笑えなくなった日(3)
会見を終えて与党本部を出たところで、神崎のスマートフォンにメッセージが届いた。
送り主は鬼塚剛だった。ハゲ解放同盟の取材後、何か動きがあれば連絡を取り合うことになっている。
『真田の会見を見ました。今夜、少し話せませんか』
続けて、駅裏にある喫茶店の名前が送られてきた。
*
その夜、神崎は指定された喫茶店を訪れた。
木製のテーブルに薄暗い照明。店内には長年染みついたコーヒーの匂いが漂い、窓際には葉の色褪せた観葉植物が置かれている。
奥の席では、鬼塚が夕刊を読んでいた。神崎が向かいに座ると、真田の会見を伝える記事を上にして新聞を畳んだ。
「今朝の記事、読みました」
「何か、不満そうな顔してますね」
「我々に都合のいい内容ではありませんでしたので」
「新聞は、どちらかの味方をするためにあるんじゃない」
「そうですね。だから、神崎さんには先に伝えておこうと思ったわけですが」
鬼塚はテーブルの上へ一枚の紙を置いた。翌日に予定されている集会の案内だった。
「明日の集会ですが、会場を駅前広場に変更しました」
「参加者が増えたんですか」
「真田の会見が終わってから、参加したいという連絡が殺到しています。一万人規模になるかもしれません」
「政府が火を消そうとして、逆に大きくした」
「消そうとしたのでしょうか」
鬼塚は夕刊に載った真田の写真へ目を落とした。
「あの会見は、反対する者を説得するためのものではありません。賛成する人々に、自分たちは正しいと思わせるためのものです」
「追加負担を、公平性の議論に変えましたからね」
「しかも、用意された言葉を読んでいるだけには見えなかった」
「おそらく、彼は本気で正しいと思っているようですし」
店員が神崎のコーヒーを運んできた。鬼塚はそれを待ってから、声を落とした。
「我々にとって、真田圭介は厄介な相手ですが、それでも、彼の登場で運動は大きくなった」
「まぁ、運動は、敵が明確になるほど大きくなりますからね」
「鬼塚さん、嬉しそうですね」
「喜んでいるわけではないですが、それが事実だというだけです」
鬼塚は砂糖を入れていないコーヒーを一口飲んだ。
「今回の法案が厄介なのは、賛成派も反対派も、自分こそ被害者だと思っていることでしょうね」
「賛成派もですか?」
「自分たちは髪や体形、服装に金をかけ、社会から評価されるために努力してきた。その努力をしない人間が同じように扱われるのは、不公平だと考えている」
「なるほど、反対派は、生まれつきの体質を理由に責められていると感じている」
「ええ。どちらにも、その人なりの理屈がある。だから互いの怒りを、簡単には否定できない」
鬼塚はカップを置いた。
「真田は、賛成派の怒りに名前を与えたということです。差別ではなく、公平を求める正当な怒りだと」
「鬼塚さんにとっては、戦いにくい相手ですね」
「露骨に薄毛を笑う政治家なら、こちらも戦いやすい。しかし、あの男は笑わない。薄毛に悩む人を救うと言いながら、治さない者に負担を求める」
鬼塚は新聞に載った真田の写真を指で押さえた。
「敵を馬鹿だと思う人間は、最後に負けます。正しいと信じている敵ほど、こちらも本気で理解しなければならない」
神崎はその言葉を手帳に書き留めた。
昼の会見で名前を囲んだ男を、鬼塚もまた警戒している。
真田圭介は、政府が用意した単なる広告塔ではない。
自分の言葉で、人々の怒りに意味を与えられる政治家だった。




