発毛研究を狙う大企業(3)
三人が椅子に腰を下ろすと、相馬は小型冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、机の上に一本ずつ置いた。
「それで、どこまで聞いています?」
「その前に、取材条件だけ確認させてください」
神崎は手帳を開いた。
「今日は記事化を前提にお話を伺います。ただし、実際に掲載するかどうかは、取材内容を持ち帰ったうえで編集部が判断します」
「構いません。そのために連絡しましたので」
「研究内容について、公表できない部分はありますか」
「菌株を特定できる情報、培養条件、成分の構造、未発表の実験数値は出さないでください。特許出願前ですから」
「承知しました。技術的な記述が必要になった場合は、事実関係だけ確認させてください」
相馬は頷き、缶コーヒーのプルタブを開けた。
「分かりました。では、話せる範囲でお話しします。どこまで聞いています?」
「桂ホールディングスに潰されかけた研究がある、と」
神崎が答えると、相馬は苦笑した。
「潰された、というのは少し語弊がありますね。もっと上品に言えば、奪われかけた」
「具体的には何をですか」
「研究成果と、その先に生まれる権利を全部です」
神崎は手帳を開き、ペンを構えた。
「研究の内容を聞かせてもらっていいですか」
相馬は棚から厚いファイルを取り出した。表紙には英語の題名と、神崎には意味の分からない記号が並んでいる。
「私たちは、山岳地帯の苔と共生する微生物を集めています。採取した苔から菌を分離して培養し、その性質を記録したうえで保存する。いわば、群馬県の微生物の図書館を作っているようなものです」
「集めた菌は、保存するだけですか」
「いいえ。登録した菌がどんな物質を作るのか、薬などに利用できる可能性がないか、学生たちが分担して調べます。最初に行うのは、抗菌作用や抗炎症作用といった基礎的な試験です」
相馬は棚から一冊のファイルを取り出した。
「その中の一つに、皮膚の炎症を抑える可能性がある培養液が見つかりました。そこで次の段階として、マウスを使った試験を行ったんです」
「その試験で、発毛作用が見つかった?」
「ええ。ただし、最初に気づいたのは私ではありません。当時、大学院生だった朝倉です」
相馬はファイルから一枚の写真を取り出した。
背中の毛を剃られた二匹のマウスが並んでいる。一匹は白い皮膚が見えたままだが、もう一匹には黒い毛が生え始めていた。
「本来は、皮膚の炎症がどれだけ治まるかを見る実験でした。ところが数日後、朝倉が妙なことを言い出したんです」
相馬は写真の一匹を指で示した。
「先生、このマウスだけ、毛が戻るのが早くないですか――と」 森本が写真へ顔を近づけた。
「確かに、こっちだけ生えてますね」
「最初は個体差だと思いました。ところが、条件をそろえてやり直しても、この菌が作る成分を使った群だけ、毛が早く生えた」
「それで、発毛作用を疑った」
「ええ。その後、知り合いの研究先に成分を送り、人の毛包組織でも調べたんです。すると、活動を止めていた毛包が再び成長を始めた」
相馬は次のページを開いた。そこには、培養した毛包組織の画像と何本ものグラフが並んでいる。
神崎は画像を見比べたが、違いがよく分からなかった。森本も同じだったらしく、率直に尋ねた。
「簡単に言うと、何が起きたんですか」
「毛が生えました」
部屋に、培養装置の低い駆動音だけが残った。
「人間にですか」
「人から採取して培養した毛包組織と、動物実験でです。人の頭に使ったわけではありません」
「既存の薬とは違う?」
「抜け毛を抑えるのではなく、活動を止めた毛包をもう一度動かせる可能性がある。もし人でも同じ結果が出れば、既存薬とは比較にならないでしょう」
「出れば、ですか」
「今の段階で分かっているのは、この成分が毛包に作用する可能性があるということだけです。薬として人に使えるかどうかは、まだ何も分かっていません」
相馬は缶コーヒーを一口飲み、肩をすくめた。
「毛が生えたとしても、別の臓器に害を及ぼすなら薬にはならない。効き目だけを見て新薬と呼ぶには、まだ早すぎます」




