ハゲ解放同盟(4)
週が明けると、桂ホールディングスの株価は激しく揺れた。
取引開始直後は、法案成立による市場拡大を期待した買いが集まり、株価は大きく上昇した。しかし午後になると、ハゲ解放同盟への支持拡大が政治的な不安材料とみなされ、一転して急落した。
それでも終値は、前週末をわずかに上回った。
法案が通れば、桂ホールディングスには巨大な市場が開かれる。一方で反対運動がさらに広がれば、制度との近さを疑われ、企業そのものが批判の矢面に立つ可能性もある。
期待すべきか、警戒すべきか。市場もまだ判断を決めかねていた。
神崎は大型モニターを見上げていた経済部の真壁に声をかけた。
「どう見る」
「法案が通ると思うなら買い。潰れると思うなら売り。今はその二つがぶつかってます」
「市場にも意見があるんじゃないのか」
真壁は端末から目を離さず、鼻で笑った。
「市場にあるのは、意見じゃなくて値段ですよ」
「節操がないな」
「金は正義に賭けるんじゃない。勝つ方に賭ける」
真壁は値動きのグラフを指でなぞった。
「まだどちらが勝つか分からないから、今日は両方に賭けている。それだけです」
神崎は画面に並ぶ赤と青の数字を見つめた。
駅前で百人が声を上げている間にも、その怒りが企業にとって利益になるのか損失になるのか、別の場所では値踏みが始まっていた。
*
その日の夜、神崎が編集部で集会の記事をまとめていると、森本が資料を手に駆け寄ってきた。
「神崎さん、鬼塚の過去が分かりました」
「何が出た」
「五年前、大手企業を相手にした人事訴訟で、原告側の代理人を務めています」
森本が判決記事のコピーを机に置いた。
原告は営業成績で三年連続トップだった男性社員。それにもかかわらず、管理職への昇進を繰り返し見送られていた。
「会社側が残した人事評価に、“対外的な印象に難あり”と書かれていたそうです」
「それが容姿を指していた?」
「鬼塚はそう立証しました。社内メールや、上司の証言も引き出しています」
「結果は」
「原告側の勝訴です。会社に慰謝料の支払いと、昇進審査のやり直しが命じられています」
神崎は判決記事に目を落とした。
人間に値札をつけるな。
今日の演説で鬼塚が口にした言葉は、思いつきではなかった。少なくとも五年前から、この男は同じ問題を追い続けている。
「これだけの訴訟に勝った弁護士が、なぜ表舞台から消えた」
「そこはまだ分かりません。ただ、妙なのはその先です」
森本は声を落とし、別の資料を差し出した。
「鬼塚は、それ以前に桂ホールディングスの顧問弁護士を務めています」
神崎は顔を上げた。
「確かなのか」
「桂がまだ現在の社名になる前の会社案内です。顧問弁護士として、鬼塚剛の名前が載っています」
「いつまでだ」
「人事訴訟の直前まで。それ以降の資料から、名前が消えています」
神崎は二枚の資料を並べた。
容姿による差別を争った訴訟。その直前まで続いていた、桂ホールディングスとの関係。そして、勝訴後に表舞台から姿を消した弁護士。
「桂を辞めた理由は?」
「まだ分かりません」
「鬼塚本人に聞くしかないか」
「答えますかね」
「答えなければ、それも記事になる」
神崎は、集会で撮影された鬼塚の顔をモニターに映した。
桂の内情を知ったうえで、制度に反対しているのか。
それとも、桂に対する個人的な理由があるのか。
敵を知り尽くした男なのか、かつて敵の側にいた男なのか。
まだ、どちらとも決めるには早かった。
*
深夜、仕事を終えた神崎は、帰宅する前にもう一度駅前広場へ立ち寄った。
昼間の群衆はすでに消え、噴水の水音だけが静かな広場に響いている。鬼塚が立っていた場所を確かめながら歩いていると、足元に一枚の紙が落ちていた。
――髪で人を測るな。
雨に濡れた文字が、ところどころ滲んでいる。
神崎は紙を拾い上げ、二つに折った。そのとき、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
非通知だった。
「神崎修司さん」
また、あの低い声だった。
「今度は何です」
「鬼塚剛を、正義の人として書くのは早い」
神崎は足を止めた。
「ずいぶん気にしていますね」
「忠告しているだけです」
「誰のための忠告ですか」
男は答えなかった。
「桂の顧問弁護士だったことなら、もう調べました」
受話口の向こうで、わずかな沈黙があった。
「では、彼がなぜ桂を離れたのかも調べた方がいい」
「知っているなら、あなたが話せばいい」
「記者でしょう。ご自分で確かめてください」
「鬼塚は何をしたんです」
男は少し間を置いた。
「正義だけで、人はあそこまで執念深くなれません」
「復讐だと?」
「彼は法案を止めたいのではない。桂を潰したいのです」
「それで困るのは、誰ですか」
今度は、男が黙る番だった。
神崎はさらに問いかけた。
「あなたは鬼塚を警戒している。それとも、鬼塚を警戒するよう私を誘導しているんですか」
小さな笑い声が聞こえた。
「両方かもしれませんね」
通話は切れた。
神崎は暗くなった画面を見つめた。
鬼塚が桂に個人的な恨みを抱いている可能性はある。だが、それだけなら、匿名の男がわざわざ電話をかけてくる理由にはならない。
鬼塚は何を知っているのか。
そして、この男は何を恐れているのか。
神崎は拾った紙の裏側に、二つの名前を書いた。
――鬼塚剛。
――非通知の男。
風が吹き、折り畳んだ紙が手の中でかすかに鳴った。
どちらかが嘘をついている。
あるいは、どちらも本当のことを一部しか話していない。




