デス・カイザーと瘴気
へたり込んだまま息を整えていると、ふと、奥から流れてくる風に気づいた。
坑道の入り口から吹いていた風とは質が違う。
もっと重く、もっと濃い。
あの甘ったるい腐臭が、この先から漂ってきている……と思う。
「……クレイド」
「どうしたデスよ。あぁ、馬車で忍に言ったことだろう? 確かに、俺はまだお前の右腕を名乗るには結果が足りん。この程度の百足、どれだけ倒そうと数に入らない。しかし、よく考えてみてほしい。人間には……人型の生物には手足があるだろう。デスが心臓だとしたら、四肢はどうなる。ボズはどちらかと言えば頭脳派で、小娘は見どころがあるが未熟。忍も同じだ。となると、消去法で最も実力のある俺が右腕になるのが通りというもの。つまり俺こそが——」
「奥から匂わないか?」
「あぁ。気づいていたか」
クレイドの語りをぶった斬って問いかけると、やはり俺の勘は正しかったようだ。
彼は縦穴の向こうに続く横坑へと目をやる。
「百足どもの数が、坑道一つにしては多すぎた。それに、あの異常な硬化……何かに当てられて、ああなったとしか思えん」
「ふむ、依頼としてはこれで完了していますが、一応奥も見ておいた方がよろしいかと」
ボズに言われ、俺たちは奥へと足を進めた。
彼らがいれば危険はないはず。
縦穴を回り込み、崩れかけの横坑をしばらく進むと、一歩ごとに、空気が肌にまとわりつくように重くなっていく。
レイラが俺の前に出て、クレイドが気配を探り、ボズが灯りを掲げた。
やがて横坑が途切れ、開けた岩盤に突き当たった。
その壁面に、大きな亀裂が走っている。
「……これは」
思わず声を漏らす。
亀裂の奥には底の見えない闇が広がっている。
そこから紫がかった靄のようなものが、ゆっくりと、絶え間なく流れ出していた。
瘴気というやつだろう。
坑道に満ちていたものよりも何倍も濃い。
源は、明らかにこの先にいる。
「坑道の掘削で空いたものではないな」
クレイドが亀裂の縁に手をかざす。
「ずっと奥——山の方から繋がっているのだろう。流れ込んでいるんだ」
ドゥーダ山。この辺りで山と言われれば、これしかあるまい。
そして俺は亀裂の手前に目を落とし、ある物を見つけた。
「人の痕跡……?」
灯りを近づけると、燃え尽きかけた松明の残骸と、踏み荒らされた地面の跡。
「いくつもの足跡……ですねぇ」
「百足の脚跡などではない。明らかに人……人型のものだ」
「……誰かが、入ってる」
誰も寄りつかないはずの嘆きの坑道。
その最奥なのに、ここには確かに人の手が入った跡があった。
亀裂のそばには、何かを擦りつけたような黒い焦げ跡と、見慣れない文様が、岩肌にうっすらと刻まれている。
「クレイド、これは——」
「…………」
クレイドは答えなかった。
文様を見つめたまま、その表情が、すっと険しくなる。
俺は何も言わなかったが、彼を睨むように見つめる。
この文様……俺には読むことができないが、かなり規則的だ。
魔術的な効果を発揮すると言われても納得できる。
しかし、俺はこんな文様を知らないし、存在するとも思えない。
思うに……クレイドは厨二病だ。
坑道が瘴気に支配される前、ロールプレイの一環でここに入り込み、亀裂の周りにそれっぽい文様を描いて悦に浸っていた。
それが、月日が経って、意図せず意味を持ってしまったのだ。
俺に睨まれた彼の顔は硬かった。
いつもの飄々とした調子も、芝居がかった口ぶりもない。
親に悪戯がバレた子供である。
「……どうした」
「いや」
短く言って、クレイドは目を逸らした。
「……確証はない。今はよそう」
こいつ、絶対に心当たりがある。
だが、それ以上は語ろうとしない。
俺もそれ以上は訊かなかった。
訊いたところで答えは返ってこない気がしたし——正直、これ以上深入りしたくなかった。
とはいえ、濃すぎる瘴気は本物だ。
平和な依頼の範疇を完全に超えている。
「……よし、帰るぞ」
「え」
レイラがこてんと首を傾げる。
「いいんですか。奥に、まだ何か——」
「依頼は『坑道の魔物の駆除』だろう。それはもう済んだ。ここから先は依頼の範囲外だ」
もっともらしい理屈だが、本音は単純。
この奥に、絶対にロクでもないものがいる。
だから行きたくない。
「さすがデス様。逸る心を抑え、まずは態勢を整える。引き際の見極めこそ、真の王の器です!」
「冷静な判断だ……俺も考えたいことがある」
俺たちは亀裂に背を向け、坑道の出口へと引き返した。
奥から漂ってくる瘴気を感じながら。
外に出ると、もう夕暮れだった。
坑道の中の重苦しさが嘘のように、澄んだ風が頬を撫でていく。
俺は大きく息を吸い込んで、泥だらけ身体で座り込んだ。
(……とりあえず依頼は果たした。報酬かもらえるぞ……!)
生きて帰れたからOKだ。
かなりの額がもらえるし、これでまた俺の夢に一歩近付いた。
あの亀裂の奥のことはギルドに丸投げすればいい。
もっと強くて、もっと暇な、然るべき誰かがなんとかしてくれるだろう。
——そう思っていた時期が、俺にもありました。
この時の俺はまだ知らなかった。
その「然るべき誰か」に、自分たちが選ばれてしまうことを。
そして、あの亀裂の向こうで待つものの正体を。




