19.!ずっとそばにいる!
女王陛下は薄い天幕の向こうから、こう仰った。
『貴方に関して、私が分かることは2つ。貴方がザルグ=コールを自身の手にかけて、人間を守ったこと。サイン=マキナを生き返らせた場面を見ていた騎士達が、口を揃えて貴方の善性を説くこと。以上から……私は貴方のメンジュの力より、貴方の人への信仰を信じましょう。研鑽し、発展することをここに誓いましょう。ザルグのような人々を生み出さずとも、永らえるよう。そして願わくば、貴方が人へ絶望することのないよう』
というわけで、結論。
私は公的には死んだことになった。エリオット・コンスタンスという元『祈り・聞き屋』でコール・スール・ザルグを殺害した女性は、王城及び城下町で起きた『貴族改変』に巻き込まれて亡くなった、ということになった。
そして名前を変えた私は、この国の端っこも端っこの、『流れ者の町』と呼ばれる小さな港町に引っ越して、そこで定期的に女王陛下直属の部下の人と会うことになった。危険な兆候が出たらすぐに殺します、という約束のもと。
住む場所の準備やら何やらを全て請け負ってくれたのは、ソルベント商会の当主だった。命を脅かした謝罪だ、受け取れ、とばかりに一方的に全てやってくれて、正直とても助かった。用意された家が、どう見ても広いばっかりの荒屋だったのには閉口したけれど。
という訳で1人、『流れ者の町』に引っ越した私は、決めていた、パン屋を営むことにした。最後に行ったときの『カンナのパンや』のパンの袋には、カンナさんがパンを作るときのレシピが入っていたから。彼女がどういう気持ちでそれを入れてくれたのかはよく分からないけど、でも、それを見れば、彼女の作るパンにまた会える気がした。それにパン屋さんに訪れる町の人達の話を聞くのは何だかとても、私には魅力的に思えたから。
……でもまあ、うん、そんなに上手くいくわけない。
海辺の町の寒風に死ぬかと思いながら、備え付けの家庭用の竃の綺麗に磨いて、焼いたパンは食べられた物じゃなかった。私はわりと自分に絶望しかけた。小麦だってタダじゃないのに。
人前に出せるものになったのに1年(もちろん美味しいかどうかは自信はない)。このゴロツキばっかりの港町で何がパンだよ、と買ってもらえない時期が半年。やっと買ってもらえて常連さんが全く出来ない時期が1年。そしてスリの少年が「おねーさん可哀想だから買ってあげる」とよく来てくれるようになり始めた頃。
寒いなあ、と呟いた次の日の朝。
居間の暖炉が改良されて、ものすごい勢いで家を温めてくれるようになった。
運良くパンがよく売れて、今日は売り切れです、と買いにきてくれたお客さんに謝った、次の日の朝。
竈が大きくなって、パンが5倍の速さで焼けるようになった。
同時に、私のエプロンやハンカチが失くなることが増えた。
なので私は早朝の台所で、この町でよく獲れる魚のすり身とオニオン入りのパウンドケーキを焼いて、台所の天井の梁から麻紐を繋いで、輪っかを作ってその下に足場の台を置いた。
その台に足を掛けた瞬間に、胴体に長い腕が巻きついている。
「エリィいいいいい!!!」
「ぐえ」
「だめだろう!!!」
釣れたのはやっぱりサイン=マキナだった。
彼は血走った目で私に縋りつきながら、1人で死ぬな、という趣旨の内容を喚いた。台を蹴っ飛ばして、食事を取るための背の高い机に私を載せた。
髪が少し短くなってさっぱりしていたけど、頭のゴーグルも、コートを羽織る格好も何も変わらない。
「離して……」
「いやだ!!! エリィ、会いたかった!!!」
「嘘つき!」
「へえ!!?」
素っ頓狂な声を出すサインを、私は涙で滲んだ目で睨みつけた。目の前の広い胸に頭突きをした。
「いったい!!!」
「何なの! 何でストーカーからなの? 普通に会いにこればいいのに!」
「だ、だって、接触禁止だし……あと俺……逃げてきた……」
「知ってる」
私の腰の隣に両手をついたサインは、エメラルド色の目をぱちぱちした。その顔に光が差した。
台所にある扉が勢いよく開いた音がする。
「誘導ですよ」
「……」
派手なシャツを着たアクなしさんが、帽子をチョンと上げて挨拶をしている。
サインが察したのか、珍しく真顔になった。
「僕、お前に頑張ってエリィさんの居場所を突き止めた感出したけど、知ってたんですよ。最初から」
「……アクなしさんは、女王陛下直属の部下として、私に定期的に会いにきてくれてたの」
「……そう」
サインは真顔のまま頷いて、アクなしさんは「じゃ!」と手を挙げた。
「今回の定期会は終わり。エリィさんのメンタルは至って安定。問題なし! と……。うん、女王陛下に飼われるのは悪くないですよ。どっかの誰かさんみたいに無茶振りしてこないし。ヒャッホウ!」
「……お前……はっちゃけすぎだろう……そんな年でもないくせに……」
サインの悪態が聞こえなかったのか、無視したのか、アクなしさんは仕事が終わってウキウキしながら帰って行った。多分半年後くらいにまた来てくれるんだろう。
いや、もう来ないかも。
私はサインを睨みあげた。サインがいるなら、もう来ないかも知れない。
「サイン、暖炉と竈、ありがとう」
「お、怒ってる!!!」
「当たり前だよ! こんなの……!」
私は怒りながらサインのシャツの襟元を掴んだ。変な顔をしたサインを見て、勢いのまま言い切った。
「し、死んじゃったかと思って悲しかった。でも、……無理矢理生き返らせて、ごめんなさい」
「……」
「か、身体は、大丈夫?」
アイリスさんに、サインが生き返った直後、ひどく体調を崩したと聞いた。きっと別の人間の身体の一部を移植された影響だろう。それを聞いた私は居ても立っても居られずに、彼に会いに行きたくなった。でも王城のある城下町は、今はもうとても遠くて、私はそこに入ることも、サインに手紙を送ることも禁止されていた。
そして私は、人を生き返らせる力を使うことをやめた。
生きたいなら力をつかうのをやめなさいと、女王陛下は仰った。禁止されたからやめられるものでもないと分かっているけど、生き返った人が生に絶望するようなことは決してあってはならない。
何より、私のせいで彼が苦しんでいるという事実に、私は酷く衝撃を受けた。
「ごめんね、サイン。でも私、貴方に……」
会いたかった、という言葉が続かなかった。
そう、私はずっと、このひとに会いたかった。
「ありがとう。女王陛下にお願いしてくれて。聞いたよ。私の安全と引き換えに、この国を横断する、鉄の道を走る機械を作ってくれたんだよね」
サインは牢には入れられなかったけど、アイリスさんの監視のもと、ある意味、幽閉状態で機械の開発に着手した。
サインの設計図を見た女王陛下は、選りすぐりの技術者を集めたけど、誰も首を縦に振らなかった。サインは設計図と一緒に、私が死ぬなら死ぬという趣旨の手紙を認めて、女王陛下はそれを止めた。可能性を断じて発展を止めることは何よりも愚かである、と。それから私を信じると付け加えた。
だから私を生かしてくれたのは、ずっと、サインだ。
「ありがとう。貴方のおかげで、私、ここにいられる。私を好きになってくれて、信じてくれてありがとう」
震える唇で言って、彼の肩に額をぶつけた。ずっとお礼が言いたかった。良かった。
でも。
サインは何故か不気味な顔でヘラヘラ笑っていた。
「……えへへ、いや、それは別に」
「えっ?」
それから私の両手を剥がして、身体を離した。固まった私を置いたまま、なんと台所から退出しようとした。
「サイン?」
「えへへ」
「ちょっと!」
なんか様子が変だ。どう考えても今帰るところじゃない。せっかくパウンドケーキだって焼いたのに!
私は思わず、サインの背中に飛びついた。
「……エリィ」
「えっ?」
「お馬鹿さんかな?」
「は?」
きょとんとした私に、サインは打って変わって平坦な声音で呟いた。
「俺、あなたのストーカーなんだけど。毎晩あなたの寝室に忍び込んでいろいろ見て回ってるし、は、ハンカチ良い匂いだし」
「ええ……」
「それに俺、あなたを殺そうとしたし。み、耳だって……半分吹き飛ばしちゃったし。そういうの、ちょっとちゃんと考えたほうが良いよ」
「はあ……?」
この人。
私は呆れてから、ぎゅっと腕に力を込めた。サインはびくっと身体を揺らして腕を剥がしにかかる。
負けるか!と口を引き結んだ。
無言の攻防を制したのは、当たり前だけどサインだった。
「……!」
腕を引っ張られて、台所の壁に押しつけられてキスをされた。急すぎる。ーーでも。
脅してきたみたいにすぐに終わった。離れた唇に、自分から唇を近づけた。
「!」
「サイン。……帰らないで」
見えた目が、怖がっているように見えた。掴んできた手の平を握り返した。
「おかしいかもしれないけど、貴方にずっと会いたかった。貴方が私を殺したくても、私……」
サインは私の肩に頭を載せて、そのままずるずると壁際に向かって腰を落とした。当然私も座り込んだ。
「……貴方に殺されても、別に良いかなって思うの。あ、今は嫌だけど。せっかくパン、売れるようになったし……」
エリオット、と耳元で名前を囁かれた。かっと頬に血が昇る。
私は自分で自分に驚いた。え、これだけで!?
そしてサインが、私の背中に回した手で、焦ったように両手の革手袋を外していることに気がついて、どくんと心臓が鳴った。
「エリオット、そういうのは、こういうのの後で言うものだろう」
低い、唸るような声。サイン=マキナが、私に対して初めて怒っているのに気がついた。後の祭りだった。
「サイン!」
熱い身体に抱きすくめられた。手の袖から素肌の指が侵入して、苛立つように手首を往復する。ぞくっと肌が戦慄いた。
え、何これ。恥ずかしい。
首筋に吸い付いてきたサインの耳を、反射的に引っ張った。
「えっ!? あ、」
ぜ、全然、止まらない。
そういえばこの男は、骨を折られても笑える人だった。
「取って、いいよ」
「!」
「耳、取るぐらい、してくれないと。俺……」
焦げつくような声で言って、サインは私の背中をかき抱いた。キスの合間に滔々と言葉を落とした。
「ーー好きだよ、エリィ。ずっと。会いたかった。嘘なんか、つくわけない」
「……!」
「ここへ来て、笑ってるエリィを見て、全然、満足しなかった。笑ってなくていいから、俺を見て欲しかった。死ぬ時だけなんて、無理だと思う。ほんとに殺しちゃう」
私は口をぱくぱくした。どうにもならなくなって、苦し紛れにキスをした。何を言えば良いか分からなくて苦しい。
咎めるように手の平を擦る仕草に、降参しかけた、とき。
気づいた。
「……だから、なんでもいいから、して」
サイン=マキナは泣いていた。
「ごめん、エリィ。黙って死んでごめん」
「……サイン」
「勝手にエリィが人を傷つけるって決めつけて、怖い思いをさせた。ごめんね」
「……大丈夫だよ」
私はサインを抱きしめた。サインの身体の温度を知ってから、忘れたくなくて、誰にも触れてこなかった。でも彼の温度は覚えていたものより、ずっとほっとする気がする。
ーーきっと、私より苦しかったのはこの人だ。何回も、私が人を殺す夢を見て、たった1人、私の不可解な力の謎を理解しようとした人。私が人に絶望しない方向を、ずっと示していてくれた人。
「サイン、……好き……かも」
「……」
「よく分からない、けど、たぶん……」
私は皆が好きだけど、サインはまたちょっと違う。でも好き。……多分。
こんなの変な気もするけど、しょうがない。真っ赤になってる気がするけど、しょうがない。だって何もかも、私にとっては初めてだった。
「エリオット」
サインはしばらくしてから身体を離した。今度はにたあ、と笑っている。
「あなたは、そういうところがある」
「え?」
「とりあえず俺を手玉にとっとけば良いだろうって、打算的に告白している。違う?」
ひ、人の告白をなんだと思ってるの。
私は真っ赤な顔でサインを睨みつけてから、ぽかんとした。じわじわとサインの顔の、色が。
「ーー打算的だね!!!」
「……」
「大好きだけど!!!」
顔中真っ赤にしたサインが、吐き捨てて立ち上がった。それから台所の扉を叩き割る勢いで開けて、どこかへ行ってしまった。
え、パウンドケーキ。
「……ええ……」
結局ケーキが冷えた頃にサインはそっと家に侵入してきた。私はその、あまりの物音のなさにびっくりして心臓が止まるかと思った。
「ご、ごめんね、エリィ!!!」
「普通に来て。あとそこ座って」
「はあい……え?」
サインは猫みたいに物陰に隠れながら、信じられないような目で、私が準備をするのを眺めていた。早く早く、と急かしながら椅子に座らせるのにも一苦労だ。
「エリィが!!!」
サインは私の出したケーキを泣きながら讃えて、一口食べてから「苦渋の決断……!」と言わんばかりの顔で微妙、という評価を下した。意外とグルメだ。それなら毎日味見をしてもらおう、と決めた。
「アイリスさんはサインを追ってきたりしないの? 逃げてきちゃったんでしょう?」
「多分しない……あの、走る機械の改良に忙しいから……」
「私も乗ってみたいな。すごい速さで走るんでしょう?すぐに会いたい人に会えるようになるし、色んなところに物を運べるね。すごいね」
「……えへへ、えへへ」
テーブルの向かいに座ったサインは、しばらく笑っていた。それからぐっとフォークを握りしめる。
「……そ、それなら俺、ここを拠点にしてもう1つ駅を作るよ。……エリィのパンが国中に飛んでくように!!!」
「それはちょっと……」
私には、そんなに美味しくパンを作る力はないと思う。
言いながら俯いた私を、いつの間にかテーブルを回り込んだサインが、腰を折って見下ろしている。
「そんなことないよ!!!」
「……」
「エリィには絶対、その力がある!!!」
この男は相変わらず、私が何でもできると思っている。
私は笑ってしまった。
サインは笑う私の顔を見て、相変わらず急に抱き締めて、それから長いキスをした。
!終わり!
最後までお付き合い、ありがとうございました。
しばらくしたら、サインが主役の後日談を上げます。
ほのぼのいちゃいちゃ(本編比)する予定。




