプレヒコールだった要求を、真田が政治の選択肢へ変えた。
*
夕方、中央記念広場に集まった人々が、警察官の誘導に従って歩き始めた。
プラカードを掲げた列が、都心の道路を埋めていく。
「治す自由を!」
「そのままでいる自由を!」
「頭皮に自由を!」
声は日が暮れても途切れなかった。
*
夜、編集部のテレビは、デモ行進の様子を繰り返し伝えていた。 広場を埋め尽くす参加者。壇上で拳を上げる鬼塚。頭髪維持税の廃案を求める声。
画面の下には、速報の見出しが並んでいる。
――反対集会、主催者発表で十万人
――法案審議への影響は
――与党幹部「一部の意見に左右されない」
「十万人集めても、一部の意見か」
堀田が言った。
「政府は法案を取り下げないでしょう」
神崎はモニターを見たまま答えた。
「むしろ、ここから賛成派も動きます」
「対抗してくるか」
「十万人を民意だと言えば、反対側は、自分たちの方が多いと証明したくなる」
机の上で、神崎のスマートフォンが震えた。
非通知だった。
「神崎修司さん」
あの低い声だった。
「集会はご覧になりましたか」
「何の用だ」
「十万人とは、よく集めたものです」
「残念だったか」
「いいえ。人が集まれば、反対する人間も声を上げやすくなる」
神崎は席を立ち、編集部の隅へ移った。
「次は賛成派を動かすのか」
「誰かが動かす必要はありません。十万人に脅されたくないと思う人間は、自分から立ち上がります」
「それを待っていたのか」
「意見が二つに分かれれば、人は確かめたくなるものです」
「何をだ」
「どちらが多いのかを」
通話は切れた。
神崎はスマートフォンを耳から離した。
編集部のモニターには、集会をめぐるSNSの投稿が映し出されている。
『十万人が廃案を求めている。これが民意だ』
『声の大きい少数派に政策を決めさせるな』
『治療したくない人間のために、努力する人が損をするのか』
『問題は治療するかどうかじゃない。国が身体に基準を作ることだ』
同じ集会を見ても、人々が受け取ったものは違っていた。
十万人が集まったことで、反対運動の声は無視できないものになった。
同時に、賛成する側にも、新たな敵ができた。
神崎はパソコンの前へ戻り、新しい原稿を開いた。
――十万人の抗議は、何を変えたのか
見出しを打ち込み、本文を書き始める。
十万人が示したのは、法案に対する国民の結論ではない。
この問題を、一部の政治家や企業だけで決めることはできないという事実だった。




