笑えなくなった日(4)
翌日、ハゲ解放同盟の集会は一万人規模に膨れ上がっていた。
駅前広場だけでは収まりきらず、人の列は歩道を越え、駅の階段付近まで続いている。警察官が拡声器で通路を空けるよう呼びかけ、駅から出てきた人々は、目の前に広がる群衆を見て足を止めた。
スーツ姿の中年男性。帽子を脱いだ若者。夫に付き添う女性。子どもの手を引いた家族。スマートフォンを頭上に掲げる配信者。何が始まるのか分からないまま集まった見物客。
広場には、手書きの文字がいくつも揺れていた。
『治療しない自由を奪うな』
『遺伝に罰を与えるな』
『髪は義務ではない』
壇上の脇には、報道各社のカメラが並んでいた。中継車から伸びたケーブルが地面を這い、集会の様子は複数の動画配信サービスで同時に流されている。
神崎と森本は、報道陣の列から壇上を見上げていた。
「夫は髪のことで何度も笑われました」
マイクを握った女性の声が、広場に響いた。
「会社でも、取引先でも、本人が笑っているからいいんだと思われていました。でも、家に帰ってから鏡を見なくなったんです」
女性は言葉を詰まらせ、両手でマイクを握り直した。
「それでも黙って働いてきました。もう十分です。今度は国から、治さないなら負担しろと言われるんですか」
広場の各所から拍手が起こった。
それはすぐに重なり合い、駅舎の壁を震わせるほどの音になった。
次に登壇した若い男は、薄くなり始めた髪をきれいに剃り上げていた。
「僕は、まだ二十六歳です」
若い男は一度俯き、それから顔を上げた。
「就職面接で、“年齢より老けて見える”と言われました。“営業職なら、もう少し清潔感を考えた方がいい”とも言われました」
群衆の中から「ひどいぞ」という声が飛んだ。
「僕は毎日風呂に入っています。服だって洗っています。それでも髪がないだけで、清潔感がないと言われる。今度は国まで、それを正しいことにするんですか」
「そうだ!」
誰かが叫んだ。
別の場所からも声が上がった。
「髪で人を決めるな!」
「治療を強制するな!」
「遺伝に負担を課すな!」
一つだった声が十になり、百になり、やがて広場全体へ広がった。
駅の向かい側では、集会に反対する者たちも声を上げていた。
「努力する人間が損をするのか!」
「治せるなら治せ!」
警察官が両者の間に立ち、接近しないよう腕を広げる。その境界へ向けて、双方のスマートフォンが一斉に掲げられた。
罵声が飛ぶたびに、配信者たちはカメラを向けた。
穏やかに話す者より、怒鳴る者の方がよく映った。
「昨日までなら、誰かが笑っていたんでしょうね」
森本が呟いた。
「ああ」
神崎は壇上の若者を見た。
「言われた本人以外はな」
やがて鬼塚が壇上へ上がった。
広場を埋めた人々が、次第に静かになっていく。
「私たちは、髪を生やす権利を否定しているのではありません」
鬼塚の声が、一万人の頭上を渡った。
「生やさない自由を、守ろうとしているのです」
大きな拍手が弾けた。
「治療したい人は、治療すればいい。支援を受けたい人は、受ければいい。しかし、治さない者を怠け者と呼び、負担を課し、社会から劣った人間のように扱うことは、支援ではありません!」
拍手と歓声が、駅前広場から周囲のビルへ反響した。
その日、一万人の声が、これまで笑い声に隠されていたものを表へ引きずり出した。
薄毛は、もう単なる笑い話ではなかった。
笑われていた側が、笑わずに立ち上がったからだ。
この日を境に、もう誰も、同じ冗談を同じようには笑えなくなった。




