騎士団3
次の日、夜も明けきらぬうちにグウィディウスは目覚めた。
目覚めたと言うより、ため息と寝返りばかり打つのをやめにして、潔くベッドから起き上がったと言う方が正しい。
「おはようございます」
グウィディウスが起き出せば、ペスロも床を出る。
「悪い、起こしたな」
「いえ」
素早く身支度を済ませたペスロはもう腰に剣を差していた。
「私が家を探して参ります。今の時間なら馬で行っても目立たないでしょうから」
ギーという少年は、村の外れにある屋敷の使用人だということが昨夜のうちに宿屋の主人に聞いてわかっている。
「いや、僕も一緒に探すよ」
おとなしく待ってなどいられなかった。
*
外は肌寒かった。
東の空がぼんやりと白みを帯びてきていて、まだ往来には誰もいない。
愛馬にまたがり、ペスロも隣にいるのに、夜明け前の見知らぬ村はグウィディウスにひどく孤独を感じさせた。
期待と不安では、不安の方が勝っている。
「僕はこっちを行く」
「では私は反対の方から。お気をつけて」
馬を蹴り、ペスロと分かれた。
広い村ではない。
店屋が並ぶ中心部を過ぎれば、いくつもの起伏が連なり、小高い丘と草原と所々に林がある。
馬を走らせている道の左側に目をやると、草原がずっと続いたその果てに黎明の色の空の始まりがあった。
美しいその風景にグウィディウスは思わず目を細めた。
生死すらわからないまま、探し求めたガレベーラにもうすぐ手が届くかもしれない。
宿を出た時はまだ薄暗いと感じたのに、みるみるうちに、辺りは明るくなっていた。
「家がまばらになってきたな」
しかし、村のはずれといっても、どこまではリビの村でどこが端なのかわからない。
振り返ると来た道がずっと後ろに続いていた。
一つ先の、あの丘まで行って引き返そうと決めて、ゆるい坂の上まで馬で駆け登る。
いっそう広く景色が見渡せる場所で、前進を止めるべく、グウィディウスは馬上で体を引きかけた。
と、ふもとに牛を世話する人がいた。
丘の下の草原に立つ小屋の前で、牛に井戸の水を飲ませているのは、とても小柄な少年だった。
グウィディウスは駆あしから速あしに馬をゆるめる。
その姿に目はくぎ付けになったまま、ゆっくりと馬から降りた。
まだ少年からはずいぶん遠く、気づかれてはいない。
緊張のあまり、指先がわかるほどに冷たくなっていた。
その少年のもとへ吸い寄せられるように一歩を踏み出したとき、はっと我に返り、グウィディウスは近くの木に馬を繋ぐ。
見つからないよう気を配りはしたが、辺りは広大すぎて、グウィディウス一人の歩みなどまったく目立たなかった。
やすやすと少年を近く眺める場所までやってこれた。
少年は、牛の身体をブラシでかいてやり、傍らにいる山羊を撫で、草を食ます。そして、だんだんと昇ってくる朝日をしばらく向いていたが、やがて小屋の中に牛を連れて入った。
茫然と、そこに立ち尽くしていたグウィディウスは、後ろからの気配に全く気付くことができないでいた。
草をかき分ける人為的な音がしたかと思うと、声をかけられる。
「グウィディウス様」
ペスロもここを見つけたようだった。
「……あれは、ガレベーラ様ですか」
ペスロを振り返ることもせず、肯定も否定もしなかった。
色の褪せた粗末な服を着て、瞳の色も髪の色も遠くてわからない。
デヴンが言ったように帽子をかぶり、長い前髪のせいで顔も、その表情も窺うことはできなかったが、小さな頬は黒く汚れていた。
しかし、グウィディウスは、その姿かたちを彼女のものだと確信していた。
今のガレベーラをグウィディウスは知らない。
何があったのかもわからない。
しかし、ガレベーラは牛や山羊と喜びの朝を迎えているように見えた。
新しい陽を浴びるように朝日に向かい、「朝が来たよ」と、おそらく笑って、語りかけているに違いないと思った。
少なくとも、グウィディウスの知るガレベーラは、そういう令嬢だった。
時折、風がさわさわと丘を撫でていく音だけが聞こえ、グウィディウスもしばらくの間、その草と一緒になって吹かれていた。
仕事は朝が早いらしい。
家畜をかわいがっているのが伝わって来た。グウィディウスも馬の世話をするからわかる。
ちゃんと食べているのだろうか。
小屋の隣に、赤い屋根の、この辺りでは十分大きな屋敷と言えるにちがいない家が建っている。
ガレベーラと思しきあの少年は、あの家に住んでいるのだろうか。
どのような扱いを受けているのだろう。
食事は十分にとれているのか。
むごい仕打ちに遭ったりはしていないだろうか。
「グウィディウス様」
どれくらいの時間そうしていただろう。
再び、ペスロの声がかかる。
「彼……は使用人ということでしたので、どこまでガレベーラ様が家事をなさっているのかわかりませんが、使用人にとってはこれからは仕事が忙しい時間でしょう。お会いになるのは難しいかと存じます」
「……そうだな」
ようやくのことで踵をかえし、互いに無言で宿まで戻った。
駆けだした馬の背で、舌をかまないよう、グウィディウスはきつく歯を食いしばった。
*
「ギーが働いている家というのはここを左に出て、一本道を行ったところの赤い屋根かな?」
朝食の席で、主人にたずねる。
「そうですぜ。なんだ、行きなさったのですかい?」
「朝早く目覚めてしまったものだから朝駆けにね。そしたらちょうど牛飼いの少年を見かけたけど」
「ああ、そいつがギーです。貧弱で声も小せえでしたでしょう? 女みたいな奴でさぁ」
「いや、見かけただけで話はしていない。後で本を渡しに行ってもいいだろうか」
主人は、なぜギーにそこまで、といったふうの不思議な顔をしてから、
「ああ、それならそのうち、牛の乳を売りに来ますで。そのときお声がけしますよ」
ペスロは、ガレベーラの情報を探るために出かけ、グウィディウスは一人、宿屋の二階の部屋から往来を眺めていた。
気持ちは昂っているようで、沈んでもいた。
あの少年がガレベーラだったとして、それはそれで少なからずショックではあった。
それはガレベーラの置かれているであろう過酷な環境を慮ってのことなのか、想像していた思い出の中のガレベーラの姿とあまりに違ったことなのか、自身でも判断はつきかねている。
それでも、やはりグウィディウスは村の人の中に今朝見た少年を探していた。
『彼』がガレベーラ本人なのかどうかを確かめたいのではない。
ただ『ガレベーラ』に会いたいのだった。
どのくらい待ったか。陽は西に傾きかけていた。
主人の言った通り、少年はやってきた。
部屋のドアが叩かれ、
「だんな、ギーが来やしたで。呼び止めましょうか」
「いや、こちらから行こう」
ゆっくりと立ち上がると、革帯の鞘の金具があたって音を立てる。
この三年、いつもグウィディウスと共にあった音だ。
部屋から出ると、騎士団の制服に着替えていたグウィディウスを見て、主人が驚いた顔をした。
少年は宿屋の前を通り過ぎていていた。
行く方向からして帰り道のようだ。
しばらく、その後ろ姿を離れたところから追いかける。
細い身体で、ゆっくりゆっくりと進んでいく遅い歩みが痛々しい。
彼が彼女であってほしいような、あってほしくないような、天秤は傾きを決めかねている。
知と美と兼ね備え、さらには王家の血をも引く奇跡の令嬢が牛飼いになった。
重い荷車を引くのが、かのガレベーラなのだとしたら、この三年の間に彼女に起こった不幸や不遇は察するに余りある。
馬で駆けても距離のあった長い道のりを当然のことながら歩いて帰るらしい。
グウィディウスは意を決し、辺りに家がなくなるのを待った。
道に二人だけになってから、とぼとぼと足を進める少年に速足で追いつく。
そして、声をかけた。
「重くは、ありませんか」
まず、少年は人が近くにいたことに驚いたようだった。
そして次に、声をかけた人物が誰であるかわかると、これ以上ないくらいに目を見開いた。
その時、ようやくグウィディウスはその顔を間近で見た。
見えた瞳は、やはりなのか、まさかなのか、想像どおりのアイスブルーだった。
探し求めた色だった。
グウィディウスの瞳に、涙が滲む。
髪のかたちも身に着けている服も、グウィディウスが知るものとはあまりに違ったが、確かにガレベーラではあった。
突然のことに言葉が出ないのか、あからさまにうろたえているガレベーラは、言葉にならない声をかすかに口からこぼした。
ややあってよろめきながら、軛を地面に置き、平民が貴族にするように両膝をついて頭を下げる。
「い、いえ……、平気です」
「顔をあげて」
グウィディウスはそう言ったが、ガレベーラは地面を睨んだ格好のまま動かない。
「名前は?」
ガレベーラは名乗るまでに長い時間かけた。
そして言ったのは、「ギー」という名だった。
「そう。ギー、か。僕はグウィディウス」
そう言うだけで、グウィディウスは抱きしめることはしなかった。
「大変そうだ。手伝うよ」
大げさに腕まくりをしてみせても、ギーは何も言わなかった。
いいともだめだとも言わなかったので、グウィディウスは横から押して、力添えする。
木の車輪がぎしぎしと軋んだ音を鳴らして、ゆっくりと進み出す。
牧歌的な風景が夕焼け色に包まれる。
軛を持つギーの手に、ぽたぽたと涙が零れているのをグウィディウスは気づかないふりをしたが、自分の頬にも同じそれが静かに流れていた。




