二振りの剣と邪竜
邪竜の吐く黒炎が、確かな剣筋によって切り裂かれる。
ボズやシュカが魔物を蹂躙する庭の反対側では、まるで質の違う戦いが繰り広げられていた。
館をも見下ろすそのヴィシャンテの巨躯が地を踏むたびに、庭全体が揺れる。
圧倒的な存在の前へ、二つの影が臆することなく踏み込んでいく。
暗黒騎士クレイドと、奴隷の最高傑作であるレイラだ。
誰よりも早く動いたのはクレイドだった。
低く姿勢を沈めてヴィシャンテの懐へ潜り込むと、抜き放った剣が闇を纏い、邪竜の前脚を深く斬り裂いた。
黒い血が噴水のように噴き出す。
ヴィシャンテが咆哮し、痛みに身をよじる。
戦闘において、痛みに悶える姿は隙でしかない。
レイラは宙に足場を編みながら駆け上がり、邪竜の頭部まで一息に跳ぶと、濁った眼の一つを短剣で正確に貫いた。
つい最近出会ったばかりの者たちとは思えない息の合った連携。
クレイドが地を駆けて注意を引きつけ、レイラが空から急所を突く。片方が退けば片方が入る。
互いの動きを、まるで何年も前から知っていたように、二人は読み合っていた。
その核はデスである。
剣として命を預けるに相応しい男。
両者の間にある確固たる認識が、限界を超えたコンビネーションを可能としている。
二人がかりの猛攻に敵は次々と傷を負い、苦悶の唸りを上げている。
「……いける」
着地しながらレイラが小さく呟いた。
無表情の奥に、わずかな手応えの色が浮かぶ。
だが——斬り裂いた前脚から噴き出していた黒い血が、ぴたりと止まった。
傷口に紫の瘴気が集まり、めきめきと音を立てて肉が盛り上がっていく。
貫いたはずの眼が、内側から押し出されるように濁った光を取り戻した。
ヴィシャンテの傷が塞がっていくのだ。
「……なに?」
クレイドの目が鋭く細められた。
構わず、もう一度斬りかかり、今度は首を狙った。
渾身の一撃が深々と食い込んで巨体が大きく傾ぐ。
しかし、結果は同じだった。
刃の通った痕はたちどころに瘴気で満たされ、何事もなかったように元へ戻る。
何度斬っても、致命の一撃を与えてなお、ヴィシャンテは際限なく再生していく。
二人の動きに焦りが滲みはじめる。
「…………厄介」
どれだけ斬っても殺すことはできず、すぐに立ち上がる。
相手の底が見えない。剣が届かないのではなく、届いても意味をなさない。
やがて邪竜が反撃に転じた。
薙ぎ払われた尾が地を割って迫り、二人はかろうじて跳んで躱すが、その着地際を狙って、大きく開かれた顎から黒炎が吐き出された。
クレイドは咄嗟に剣で受け流し、レイラは風に舞って逸れることができた。焼けた地面から蒸気が立ち上った。
息をつく暇もない。攻めれば再生され、退けば追い立てられる。
じりじりと、二人は庭の隅へと追い詰められていった。
「……これは、少々、骨が折れるな」
クレイドが口の端を歪めて笑う。
だが、その額には玉の汗が浮いていた。
業を煮やしたクレイドが、再び剣に闇を練り上げる。
刃が黒く膨れ上がり、周囲の空気がミシミシと軋んでいく。
魔王軍の幹部として、幾多の戦場で強敵を屠ってきた必殺の一撃。
「レイラ、隙を作れ」
「ん」
レイラがヴィシャンテの眼前へと跳び、手に持っていない短剣を矢のように放つ。
邪竜の目が潰された。すぐに再生されるとしても、狙いは別にある。
「全てを呑み込め——闇葬絶剣」
クレイドの手に収まる剣、それに重なるように生み出された闇の刃は、邪竜に対して酷く小さく見える。
だが、飛び上がったクレイドが剣を振うと——ヴィシャンテの身体が真っ二つに割れた。
「これがデスの右腕の力。邪竜程度、簡単に——」
これまでとは比べ物にならない量の瘴気が、津波のように押し寄せた。
断たれた肉が繋がり、砕けた骨が組み直され、剥がれた鱗が這うように傷を覆っていく。
数秒としないうちに、邪竜は何事もなかったかのようにクレイドを見下ろしていた。
「…………面白い」
クレイドの頬を汗が伝う。
あの一撃を凌がれたとしても、他にも放てる必殺技がある。
だが、そもそも瘴気をどうにかしなければ再生されてしまい、相手を削り切る前に、こちらの体力と魔力が尽きてしまう。
レイラの息も荒く上がっていた。
足取りも鈍りはじめているし、着地のたびに膝が小さく震えていた。
それでも彼女は短剣を握り直し、ヴィシャンテとクレイドの間へ、再び身を割り込ませる。
「……退かない。デス様が、戻るまでは」
「あぁ。そうだな」
クレイドが笑、低く呟く。
「こいつの傷を癒している瘴気を断たない限り、俺たちがどれだけ首を切断しようと、ヴィシャンテは決して死なない」
瘴気の持ち主は、十中八九危険な存在だろう。
だとしても、デスが向かったのだ。
呪いの根源を断つために、最強の男が。
(デス……迷惑をかける)
柄を握る手に汗が滲む。
このままヴィシャンテを抑え続けられる保証はどこにもない。
二人の体力にも魔力にも限りがあった。
全ては、館の中の男が、どれだけ早く事を成し遂げるかにかかっている。
死の予感はしなかった。
デスなら必ず解決できると信じているからだ。
「レイラ、もう少し付き合ってもらうぞ」
「ん……デス様のためなら、いくらでも」
二人は再び、終わりの見えない戦いへと舞い戻る。
——その頃、館の地下で、頼みの綱であるはずのデスが紫の炎に焼かれて既に灰になっていることを知らずに。




