真実の値段(4)
同じころ、桂ホールディングス本社前には報道陣が集まり始めていた。
正面玄関にはすでに警備員が立ち、次々に押し寄せる記者へ、今夜は取材に応じないと繰り返している。
時間外取引では売り注文が膨らみ、桂ホールディングスの株価は値を下げていた。
ネット上でも、記事をめぐる議論が広がっている。
『違法じゃないなら問題ないだろ』
『合法かどうかだけの話じゃない。なぜ法案に関わった議員へ金が流れているんだ』
『治療を支援する政策まで否定するな』
『政策を誰が決めたのか説明してほしい』
『薄毛の人同士を争わせて、裏では企業と政治家がつながっていたのか』
意見は、まだ一つにはまとまっていなかった。
桂を批判する者。
記事には推測が多いと反発する者。
法案そのものは必要だと主張する者。
だが、議論の向きは確かに変わっていた。
昨日まで人々が争っていたのは、治療する者と、治療しない者のどちらが正しいのかという問題だった。
今、問われ始めているのは違う。
誰がこの政策を作り、誰が金を出し、誰が利益を得ようとしていたのか。
怒りの矛先が、初めて制度を作る側へ向き始めていた。
*
夜十一時。
編集部の窓から見える街は、まだ明るかった。
森本が神崎の机に缶コーヒーを置いた。
「桂の株、時間外取引でも下がっていますね」
「あぁ、今みてるよ」
「与党内からも、法案の審議日程を見直すべきだという声が出ています。記事、効きましたね」
「まだ、反応が出ただけだ」
「違うんですか」
「下がった株は戻ることもある。審議だって、説明を済ませて予定どおり進めるかもしれない」
森本が眉をひそめた。
「じゃあ、意味がなかったんですか」
「そうじゃない、金の流れが表に出た」
神崎はモニターに映る幹事長の会見を見たまま答えた。
「これまでは、桂が政策によって利益を得るかもしれないという話だった。だが今は、桂につながる企業から政治家側へ、実際に金が流れていたことが分かった」
「向こうは、政策とは無関係だと言っています」
「それを判断するのは、これからだ」
モニターの中で、幹事長が同じ説明を繰り返している。
すべて適法に処理している。
政策への影響はない。
桂グループを特別扱いした事実もない。
「俺たちの記事は、誰かを有罪にするためのものじゃない」
神崎は画面から目を離した。
「見えなかった関係を、誰でも検証できる場所へ出すためのものだ」
森本は小さく頷いた。
「朝倉さんの失踪や、相馬教授の転落については?」
「まだ書けない」
「やっぱり証拠が足りませんか」
「ああ。金の流れが見つかったからといって、全部を一つにつなげていいわけじゃない」
スマートフォンが震えた。
非通知。
「神崎修司さん」
あの低い声だった。
「今度は抗議か」
「今夜の記事について、伺いたいことがあります」
「広報への問い合わせなら、明日にしてくれ」
「記事に使った資料は、どこから手に入れましたか」
神崎の手が止まった。
「答えると思うか」
短い沈黙があった。
「そうですか」
「記事が出ると困るのか」
「市場は、一時的な情報に過剰反応するものです」
神崎は目を細めた。
「市場は正直なんじゃなかったのか」
男は答えなかった。
「今夜は、それだけです」
通話は切れた。
*
神崎はスマートフォンを耳から離した。
これまで男は、神崎が何を調べているのかを先回りするように話してきた。
その男が、初めてこちらから何かを引き出そうとした。
「何だったんですか」
森本が尋ねた。
「タレコミ元を探ってきた」
「どうしてです」
「それをこれから調べる」
神崎は、須藤から渡された資料へ目を落とした。
社名も業種も異なる複数の企業。そのつながりを突き止めたのは須藤だが、最初の記録を新聞社へ送った人間は、今も分かっていない。
資料の入っていた封筒を裏返す。
差出人の名前はなく、都内の消印だけが残っていた。
神崎は手帳を開いた。
――政治資金資料の送り主。
それだけ書いて、ペンを置いた。
送り主が何者なのかは分からない。
ただ、その名前を確かめたがっている者がいる。
今夜分かったのは、それだけだった。
神崎は封筒を机の引き出しへ戻し、静かに鍵を掛けた。




