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2.誘惑しあいの殴り合い(負けそう)

 


 人間を、俺はよく分からなかった。

 一番分からなかったのが俺の両親だった。雷鳴みたいな声で笑う父と『お馬鹿さんね』が口癖の母。2人とも武器より自動機械を作るのが好きだった。皆の役に立つ機械をいくつも開発して、ソルベントの当主として期待されていた。完璧な両親だった。だけど。

 俺が7歳のとき、2人は俺をある機械の中の操縦室に連れて機械の整備をしていた。複雑に配置された歯車や鉄紐、計器を見て目を輝かせている最中に、母さんが急に、空いていた小さなスペースに俺を押し込んだ。逃げて、とかごめんね、とか叫んだ。機械の壁の向こうから父さんの声が聞こえた。暴走した、と。

 それから身体があちこちに跳ねるような衝撃に、俺は泣きながら2人の名前を呼んだ。返事はいくら待ってもなくて、聞こえてきたのは外にいた叔母さんの半狂乱の声。止めなきゃ全員死ぬ、全部ぶっ壊さなきゃ皆死ぬ、と。俺はどうにもならなくて泣くばっかりだった。


 それから俺の身に起きたことを、俺自身はあまり覚えていない。小さな空間から這い出して、黒い煙の充満する中、ただひたすらに機械の異変を探していた気がする。ボイラーと呼ばれる機器の動きを正常に戻して、悲鳴みたいな声を上げて機械が止まったところで、自分が死んでいないことに気がついた。

 父さんと母さんは死んでいた。父さんは煙を吸いすぎて、母さんは振動で機械に頭を強く打ったのが原因だと。機械を止めた際に全身で熱湯を浴びた俺は、それから痛みというのにひどく鈍くなった。父さんと母さんが作った機械を分解して組み立てることしかしなくなった。分からなかった。どうしてこんなミスに、あの完璧な父と母が気がつかなかったのか。


 だから俺は、2人は死にたかったのだと思った。俺の知らない苦悩があってきっと2人は自殺を図ったのだと。じゃなきゃこんなのおかしいだろう。

 それを言ったら叔母さんに死ぬほど殴られて、その時に叔母さんは俺が痛みをほとんど感じないことに気がついた。ソルベント商会の連中は俺が頭がイカれたのだと思うようになった。俺はもともと苦手な意思表明の類が、ますます出来なくなっていった。

 俺に、人は、分からない。だから怖い。そう思っていた。


『? もう一度、教えてくれますか?』


 エリオットに、会うまでは。







「ひいい! 大丈夫!?」

「ギャー! ストーカー! ボロボロじゃんか!」


『エリーのパン屋』に帰った俺を見て、エリオットは悲鳴を上げた。遊びに来ていたスリ少年まで叫んだ。

 俺は泣き喚きながらエリオットに縋りついた。


「エリィ!!! ごめん!!! 失敗じだ!!! 怒らないで!!!」

「ぐえ……ちょ、離して、サイン」

「いやだ!!!」


 俺はわんわん泣きながら何があったか説明した。エリオットは俺を引きずりながら棚の上から救急箱を取り出して、少年はヤレヤレ、みたいな顔で腕を組んだ。


「……はーん、ファイリのギルドね。ストーカーお前、終わったな。アイツらマジ頭イカれてるもん。オレ面倒くさいからしばらく来ないようにするわ。おねーさん、ごち!」

「シーズ君、お金!」

「ツケで!」


 少年は風のように走り去って、溜め息をついたエリオットは店の小さな看板を裏返した。お昼過ぎだけど、もう今日は閉めるらしい。聞くと売り物もほとんどないから、とのこと。

 俺はしゅんとした。

 エリオットはそんな俺を見て、救急箱を持ったまま俺の袖を引っ張った。


「違うの。たまにはゆっくりしようと思って。おいで、サイン。蜂蜜牛乳作ってあるの。いる?」

「好き!!!」


 怪我して良かったと心から思った。主に顔をやられた俺は、エリオットのお気に入りの、暖炉の前の大きなソファで応急処置をしてもらうことになった。

 柔らかい膝枕に感涙した。涙で治療が出来ないのか、微妙な表情のエリオットの顔が近くにある。可愛い。幸福すぎる。


「サイン、顔の向きは真上」

「無理、エリィの膝、良い匂いーーいったい!!!」

「痛くないでしょう」


 掴まれた耳を指で撫でられて、俺はエリオットが暗い顔をしていることに、そこで初めて気が付いた。


「エリィ?」

「貴方は痛みに鈍くて、貴方はそれを便利だと思ってるかもしれない。……でもね、メレが言ってたの。同じ擦り傷でも、人に悪意をもってつけられた傷は治癒が遅いんだって。精神の痛みが身体に影響するからだって。……大丈夫……?」


 俺はヘラヘラ笑った。油断したエリオットの後頭部を掴んで、逆さまの小さな唇にキスをした。


「エリィが俺を可愛がってくれたら明日には治るよ」


 あー可愛いー、とか思ってたら、エリオットの目がキラリと光った。


「よしきた」

「?」


 それからテキパキ俺の顔に軟膏を塗って、包帯をテープで留めて、「起きる起きる!」と急かしてきた。言われるがままにソファに座り込んだ俺の頭を、ぎゅっと抱きしめて、髪をすいて肌を撫でた。


「よしよし。……痛かったね」

「……」

「サイン。貴方のことだから、きっとファイリの人たちに、私のことを何か言われたんだよね?それで、怒ってくれたんだよね。……ごめんね」


 嘘だろう。あざとすぎる。おっぱい。

 俺はにっこり笑ってエリオットの華奢な身体を抱きしめた。彼女は時々、俺を大きなペットか何かと思っている。


「サイン?」


 軽率な、俺のエリオット。

 分かれよ、と勝手に苛立って、覗き込むように下からキスをした。拒絶されないこと調子に乗って、舌を入れた。ソファの肘掛けに押しつけた。

 俺がどんな気持ちで抱きしめているか、このひとは多分、死ぬ時にやっと分かるんだろう。


「サイン、んっ……」


 エリオットの、声が溶けた。閉じ込めた身体が温度を上げた。あ。

 ……あーあーあー。ダメだ。別のことを考えよう。


「……何で、出来ないことがある時、出来ない人がダメだって、考えるんだ」

「……サイン、っ?」

「やり方がダメだって、何で、考えないんだろう。人より、道具の方が、ずっと直しやすいのに」


 ファイリの連中は人の技術を過信していた。いくらでも改善できるやり方を誇り、出来ない人間を蔑んでいた。

 それは停滞だ。発展出来ないものにこの先なんてないのに、あいつらはそれに気がつかない。気がつけない。

 そう、出来ないんだ。完璧だと思っていた、俺の両親みたいに。


 人間には、どうやったって出来ないことがあると、ちゃんと分かったのは、つい最近のこと。


 b08.5.16。騎士になって数日後。いつのまにか王城へ放り込まれ、全員に忌避の目で見られることに俺は疲れ果てていた。もともとあんまりなかった生きる気力もカラッカラに枯渇していた。死にたかった。

 街中で警らにあたっている最中、貴族の八つ当たりで嵌められた女の子を捕まえた時だった。バタバタ暴れる女の子は言葉があんまり通じなくて、焦った俺は貴族に怒鳴られ、騎士に囲まれてダラダラ冷や汗をかいていた。そこに現れたのがエリオットだった。


『そ、そこの騎士様は、彼女はやっていないと言っていますよ』

『……』

『き、貴族の方、盗まれたと言う貴方の財布は、この子のお父様が作られたものです。先日病気で亡くなった、西の革職人さんです。売っても足がつくように、裏地に貴方の名前が彫ってあるのを知っている。それに、お父様が誇りを持って作って売られた品を、よりによって子供の彼女が、盗んで売ろうとするとは考えにくいと思いませんか』


 不思議なこともあるものだ、と思った。エリオットがちょっと辿々しく言うと、女の子が大人しくエリオットの背に隠れた。周りの皆が貴族に向かって疑惑の目を向けて、騎士達は気まずそうに顎を引く。貴族は真っ赤になって自分の財布を裏返した。

 具合が悪くなった彼らが退散して、街の皆がほっと胸を撫で下ろしたので、俺はそそくさと立ち去ろうとした。また失敗した、と思いながら。

 エリオットが声を掛けてきたのはその時だった。ありがとうございます、と礼を言われて、何故、と聞き返そうとした。このひとに礼を言われる筋合いはない。


『?』

『俺は……から』

『?』

『……いから……』

『?』


 彼女は首を傾げながら寄ってきた。俺は言葉が続かない。このひとは、俺がどう答えるのを望んでいるんだ?


『? もう一度、教えてくれますか?』


 不思議そう。分からない。どうしよう。

 エリオットは、大きな目をぱちぱちしながら微笑んでいた。


『ごゆっくりどうぞ』

『……』


 何故か分からないけど、このひとは何を言っても受け入れてくれそうな気がした。


『……俺は、あの子を、他の騎士みたいに疑ってただけだから』

『……』

『財布を出した貴族を見て、挙動不審になったあの子が物盗りだと思って、疑ってた見てただけだから、……だから、あなたに礼を言われる筋合いはないんだよ』

『……彼女、お父様の作った品を見てびっくりしちゃったんですね。貴方は立派にお務めされてたってことでしょう。それに彼女、私のブーツを仕立ててくれた職人さんなんですよ。お世話になった方を助けてくれました。だから、お礼をさせてもらいました』


 そのあと俺は何か変なことを言った気がするけど、エリオットの表情しか覚えていない。彼女は俺の言葉を待って、聞き直して、誠実に返事をして、それからよく笑った。

 完璧な人だなあ、と思った。


 城内でエリオットを見かけて、目が追うようになった。それから彼女が落としたハンカチを返したくて、身体が追いかけるようになった。途中から完全に口実だった。

 それから『別れ祈り』をするエリオットを教会の扉の隙間から見た時に、ようやく俺は理解していた。


 泣きながら遺体に向かって『どうか、どうか安らかに』と囁くエリオットの声。何かを出来ない自分を責めているように聞こえた。暴走する機械の中で聞こえてきた両親の声に、よく似ていた。

 ーーああ。俺は頭を抱えそうになった。

 分かってたんだ。両親は完璧なんかじゃなかった。仕組みを理解しきれていない機械を無理に動かして、止める術を持たなかった。

 誰にだって出来ないことがある。俺だって。女の子1人助けることも、エリオットに声を掛けることも、何にも、出来ないだろう。


 人間には、どうやったって出来ないことがある。

 ーーでも。


「おバカ」

「……え?」


 そこで、腕の中のエリオットが頬を染めて、俺を睨んでいることに気がついた。え。可愛い。


「サインって、何で、こういうことしながら、別のこと考えてるの」

「……」

「よ、余裕なの? 何なの? し、失礼だと思わない? わ、私は……もー……」


 むう、と頬を膨らませて、エリオットが俺の胸を叩いた。

 俺は笑って見せるのも腹立たしい。


「わあっ!」


 ソファの上でエリオットをひっくり返して、パタパタ揺れる手を押さえつけた。見えたうなじに呪うように口付けて、囁いた。


「お馬鹿さんかな」

「ひゃあ!」

「余裕とか、ないから、俺、頑張ってるのに」


 真っ赤になった耳を食んで、真下のエリオットにからだを押しつけた。華奢な身体がぎくっと固まる。


「好きだよ、エリィ。大好き。好き」

「わあああっ」


 いよいよエリオットがバタバタ暴れ出したので、俺は彼女の脇に手を入れて持ち上げた。そのままソファに座って抱き込むと、目を回している。


「さ、サイン、貴方、」

「しないよ」

「え!?」


 俺はにっこり笑った。

 その方が変わってると、思われるから。エリオットを抱きしめてきた他の男とは俺は違うって、彼女に分からせたい。


「そ、そう……そっか」


 エリオットは真っ赤な顔のまま、俺の腕を抱きしめた。

「怪我、ひどいもんね」とか呟いて、それから身体を預けてやけに色っぽい溜め息をついた。おい。


 俺が真顔になったところで、暖炉の真上に取り付けたベルがけたたましく鳴り響いた。


「え! なに! 何このベル!」


 仰天したエリオットに説明した。帰ってくる前に家の周りに設置しておいた罠に、誰かが引っ掛かった合図だと。このタイミングならファイリの連中だろうけど、早すぎる。俺をボコボコにするだけじゃ飽き足らなかったらしい。


 エリオットは付いてこようとしたけど、俺がニヤニヤしながら首筋を指差すと慌てて洗面所の方に駆けて行った。

 気持ちを切り替えて、首を鳴らしながら家を出る。さっきは早く帰りたくてやられっぱなしだったけど、エリオットにまで手を出そうとするなら話は別だ。二度と近づかないようにしてやる。


「オイ殺すぞ! コレどうにかしやがれ!」

「……お前か……」

「何でガッカリしてんだよ! 白髪コラァ!」


 家の門の前に、頭だけ地面に埋まった刺青男ーーリヴがいた。顔の周りを、俺の歯車の機械がウロウロしている。

 リヴはウラァ殺すぞと言いながら俺を睨みつけて、俺は半目になった。歯車の機械がリヴの耳に向かって回転する。


「ギャー! やめろ!」

「……エリィに近寄るなって言っただろう……」

「ちげーよ! 返しに来たんだって! あとアレだよ、白髪、てめーにさあ、……頼みが、ギャー!」


 俺は呪詛の言葉を呟きながらリヴを掘り起こした。

 リヴは涙目になってモジモジして、エリオットが貸してくれた緑のストールを差し出してくる。ファイリのギルドでいつの間にか盗られていて、後で取り戻しに行こうと思っていた物だった。


「わ、悪かったよ、ウチの奴らがさあ。なんかさあ、白髪の言ってること、俺、……なんかさあ」

「……はっきり言え」

「てめーに言われたくないわ! ギャー!」


 リヴはバタバタ地面に転がりだした。


「助けてくれよ! ソルベントはすげーって聞いたぞ! や、やり方を変えろってお前、言ってただろーが!」

「……」

「俺、ファイリも好きだし、ギルドの奴らも好きなんだよ! 無能な俺でも面倒見てくれるし!」


 俺はブーツで歯車の機械を踏んで、動きを止めた。リヴが手を揉みながら盗み見てくる。


「やり方って、ど、どうやって変えるんだ? 俺、バカだからそういうのよく分かんねーんだよ……」


 人間には、どうやったって出来ないことがある。

 でもそれを、減らすことは出来る。エリオットにも俺にも、誰にだってその力がある。


「……船を」

「あ?」

「船を出せ。漁を見せろ。俺が機械を作る」

「は……?」


 リヴはきょとんとして、俺はしかめっ面をした。

 父さんも母さんも、決して完璧じゃなかったけど、いつも人の為に自分の力を使っていた。尊い人達だった。失われたことが悔しくて、俺は目を逸らし続けていたんだ。


「人が海に落ちないように、同じ動きが出来る機械を作るんだ。大変だけど、俺なら出来る」



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