商人と忍と魔物の群れ
瘴気に引き寄せられた獣や蟲、名すらついていないような異形。
その数は優に百を超え、じりじりと包囲の輪が狭まってくる。
彼らは本能で、この場で最も脅威となる——と勘違いしている——デスの元へ向かおうとしていた。
だが、群れと洋館の入り口との間には、奴隷とは思えぬ鍛錬を積んだ者たちが立ちはだかっている。
「——さあ、始めましょうか」
奴隷たちの先頭に立つボズが両手を打ち鳴らした。
穏やかかつ丁寧な口調だが、確固たる殺意が見え隠れしている。
「みなさん、無理はしないように。命あっての奉公です……ですが、今日ばかりは本気を出しましょう。私たちの恩人が、この先で戦っているのですから」
奴隷たちが頷くと、次の瞬間、群れが堰を切ったように押し寄せてくる。
だが、奴隷たちは正面から受け止めはしない。
押し寄せる群れの中へ音もなく散りはじめる。
逆手に握った短剣で影のように異形の懐へ潜り込むと、腱を断ち、喉を裂き、急所だけを的確に突いては、次の獲物へと移っていく。
一体を仕留めるのに二手とかからない。
彼らは元々、売り物として値をつけられた子供たちだったが、ボズに引き取られ、飯を分け与えられ、生き延びる術として暗殺と隠密の技を叩き込まれた。
今では誰もが短剣一本で、Bランク相当の力を発揮することができる。
鎖に繋がれていた頃には望むことすら許されなかった力であり、その技を、今は自分の意志で振るっている。
誰かを守るために。恩を返すために。
「焦らずともよいですよ。数は多いですが、統率のない群れです。一体ずつ、確実に仕留めていきましょう」
ボズが後方から声を飛ばす。
戦場に似合わぬ穏やかな口ぶりだが、その目は油断なく全体を見渡していた。
——群れの一体が隊列の隙をすり抜けた。
狙いは、後方で采配を振るうボズだ。
武器も構えず、丸腰に見える商人。
魔物は格好の獲物と見たのだろう。
牙を剥き、丸い身体へ飛びかかる。
「おやおや。思いつき自体は良いですねぇ」
ボズは慌てない。
被っていた山高帽の鍔に、そっと指を添えると、縁が刃と化して鈍く光った。
ボズが首を薙ぐように帽子を払うと、飛びかかった魔物が刃に触れ、硬い外皮ごと真っ二つに引き裂かれた。
「見た目で侮られるのは慣れていますが……実力までその通りでは、デス様の威厳に関わりますからねぇ……」
帽子をかぶり直し、ボズはにこやかに采配へ戻っていく。
囲まれかけた奴隷を見つけては帽子を投げて助け、退き際を指示していく。
育て上げた我が子を一人も欠けさせまいとする、父親の顔だった。
乱戦の間を一際素早い影が縫っていく忍がいた——シュカだ。
地を蹴り、崩れた壁を蹴り、宙で身をひねる。
振るった短刀が魔物の首を続けざまに刎ねた。
着地と同時に手裏剣を放ち、背後から迫った異形の眼を潰していく。
「——あたしの技も、なかなかのものだろう!」
叫びながらシュカは跳ね回った。
万全の身体で動く彼女は、確かに名乗り通りの手練れだが……注目はされていない。
「…………なら仕方ない。もっと戦果をあげ、主に褒めてもらうのみ!」
現れたのは、一際大きな異形だった。
牛ほどもある巨体に、岩のような外皮。
太い前肢を振り上げ、奴隷たちの隊列をまとめて薙ぎ払おうとする。
「——させるかっ!」
シュカが割って入ると、振り下ろされた前肢を紙一重で躱す。
地面が抉れ、土砂が跳ねた。
無策に食らえばひとたまりもない。
「なるほど、少しは骨がある……が、あたしの敵じゃない」
シュカの姿が掻き消えたと思うと、三つに増えた。
——分身の術。
三つに分かれた影が、異形の左右と背後へ回り込む。
どれを追うべきか。巨体の判断が遅れた一瞬の隙に、本体が真上から急降下した。
外皮のわずかな継ぎ目へ短刀を突き立て、渾身の力で刃を捻る。
異形が断末魔を上げて崩れ落ちた。
「……ふぅ。危なげなく仕留めてやったぞ」
「お見事です、シュカ様。ですが、後ろがお留守ですよ」
「へ? ——うわぁっ!?」
仕留めた余韻に浸るシュカの背後へ、別の一体が迫っていた。
それを、ボズの投げた分銅付きの縄が絡め取る。
縄はそのまま魔物の脚を払い、地に転がす。
すかさず奴隷の一人が短剣で喉を裂き、とどめを刺した。
「あ、あぶな……くない! 今のは、敢えて油断したフリをして引きつけただけだ!」
「えぇ、存じておりますとも」
にこにこと受け流しながら、ボズは次の縄を手にした。
「右が薄いですよ、三人ほど回ってください……あぁ、そちらの深追いは禁物です。生きて帰ってこそ、デス様はお喜びになるのですから」
短剣を操る二十人の影と、一人の忍。
数の上では圧倒的に不利なはずだったが、戦局を支配するボズの前で、魔物の群れは少しずつ、確実に数を減らしていく。
「この調子なら、抑えられそうですねぇ」
「当然だ! あたしがいるんだからな!」
だが、本当に厄介なのは魔物の群れではない。
庭の向こうにそびえ立つ邪竜だ。
二人とも、それを理解していた。




