デス・カイザーと百足
「一番強そうなやつを持ってきてやる」
そう言い残したクレイドは、坑道の闇へ一足で踏み込んでいった。
遅れて、短剣を逆手に握り直したレイラが、音もなくその背を追う。
二人の姿は、ものの数歩で坑道の暗がりに溶けて見えなくなった。
「お、俺は、どうすれば……」
「デス様はそこでお待ちを。すぐ、クレイド様がお持ちしますので」
持ってこなくていい。心の底からそう思ったが、言葉にする間もなかった。
しばらくは何も聞こえなかった。
坑道の入り口から吹き出してくる湿った風の音だけ。
鉄錆と腐臭の混じったそれが、頬を撫でて背後へ抜けていく。
やがて、地の底から、それは聞こえてきた。
ずず、と重いものが這う音。
硬いものが硬いものを擦る、ぞわりと総毛立つような軋み。
それは一つではなかった。いくつもいくつも、坑道の闇のあちこちで同時に蠢いている。
次の瞬間、闇の奥で銀の光が走った。
クレイドの剣だ。一閃するたびに岩を裂くような硬質な音が響き、何かの巨体が断ち割られる。
光の残像が消えるより早く、二閃、三閃。乾いた断末魔が坑道の壁に幾重にも反響した。
その合間を緑色の風が縫っていく。
今度はレイラだ。壁を蹴り、天井を蹴り、宙にいくつもの足場を作っては跳ね回る。
その軌跡の先で、巨大な何かの脚が関節からぼとりと落ちた。
(……なんもわかんねぇ)
よくよく目を凝らしてみると、二人の動きは相変わらず捕捉できないままだったが、ボコボコにされている相手の姿が浮かび上がってきた。
——百足。
ただし、全長は数メートル。胴の太さは丸太を二、三本束ねたほどもある。
体節の一つ一つが、坑道の鉱石を取り込んでいるのか、鈍く黒光りする岩で覆われていた。
その節の隙間から、数えきれないほどの脚が生え、壁を、天井を、ぞわぞわと這い回っている。
脚が壁を掻くたび、岩肌が削れて火花じみた粉が散る。
あんなものが何匹も、坑道の壁面という壁面にびっしりと張りついている。
見ているだけで、胃の奥からせり上がってくるものがあった。
俺なら出くわした瞬間に気を失っている自信がある。
だが、その化け物どもが、クレイドとレイラの前ではまるで歯が立っていなかった。
硬い装甲ごと両断される。跳ね回る影を捉えられず空を切る。
岩甲の大百足は、その圧倒的な巨躯と数をもってして、なお一方的に削られ続けた。
一匹、また一匹。断末魔と土煙を残して岩の胴が地に転がっていく。
……その群れに異変が起きたのは、数が半分ほどに減った頃だった。
「キシャアアアアアッ!」
ひときわ甲高い金切り声。
百足の一匹が、潰れた仲間を踏み越えて、奇妙な叫びを上げた。まるで退却の合図でもあるかのように。
その声に応じて、生き残った数匹が一斉に向きを変えた。
クレイドとレイラに背を向ける。そして、我先にと――坑道の入り口側へ逃げ出した。
逃げるということは、より安全な方へ向かうということだ。
強者から遠ざかり、弱者の方へ。つまり——
「…………ん?」
戦いの輪から取り残され、入り口でぽつんと突っ立っていた弱者。俺の方だ。
「む、一匹どころか群れてしまったか。まぁいい、デスに自ら挑むとは敵ながら天晴れだな」
岩の脚を雪崩のように蠢かせて、岩甲の大百足が真っ直ぐに殺到してきた。
一匹ではない。二匹、三匹、四匹。岩を削る轟音と腐臭を引き連れて、津波のように。
「お、おいおいおいおい……」
切って捨てられている姿しか見ていなくても分かる。
この百足は一匹でも俺より強い。このままだと確実に死ぬ。
俺は何を思ったか——百足の方へ走り出した。
「う……うおおおおおおおおお!」
いや、もちろん意図はある。
俺が背後に逃げたところで、その先にいるのは、おそらく戦えないであろうボズとシュカだけ。馬車にこもっても意味はないだろう。
俺の死は確定的。なら、命懸けでクレイドとレイラの元まで走り、守ってもらうしかない。
思い切り駆け出し、両腕をクロスさせて身を守りながら跳ねるように飛ぶ。
殺到する群れの、その背を足場にして奥側へと飛び越えた。
「——グルゥァァァァァァァァァ!?」
着地した俺の背後で、踏みつけられた百足が、いや、群れがまとめて向きを変える。
獲物が奥へ抜けたと見るや、岩の脚を蠢かせ、こちらへ追い縋ってきた。
だが、肝心のクレイドとレイラは、さらに奥に行ってしまったようだ。
最後に居残った数匹を、ちょうど片付けている最中だった。
二人のもとへ辿り着くより先に、俺は背後の群れに追いつかれるだろう。
(それでも逃げ切るしかない……! 二人のところまで……っ!)
心臓が喉から飛び出しそうになりながら、無我夢中で坑道を駆ける。
足がもつれる。息が上がる。
背後では、岩の脚が地を叩く音が一歩ごとに大きくなっていく。
振り返る余裕などない。振り返れば、その分距離を詰められる。
だが、予想以上に百足の足は速い。
音はもう耳元まで迫ってきている気がした。
(も、もうだめだ……追いつかれる……っ!)
観念しかけた、その時。
涙で滲んだ視界の隅に、ふと何かが引っかかった。
頭上、崩れかけた古い支柱。
坑道を支える木組みの一本が、半ばまで朽ちて、今にも折れそうに傾いでいる。
考えるより先に身体が動いた。
迫る群れを少しでも遠ざけたい。その一心で、俺は手にした大剣をめちゃくちゃに振り回した。
当たるなんて思っちゃいない。硬い装甲を斬れるとも思っていない。
ただ、刃を振り回していれば奴らもうかつには近づけまい。悪あがきと言われればそれまでだ。
ぶん、と唸りを上げて振り抜いた刃は、案の定、百足には掠りもしない。
だが、その代わりに、すぐ脇に立っていた朽ちかけの支柱を——根元から打ち砕いた。
「……あ?」
間抜けな声が漏れる。
俺と、俺に迫っていた百足たちが、同時に天井を見上げた。
ごごご、と支えを失った岩盤が、軋み、ひび割れ、土砂を零し始める。
亀裂が走る。一本、また一本。
そして、坑道の天井が抜けた。
ちょうど、俺を追って天井近くの壁を這い登っていた、百足たちの真上から。
「ギ、ギシャアア——ッ!」
断末魔は、降ってきた轟音に呆気なく飲み込まれた。
数トンはあろうかという岩塊が、岩甲の大百足を、自慢の装甲ごとまとめて押し潰す。
地が揺れた。衝撃で足元から砂が跳ねる。
もうもうと立ち込める土煙の中で、俺はといえば。
その場に、ぺたんと尻もちをついていた。
(た、助かった……のか?)
腰が抜けて立ち上がれない。手が震えている。
今のは断じて狙ったわけじゃない。
死にたくない一心で剣を振り回したら、たまたま柱に当たり、その柱が偶然にも天井を支えていて、幸運なことに真上に百足がいただけだ。
(日頃の行いってやつか……)
崩れたとはいえ、俺やクレイドたちが通れるだけの穴はある。
ひとまず助かった——と安堵したのも束の間。土煙を裂いて、生き残りの一匹が現れ、なおも俺めがけて突っ込んできた。
仲間が岩塊に潰されるのを目の前で見たはずだが、捕食の本能が恐怖を上回ったのか。
その複眼は俺だけを正確に捉えている。
「流石にこれ以上の幸運はないぞ……っ!」
もう悪あがきする気力も残っていない。
俺は尻もちをついた体勢から無理やり立ち上がり、坑道の奥へと一目散に走り出した。
逃げ込む先は決まっている。
最後の数匹を片付けているはずの、クレイドとレイラのところだ。
「クレイド! レイラ! そっち行くぞ!」
情けないが、なりふり構っていられない。
背後には大百足。前方の暗がりには頼れる二人。
答えは考えるまでもないだろう。
崩れかけている坑道を駆け、やがて開けた空間に飛び出した。
クレイドが最後の一匹を縦に断ち割ったところで、レイラがその傍らに静かに着地している。
助かった。二人がいる。
だが止まれば追いつかれる。
俺は速度を緩めず、そのまま二人の脇を全力で駆け抜けた。
「うおおお、任せたぞ二人ともーーっ!」
「……む」
「デス様?」
きょとんとする二人を置き去りに、俺は奥へ奥へと走る。
主が部下に丸投げして逃げる。これが俺の実力相応の判断だ。
そうしてダッシュを続けると、さらに視界が開ける。
だが、それは広々とした空間が広がっていたというわけではない。
ぽっかりと口を開けた巨大な縦穴があったのだ。
廃れた採掘坑だろう。底など見えない、暗闇がどこまでも続いている。
「うおおおおおおッ!」
危うく落ちかけながら、俺は穴の縁で急停止した。
「……危ないところだった」
あの百足は二人が倒してくれたはず。
俺の命は守られたのだ。
安堵のため息を吐き、振り返る。
——俺を追っていた百足が、すぐ目の前まで迫っていた。なんで?
コミュニケーション不足か?
もしかして、俺が百足を倒してほしいと理解できなかったのか?
もう避ける余地などない。
穴を背に、俺は立ち尽くす。
「俺の隠居生活は始まる前に終わるのか——」
観念の極みというやつだ。もう出来ることはない。
ただ、少しでも苦しまないように食ってくれないかなと、俺は両腕を広げて百足を——背後の暗がりから飛び込んできた銀の影が、百足の真横を音もなくすり抜けた。
たたらを踏んだ巨体が勢いを殺しきれずにつんのめる。
瞬くと、別の影が入れ替わるように百足の背に飛び乗り、たんっと力強く蹴り抜いた。
体勢を崩した岩の巨躯が押し出されるように、俺のすぐ脇を抜けていく。
「ギシャ……ッ!?」
百足は縦穴の闇へと、頭から真っ逆さまに落ちていった。
長い長い落下の音。
硬い岩の胴が穴の壁に幾度かぶつかり、やがて、遥か底から鈍い衝突音が一度だけ聞こえ、それきりだった。
坑道に静寂が戻ってくる。
俺は穴の縁にへたり込んだまま、しばらく動けずにいた。
(今度こそ、本当に助かった……)
あの影はクレイドとレイラだ。二人はギリギリで俺を助けてくれた。
俺がやったことなどない。逃げて、運に救われて、逃げて、仲間に救われただけ。だが——
「で……デス様……っ!」
遅れて駆けつけてきたボズが、丸い顔に涙を浮かべて立ち尽くしていた。
「群れを崩落で討ち、最後の一匹は、ご自分が囮となって縦穴のへりまで誘い込む……っ。その上でトドメを譲ってくださるとは! 子に手柄を立てさせる親の心づもり、なんと深い御方か……!」
「ふっ」
返事をする気力もなく、ただ呼吸を整えていると、百足の血を払ったクレイドが静かに笑った。
「見事な囮だった、デス。お前が退路を断たれたふりをしてくれたおかげで、奴は一直線に穴へ向かった。……すべて、お前の掌の上というわけだ」
ふりじゃなくて本気で退路を断たれていたんです。
「……そうか、そもそも今回は俺たちの連携を磨くという意図があったのか。だから最後の一匹も倒さなかった、と」
もうそれでいいです。
「……デス様」
続けて短剣を納めたレイラが、とことこと歩み寄ってくる。
泥にまみれて腰を抜かした俺を、潤んだ瞳で見下ろした。
「私たちに活躍の場を残してくれた……優しい」
今度からは、クレイドかレイラのどちらか一人は必ず横にいてもらおうと固く心に誓った。




