1.初めてのおつかい(できない)
海辺の街にサインが住み着いてから、少し経った頃の話。ほのぼのヤクザ風味。
だいたい、人って3回目を聞いて聞き取れなかったら曖昧にする。1回目は聞き直して、2回目でこれ自分の耳のせいじゃないんじゃ?ってなって、3回目でだめだこりゃ無理だってなる。これ以上は相手に悪いし、多分まあこんな感じ?って文脈で予測する。
それが普通。悪いのは俺。分かってるんだけど、上手く声が出ないんだ。
だって人って、よく分からない。
国土を横断する鉄の道、それが全然かすりもしないようなゴロツキばかりの『流れ者の町』で、俺は大絶叫していた。何でだって、俺のエリオットの部屋が! ーー俺のエリオットに見つかった!
「エリィ!!! ごめん!!! ごめんって!!!」
「……サイン」
元ソルベント商会の土地で、今はエリオットの家。さらにその中の俺の工房……の中の、俺のエリオットの部屋。何があるかは割愛。
その部屋の前にエリオットの背中を見つけた時の恐怖たるや。そして彼女の手にある蝋燭を見て……。蝋燭?
「わあああああ!!! やめよう!!!」
「問答無用」
「えーー!!?」
俺はわんわん泣きながらエリオットの部屋に突っ込んで、大事なエリオットの色んな物に覆いかぶさった。
振り返って酷い!と言おうとしてびくっと震えた。
エリオットの顔が見たことないやつになっている。あなたそんな顔出来るの。
「サイン。ない」
「えっ」
「靴下までなら許すけど、それはない」
「や、エリィ、やめて……お願い……」
俺はガタガタ震えながらエリオットに引っ付いたけど、結局聞き届けてもらえなかった。捨てられた。まとめて庭で燃やされた。俺の精神の核が死んだ。
「ひどい……ひどい……」
「サイン。ちょっとよく考えてみて」
エリオットは早起きで、俺はあんまり寝なくても大丈夫。早朝の雲の薄い冷たい空気の中、焚き火がよく爆ぜている。
エリオットは串に突き刺した昨日の売れ残りのスコーンを振りながら、泣いて四つん這いになっている俺の隣に座り込んだ。茶色い癖っ毛がふわふわと揺れた。
「私、すごく嫌だったの。想像してみて。もし私がこっそりサインの下着とか身体を拭いた布とか持ってたら、」
「……」
「……嫌じゃないね、貴方は」
「嫌だよ!!! やめようよ!!!」
「じゃあやめようよ」
俺は泣きながら地面に握り拳をつくった。
「わがっだ。じゃあエリィが俺と一緒に死んでぐれだらがまんずる。今だ!!!」
「嫌。貴方、自分がどれだけ理不尽なこと言ってるか分かってる?」
「わがっでるけど無理。俺の知らないエリィがどごがにいるなんでぜっだい無理」
エリオットは溜め息をついて、スコーンを割ってそのまま自分の口に押し込んだ。ピンク色の唇があざとい。
「サイン。私、世界で1番、貴方に何もかも見せてるんだけど」
上目遣いの軽率なエリオットに、俺はにっこり笑った。
騙されない。
彼女は時々、人間を手玉にとる才能が迸っている。 全人類が手の平の上でコロコロされるのは仕方ないとは思う。エリオットにはその力がある。
だけど、俺だけは、彼女にとって特別でいたい。いたいから、絶対コロコロされない。
「嘘つきだね、エリィ」
「……」
「俺に見せてくれないところ、まだいっぱいあるくせに」
エリオットはちょっと身を引いた。やっちまった顔が可愛い。腕を掴んだ。
「オイ殺すぞ」
もちろんエリオットの声じゃない。
すぐ横の地面に、銀色の腹の魚が飛んできた。エリオットの目がぎょっと見開かれたのが見えた。
「朝っぱらから殺すぞ」
庭の石垣の向こうから、綺麗に火に焼けた筋骨隆々の男が、バシバシに殺意を出しながらこっちを見ている。それ何の模様?みたいな刺青がビッシリ入っている。
この家の石垣、低いよなあ。全然意味ないもんなあ。
とか思ってたら、その男が大量の魚を投げてきた。
投げナイフかと思った俺は銃で撃ち落として、エリオットが悲鳴を上げた。
「ひいいい!」
「チッ! 生意気な! 殺すぞ!」
「……お前こそ横暴だろう……」
「やめてえええ!」
エリオットが泣きながら撃ち落とした魚をかき集めたところで、男が片手を差し出した。「金寄越せ」と言いたいらしい。
「うっうっ」
「言っとくがちゃんと魚は仕入れた。撃ったのはそっちだ。金払わねえと殺すぞ!」
「うっうっ」
エリオットは下を向きながら代金を払って、男は「ウラァ!」と無駄に大声を出して彼女を脅かした。エリオットは驚かなかったけど、俺が怒った。持っていた鉄屑を勢いをつけて投げると、男が頭を押さえながら跳ね回った。
「イッテエ! 殺すぞ! 白髪コラァ!」
「サイン!」
「エリィに何するんだ!!!」
「チキショウ! 覚えてやがれ! クソが! 散々だ! 世の中終わってやがる!」
「エリィに八つ当たりするな!!!」
男はウラァとか殺すぞとか言いながら、中指を立てて逃げて行った。なんて品性のない人間なんだ。
エリオットがぽろぽろ泣いている。可哀想。やったのは俺だけど、可哀想。
「ご、ごめんね、エリィ」
「食材は……無駄に出来ない。サイン」
「は、はあい」
無事な魚を検分しているので、俺はおろおろしながら手伝うことにした。そして拾った魚の中身が異様な色をしていることに気がついて、あれか、と思い当たった。
「これ、最近のエリィの推しパン……の材料……」
エリオットのパン屋はこの家の隣にくっついている、小さな建屋で営まれている。俺が竈を改良してから、彼女はそれまでの5倍の数のパンを焼くようになって、種類も増えた。毎日のオススメも変わるけど、だいたいエリオットの独特なセンスで選ばれるから売れ残る。
そう。この魚、火を通すととんでもなく変わった匂いと味がする。辛くなる魚ってどういう生態なんだ?
「これね、あと少しで買えなくなっちゃうの。荒波の危ない場所で、漁がすごく大変で、何人も海に落ちるから、もう、担当の漁業ギルドも解散しちゃうんだって。だから……もう推せないの」
「……そう……残念だね」
「今、ちょっと安心した?」
「してないよ!!!」
結局無事な部分はほとんどなくて、俺は代わりの材料を買いに市場に出かけることになった。
決まるまで一悶着あった。エリオットは今から仕込みをして、今日の食い扶持分を稼がないと飢える。俺はエリオットから規定の距離を離れると死ぬ。議論は平行線だったけど、今回、明らかに俺が悪かった。
結局、泣き喚く俺の首に緑色のストールを巻いてくれたエリオットは、マゼンタの目をキラリと輝かせた。
「サイン、パン作りは芸術だって私、最近思うの。オニオンとかベリーとか、ありきたりだよね」
違うと思うけど可愛いから言えない。
という訳で俺は、初めて1人で『流れ者の町』の市場に足を運ぶことにした。エリオットを尾けるばっかりだったので、彼女の背中がないことに違和感がある。道の真ん中って歩きづらいよなあ。
「たけーよ! クソが!」
「買わねえなら消えろ!邪魔だ!」
「やんのかこら! 表出ろ!」
そして治安が悪い。
『流れ者の町』は、俺の父さんと叔母さんの故郷で、エリオットが住む家は2人の生家だ。ソルベント商会がまだ行商だった頃から、この町はずっとこんな感じだったらしい。2人は貧しい暮らしの中で武器や機械の開発に明け暮れて、絡んでくるゴロツキ達で機械の性能をテストしていたんだって。要はめちゃくちゃやって幅を利かせていたわけだ。
だからあの家に突然引っ越してきて普通に暮らし始めたエリオットを、町の奴らはかなり警戒して、ちょっかいもかけない代わりに近寄らなかったという事情がある。『エリーのパン屋』の盛況ぶりは、パンの味について加味してもまあ、ひとえにエリオットの人柄の賜物だ。
「何見てんだコラァ!」
「……お前それでも八百屋か? ……」
「ボソボソうるせえんだよ!」
「……」
ガラの悪い八百屋と睨み合いをしている時だった。
「イッテエ!」
俺の真隣に、図体の大きな男が急に倒れ込んできた。日に焼けた肌にゴリゴリの刺青。朝のあいつだ、と思った俺は足元の男を腰を折って見下ろした。
「ギャアアアア! コイツだ! お頭ァ!」
刺青男は頭のたんこぶを押さえながらバタバタ起き上がって、市場の一角に駆けて行った。その先にはごった返した市場の通りの中で、不自然に人が近寄らない軒先。煙草の煙がもくもくと立ち込める中で、野盗みたいな目つきの男が数人座り込んでいる。
刺青男はヒーヒー泣きながらそいつらに縋りついた。
「コイツですよぉ! コイツが撃ったんですって! 俺、ちゃんと仕入れましたから!」
指差された俺の周りから、ざっと人がいなくなった。ヒソヒソ声が聞こえてくる。終わったなあの白髪、とか可哀想に巻き込まれて、とか。
刺青男に縋りつかれた、野盗もどきみたいな体格の良い初老の男と目が合った。
「……へえ。なかなかいねえ白髪だ。手前、ソルベントの本家の人間だな?」
「ソルベントって、あのソルベント商会ですか?」
刺青男がきょとんとした瞬間、その身体が地面に叩きつけられていた。
「キャアア!」
「またファイリの連中が暴れてやがる! いい加減にしやがれ!」
市場が騒然とした。刺青男はぎゃーぎゃー喚きながら地面に這いつくばって頭を下げ、叩きつけた初老の男は煙草をペッと吐き出した。
その大きな背中の後ろから、パイプを咥えた小さな爺さんがひょこっと出てきた。刺青男がガタガタ震えて、爺さんに向かって首を振る。
「ソルベントだよ、リヴ。ソルベント。絶対に手を出すなと言ったよなあ。てめーの脳味噌には糞でも詰まってんのか?」
スパー、とパイプの煙を吐き出して、爺さんがギルドの連中に顎を出した。あっという間にリヴと呼ばれた刺青男はボコボコにされた。
俺は帰ることにした。巻き込まれたらエリオットに迷惑がかかる。
背中に爺さんの声がかかった。
「待ちな、ソルベントの若旦那」
「……」
「あんた、セイフの息子だろう。良く似てる……あんたの方が良い男だが。アイリスは元気か? よくやり合ったもんだ」
「……」
無残に散ったファイリを見て、涙を流すエリオットを思い出した。
でもどうしてこうなった。
俺は男達に半ば強引に連れ込まれて、ファイリのギルドと呼ばれる漁業ギルドに足を踏み入れた。港に半分せり出したデッキの上には大量の籠が置いてあり、銀色の腹をした魚がびちびちと跳ねている。
「ひでぇ話だ! 世の中終わってやがる!」
「なんでファイリの良さが分かんねえんだ! うっ……」
「いいさ、俺たちとファイリは世間という荒波に揉まれ、勝てなかった。それだけの話だ……うっ……!」
その合間に中年の酔っ払い達が倒れ込んで、しくしくと泣きながら魚に頬擦りをしていた。通り過ぎると亡霊みたいな顔でついてくる。
「うちの無能リヴが迷惑かけたな。お代の分の魚は持ってきな」
ファイリのお頭と名乗るその小さな爺さんは、疲れたように煙草を燻らせながら溜め息をついた。どうやらこのギルドはエリオットの言っていた通り、採算が上がらず、加入を希望する若者もほとんどおらず、遠くない先に解散することが決定しているらしい。
「ウチのギルドで一番若いのがあのリヴだ。解散が決まってから年寄りは再就職も出来ねえであんな風に飲んだくれてやがる。情けねえ」
ギルドの面子の高齢化は、身体が資本の漁業同職ギルドの中ではかなりの痛手だ。持たされた籠の中に見繕ったファイリを次々に投げてくる爺さんも、腰を痛めて以前より動きが鈍ったと。……本当に?
「最近の若い奴には向いてねえんだな。我がギルドの伝統漁のやり方が」
「意気地がねえんだ。誰も3日とかからねえで逃げるか、海に落ちやがる」
酔っ払いが指差した先を見た俺は、壁に飾られた絵を見て閉口した。荒波の中で船の縁に立った大男が、堂々とファイリを一本釣りしている。
「カッコいいだろ! 昔の親方だ!」
「アンタも上背あるよなあ。細っこいが」
「ソルベントの連中は商業ギルドの割に根性があると聞いてる。掛け持ち大歓迎だ。ついでに他の野郎も連れてきてくれれば御の字、解散もしなくても済むかもしれねえ。……なあ、兄ちゃんよ」
「若え奴、何人か連れてこいよ。命の保証はしねえがな!」
「ハハハ!」
これだから酔っ払いは嫌なんだ。こんな魚なんかにこだわらないで早く帰れば良かった。エリオットに迷惑がかかるのは避けなきゃいけない。
目をギラギラさせ始めた男達に、俺はボソボソ反論した。
「……だろう……」
「あ?」
「……ない……」
「聞こえねーよ! はっきり言いやがれ!」
俺は口をパクパクした。
ああ、まただ。嫌な汗が出てきた。
こっちを眺める無数の目も、どういう返事をしてもキレそうな酔っ払いも苦手で、声がうまく出ない。
親方がパイプを持ち上げて、煙を吐き出す。
「以前、ソルベントの一人息子が廃嫡されたと風の噂で聞いたが、あんただろう? その様子じゃあアイリスに愛想尽かされるのも無理ねえや」
「……」
「あんたじゃアイリスへの脅しには使えなさそうだなあ」
振り切って歩き出した俺は、ギルドの出口に俺よりでかい男が立ちはだかっているのに気がついた。
後ろから親方の声が掛かる。
「エリー」
「……」
「あんたじゃなくて、あの女はどうだ? ……エリーって言ったか、あの女。不気味だ。何をやらかした?」
目の前の、壁みたいな男がにんまりと笑った。「綺麗な女だった」と呟いた。
俺はファイリの入った籠で男の顔面をぶっ叩いた。
「はっ!?」
出口の端にぶつかった巨体を蹴り上げて、飛びかかってきた別の男も放り投げた。ファイリのギルドが一気に騒然とした。
「てめえ何しやがる……!」
「……馬鹿がエリィに近寄るな……」
「あ!?」
男達は怒っていたけど、俺だって怒っていた。なんでこんなに馬鹿なんだ、と腹が立つ。
「……お前らのギルドはいくら人を入れたって絶対解散だ……」
「ああ!?」
「……若い人は、……意気地なしになったんじゃない、賢くなっただけだ……他の稼ぎ方を見つけられるようになっただけだ。お前らのやる事は、改善だろう。じゃなきゃ……」
「……」
「……」
不意に父さんと母さんの顔が浮かんだ。後ろで扉が閉まるような大きな音がして、振動が脚を揺らしても、声が、止まらなかった。
「永遠に解散してろ、腐れギルド!!!」
結局、ギルドに閉じ込められて、筋骨隆々の中年達にボッコボコにされた。




