路上生活3
*
ある日、ガレベーラは街の様子がいつもと違うことに気づいた。
自警団のような制服をきた集団や、身なりのいい紳士がやけに多く歩き回っている。
「今日は騒々しいね。なにかあったの?」
花売りの途中で道端に座る顔見知りの物乞いにたずねると、
「人探しじゃろうて」
「人探し?」
人探しという言葉に心がざわついた。
期待というよりは、安寧を脅かされる恐怖に近かった。
ガレベーラ自身、すっかり昔の身分は忘れていた。
日々がそれどころではなかったことも大きかったし、もはやあらゆることを諦めていた。
ないものを頼りにすることの儚さや希望を持って裏切られた時の悲しみは二度と味わいたくはなかったのだ。
しかし、いくら姿、身分が変わろうと、嫁ぎ先へ行く馬車から逃げ出したことを思えば、お尋ね者であることに変わりはない。
嫌な予感は的中する。
心落ち着かず、道端に座って花を束ねていると、自警団の会話が聞こえてきた。
「全部の家を見て周れって無茶なことを仰るねえ」
「カトル家の姫さんがこんな下層住宅にいるわけきゃねえだろうが」
家名に身体が強張る。
「銀の髪にアイスブルーの瞳だってさ」
「……お姫様、ガレといっしょ?」
無邪気に問うペルラを咄嗟に抱き寄せて「静かに」と囁く。
ガレベーラは先よりも深く俯いた。
頭は頭巾をかぶっているので、髪の色まではわからないはずだ。
青ざめた顔で立ち上がり、なんとか住処までたどり着くと、ラナンが待っていた。
「あの人たちが探してるのは、ガレだろ?」
ラナンの質問は突然のことで、ガレベーラは頷くことも否定することもできなかった。
「……なんとなくわかってた。ガレは貴族だったんじゃないかって」
「ガレ、おひめさまなの? わるいことしたの? ろうやにはいるの?」
縋るようにスカートを掴んでくるペルラを、ラナンが優しく引きはがす。
「ペルラ、ガレが悪いことすると思う?」
「おもわない! ガレはすごくやさしいもん」
「さすがに浮浪児までいちいち調べに来ないだろうから大丈夫だと思うけど……」
確かに、令嬢だったガレベーラがこんなところで生きて暮らしているなど、貴族の誰が想像できるだろうか。
それでも、捕まれば連れ戻されて、また北へ嫁がされるのだろうか。
もしかすると、ラナンとペルラを連れて北の辺境に嫁げやしないだろうか。それなら喜んで行くのに。
継母に願い出てみようかと馬鹿な期待を持ったのは一瞬だった。
そんな幸せな話がどこにあるというのか。
侍女さえ伴わせてもらえなかったものを、浮浪児を二人も引き連れて、許されるはずもなければ、受け入れてもらえるはずもない。
ましてや一度逃げだしたのだ。
領主が用意するといった支度金の値段も下がっているだろう。それ以上に反故にされているに違いない。
傷物になったと娼館にでも売られるかもしれない。
あの時でさえ継母の剣幕は恐ろしいものだった。
手間をかけさせた分、今度は折檻を覚悟しておいた方がいいかもしれないくらいだ。
震えを治めるように、自身を抱きしめたガレベーラに、「平気だよ、きっと見つからない」とラナンがしっかり頷いて見せる。
そのとき、近所に住む煙突掃除夫のベンが顔をのぞかせた。
「おい、ラナン! いるか?」
「ああ、いるよ。どうした?」
「明日にも路上生活のやつらのとこに見回りがくるらしい。親方が言ってた。ガレは銀髪で瞳はブルーだろって。……役人が探し回ってるのって、ガレのことなのか?」
「ええ、わたしのことよ……」
ガレベーラが中から顔を出すと、ベンは腰に手を当てため息をついた。
「そっか。まずいな。王都中、探して見つからなかったら山狩りもするって……」
ラナンは苦悩の表情を浮かべたが、すぐにまっすぐな視線でベンをみつめた。
「……どこか隠れられるところはないかな」
「地下道も役人のやつらは知ってるしな。そうだ、見回りの終わった家に置いてもらうのはどうだろう」
「それなら大丈夫かも。二度も探しにこないはずだ。でも俺たちみたいなのを匿ってくれる家があるかどうか」
「それはまかせろ、俺が親方に……」
「待って! 無理よ……」
ガラベーラは少年二人の話に割って入る。
しばらくの間、四人の間を沈黙が支配していたが、やがてガレベーラは意を決して顔を上げた。
「みんなに、これ以上迷惑をかけられない」
見つかったとして、自分自身の処遇などはどうでもよかった。
しかし、ラナンやペルラ、近所の子どもたちを巻き込んでしまうかもしれない。
あらぬ疑いや罪を着せられることもあるだろう、いやあるに違いない。
貧しく、無力な子どもたちの社会での扱いを、この目で見てきたのだ。
貧民に人たる権利などない。虫やもの同然の、人でないものとして扱われている。
「わたしが王都を出るわ」
「やだ! どこか行っちゃうの?」
ペルラはすでに半泣きだ。
ガレベーラは跪き、涙のいっぱい貯まった目を二人の目線に高さに合わせた。無言のまま、二人と視線を交わす。
二人を置いていきたくない。幼い二人を残して自分だけ街を出ることなどできない。二人と共にこれからも暮らしたい。
連れていけるだろうか。なんとななるだろうか、この街でなんとかなったように。
否、なるわけがない。
どこにどうやって行くのか、行く当てもすらもないというのに。
ラナンが拳に力を入れ、さらに強く握った。
ベンに向かって、
「さっき聞いたんだけど、人買いの馬車が出るのが今夜だって」
「ああ、そうだぜ! そうか! ガレをあいつらの中に紛れ込ませれば……。なんて幸運なんだ! 神様のお導きってやつだな!」
ベンとラナンは二人頷き合い、ガレベーラに向き直った。
「少し待ってて。話をきいてくるよ」
そう言って、二人の少年は走って出て行った。
残されたガレベーラは、
「ペルラ、今着ている服を頂いたお屋敷、わかるわね?」
「……わかる」
ガレベーラは優しく頷き、
「季節に一度でいいから、あのお屋敷に行ったときに、グウィディウス様はお戻りですかと尋ねてみて」
「グウィ……ウス、さま?」
「わたしの友人なの。でも今は遠いところで勉強をしていてるのよ」
「グウィ……、なんとかさまはいつかえってくるの?」
ガレベーラはもう一度、ゆっくり「グウィディウス」と繰り返してやる。
「わからないの。だから何度も尋ねてみて。いつの日か、お戻りですよと言われることがあったら、これを奥様にお渡してもらって」
ガレベーラはペンダントを外して、ペルラに握らせた。
「きれい! ほうせき?」
「失くさないように。これを見せれば、グウィディウス様があなたたちを助けてくれるかもしれないから」
身に付けていた布袋を渡す。
そこには、髪を売って靴を買った余りの銅貨がいくらか入っている。いつか、なにかのためにと蓄えていたものだ。
「それまでに、おなかがすいて死にそうになったら、これで食べなさい」
*
「買われて王都に働きに来ていた子どもが年季明けで帰る季節で、その馬車が出るのがちょうど今日なんだ」
しばらくして帰ってきたラナンはそう言った。
「町や村を順番にまわるらしいから、適当なところで降りればいい」
「やだやだ! いかないで!」
「ペルラ、聞き分けろ。相手が貴族なら、どこまでガレを隠しおおせるかわからない。ガレが捕まって辛い目に遭ったらいやだろ? 遠くない村ならいつかまた会えるよ」
「ほんと?」
「ガレ、馬車が出る。急ごう」
もとよりガレベーラに荷物などないが、ラナンはどこで手に入れてきたのかパンやチーズ、そして毛布を袋に入れて、旅支度をしてくれた。
ガレベーラは別れを前に、気持ちを上手く言えないでいた。
というよりも、涙を堪えるのに必死だった。
「ガレ、俺たちのことなら心配しないで」
「でも……!」
「もともと二人だったんだよ?」
「……そうよね、わたしの方が十分二人のお荷物だったわよね」
なんとか笑おうと努めた。なんとか笑って言う事ができた。
「違うよ、俺たちも一緒に行きたいけど、足手まといになるから」
「違うわ、そんなことない!」
ガラベーラは二人を抱きしめた。
「ラナンたちがいてくれから、わたしは今生きてるのよ」
二人だけこの街に残すことが心配で、一緒に連れて行きたいなどというのは建前だ。
本当は、ガレベーラが二人と離れたくないのだ。
「ガレ、気をつけて。字を教えてくれてありがとう」
ラナンも必死に涙を堪えた顔で、笑った。
*
馬車の荷台に詰め込まれるように座る子どもたちは、みんな貧しそうだったが、笑顔だった。
故郷に帰れるからだろう。
勝手にその中に潜り込んでいるガレベーラは、頭巾を深くかぶって、小さくなっていた。
だんだんと日が暮れていく。
馬車に揺られていると、だんだん寂しさが募り、涙が出てきた。
この先の不安よりも、あるのは寂しさだった。
ラナンとペルラは、もはや家族だった。
貧しくともひもじくとも、過ごした時間は確かに幸せだった。あたたかかった。
ふと、ラナンが荷造りをしてくれたことを思い出して、袋を開く。
「え……」
ガレベーラは瞠目する。
ラナンがいつも首から下げていた小さな布袋が入っていた。
「こんな、大事なもの……!」
慌てて取り出し、中を開けると、亡くした母の形見であるはずの銀の指輪と、そして、銀貨が一枚入っている。
ガレベーラの髪の対価である銀貨だ。
二人が少しでも楽に暮らせるように、もしもの時の助けになるように、せめて銀貨を置いてこられたことで、納得し、安堵もしていたのに。
なにより、兄妹にとってこの指輪は大切なものだ。
それを質にして、必ずもう一度会えるようにと、ラナンはそう願ってくれたのだろう。
とうとう、ガレベーラは声を押し殺して泣いた。涙が止まらなかった。
「ラナン、ペルラ、待っていて……いつか」
馬車は峠にさしかかっている。




