18.標している
私についてくるサインの魂は、サインみたいに私にまとわりついている。
何で、サイン=マキナの魂がここに。
いや、分かっている。私が人の魂を見る時は、その人が死んですぐの時だけ。つまり彼は死んでいる。
でも、どこで。
私はサインを探して、ふらふらと街中を彷徨い歩いた。城下町にいた『生ける死体』はザルグ=コールが死んだことで、全員がその場で息絶えて動かなくなった。人々はそれに怯えながら、家族や友人の安否を知るために走り回っている。
新生ソルベント商会の者達も、『生ける死体』という戦力がいなくなったことで総崩れとなり、もともといたソルベント商会の人たちに取り押さえられていた。
私は嫌な予感がして、王城の門の入り口に向かっていた。
そこには爆発で崩れた瓦礫の山があって、それのせいで中から女王陛下の騎士達が出てこられないのだと、片付けている兵士の人が教えてくれた。
点々と、瓦礫の山から血の跡が続いているのを見つけた。
「……」
サイン=マキナは、王城の門の近くの住宅街の路地裏で死んでいた。家の影にうずくまって小さくなって、まるで誰かから隠れるみたいに、ひっそりと。
力なくその場で膝をついた私に、背中から声がした。
「ーーもともともう、長くなかったんだと思う」
ソルベント商会の当主が、パイプを咥えながら銃を肩に担いで立っていた。彼女は私より少し前にここに来たと言った。
「城門の爆破が出来る規模の爆弾なんて、もっと時間をかけて用意しなきゃいけなかったんだ。そいつ多分、巻き込まれる距離で使ったんだ。だけど……もともと、もう」
もともと、もう? ……いつから、サインは。
「製鉄所の怪我も治らない状態で、ザルグ=コールの拷問で死にかけてた。シャツの血の量、すごいだろう」
「……」
「そいつ、昔にあった事故でやけに痛みに鈍くてね。多分、本当にあまり痛くなかったんだと思うけど、なんとなく、自分が死にそうってのは分かってたみたいだね」
「……だから、私から、離れて……?」
「……そうするように、私も手伝った。何となく、家族だから、言われなくても分かるもんだね」
当主は背を向けた。背中がぶるぶると震えている。
「ごめんね。多分、あんたにバレないように死ぬつもりだったんだろうけど、……で、私は、あんたがここに来る前に片付けるつもりだったんだけど、」
「……」
「可哀想でさあ」
ガタン、と音を立てて彼女の銃が落ちた。当主はその場で腰を落として、膝を抱えた。
「知って欲しくて、あんたに……。うちの奴は、どうしようもない奴だけど、あんたのことが本当に大好きだったんだよ。知ってると、思うけど」
私はサインの死体に近寄って、真っ白い魂を身体とつなぐ為にそれを押し戻して、祈った。
何となく、分かっていたけど。
「戻って。サイン」
白いふわふわは、困ったように自分の身体の上を飛び回って、それから私の元に戻ってきた。まるで「無理だよ」と言っているみたいに。
「無理じゃないよ、サイン」
頑張れ、頑張れーー私。
出来るはずだ。私がメンジュの魂を持っているなら、出来るはずだ。例え、うずくまるサインの背中が、まともに見られないくらい怪我をしていたって。私なら!
サインの魂は困り果てたみたいに、私の頬を滑り降りた。涙が一緒に落ちている。
一緒に死にたいって、言ったのに。全部、嘘だったんだろうか。
「サイン……」
ぼろぼろの背中に重なろうとして、やめた。サインがそういう人じゃないってことを、私は分かっているはずだ。
サインは本当に私が大好きだった。私が笑っている姿を見たりないと言っていた。まだ生きたかったはずだ。ぜったいに!
涙を拭って立ち上がった。まだ出来ることがある。
「え、エリオット・コンスタンス?」
声が掛けられたのは、その時だった。
ザルグ=コールによく似た中年の男が、灰色の外套をなびかせて立っている。
「お前、『棺桶引きの一族』か!?」
「ギャッ」
ソルベント商会の当主が銃を構え、男性はそれに驚いて、ひっくり返って地面に腰を打ちつけた。私は慌てて、サインの死体に覆い被さった。本能的に。
「ちょ、待て! 撃つな! そそ、その死体はサイン=マキナのものだろ」
「何の用だ!? まさか『生ける死体』にしようってんなら蜂の巣にしてやるーー」
「かかか、可能性を!」
男性はバタバタしながら万歳の姿勢を取った。
「エリオット・コンスタンス! 信仰の名を持つ乙女よ。あああ、あなたに1つの可能性を!」
「……!?」
「私の名前はシーン。ぜ、ぜ、絶縁されたザルグ家の者で、先代当主ヘイガ・レーナ・ザルグの親友だった!」
私はサインを庇ったまま、目を見開いた。
もしかして。
「メレの、旦那様……?」
「そ、そうだとも!」
シーンと名乗ったその男性は、襟元を整えて、ソルベントの当主をチラチラと盗み見ながら咳払いをした。
「ご存知かもしれないが、貧困街でモグリの医者をやっている。良ければその人を診せてほしい」
「診るったって……」
ソルベント商会の当主はお話にならない、と言いたげに眉尻を下げた。
でも私は彼の言いたいことが分かって、身体の震えが止まらない。
「貴方は、『生ける死体』の身体を作り出していた人ですか」
シーンさんは慌ただしく頷いた。
「そうだとも。わ、私はもともとザルグ家の端くれで力も弱くてね。『生ける死体』を作れない代わりに死体をツギハギする技術を磨いたのだ」
「……」
「サイン=マキナの身体は今、損傷が激しくて『生ける死体』にもなれない状態だ。私にはそれを治す技術がある。褒められた技術じゃないが……。あいにくと亡くなった方ははたくさんいる。限りなく完璧な状態にまで治して見せよう」
「だけど」
ソルベント商会の当主は、一瞬だけ顔を上向けて、それから私をチラッと見てまた顔を曇らせた。
「……無理だろう。それは『生ける死体』を作るための技術だ。ウチのはそうしてまで生きたいような奴じゃ……」
「アイリスさん」
私は頭を地面にくっつけて、ソルベント商会の当主に懇願していた。
「どうか」
道理が通らないことは、分かっている。私は『生ける死体』を嫌悪しているし、それを作り出した『棺桶引きの一族』を憎んでいるはずだ。
でも、どうしても、都合よく。
どうにもならないで死ぬなら、サインに殺して欲しかった。
「私なら、『生ける死体』ではなく、サイン本人を生き返らせることが出来ます」
「……」
「私には、その力があります! ……どうか、どうか」
「頭を上げなよ。エリオット・コンスタンス」
当主は思わぬ早さで返事をした。
「もともとサインの命は、あの日からアンタのものだ。……ただ、諦めないでくれるなら、それで良い」
私は彼女の滲んだ目を、真っ直ぐに見つめ返して頷いた。
そのとき、けたたましい音を立てて鉄の機械が私達の前に滑り込んできた。
「運ぶかい? サインを」
機械に乗ったアクなしさんが、颯爽と帽子を被り直して現れた。
ソルベント当主が目を三角にして歩み寄る。遅い、と文句を言おうとしたのだろうけど、アクなしさんの顔を見てやめたようだった。
「ごめんね、エリィさん。サインの奴、こんな中途半端な奴でごめんね、ほんと」
アクなしさんは、帽子を被ったままだった。
「助けられた身でこんな無茶すんなって、ずっと言ってたんですよ、僕は。でもこの馬鹿、まるで聞かなくてね。あなたを救う方法が、どこかにあるはずだって、……」
「……」
「止められなくて、ごめんね。ほんと。ごめんね。……助けてあげて」
私は頷いて、涙を拭った。
その時やっと、サインがずっと示していた方向が、分かった気がした。
シーンさんの家は貧困街の奥まったところにあって、地下が手術室になっているのだと言う。外見からは分からない温かい色の診療所は、たくさんの物に溢れて雑多で和気藹々とした雰囲気を放っていた。
「サイン=マキナは、地下の手術室に運ぶから、そっちへーーいてっ!」
「アンタ自分の家だろう」
「皆、診療費を踏み倒す代わりに何か置いてくからね、困ったもんだ」
シーンさんはよく転ぶわりに、テキパキと着替えて支度をした。
「準備が出来次第、手術に入る。と言っても普通の手術じゃない。死体相手だ。ここからは誰も入らないで、待っていて欲しい。私1人がやることだ」
「ちょっと待て。聞いておかなきゃいけないことがある」
アイリスさんが腕を組んだ。ひやりとした空気に影響されたのか、サインの魂が首元まで潜り込んできた。
「アンタは何でここまでしてくれる?」
「準備しながら答えるでもいい? ……私もね、見たんだよ」
「?」
シーンさんは背中を向けたまま、手桶やら巨大なナイフやらを引っ張り出した。
「『千回夢見の祭り』の日に、あなたをね。エリオット・コンスタンス。一応私の魂も、端くれながらそれぐらいの力はあったみたいだ」
「!」
「私の見た夢は、貴方が笑いながら死体の山の中で立っている夢だった。恐ろしい体験だったよ。頭がおかしくなりそうだった。……ただまあ、やばいなあとは思ったけど、かと言って私には打つ手なし。のうのうと過ごしていたわけだ」
だって仕方がない、と彼は続けた。
「コールの守りは強固だったし、それに私は、だからと言ってどうにかしなきゃと奮い立つ人間ではないからね。貴方の周りの死体に知り合いはいなかったし。まあそれならそれで良いかなあ、と」
「アンタ……」
「私はね、コールみたいに純粋でもなかったし、サイン=マキナのように強靭でもない。ヘイガに望まれるまま、いくつもの死体を犯して、最後はコールに命だけは見逃してもらう代わりに、他ならないヘイガの遺体を切り刻んだ男だ」
全員が、ぎょっとして動きを止めた。シーンさんだけが、相変わらず準備をしながら喋り続けている。
「人間なんてそんなものだよ。献身なんて自分の身を守るのに何の役にも立たないと思ってる。 ……だけどね、エリオット・コンスタンス。サイン=マキナがここで死んだら、貴方は今度こそ人間に絶望するかもしれない。それこそ人間の最期の時だ」
「……!」
「その可能性があることを知っていて見ているだけなのは、あまりにも生き汚い私らしくなくてね。……なんてね」
シーンさんは振り向いた。それから診療室の机の上を指差した。
「ほんとは奥さんに、泣く泣く頼まれただけなんだけど。……私は、私の奥さんだけは守ってあげなきゃいけない。あの可哀想な子には、もう私しかいないからね」
私は物に溢れる机の上に、一際大切そうに置いてあるステンドグラスのランプを見つけて、思わず俯いた。
私がメレに初めて贈った、誕生日の贈り物だった。
「メレは貴方のことをよく話していたから、本当は夢を見た時、信じられなくてね。だって貴方は、善い人でしょう」
私はサインの魂に頬を擦り寄せて、どうしようもなく泣いてしまった。まだサインが生き返るか分からないのに、私なら絶対に出来ると、この時点で分かってしまった。
シーンさんは、地下室に降りる階段の前で、一度だけ微笑んだ。
「メレを助けてくれて、どうもありがとう。貴方に、何よりの感謝を」
私は、人が好き。
人が好きなまま生きられる、絶対に堕ちない方向が、目の前に示されていた。
手術を終えたサインの身体は、陽の当たる診療室に横たえてもらった。真っ白い顔の下は布に覆われていてよく見えないけれど、シーンさんは「出来る限り復元したよ」と青い顔で言ってくれた。
私はその横に用意してもらった椅子に座って、刺繍用の針を貸してもらった。いつも『別れ祈り』に使うレースを編むように、サインの魂と身体を繋ぐイメージが出来れば、それが一番良いような気がしたから。
私が、サインを生き返らせた時から、レースの刺繍に込めた思いは、諦めないでとか、頑張ってとか、そういう類のものだった。でも今は少しだけ、違う。
「……さあ、頑張ろう」
私の力は人を助けるためにあるものだと、言ったのは他でもないサインだ。大丈夫。私には、その力がある。
それからどれだけ時間がかかったかは、よく覚えていない。サインを生き返らせるのに、ヘイガ・レーナ・ザルグにしたような激しい攻防はなかった。ただ穏やかに、根気強く、私は「頑張ろう」とサインの魂に呼びかけて、彼の魂を何度も身体に縫いとめた。
途中、白いふわふわが往生際悪くドレスの胸の合間に潜り込んでくるのに呆れた気がする。それから周りで何かアイリスさんが怒鳴っているのが聞こえた気もする。足元が揺れたような気もする。
ただ、それどころではなかった。
そして、サインの魂から伸びる糸を、やっと完全に身体に繋ぎとめた頃。
「ーーわっしょい!!!」
サインが簡易ベッドをガタガタ言わせながらくしゃみをした。私は大きく息を吐いて、椅子の上で膝を抱えた。震える白い睫毛を眺めて、こっそり泣いた。
よく、頑張った。サインも私も。目を覚ましてくれたら、お礼を言わなきゃいけない。……それから。
「……」
でも、その前に。
私は立ち上がって、誰もいない診療室の扉を開けた。
「エリオット・コンスタンス!」
そこには王城の騎士達と、彼らに拘束されるアイリスさんがいた。どうやら私が集中している最中に、王城の騎士達が私を探しにやってきて、当主が一戦交えようとしたらしい。石畳のあちこちにお馴染みの穴が空いていて、逃げようとしたシーンさんがそれに転んでギャーギャー騒いでいた。
来るとは、思っていたけれど。私は手をギュッと握った。
ザルグ=コールの言葉が頭の中で響き出した。
『今頃、我らが女王陛下が動き出してるかもな。俺諸共お前を始末してやろうって。お前がメンジュの魂を持ってると今回の件で気が付いたろ』
王城の騎士の1人が私に寄ってきて、恭しく膝をついて礼をした。
「メンジュの魂を持つ者よ。……女王陛下の勅令である。謁見の場にお連れする」
「絶対に行くな。エリオット・コンスタンス! 行ったら最後だ、処刑されるぞ! あの女狐め、恥を知れ!」
私は震える身体で行くと伝えた。
当主は信じられない、と悪態をついたけど、私は彼女を放してもらえるように騎士達に頼んで、シーンさんにはサインの容態を診てもらうよう頼んだ。
また、大丈夫だと思った。女王陛下はーーこの国は、きっと私を可能性だけで殺したりはしない。確信があった。
だって、私の無事を、願ってくれる人がいる。
騎士に手を引かれ、城に向かう私は診療所の方を振り向いた。
診療所の扉の影から、手を組んで首を垂れ、ひたすらに祈るメレがいた。




