作られた敵(2)
調査を始めてから二時間ほどたったころ、スクリーンの前で説明していた男の身元が判明した。
都内の広告代理店、東邦コミュニケーションズの戦略企画部長だった。日本印象力推進会議の設立会見にも、運営スタッフとして姿を見せている。
会議室の壁や机、正面に取りつけられたスクリーンも、会社の採用サイトに掲載された写真と一致した。
「少なくとも、映っている男と場所は確認できました」
森本が言った。
「ファイルの情報は?」
「作成日時は四日前になっています。ただ、書き換えられている可能性もありますし、これだけでは撮影日時の証明にはなりそうにないです」
「映像も途中から始まって、途中で終わっている。発言の前後を切っている可能性もあるしな」
「代理店に確認を取りますか」
「まずは向こうの言い分を聞こう。記事にするかどうかは、それからだ」
神崎は東邦コミュニケーションズと日本印象力推進会議の双方へ質問状を送った。
回答期限は、翌日の正午に設定した。
送信してから、一時間ほどたったころだった。
神崎のスマートフォンが震えた。
非通知。
「神崎修司さん」
あの低い声だった。
「東邦コミュニケーションズへ送った質問状の件です」
神崎は画面の時刻を確かめた。
「もう耳に入ったのか」
「動画は使わない方が賢明です」
神崎は席を立ち、編集部の隅にある打ち合わせ用の小部屋へ入った。
「なぜです。本物だから?」
「本物かどうかは問題ではありません。公開した瞬間、論点は政策ではなく、動画の真偽と入手方法へ移る」
「こちらが裏を取っても?」
「代理店は編集された映像だと主張し、会議の出席者は発言の趣旨が違うと言うでしょう。あなたは、出所不明の動画に飛びついた記者として扱われる」
「脅しているんですか」
「助言です」
男の声は終始穏やかだった。
「あなたたちが、反対派を過激に見せているのか」
「過激に見せているのではありません。人々がもともと抱えている感情を、見えやすい場所へ出しているだけです」
「それを煽ると言うんだ」
「広告の世界では、需要に応えると言います」
「誰の需要だ」
男は答えなかった。
「動画のことは忘れてください。あなたには、ほかに書くべきことがある」
通話は切れた。
神崎はスマートフォンを耳から離した。
質問状を送った相手は二つしかない。
東邦コミュニケーションズか、日本印象力推進会議。少なくともどちらか、あるいは両方から、電話の男へ情報が伝わっている。
動画が本物だと証明されたわけではない。
ただ、質問状を送った直後に、動画を使うなと電話してきた人間がいる
この動画が、誰かにとって無視できないものであることだけは確かだった。
*
神崎は自分の席へ戻った。
パソコンには、広告代理店の会議を撮影した動画が停止したまま残っている。映っている人物と場所は確認できたが、撮影したのが誰なのか、映像が編集されているのかは分からない。
このままでは記事には使えなかった。
だが、動画を使わなくても書けることはある。
神崎は新しい原稿を開き、ここ数日の発言を時系列に並べた。
真田は、治療を受けない者への追加負担を「公平性」と呼んだ。日本印象力推進会議は、外見を整えることを「努力」と位置づけた。テレビは薄毛と清潔感を結びつけ、SNSでは、治療を望まない人間を怠け者と決めつける言葉が広がった。
出発点は、国が人の身体に基準を作り、従わない者へ負担を求めてよいのかという問題だった。
それがいつの間にか、努力する人間と努力しない人間の争いへ変わっている。
神崎は見出しを打ち込んだ。
――なぜ議論は「敵と味方」に変わったのか
“頭髪維持税”をめぐって消えた論点
原稿では、出所不明の動画にも、非通知の電話にも触れなかった。確認できていないものを書けば、相手に記事全体を否定する理由を与えることになる。
代わりに、実際に発せられた言葉と、その前後で世論がどう変化したのかを一つずつ積み上げた。
賛成派も反対派も、それぞれに怒っている。しかし怒りが大きくなるほど、制度を作ろうとしている者や、そこから利益を得ようとしている者には目が向かなくなっていた。
誰かを自分より努力していないと決めつければ、自分は正しい側に立てる。
誰かを差別する側だと決めつければ、自分は傷つけられた側に立てる。
その間にも、法案の中身を決める作業は進んでいる。
神崎は原稿を保存したが、パソコンの電源は落とさなかった。
別の画面には、あの会議動画が残っている。
男は、動画を使うなと言った。
ならば、使えるだけの事実を集めればいい。
神崎は動画を最初から再生し、出席者の顔をもう一度確認し始めた。




