デス・カイザーと決着
救い出された二人は、しばらくの間、呆けたようにデスを見上げていた。
殺したはずの男が、焼かれても死なず、鎖を引き千切り、自分たちを炎の館から連れ出した。
生気を吸い尽くされて痩せ細っていた身体は膨らみを取り戻し、確かな熱がこもっている。何が起きたのか理解が追いつかない。
やがて姉が震える膝で立ち上がり、デスの前に、ゆっくりと膝をつく。妹もそれにならった。
「……私は、リーシャです。そしてこちらが、妹のリーシュです」
掠れた声には、もう敵意はない。
「ずっと、騙され続けてきました。私たちはこのまま、二人で生きていくしかないと……でも、あなたは違います」
リーシャが顔を上げる。涙が頬を伝っていた。
憎しみでも、絶望でもない涙が。
「この命を救ってくれました。そして、呪いごと背負うと……言ってくださいました。私たちの、全てを」
「……姉さんを、私を、助けてくださった方……」
リーシュが、隣で静かに言葉を継ぐ。
その声には、まだ力がなかったが、姉と同じ光が瞳に宿っていた。
二人揃って、深く頭を垂れる。
「この身も、この力も、あなたに捧げます。私たちを、あなたの好きに使ってください……それが私たちにできる、精一杯の恩返しです」
過ぎた忠誠だと、本来のデスであれば考えただろう。
しかし、意識の朦朧としたデスは、ろくに言葉を返せない。
ただ、二人の頭にそっと手を置いた。
姉妹の肩が小さく震える。
「……デス・カイザー…………だ……」
「で、デス、様……なんて壮大なお名前……」
リーシャがデスの姿に目を留めた。
紫の炎に焼かれたことで彼の上着は炭になり、無残に焦げ落ちている。
エリクサーは肉体を癒しても、纏っていた布までは戻してくれない。
恩人が肌を晒したまま戦うなど、二人には耐えられなかったのだろう。
「……少し、じっとしていてください」
リーシャが手をかざすと、指先から黒い靄が湧き出した。
数刻前までクレイドを苦しめた呪いの力。
今、その闇は禍々しさをひそめ、しなやかに形を変えていく。
闇がデスの身体を包み、瞬く間に一着の装束を編み上げる。
漆黒の外套。姉妹の力の名残か、袖には紫の紋様が微かに走っている。
「……デス様に相応しいものを。私たちの力で作った証です」
焼け焦げた男が、闇色の外套をまとった威容へと変わる。
その姿を、デス本人だけが、まるで理解していなかった。
その時、頭上で邪竜が咆哮した。
姉妹からの力の供給がなくなり、衰えたとはいえ、ヴィシャンテは生きている。
クレイドとレイラが斬りかかっているが、傷はやはり塞がっていく。
「……源から離しても、まだあれだけ動けるのか」
ヴィシャンテの再生は鈍りつつあるが、削り切るには遠い。
リーシャが邪竜を見上げた。その目に覚悟の色が宿る。
「……ヴィシャンテに流れている呪いの力は、元々、私たちのものです。だから、私たちであれば……引き剥がす事ができます」
「ひ、引き剥がす……?」
ようやく意識を取り戻したデスが、掠れた声を出した。
自分が生きていることや、着ている服が変わっていることも含めて聞きたいことは山ほどあったが、そんな場合じゃないのは理解している。
リーシャが妹の手を握ると、リーシュも静かに頷いた。
「……無茶をするな。そんなことをすれば、お前たちが」
「いいんです。あなたに救われた命だから……あなたのために使えるなら、本望です」
止める間もなく、姉妹がヴィシャンテへ向かって手をかざすと、その身体から立ち昇っていた紫の瘴気が逆流をはじめた。
ヴィシャンテへ流れ込むはずだった呪いが、糸を手繰るように、姉妹の手のひらへと吸い寄せられていく。
邪竜が苦悶の咆哮を上げた。
膨れ上がっていた巨躯が、目に見えて萎んでいく。
「——効いている。再生が止まった……!」
クレイドが叫んだ。だが——
「く……っ、あ……っ!?」
「姉さん……身体が、灼けてしまいそうです……!」
姉妹の身体に、膨大な呪いの力が一気に流れ込んでいるのだ。
元は自分のものだとしても、病み上がりの身体では制御しきれない。
二人の顔がみるみる歪んでいった。
姉妹の輪郭が紫の光に呑まれてブレはじめる。
このままでは、邪竜を止める前に、姉妹の方が力に呑まれて砕けてしまう。
・
「……このままじゃ、二人が保たない」
俺は駆け寄り、崩れかけた姉妹を両脇から支えた。
とっさに二人の手を握る。
手を握ってやれば、少しは落ち着くかもしれないという、その程度の考えだった。しかし——
「——なっ、うおおおおおおおおおッ!?」
全身が、内側から灼けるような感覚に襲われる。
膨大な力が俺にも牙を剥いてきた。
姉妹二人がかりで受け止めきれず、暴れていたものが一気に押し寄せてくる。
指の先まで力が満ちていき、皮膚の下で、何かが荒れ狂っていた。
(ヤバいヤバいヤバい……どうするんだよこれ!)
意識がはっきりしているからこそ分かった。
この力を抱え込んだままではいられない。
溜め込めば、俺は——内側から弾け飛ぶだろう。
放出するしかない。今すぐにだ。
(——何か、殴れるものはないか!?)
幸いにも、答えは目の前にあった。
姉妹に力を吸い戻され、衰えかけた呪竜ヴィシャンテ。
あれ以上に、遠慮なくぶん殴れる的はない。
俺は背中に背負っていた大剣を引き抜こうとして……気付く。
(もしかして俺の愛剣……燃えた?)
冒険者になって最初に買った何の変哲もない安物であり、刃こぼれもある。
とはいえ、俺が全力で振るっても壊れない耐久力を誇っていた。
そんな愛剣はおそらく……姉妹の炎で焼き尽くされてしまった。
「——デス! これを!」
察したのか、クレイドが自分の持っていた剣を俺に投げる。
(あ、危ねえ!)
なんとか柄をキャッチして握ると、身体を灼いている力を、ありったけ流し込む。
瞬間、刃が黒く染まった。禍々しい闇だ。
姉妹を蝕み、邪竜の力になっていた呪い。
(——急がないと、俺が弾け飛ぶッ!)
考えている暇はない。
身を焦がす激流を、この一振りに乗せて吐き出す。
俺は地を蹴り、全力で飛び上がる。
衰えたヴィシャンテが、濁った目でこちらを見下ろす。
その巨体へ向かって、俺は闇を纏った剣を、渾身の力で振り下ろした。
「喰らえぇぇええ————ッ!」
黒い刃が邪竜の首を捉えると、俺よりも遥かに重そうなそれは、地響きを起こしながら地に落ちた。
残った巨体からは、もう瘴気は立ち昇らない。
癒す力も、暴れる力も、すべて姉妹が吸い戻した後だ。
切り離された首が再生することは二度とないだろう。
(……倒せた……のか?)
呪いの力は、俺の一撃とともに綺麗に抜けていた。
「…………ぐ、ううっ」
背後で押し殺したような嗚咽が漏れた。
振り返ると、ボズが両手で顔を覆い、肩を震わせていた。
「あの呪竜を……姉妹を救い、その呪いすら我が物とし、ただ一太刀で……あぁ、あぁ……このボズ、生涯かけてお仕えする決意を、今、新たにいたしましたあッ!」
「……見事だ、デス」
今度はクレイドが静かに歩み寄ってくる。
その顔には、隠しきれない畏怖があった。
「俺の剣が、あれほどの力を宿すとはな……いや、剣ではない。振るう者が、器だったというだけの話か」
ぜんぜん器になれてなかったですけどね。
「ん……デス様は、世界で一番、強い」
レイラが邪竜の亡骸を見上げ、それから俺を見て、こくりと頷いた。頬がうっすらと赤い。
シュカに至っては、言葉もなく、ぽかんと口を開けたまま固まっている。
そして、俺の両脇に立っていた姉妹が、俺の外套の裾をそっと握る。
「……やっぱり、あなたに、すべてを捧げてよかった」
「私たちの呪いを……こんなにも、美しい力に変えてしまうなんて」
うっとりと見上げてくる、二対の瞳。
(……なんで、なんでこうなるんだ……?)
自分のものではない服を着て、自分のものではない剣を使って、自分のものではない力を吐き出した。
何一つ俺の力ではないのに、庭中から尊敬されている。
弁明の言葉は、例によって誰の耳にも届きそうにない。
俺はただ、崩れ落ちた邪竜の亡骸を眺めて、深く長いため息をつくしかない。
「と、とりあえずクレイド……この剣、返すよ……」




