発毛研究を狙う大企業(4)
「ここまで結果が出ているのに、なぜ次へ進めないんですか」
神崎が尋ねると、相馬の表情から笑みが消えた。
「簡単にいうと、資金です」
答えは短かった。
「有効成分の特定、毒性試験、安定した製造方法の確立。その先には臨床試験と承認申請がある。大学の研究費だけで進められる段階は、もう過ぎました」
「そこで桂が現れたわけですか」
「正確には、桂ホールディングスの投資子会社ですね」
神崎はペンを止めた。
「その前に一つ。研究成果は、まだ論文にも学会にも出していないんですよね」
「ええ」
「では、桂はどこでこの研究を知ったんですか」
相馬はすぐには答えなかった。机の上の缶コーヒーを指先で回してから、重い口を開いた。
「うちにいた大学院生が、桂の研究職に応募したんです」
「情報を持ち込んだ?」
「本人にそんなつもりはなかったんでしょう。採用面接で、自分が大学院で取り組んできた研究を発表しただけだと思います」
学生が面接に持参した資料には、微生物ライブラリーの概要と、毛の生え始めたマウスの写真が含まれていたという。
「研究職の面接ですから、学生も自分の成果を詳しく説明したかったのでしょう。質問されるまま、再現実験でも同じ結果が出たことまで話してしまった」
「桂は、その学生を採用したんですか」
「しました。本人は、自分の研究を評価してもらえたと喜んでいましたよ」
相馬は苦く笑った。
「評価されたのが学生だったのか、学生の持っていた情報だったのかは、今では分かりませんが」
「面接から、どのくらいで桂が接触してきたんです」
「二週間くらいだと。最初は産学連携の担当者から、共同研究に興味があるという丁寧な連絡でした」
「それでデータを見せた」
「秘密保持契約を結んだうえで、動物実験までの結果を開示しました。資金を出してくれる企業を、こちらも探していましたから」
「その時点では、まともな共同研究に見えた」
「ええ。少なくとも、最初の面談までは」
相馬は別のファイルから、数枚の書類を取り出した。
桂側から提示された共同開発の投資提案書だった。
研究費と設備は桂が提供する。その代わり、特許を受ける権利と全世界での独占販売権は新会社へ移し、この成分から生まれる改良技術も桂側の管理下に置く。学会や論文で成果を公表する場合にも、事前の承認が必要とされていた。
「資金を出す以上、企業が権利を求めること自体は理解できます」
相馬は書類の一文を指で叩いた。
「しかし、これは研究を育てる契約ではありません。研究を丸ごと囲い込む契約です」
「新薬をいつ開発し、いつ世に出すのかも、桂が決めることになる」
「世に出さない、という判断も含めてです」
相馬は契約書を閉じた。
「それで、契約を断ったんですか」
神崎が尋ねると、相馬は首を横に振った。
「最初から断ったわけではありません。こちらも資金を必要としていましたから、条件の修正を求めました」
「どのような条件ですか」
「特許を受ける権利は大学と桂で共有すること。研究成果を論文として公表する権利を残すこと。そして、開発を一定期間進めなかった場合には、桂の独占権を解除することです」
「研究を止めたまま保有できないようにしたんですね」
「ええ。本当に薬として世に出すつもりなら、桂にとっても不利な条件ではないはずです」
「桂は受け入れなかった」
「すべて拒否されました」
相馬は、桂側から届いた回答書を神崎の前に置いた。
「条件は変更できない。受け入れられないのであれば、投資提案そのものを撤回する、と」
「そこで交渉を打ち切ったということですか」
「正確には、こちらから断ったというより、桂側に交渉を打ち切られたんです」
相馬は自嘲気味に笑った。
「こちらに選択権があったように見えますが、桂が用意した答えは、最初から一つだけでした」
神崎は手帳に書き留めてから、顔を上げた。
「ただ、それだけなら商談が成立しなかったという話ですよね。森本が聞いたのは、“桂に研究を潰されかけた”という話でした」
「ええ。問題は、そこからで」
相馬の表情から笑みが消えた。




