領主2
「ガレベーラの髪に間違いない……」
グウィディウスは、リボンで束ねられた一房の髪を手に取った。
滅多とない輝く銀の絹糸のようなそれに、見覚えがないわけがない。
『銀の髪の令嬢』は見つからないが、『銀の髪』なら売られているとの情報を得て、駆けつけたのは王都のはずれの労働階級向けの洋品店だった。
店の主人は、次々に集まってきた明らかに身分の高い紳士たちに、おろおろとしている。
「この髪の持ち主は、わからないとのことでございます」
そう報告した近衛の兵の前に出て、店主に尋ねた。
「……これを、売ったのは……どんな女性だったんだ!?」
青ざめた顔をしたグウィディウスは、震える声で、だが、きつい口調になってしまった。
混乱していた。
「こ、こ、これを持って来たのは同業のやつです! 貴族の屋敷から貧困街まで、いろんなものを集めてくるやつで! ス、スラムで手に入れたと聞きました!」
「殿下、その男を探しておりますが未だ見つかっておりません」
「あっしのところにも、たまにふらっとやってくるくらいで、どこの誰とも……」
城に帰る馬車の中で、グウィディウスは考え込んでいた。
「売ったということは、それで金を得たということになる。つまり、生きることを放棄していないはずだ。ガレベーラはきっと生きるために売ったのだ」
「だとよろしいのですが……。恐れながら、最悪の場合も考えられます」
同乗していたペスロが遠慮がちに、しかし、毅然と言った。
「考えたくはない」
グウィディウスは首を振る。
ガレベーラの意向ではない場合。許可なしに髪を下ろされ、売られた場合だ。生死にかかわらず。
その状況は想像することさえ、おぞましく、吐き気に襲われる。
「お前も見ただろう。美しく切り揃っていた。あれは彼女の意志だ」
グウィディウスは、店から髪を買い取った。
今は、絹の布に大切に包んである。
洋品店の主人の言葉を、思い返えす。
「……スラム、か」
「なりませんよ、殿下」
眉をしかめたペスロがぴしゃりと言う。
「貧困街に行かれる王子などどこにおられましょうか。城下まではなんとかお許し申し上げておりますが、その頻度はご身分を考えればありえないこと。もはやお忍びの域を超えております」
「ペスロには感謝している。僕にできない分、お前が人を使って探してくれているのも知っている」
「恐れながら」
グウィディウスを見据えるペスロの目が怖い。
「ガレベーラ嬢が貧困街でお暮しになられているとでもお思いですか? 殿下は実情をご存じないのです。まともな人が暮らせる環境ではございません」
「しかし、王都から出る全方面の乗合馬車や関所、近隣の集落もしらみつぶしに調べたが、何一つ手がかりはなかった。まだ王都にいる可能性がある。街中を探し終えた今、手がかりがあるとすれば、残る貧困街だけだ。捜索隊の誰もそこを探してはいない。誰も近づこうとしないからね」
路上で生活する者を、貴族と言わず中流階級以上の人間は、同じ人とみなしていない。
だから、話しかけることはおろか口をきくこともない。
その差別意識も問題なのだが、貧困を招く王政こそ問題視しなければならない。それは、留学で学んだことだったが、今のグウィディウスには、その課題に向き合い、解決する余裕はないのだった。
「やはり騎士団に入ろうかな」
「ガレベーラ様のために、でございますか」
「ああ、入団すれば、今よりはもう少し自由に動けるだろう。師団に配属されれば地方にも行ける。徹底的に探すことができるだろう」
ペスロは深いため息をついた。
「王国の領土中を徹底的にとなりますと、長い年月が必要ですね」
「いつか旅行記でも書こう」
「それ以上に、騎士団ともなると多大なご苦労が伴うかと思いますが。近頃の鍛錬により、留学なさる以前よりは殿下もたくましくおなりですが、元来、殿下は剣術がお嫌いなのですよ? それに、陛下やアルディウス殿下がなんとおっしゃいますか……」
「それは平気だよ。次男だもの。王位継承の厄介者払いができて、逆にほっとするかもしれないよ」
そして、グウィディウスは王室の反対を押し切って、騎士団に入った。
ガレベーラを探すために。
騎士団に入ったグウィディウスは、文字通り血のにじむような努力をした。
幼い頃から剣術の心得はあれど、嫌々やっていたことが身に着くわけもない。
大陸でガレベーラの失踪をきいてからは、居てもたっても居られず、万が一に備えて朝の稽古は再開したものの、ペンばかり持ち続けていた手に剣はなかなかなじまなかった。
ましてや新隊員は年下ばかりで、そこへ第二王子のグウィディウスとくれば、好奇の対象でしかない。
しかし、目論見通り、身分としては騎士団預かりとなったため、城の出入りを含め、行動に自由はきくようになった。
グウィディウスは少ない自由時間のすべてを捜索に費やした。
「グウィディウス様、そのように無理をされてはお身体に触ります。私が家の者に捜させておりますから、たまにはお休みください」
ペスロが止めるのも聞かず、城下の貧困街に足を運ぶ。
しかし、有力な手がかりはつかめていなかった。
捜すにしても範囲が広すぎるのだ。
グウィディウスや貴族が出歩く街などほんの一部に過ぎず、広い王都の大部分が貧困部なのだった。
「髪を売るのを手伝った老婆は見つかったが、その時、ガレベーラが連れていたという女児のことはわからないままだ」
「いつぞや聞いた、幼い兄妹と暮らしていらっしゃった話とそれは繋がっているのでしょうか」
「花売り娘だったというやつか……。くず拾いをしていたとも言うし……。わからん。皆、褒美目当てで適当なことばかり言うしな」
貧困街で上流階級の人間が話しかけようものなら、物乞いやゆすりたかりの者ばかりが集まってきて、ろくに話にならないのだ。
「様々な情報に右往左往させられましたね……。しかし、なかでも、あの時のグウィディウス様のお顔ときたら。私は一生忘れませんよ」
グウィディウスはきまりの悪い表情になって、がしがしと髪をかきむしった。
ペスロが言うのは、銀の髪の娼婦を見たという話を聞いた時だ。
グウィディウスは即刻、色街にあるすべての店に片っ端から乗り込んだ。
「まあおかげで娼館一斉改めができたと陛下と騎士団に感謝されたましたしね。結果論ですが」
ペスロのからかいを受けたグウィディウスはきまり悪い顔になったが、やがて真面目な面持ちで深いため息をつく。
国の政り事に興味はないが、娼館含めこの国の底辺部分を知るにつけ、なんとかせねばと思う現実ばかりだ。
「だれかの話にもし真実があるとすれば、彼女は限りなく愛おしく、とんでもなく勇敢な令嬢だ。ガレベーラならこの隊舎のひどい共同生活も大陸へ渡る船の劣悪さだって苦にしないだろう。まったく、自慢の姫だよ。負けそうだ」
「……どこにおられるにせよ、ご苦労なされたことでしょうね」
「ああ、僕は一生かけて労うつもりだ。だから、どうか……」
その先はあえて口には出さなかった。
心の中で、生きていてほしい、とグウィディウスは目を閉じて願った。
そんな折だった。
隊務を終えたグウィディウスが部屋に戻ると、事務方の人間が手紙が届けにきた。
「なんと。トーロ夫人、でございますか?」
同室のペトロが不思議そうな顔をしている。
「これは予想外な方だな」
「なんの御用で。まさか、あの夫人に限って夜会や茶会の誘いではございませんでしょうし」
「急ぎ知らせたいことがあるらしい……」
王城に上がるには憚る事情があるので、ご足労願えればありがたいとのことだ。
「……グウィディウス様、馬車の手配をいたしましょうか?」
「ああ、そうだな。頼む」
未亡人とはいえ、たいして親しくもない貴婦人の屋敷に赴くには憚る時間だったが『何時でも』と文面にある。すぐに向かうことにした。
トーロ夫人は、社交界でも『異質』というのが、グウィディウスの評価だった。
歴史のある名家だが、質実で厳格という印象がある。
性格ゆえなのか、あまり人と集わず、夜会でもめったに見かけない。
「そういえば、ガレベーラが開いていたなんとかの会にも、誘っても来ないと言っていたな」
永遠に失われることなどないと信じて疑わなかったガレベーラの日常が、大陸に届いていた日のことを思い出す。
それは、もはや遠い誰かの人生のようだった。
トーロ夫人は今も昔も、少なくとも容姿に変わりないように思われた。
たいていの女性は老いを気にしがちだが、派手に着飾る習慣のない人は、淡々として、老いもどこか自然だ。
一通りの形式的な挨拶を終えると、トーロ夫人が、静かに紅茶を飲みながら言った。
「ガレベーラ様の捜索をなさっているとか」
用件とはおそらくガレべーラのことだろうとは思っていたので、驚きはなかった。
期待に胸が高鳴る。
「……彼女は出奔したことになっておりますので、カトル家の目もあり、大っぴらに捜すことはできませんが……幼馴染の姫ですので行方を心配しております」
「さようでございますか」
トーロ夫人は、しっかり頷き、
「ではおそらく、殿下のお目汚しとはなりませんわね、あの子たちを御覧になっても」
その言葉を合図にメイドが連れてきたのは男女の子どもだった。
少年と少女は兄妹のように見える。
「この子たちは浮浪児です。家はございません。道で暮らしています」
「浮浪児……にしては」
「ええ、小ぎれいな格好をしておりますでしょう?」
「……そうですね」
小ぎれいといっても、浮浪児には見えないというだけで、普通の貴族なら同室するのさえ嫌悪をあらわにするだろう。
それでも彼らの顔は、他のほとんどがそうであるのに対して、汚れてはいなかったし、襟のあるシャツとズボン、少女はワンピースさえ着ていた。
おおよそ古着の古着のさらにその着古しといったところだろう。元の色が想像できないくらい褪せているが破れはつくろわれてあり、二人とも靴もはいている。
「二人とも、こちらへいらっしゃい」
そんな二人をてらいもなく傍に呼んだトーロ夫人に意外さを覚えた。
いつまでも過去の栄光や古い価値観にとらわれている筆頭で、階級差の序列を声高に叫んでいそうなのに、と心の内で思う。
「この子たちが手紙を書いて、わたくし宛てに持って参りましたの」
「手紙、ですか? 字が書けると言うのですか? この子たちはいったい……、どちらかの没落した家の子たちですか?」
「いいえ。違います」
トーロ夫人は首を横に振り、特徴ともえいる厳しい顔つきを、あろうことか緩ませた。
「彼らの手紙には『グウィディウス様に会って話したいことがある』とございまして。この子たちがお傍に寄っても構いませんこと? ペルラ、殿下にお見せしなさい」
少女がこくりと頷く。
おずおずとグウィディウスのところまで来て、握っていた手のひらをそっと開いて見せた。
「これは……!」
「見覚えがおありですか」
グウィディウスはペルラに跪き、小さな手にそっと触れる。
ガレベーラに贈ったペンダントは、グウィディウスの瞳と同じ色の石で、不在の間、代わりに彼女の傍に置いてほしいと願ったものだ。
「ペルラ、と言ったね……。彼女が、兄妹と共にいたと聞いたのは君たちのことだったんだね」
グウィディウスは自分の声が震えているのがわかった。
「この子たちのことは以前から知っていました。たまにわたくしの屋敷に顔を見せるので、その時には食べ物などを分け与えていました。ある時から、お礼に手紙をくれるようになりましたの。破れた紙の切れ端に感謝の言葉とわたくしをいたわる言葉が書かれており、たいそう驚きました。浮浪児なのに何故、と」
「まさか、ガレベーラが……」
ペルラがこくりと頷き、トーロ夫人は続けた。
「そして、ある時、メイドがこの子たちに『グウィディウス様はお戻りですか』と聞かれたと申しましたの」
「私の名を?」
「ええ。けれど、その時はなにも不思議に思いませんでしたのよ。この国の王子であるあなたのご尊名を、何者が存じ上げていてもおかしくありませんから」
トーロ夫人の屋敷のメイドは、それからも季節に一度くらいの頻度でグウィディウスの帰国を尋ねられたと言う。
そして、グウィディウスが国に帰ってからはじめて、二人が屋敷に顔を見せたのが昨日のことだそうだ。
「メイドはようやく二人に『殿下はお帰りですよ』と言いました。すると、二人がどうしたとお思いになられます?」
「……さて。君たちはどうしたんだい?」
グウィディウスは少し遠い少年にたずねたが、答えたのはトーロ夫人だった。
「驚くことに、この服に着替えてきたのですよ。働いたお金を貯めていたそうです。この日のために、安くで譲ってもらったと」
トーロ夫人は言いながらまなじりをそっと抑え、少年の背に手を添えた。
それに、勇気づけられたように、少年は一歩前へ出て、
「はじめてお目にかかります。僕はラナン、こっちは妹のペルラです」
正しい姿勢で頭を下げる。
「やあ、はじめまして。僕がグウィディウスだよ。申し出てくれたこと、感謝する。是非、君たちの話を聞きたい」
「ガレとは街で会いました。行くところがないと言うから、一緒に暮らしました。ガレは僕たちに字や計算を教えてくれました」
「お花の、つくりかたも……おしえて、くだしゃいました」
いつの間にか泣き出していたペルラは、しゃくりあげながら言った。
「……そうか」
「毎日身体を拭くことや身ぎれいにすること、マナーや言葉遣いも。髪を売って、僕たちに靴を買ってくれました」
「おひめさまみたいな、きれいなかみの毛……だった……でした」
「……ガレ、は今は一緒にいないんだね? どこへ行ったの?」
ラナンが自らのズボンをぐっと握り込んだ。
「貴族がたくさんでガレを探しに来たときに、この街から逃がしたんです。人買いの馬車に紛れ込ませて」




