決起(3)
午前十一時。
当事者や支援者の訴えが続いたあと、鬼塚剛がステージに上がった。
黒いスーツ。剃り上げた頭。手にしているのは、一本のマイクだけだった。
鬼塚は壇上の中央に立ち、広場が静まるのを待った。
「本日は、ご参加ありがとうございます」
低く通る声が、広場の端まで届いた。
「最初に申し上げます。今日、私たちがここに集まった理由は、髪ではありません」
鬼塚は前列から後方まで、ゆっくりと視線を巡らせた。
「侮辱されたからでもない。笑われたからでもない」
そこで言葉を止め、正面のカメラを見た。
「この国が、人間の身体に値札を貼ろうとしたからです」
拍手が広場へ広がった。
「若い者は、若いから優遇される。美しい者は、美しいから得をする。残念ながら、そうした現実はすでにあります」
鬼塚は拍手が収まるのを待って続けた。
「しかし、それを国家が制度にした瞬間、意味は変わる」
大型ビジョンに、鬼塚の顔が映し出された。
「頭髪を検査し、進行度を判定し、改善を指導する。従わない者には、追加の負担を求める」
前列にいた参加者が、プラカードを高く掲げた。
「それは支援ではありません」
鬼塚の声が低くなる。
「選別です」
広場から拍手が消えた。
「そして、一度始まった選別が、頭髪だけで終わると思いますか」
誰も答えなかった。
「次は肌かもしれない。体形かもしれない。年齢かもしれない。病気や障害を理由に、人間の価値を測る制度が作られるかもしれない」
鬼塚はステージの前へ出た。
「誰もが老いる。誰もが何かを失う。誰もが、いつかは支えられる側に回ります」
会場の中央で、年配の男性が頷いた。
「最初に線の外へ出されるのは、自分ではない誰かです」
鬼塚は、その男性から別の参加者へ視線を移した。
「だから多くの人は、黙って見ていられる」
広場の後方まで静まり返っていた。
「だが、その線は少しずつ動く。年齢を重ね、病気になり、何かを失った時、今度は自分が外へ出される」
鬼塚はマイクを握り直した。
「今日は他人でも、明日は自分です」
その言葉が終わってから、広場の各所で拍手が起きた。
「さらに、この法案をめぐって、桂ホールディングスと関係のある企業が、与党の政治資金パーティー券を三年間で四億二千万円分購入していたことが明らかになりました」
拍手が怒号に変わった。
「説明しろ!」
「法案を止めろ!」
鬼塚は片手を上げ、声が収まるのを待った。
「桂ホールディングスと共同研究を進めていた相馬教授は転落し、警察は事故と発表しました。そして、同じ研究室にいた朝倉美咲さんは、今も行方が分からないままです」
広場の大型ビジョンに、相馬と朝倉の写真が映し出された。
「これらが法案と関係していると断定する証拠は、まだありません」
鬼塚は明言した。
「だからこそ、調べる必要がある」
拍手が起きた。
「何も問題がないと言うのなら、政府も桂ホールディングスも、資料をすべて国民の前へ出せばいい。朝倉さんがどこにいるのか、警察は捜査の状況を説明すればいい」
鬼塚は指を一本立てた。
「私たちが求める第一の要求は、法案審議の即時停止です」
二本目を立てる。
「第二に、政治資金と法案作成過程の全面公開」
三本目。
「第三に、相馬教授の転落と朝倉美咲さんの失踪についての徹底した捜査です」
「そうだ!」
前列から上がった声に、広場全体が拍手で応えた。
「政府が、それでも法案を進めるというのなら、国会の中だけで決めてはなりません」
鬼塚は大型ビジョンのカメラへ顔を向けた。
「この制度の影響を受けるのは、国会議員ではない。ここにいる人間だけでもない。この国で生きる、すべての人間です」
鬼塚の言葉に合わせて、掲げられていたプラカードが下りていく。参加者は黙って壇上を見つめていた。
「政府が本当に国民のための制度だと言うのなら、国民一人ひとりに直接聞けばいい」
広場の前方から拍手が起こった。
「人間の身体を国が評価する制度に、賛成なのか、反対なのか」
鬼塚は数秒間、群衆の顔を見渡した。
「国民自身に選ばせろ」
拍手と歓声が一斉に上がった。
鬼塚はその声が収まるまで、マイクを下ろしていた。
「最後に、一つだけ申し上げます」
鬼塚が少しだけ口元を緩めた。
「私は禿げています」
広場に笑いが起きた。
「だが、屈してはいない」
今度は大きな拍手が起きた。
鬼塚が右の拳を掲げた。
「治す自由を!」
「自由を!」
群衆が応える。
「そのままでいる自由を!」
「自由を!」
鬼塚は、さらに拳を高く上げた。
「頭皮に自由を!」
「自由を!」
かつて駅前に集まった百人が叫んだ言葉を、今度は広場を埋めた数万人が繰り返した。
「頭皮に自由を!」
「自由を!」
拳とプラカードが一斉に上がった。
鬼塚は、最後に新しい言葉を投げかけた。
「法案の是非を――国民に問え!」
最初に応えたのは、ステージ前にいた参加者だった。
「国民に問え!」
その声が後方へ伝わっていく。
「国民に問え!」
これまでになかった要求が、数万人のシュプレヒコールとなって中央記念広場を埋めた。




